(4) 必死人
【お題】宇宙、激しい、幼少期
『もうしばらく待ってください! きっと、きっと変えてみせますから! だから……どう
か、どうかお願いしますっ!』
人々は、彼女の本当の理由など知る由もないでしょう。仮に聞いた所で、眉唾物と一笑に
伏される筈です。或いは“妄言”だと断じ、彼女を更に狂人の類へと押し上げる結果になる
ことは間違いありません。
『……承知した。ならばもう暫く、観察させて貰うとしよう』
『我々も、どのみち準備は必要だ。そうだな……君達原生種の基準で、五十ヶ年を期限に設
定しようと思う』
まさか人々は思いもしないでしょう。彼女がまだ幼い頃、異星人を名乗る異形の一団に攫
われたこと。その母船と思しき構造物の中で、この惑星の命運を左右する質問を投げ掛けら
れたことを。
彼らは──尖った耳と青みがかった肌を持ち、首元から下を見たこともないような装置が
一体化した衣服を着ていました。当時の彼女がまだ小さかったことも手伝い、総じてすらり
と長細い体躯をしているように見えました。じっとこちらを見下ろしてくる両目と、小さな
口は、深い闇夜を内包するが如く真っ黒です。
『どうだろう?』
彼らの一人は、そう彼女に応じつつ、他の仲間達にも意見を求めていました。最初彼女の
言葉が通じないと解った途端、同じように翻訳──したと思われる口元の首輪型装置を調節
しながら、流暢且つ淡々とした声色で話しています。
『異存はない。我々にとっては、ほんの僅かな時間でしかないが……。彼女達にとっては寧
ろ長いくらいだろう』
『ああ。この個体の寿命を、ほぼ費やしたぐらいか。脆いものだな』
五十年……。一方で彼女は、彼らから告げられたその“タイムリミット”に安堵したのも
束の間、次の瞬間には恐ろしくて恐ろしくて震えることになりました。何せ彼らが自分をそ
もそも此処へ連れ去って来たのは、何も自分達と友好を結ぼうという理由ではなかったから
です。
『よし。では五十ヶ年だ。これより君達の基準で五十ヶ年後、もう一度我々はこの惑星を訪
れる。その際未だ、主要な原生種である君達が、他の種を損なうことでしか生きてゆけない
生命体ならば……我々は君達を駆除する。この惑星から外へ、我々の築いた秩序にまで害を
及ぼさない内に、その芽を摘む。宜しいかな?』
彼らは只々、彼女ら人類を、いずれ自分達の生息域にまで侵入してくるとも限らない蛮族
と見做していました。互いに殺し合い、空を大地を海を汚し、何より大量の廃棄物を根治し
ないまま放置する──周りに害を振り撒く危険因子だとして。
コク、コク!
彼女は殆ど反射的に頷いていました。攫われた、当時幼い一人の少女、何の前触れもなく
人類の命運を握ることになってしまった彼女は終始震えていました。それでも彼らの突き付
けてくる無理難題を拒めば、その場で自分の大切な人達が危ないということだけは解ってい
たのです。必死に訴え、結果彼女は、かくしてそんな“約束”を彼らと交わすことになるの
でした。
『了解した。では君を地表に戻そう』
『一応、目を瞑っておいて貰えるだろうか? この調査船の航行は、なるべく対象の原生種
らには知られずに済むに越したことはないのでな──』
文字通り、そんな人生を変えてしまう出会いから四十年近く。彼女は既に老齢の手前へと
差し掛かっており、世間的には“煙たがられる存在”となっていました。いわゆる女傑、活
動家──まだ若い頃から環境保護や紛争根絶を目指し、多くの人々を巻き込んで訴え続けて
きた、知る人ぞ知る界隈のキーマンの一人へと彼女は転身を遂げていたのです。
「何故このような状況になっても、未だ歩み寄ることすら出来ないのですか!? 我々大人
は、未来に対して多大なる責任がある!!」
人は彼女をこう呼びました。闘争の女性と。如何なる権力にも屈せず、世界の為に動き続
ける、真のリーダーだと。次世代の者達を変革してきた、尤も影響力のある女性だと。
人は彼女をこう呼びました。夢から醒めぬ老害だと。片っ端から時代時代の国・地域に喧
嘩を吹っ掛けては、自分達の要求を通そうとする──最早拗らせて退くことすら出来なくな
った、極端な理想主義者の末路だと。
現在、多くの人は彼女がまだ若い頃の姿を知りません。何世代も前のビデオ映像に、当時
同年代の仲間達と共に徒党を組み、デモを行っている姿などは確認されます。
しかし……その程度でした。時代が進み、世代が若い人々へ移るにつれて、彼女の活動は
徐々に表舞台からスポットライトを浴びなくなり始めていました。良くも悪くも飽和し、黙
っていても人並みの暮らしをとりあえず享受できる先進国の大多数には、彼女の声は総じて
“騒音”のように聞こえてならなかったのでしょう。或いは人並みすら厳しい──発展途上
の国々に住まう人々からすれば、そもそも彼女らのような存在は明確に“敵”です。豊かに
なりたい、貧困から抜け出したい。その為に必要な道筋を、ことごとく非難して止めさせよ
うとしてくる、此方の事情を見ようともしない邪魔者だからです。
「どうして? どうして!?」
「恥を知りなさい!!」
なのに……。快哉を叫ぶ人々は限られているのに。
彼女とその仲間達は結局、決起当初からのスタイルを崩しませんでした。時には穏便に事
を運ぼうとする分派も現れましたが、寧ろそうした面々を彼女らは「日和った」と激しく攻
撃すらしたのです。どちらも長い目で見れば、願った理想を叶えられはしていませんが、行
き詰まりは明らかでした。彼女は常に、義憤っていました。
(どうして! どうして!?)
(このまま変わらなければ……滅びてしまうのに! 約束の日が来てしまうのに!)
尤もその理由の一つに、かつて幼い頃経験した、異星人達との邂逅があることは知る由も
ありません。彼女自身、下手に話すことはしませんでした。現在でこそ、大国同士による
“宇宙開発”すらも政争の具となったとはいえ、大多数の人類にとっては尚も眉唾物の理由に
は変わりありません。その辺りは、彼女自身も理解していました。何より……彼らに脅され
ずとも、いずれこの惑星はもたなくなる。他ならぬ自分達の営みで……。
『必死だなあ、このBBA(笑)』
『老害って言われてるのは解ってるんだろうけど、今更引っ込みがつかないんだろ? 別に
こいつだけに限った話じゃねえよ』
『かといって、半分テロみたいなことやってりゃ世話ねえな。この前だって、美術館に難癖
付けてたんだろ? 驕りの象徴とか無駄遣いとか』
『それ、別の団体じゃなかったっけ? まあ何処かで繋がってるかもしれないけど』
二十年、三十年、四十年。歳月だけは変わらず過ぎてゆきます。その間も時代は移ろい、
世代も価値観も大きく様変わりしましたが、彼女の理由と人知れぬ“焦り”を理解する者は
やはりいませんでした。近しくない者であればあるほど、遠い他人であればあるほど、彼ら
は対岸の火事──他人事のまま冷笑に興じます。こんな老婆よりも、自分達の方がよっぽど
“世界”について詳しいんだと意気がっています。或いはとうの昔に、諦めモードで世間を
ウォッチしています。
『我々は、未来に対して責任が──』
『真の平和とは、互いの手を──』
「うるせえ! 余所でやってろ!」
「押し付けんな!」
「我々には、我々の幸福を追求する権利があるぅ~!」
『そこの君達! 下がりなさい! 行進中の列に近付かないように!』
対立は、結局止むことはありませんでした。強く訴えれば訴えるほど、他人びとはその逆
張りに賭けたくなるものです。少なくとも上から目線で、自分達の利益を損なってまで彼女
らの“理想”に従おうとは思いませんでした。どれだけロビー活動をもって、次第に社会が
それらを正しい姿だと標榜するとしても。空腹に苦しむ者に、着飾る余裕など無いのです。
より上位の欲求に到達した者は、先人の通った道をも忘れています。ひいては強く強く残っ
た思い出だけが、美化されるのです。
(──また××が、軍事介入を?)
約束の日が迫っていました。あの出来事から五十年。彼女は自身の率いる団体のオフィス
ビルで独り、うろうろと思案を続けて落ち着きを失くしていました。先刻、とある大国によ
る軍事攻撃が速報で流れてきていたのです。
(駄目だわ……もう間に合わない。環境も、紛争も、こんなに身を粉にして止めようとして
きたのに、誰も省みようとなんてしないまま──)
ちょうど、そんな時でした。ふと彼女の背後から楕円型の歪み。ワープホールのような物
が現れ、思わず目を見開くような出来事が起こりました。
尖った耳に、青みがかった銀色の肌を持つ異形の人。装置だらけのビニールインナーのよ
うな衣服。間違いなく、あの日幼い頃の彼女と接触を試みた、宇宙人です。
『やあ。久しぶり……と言えばいいのかな? 我々にしてみれば、空間移動でさして時間な
ど掛かっていないのだが』
『本当に五十ヶ年で、ここまで容姿が変わるものなのだな。この惑星の原生種とは、中々に
面白い』
「あ──」
首元の輪っか装置を弄り、こちらの言語に翻訳をしながら。
彼らは何度かオフィスの内部を見まわしていたものの、すぐに興味を失ったかのように、
次には淡々と彼女へ話し掛けていました。当の本人は本人で驚愕、酷く狼狽を始めていまし
たが、そんなことは全く気にする様子もなく。彼らは告げます。彼女の側方、大型テレビに
映し出された紛争地帯の映像と、オフィスの眼下に広がる街並みを見下ろして。
『……どうやら、君が懇願した成果は出なかったようだな』
『寧ろこの僅かな期間の間に、君達原生種はより技術力を高めたようだ。正直私は驚いては
いるが』
『やはり評議会が出した懸念は間違っていなかったようだ。あの無駄に大きな発射体を、撃
ち出す度に放置されては、こちらの交通にも大きな支障が出る。何件か、実際に報告や苦情
があったよ』
『約束通り、五十ヶ年は経過した。これより我々は、君達の駆除に掛かる』
まっ──!
待って。彼女は必死に声を絞り出そうとしました。あの日からはすっかり衰え、老いてし
まった身体に鞭を打ち、この久方ぶりの再会を“終わり”に変えてしまわないように。
「待って……ください! わ、私達はまだ、彼らを止めようとしている途中なのです! た
だ彼らが、中々個々の利益に取り憑かれてしまっている所為で……」
『期限を延ばせと?』
『ふむ? 君は勘違いしているようだが……。駆除する方針自体は、当初から何も変わって
はいないのだよ』
「えっ」
『言っただろう? 我々にも準備が必要だと。その為に一旦本星へ戻り、済んだからこそ戻
って来たに過ぎない。君にとっては、五十ヶ年という歳月であるようだがね』
しかし異星人達はにべもありませんでした。淡々と、それが個々の性格なのか種族として
の性質なのかは分かりませんが、何とか押し留めようとする彼女には最早興味の一つも無く
言い放ちます。カツカツと、靴音を鳴らしながら彼らは再びワープホールへと戻って行きま
した。オフィスの外、街の方が何やら騒がしくなっています。最期、彼らはまるで挨拶のよ
うに、彼女と全ての人類への“不合格”を突き付けて言いました。
『そもそも、当時まだ我々で言う所の幼体だった君に、何か出来るなどとは思ってすらいな
かったよ』
『物事を変えるというのは難しい。ヒト一人ではな。それは何も、君達だけのスケールに限
った話じゃない』
『一応の、別れの挨拶といった所さ。結果はどうあれ、その過程には敬意を表しよう。尤も
この後全て更地にしてしまうが』
まっ──!
言い切る前に、今度こそ彼らはワープホールの中に消えてゆきました。それまで歪みを生
じさせていた空間が元に戻り、その痕跡は跡形も無くなります。
彼女は叫んでいました。恨み? 後悔? 何にせよ、最早人のそれですらありません。
刹那、眩しい光が頭上から降り注ぎました。彼女のいたオフィス内へも、ガラス窓を通し
て辺りを黄金に染め上げます。
「……? 何だあ?」
「うおっ!? 眩し──!」
道行く人々。異変に気付いて見上げた上空。
全ては唐突に。突如この惑星へ覆い被さるように現れた巨大な円盤艇が、その底部ドーム
状の箇所から、極太の光線を吐き出して。
(了)




