(5) パーリィ
【お題】月、聖夜、太陽
始まってから十分も経たない内に、立川は今夜この場所に来たことを後悔し始めていた。
季節はクリスマス・シーズン真っ只中。煌びやかに装飾された店内で、立川はこの空間を仕
切る中心人物の姿を遠巻きに眺めている。
「──さあ、じゃんじゃん飲み食いしてくれ。今夜は俺の奢りだ!」
今や、そこそこ大きな会社の社長にまで登り詰めた級友から連絡があったのは、今からお
よそ二週間ほど前のことだった。立川自身、すっかり連絡先を交換した──教えたことすら
忘れていたものだから、最初スマホの着信画面にその名前が出て来た時、正直驚いた。何よ
りも自分なんかに、掛けてきたこと自体驚いていた。
『……もしもし?』
『よう、立川。俺だ。今大丈夫か?』
電話の主・濱家の用件は、クリスマスに開催するパーティーに自分も来ないか? といっ
たものだった。何でも学生時代の友人・知人達に、一通り声を掛けて回っているらしい。
『パーティー……?』
『ああ。俺もお前も、こんな歳なりで独り身だろ? だったらそういう者同士で、偶には集
まって楽しめたらなと思ってな』
ニカッと、電話越しにあの頃の爽やかな笑顔が視えるかのようだった。
立川は数拍押し黙る。先にぐるぐる回っていたのは、どう返事をしたらいいものか? と
いう思考と、こいつに連絡先教えたことあったっけ? という疑問だった。
少なくとも後者は──ややあって思い出した。何年か前の同窓会で、半ば成り行きのまま
交換したのだったか。昔からぐいぐい押すタイプのリーダー気質で、自ずと周りに人が集ま
ってくる。経営者の道を選んだのも必然だったろうか。結局、あの時出席した面子の殆どが
彼に番号を知られたと記憶している。ただまあ社交辞令的なもので、これまで特段掛ける用
事も緊急性も無かったのだが……。
(こいつ、まだ結婚してなかったのか)
自分はともかく。
内心立川は意外だった。あれだけ人好きのする性格、いつも人の輪の真ん中に居たような
奴だったのに、嫁さんを貰ったことが無いとは。いや、ああいう人間だからこそ、誰か一人
にと決められなかったのか。
『いきなりですまねえな。都合が悪いなら、無理にとは言わねえ。ただ、色々と準備がある
モンだから、早めに連絡をくれると助かる』
『あ、ああ……』
結局立川は、その場で彼に誘いを断る言い訳を見つけられなかった。別に行きたいと思っ
た訳ではなかったが、向こうは善意だと解っていたからだ。何よりその当夜、自身に特段予
定が入ってなどいなかったことが大きい。大き過ぎたのである。
「──いやあ、悪いね。こんないい店用意して貰っちゃってさ?」
「本当、社長様々だなあ。俺達みたいなオッサンじゃなく、気のある女を誘えば良かったろ
うに……」
わいわい、やいのやいの。
飲食代を濱家が出してくれるということもあって、出席したかつての級友達は終始上機嫌
だった。というよりも、只々単純に酒を飲めるというのが強いか。最近は時勢柄、こうして
大人数で集まるということすら憚られ、抑圧されてきた。
ビールやワイン、焼酎。めいめいにグラスやカップに酒を注ぎ、互いに軽く打ち鳴らして
喉を潤す。テーブルの上には各種オードブルや肴も揃えられており、こと酒飲みには堪らな
い環境だろう。立川も、室内の大分隅っこに独り座ったまま、ちびちびとビールを煽ってい
る。ちらちらと、時折濱家ら中心グループの様子を観察している。
「それが上手く行かないから、野郎どもで集まってんだよ~。なまじっか社長なんて立場だ
から、どうにも寄って来る女がことごとく金目当てでな」
「そりゃあ、まあ……。でもそんなモンだろ? 男も女も」
「あるに越した事はねえよお。かーっ、俺も言いてえなあ! 金ならある! なんて」
「……」
そうだな。男も女も、だな。立川は黙したまま思う。
要するに今日集まった連中も、濱家という“金持ち”とのコネクションを持っておいて損
はないと、多少なりとも考えた面子の集まりなのだろう。勿論、宴会の口実というのも無く
はないのだろうが……下心は何も男と女のそれだけに限らない訳で。
(言って俺も、何処かで期待してたのかもしれねえなあ……。世辞とよしみで呼ばれただけ
だってのに)
くいっとグラスの中の残りを煽る。自身が一番理解していた。だからこそそんな己を嫌悪
していたし、居心地が悪かった。自分で自分の首を絞めるような精神をしていた。
パーティーが始まる前、ぽつぽつと人が集まって来るまでに、立川も濱家から声を掛けら
れて多少世話話はした。やれ最近どう? だとか、今は何をやっている? だとか。
……正直に言える筈もなかった。
何故なら向こうは社長でも、こっちはまともな勤め人ですらない。職を転々とし、結局腰
を落ち着ける先が見つからなかった派遣労働者だ。下手した来年、半年後には野垂れ死んで
いるかもしれない。ギリギリの生活だった。彼の言う“独り身”とは、はっきり言ってベク
トルが違う。そもそも──選ぶ権利すら無い。
(だが、そんなことあいつに愚痴ったって、如何なる訳でもねえしなあ……)
加齢と共にだけ積み上がった、無駄な自尊心。辛うじて孤独に飲んでいる姿を装うことで、
普段日常の切迫感をひた隠そうとする。
この二十数年、自分達はそれぞれ何をやってきたか? どれだけ努力してきたか? 誰も
が本当のことを自ら語っている訳でもないから、確かなことは言えない。寧ろそういった毎
日の息苦しさを、束の間でも吹き飛ばしたいからと今夜此処に居る。誰からともなく、そん
な話題・声色を出すのは野暮ってものだろう。皆……笑っていても仮面を被っている。
「そんな難しいことじゃねえさ。俺はどうにも、サラリーマンでコツコツ稼ぐってのが性に
合わなかっただけで──」
人間、隣の芝は何とやら。手元に有るものよりも、無いものばかりに注目してしまう。そ
れはいわゆる成功者であろうとなかろうと、中々逃れ難いものであるらしい。
級友達に囲まれ、濱家はしみじみと語っている。彼としては、経験として本当にそうだっ
たのだろう。良くも悪くもバイタリティがあるものだから、じっと一つの組織の中に座って
いるだけでは満足出来なかった。自ら、外へ外へと出てゆく衝動には勝てなかった。
(“普通”は、それ以外に基本選択肢がねえんだけどなあ……。いや、そう思い込んできた
からか? 今更どうしようもねえが……)
少なくとも立川にとっては、社長・濱家こそが青い隣の芝だった。彼にも彼なりに苦悩は
あるらしいとは察しても、理解していも、それをすんなりと受け容れることが出来ない。ど
うせ持てる者の余裕だろうと、心の中で決め付けている自覚があり、それがはっきり言って
しまえば嫉妬だと解り切っている。
(……やっぱ、随分と差が付いちまったなあ)
まるで彼とその周りで宴席を楽しむ面々は、輝ける星と幾つもの衛星のようだ。実際、光
を自ら放っているのは前者だけなのだが、後者はその波及を自身のものだと錯覚し易い。或
いはそうあって欲しいと心の何処かで願っている。
そこまで“同じ”立場にならずとも良い。ただその恩恵を受けられるものなら、受けてい
たい。その為になら、求められて集ろう。ぐるぐると周りを囲んで踊ろう。
そして肝心の自分は、そんな衛星の一つにすらなれない。近付こうと、努力することすら
しない──。
クリスマス・パーティーとは名ばかりの、プチ同窓会兼宴席は大方の面子が酔い潰れてし
まった段階でお開きとなった。暫くぐったりと眠り、酔いを醒ました後、立川達はそれぞれ
の帰路に就く為歩き出す。店の入っていたテナントビルを出、濱家や店のスタッフらに見送
られて夜風に吹かれた。街は尚、明朝でありながら、大量のライトアップで忙しない。
(……ふう)
何人かの級友、そして濱家とも幾らか雑談をした後、立川は独り駅への道を歩いていた。
とはいえ明日のシフトまでは暫く時間がある。待っている家族もいないし、そこまで急いで
帰宅する必要もない。のんびりと、偶には夜の冷気に身を委ねるのも良いだろう。何より丁
度良い酔い覚ましにもなる。
(まさかこの歳になっても、まだ馬鹿騒ぎ出来るなんてなあ。その点は、あいつにも感謝し
た方がいいのかも、しれないが……)
心の中で呟きかけて、されど彼は思わず眉間に皺を寄せる。
濱家の、現役経営者として財力を見せつけられた記憶が蘇る。食って飲んでしている内は
気も良かったものの、いざ冷静にあの状況、身分の格差を考えれば落ち込みもする筈だ。本
人がそういう奴ではないし、わざわざ大人数の前で口にするような礼儀知らずでは社長など
務まらないとは解っていたが、きっと彼は自分を哂っていただろう。少なくとも“下”だと
その嗅覚が仕分けした筈だ。人間とは、そういう生き物だから。
「……」
予想ならとうにしていたことだ。それでも時間が経つにつれ、どんどん虚しさだけが込み
上げてくる。自分はこの数時間、何をやっていたのだろう? 娯楽に、快楽に耽り、また今
年も節目の日を過ごした。もう一度夜になれば、今の現場ラインで再び立ちっ放しの作業が
始まる……。
「──っ」
誰にも聞こえない、判らないぐらいの小さな声。舌打ちを押し殺すような歯噛み。
立川は、握っていたスマホの画面を開いていた。ホームから通話アプリに飛び、連絡先リ
ストを開く。濱家淳──先日まで、自分でも何時登録したか憶えていなかったそれをスワイ
プし、編集項目に移る。敢えて画面下部に押しやられていた「削除」を引き寄せ、タンッと
叩くように実行する。
「……」
数拍の間、立川はその一人分が消された電話帳を見つめていた。ややあって吐き出そうな
嘆息を呑み込み、スマホごとそんな感情をズボンのポケットにしまい込み、歩き出す。
(了)




