(1) 棺のテレサ
【お題】墓標、捻じれ、ヒロイン
ようやく目的の迷宮都市に到着した後、彼は当座の宿を確保し、一人往来ごった返す市中
へと繰り出した。何よりも済ませるべきは、冒険者組合への登録と入塔許可の申請だが、街
に着いて早々気忙しくなることもないだろう。窓口は逃げないし、寧ろは準備は慎重に進め
てゆくべきだと彼は考えていた。
多くのルーキー達の例に漏れず、血気盛んに飛び込んで──死ぬ。
自分は、そんな蛮勇一辺倒の為にこの街の迷宮に挑みに来たのではない。たとえ同業他者
に哂われようとも、堅実に進もう。彼はそんな思考の持ち主だった。身に付けた革鎧と腰の
長剣、予備の短剣。決して潤沢と言えない装備をぶら下げ、揺らしながら、彼は街が漂わす
景色を視界いっぱいに焼き付ける。
「らっしゃい! らっしゃい! 安いよお!」
「腹が減っては戦は出来ぬ。迷宮探索のお供にも、うちの食料を是非!」
「やあ、兄さん。そろそろ装備をワンランク上の物に変えちゃあみないかい? 今なら余所
よりもおまけしておくよ?」
「やっぱ物理だろ。どデカい剣やハンマーでぶっ叩けば、大抵の魔物は怯んで隙が出来る。
一方的にボコれて被害も減る」
「いいや、魔術だね。迷宮内には力押しでは進めない仕掛けもたくさんある。状況に応じて
より多くの選択肢を採れることこそが、生還と成功の秘訣だよ」
ああん!? やるかあ!?
街の至る所から聞こえる、過ぎるくらい活気ある大通りの商人達と、日常茶飯事に喧嘩を
繰り返す冒険者同士の声。猥雑──人によっては少なからず不快に感じるかもしれないが、
彼の感覚からすれば寧ろ、良くも悪くも生々しく“生きている”んだという実感を得られて
嫌いではなかった。元々の育ちが多分に影響するのだろうとは解っているものの、迷宮とは
やはりこうでなくては。
主立った通りをざっと歩き、気になった店や風景などを片っ端から覗く。見かけた住人に
声を掛け、この街が抱える諸々の評判をそれとなく聞き出す。
……情報は、とても重要なピースだ。迷宮内の攻略情報だけに限らず、知っているか否か
で、文字通り自身の生死に関わる場面だって少なくない。だからこそ、情報というものの価
値をきちんと解っている人間から知ろうとすれば相応の額を要求されるし、こちらもその真
贋を見極めなければならない。
迷宮とは、その土地の魔力溜まりが空間ごと変異し、全く新たな環境を生み出す現象の産
物だ。洞窟や密林。多くは突如自然発生的に生じたものを指すが、中には人為的に再現され
たタイプも少なくない。
この街の迷宮も……そんな後者の例の一つだ。人々がこうして暮らす街の中心部から少し
外れた先、海岸線の一角で、明らかに人工物と思われる巨大な塔が地中から発掘されたのが
始まりだという。
組合へ赴く前に、よりフラットな状態でそれを見てみようと彼は思っていた。たとえ個々
がどんな理由であろうと、一度いち冒険者として内部に潜り始めれば、世間一般にはやれ
“荒くれ”だの“盗掘者”だのと色眼鏡で見られる。何よりどれだけ心の中で弁明しようとも、
他でもない自分自身が冒険に興奮を覚えてしまうだろう。抜け出せなくなるだろう。そう
なる前に、一度冷静にあれが何であるかを見ておきたいと願った。
「──」
彼が彼女と初めて出会ったのは、そんな道行きの途中だった。
街の中心部からはぐっと外れた、寧ろ迷宮側に近い地区の一角に居を構える古びた教会。
その敷地の端に並ぶ墓石の前で、一人の若い修道女が静かに祈っている。
海辺へと続く石畳と、低い錆びかけの鉄柵越しに、彼はふとその姿に足を止めてしまって
いた。彼女の楚々とした横顔もそうだが、それ以上に一抹の違和感にふいっと射止められて
しまったからだった。
礼拝堂ならすぐ後ろにあるのに、何故そこで……?
「? あら、どちら様?」
だからだろう。こちらの視線に暫くして当の彼女が気付き、振り向いて呼び掛けてきた。
彼は内心気恥ずかしかったが、小さく会釈をして応じた。慌てて逃げ出すというのも、何だ
か罰当たりなようで居心地が悪かった。どうやら柵と柵の間を縫って敷地内──芝生の中へ
と入っても怒られないようなので、情報収集の一環も兼ねて近付く。一瞥した建物の年季を
考えると、この街の成り立ちレベルぐらいの話も聞けそうだ。
「──そうですか。貴方も、あの迷宮へ挑みに来たのですね」
彼女の名は、シスター・テレサ。曰くこの街に生まれ育ち、今は亡き祖母の影響で若くし
て信仰の道に進んだらしい。
彼からの名乗りと身なりを見て、彼女は一瞬眉を顰めるように唇を結んだ。努めて声色は
丁寧で穏やかだったが、その心中はやはり冒険者の類を快く思ってはいないようにみえる。
「え? ああ……。そうです。ここにある墓は、全て迷宮から生きて戻れなかった方々の為
に建てられたもの。それでも彼らの内の、ほんの一部しかないのですが」
最初の言葉と、目の前の墓石群からもしやとは思ったが、どうやら正解だったらしい。チ
ラリと彼が向けた視線と疑問の一端に彼女は応じ、そう再び悲しげな気色をみせて話してく
れた。何でも他の冒険者などが発見・回収してきた亡骸が、最終的に此処へ持ち込まれると
のこと。彼女ら教会としても、一人一人供養し、こうして埋葬を続けているが……年々墓石
は増える一方だとも。
「本堂から向こうには、身寄りのない子供達が暮らしている救護院もあります。ですので、
墓地はどんどん敷地のこちら側に集中させるしかなく……」
なるほど。彼は得心し、そして彼女を不憫に思った。教会の上層部、年長のシスター達が
どう考えているかまでは知らないが、それは確かに歯痒いだろう。彼女らは本来、静かに信
仰に生きたいだろうに、文字通りの血生臭いあれこれが付いて回る。迷宮都市ではしばしば
問題となる話だ。
「……祖母が子供の頃は、この辺りはごく普通の田舎町だったそうです。でも七十年ほど前
に、あの海岸で迷宮が発見されて以降、町は大きく変わってしまいました。噂を聞き付けて
たくさんの冒険者の皆さんが訪れるようになり、彼ら相手の商売人も増えていって……。確
かにそのお陰で、今ではこれほど大きな街に成長しましたが、失ったものも多いと思うので
す。少なくとも、日常的に誰かが傷付いて、死ぬ──何処からともなく一攫千金を求めてや
って来た人々が命を落とすなんて場所では、なかった筈なのに……」
故に彼は、暫し聞き役に徹さざるを得なかった。間違いなく彼女の言葉は、自分がその、
本心で嫌っている冒険者の一人だと分かっているからこその訴えだと知り得たからだ。一介
の新参者に吐露した所でどうなるでもないが、鬱憤は溜まっていただろう。彼の側も、ただ
蛮勇のままに迷宮を攻略しようと目論む人間ではなかった。次に彼女が紡いだ言葉に、だか
らこそ打ち明け返す。
「私の我が儘だとは分かっています。ですが貴方には──冒険者にはなって欲しくない。生
きて、帰って来て欲しい」
ありがとう。だけれど行かなければならない。
迷宮の最深部、その核たる魔力溜まりを破壊することで、貴女の願うような未来はきっと
訪れる。自分はこれまでそうやって、幾つかの迷宮を消滅させてきたと。今回も──これま
で関わってきた案件の中でも一際大規模だが──この街のそれを聞き、遥々やって来た所な
のだと。
「……そう、だったのですか。申し訳ございません。てっきり、他の冒険者さん達と同じだ
とばかり」
いや。彼は遠慮がちに首を横に振った。事実、冒険者の類であることには違いない。何よ
りその目的の為、自分は他の冒険者達を雇って“攻略”するという形を採っている。金銀財
宝ではなく、その破壊──最深部への到達に特化していることを除けば、彼らと何ら大差は
ありはしない。
沈黙。暫し二人は次に何と言えばいいか、話を打ち切るタイミングを探って互いを窺って
いた。結局、先に口を開いたのは彼女の方だった。「ふう……」一旦大きくため息のような
深呼吸を。自分の中でも気持ちを整理しつつだったのだろう。改めて彼女は、ふわりと頭に
巻いた修道女のベールを揺らして言った。祈るように両手を合わせた。
「──ならば、私は祈りましょう。きっとこの街を変えてしまった迷宮を、貴方が在るべき
姿に還して下さると。そして貴方とそのお仲間達がたが、無事に戻って来られることを」
彼自身、今回目を付けたこの街、迷宮がこれまでで最大規模のものだとは分かっていた。
これまでと同様、いやそれ以上に入念な下調べをし、攻略の糸口を見出してから動き出す心
算だった。
しかし……いざ動き始めてみると、事態は彼の思惑をことごとく裏切ることとなる。雇っ
た冒険者達が次から次に戦死し、或いは財宝に目が眩んで罠に掛かっていったのだ。結果を
言えば彼は甘く見ていた。この街の迷宮は、これまでの何処よりも侵入者を嵌め殺す悪意に
見ていた。かつての製作者──人為的に作られたタイプであるが故の特性か。事前と現地で
集めた情報、最深部までの距離に対し、一行が進めたのはまだまだ浅層と呼ばざるを得ない
領域でしかなかったのである。
……何より、一番の障害となったのは街の上層部だった。彼らにとって迷宮は、街の繁栄
をもたらす重要資源であり、端から完全に“攻略”されることを望んでなどいなかったので
ある。
或いはこれまで、似たようなケースがあったのかもしれない。
何処から情報が漏れたのかは定かではない。少なくとも怪しい人間は、捜査線上に上がる
前に街を出てしまっていたか、迷宮内で死んでいたからだ。おそらくは裏で手を回し、妨害
工作を仕掛けたのだろう。仕入れた情報がガセで犠牲者が出たり、そもそも一行だとみるや
露骨に物資を売ってくれない商人なども散見された。組合もおそらくグルだと思われた。こ
うした一連の被害、不正を訴えても、彼らはまるで取り合おうとはしなかったからだ。
『登録時に明記してあった筈だがね? “迷宮攻略でどのような危険に遭おうとも、それら
は全て自己責任”とする、と──』
嵌められた! 彼は宿先で頭を抱えた。
攻略は遅々として進まなくなった。とにかく人員が足りない。噂を聞き、風向きが悪いと
判るや否や、協力してくれる冒険者は日を追う毎に減っていった。彼らとて一番可愛いのは
自分である。たとえ攻略の途中で金銀財宝、自分達の側の利益があるとしても、街の権力側
に睨まれてまで留まり続ける義理はない。寧ろ最終目的が、迷宮の破壊と知って罵ってくる
者までいた。
『てめぇは俺達の食い扶持を奪おうとしてたのか!?』
『畜生、騙しやがって! 俺達は“冒険”がしたいんだよ! そんなつまらねえ“攻略”な
んぞ、糞くらえだ!』
「──また、お仲間が亡くなられたそうですね」
だからもう彼女に、シスター・テレサに会うことすら怖くなっていた。ジリ貧を強いられ
てゆく日々、救いを求めて礼拝堂を訪れたのに、ふと現れた当の彼女の声には静かな圧があ
った。真の攻略が進まない。最初会った頃の約束が破られたということ以上に、一人また一
人と、彼が雇った冒険者達が結局死んでいる事実にその表情は険しい。
申し訳ない……。
彼は深々と頭を垂れた。実際そうだった。明らかに現状は、より強大へと挑んだ果てが、
このざまだ。こと彼女には何一つ弁明の余地も無い。
「……仕方がありませんよ。貴方だって、一人の冒険者さんなんですから。ただ、こうして
また生きて戻って来てくれたことが、私にとっては数少ない救いです」
シスター。
「だから、だからもう……。迷宮には潜らなくていいんです。そうすれば、少なくとも貴方
は“犠牲者”にはならないのだから」
シスター?
感傷的になり過ぎた。彼女の異変に、逸早く気付くべきだった。
しんと静まり返った礼拝堂。嫌に朱い夕陽が差すステンドグラス、ずらりと並んだ長椅子
と祭壇、正面の聖人像。
彼に過ぎった違和感は、はたして間違ってなどいなかった。彼と彼女、他の誰も人気のな
い堂内で、彼女はおもむろに傍の文字架を握った。敷地の向こう、今や木々に隠れて尚増え
続ける、犠牲者達の墓に刻まれたものと同じ文様である。
ただの装飾品だとばかり思っていた。実際それは金色に塗られ、大人一人分の背丈はゆう
にある。金属製ならば重量も相当なものだろう。
それを彼女は、軽々と“引き抜いて武器にして”いた。
握り手付近には、鍔とも取れる横一線の金属。
真っ直ぐ伸びたその先端には、明らかに凶器と思しき菱形の刃……。
殆ど本能的に身体が動いていた。彼は慌てて腰の得物を抜き放ち、この豹変したシスター
に相対して身構える。
いや……これが本来の彼女なのではないか? 迷宮内で無駄死にしてゆく人々に募らせた
義憤りが、何時しか可憐な修道女を狂気へと。“遺体回収の徒”へと。
「さあ。大人しくして下さい?」
「すぐに、済みますから。貴方も彼らと、同じ場所で眠らせて差し上げます」
ギラついた朱い眼。どす黒い殺気。
ゆらりと、小首を傾げながら進み出た彼女は、そのまま巨大な金刺剣と共に──。
(了)




