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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-121.December 2022
103/284

(3) 煤の道

【お題】人形、死神、戦争

 見渡す限りの一面に、死が充満している。

 無数に広がる瓦礫の中で、Dは独り座り込んでいた。ボロボロに痛んだ軍服姿に、俯いた

まま掻き抱く長銃。辺りには誰もいなかった。人の気配は全く感じられない。

(……また、俺だけが生き残っちまった)

 鼻腔に染み付くのは、焦げた鉄の臭い。石の臭い。散々に破壊され尽くした瓦礫と土埃の

せいで見えないが、その下には敵軍・友軍の区別もなく人肉の臭いも閉じ込められているの

だろう。これまでの経験と嫌悪感、本能が感じることを拒んでいた。汚れ、傷だらけの頬を

伝いながら、尚も戦友達の悲鳴が耳の奥で鳴り響いている。


 最初の砲撃で、中堅の隊員が死んだ。つい先日、宿舎で故郷の妻に手紙を書いていた男だ

った。呑兵衛だがいい奴だった。

 飛んできた銃弾に貫かれ、若い後輩隊員が死んだ。祖国の未来の為に戦うんだと、内心そ

の突っ走っる理想を不安に思っていた矢先の、呆気なさ過ぎる最期だった。

 馬防柵、土塁、塹壕。

 敵味方の銃弾や砲撃が飛び交い、次々と人が死んでいった。舞い散る土埃と火薬の臭いば

かりで、一体自分達が何と戦っているのかも判りやしない。おそらく相手もそれは似たよう

なものだった筈だ。それでも……誰も殺し合いを止めようとしなかった。どちらも、相手の

牙が折れるまで殺り合えば、いつか終わると漠然と信じていた。

『だ、駄目だ! もうこの隊は、持たな──』

 近場の塹壕に飛び込み、最寄りの友軍へ救援要請を送ろうとした仲間が直後、放物線を描

いて落ちてきた砲弾に吹き飛ばされて死んだ。背中から下ろした通信機もろともに粉微塵に

なった。通信自体は繋がっていたように見えたが、はたして肝心の内容は伝わったのか? 

尻すぼみになって聞き取られなければ、正直自分の生存さえ怪しくなる。


「……またお前の仕業なのか? どうして俺に、付きまとう?」

 戦闘は双方の壊滅により終了。辺りには、無意味に破壊し合っただけの、つい先刻まで野

戦陣地だった荒野が広がっている。

 Dは虚ろな瞳のまま、そうおもむろに持ち上げた視線の先に問うた。最早彼以外には生存

者らしい姿もなく、死ばかりが充満しているこの場所で。

『──』

 いや、居た。或いは彼自身も内心疑っているように、長期に渡る兵役の影響で幻覚でも見

ているのか。

 濃い黒灰のボロ布を纏った、明らかにこの世の者ではない何かだった。

 衣から伸びる手足は細く、まるで痩せぎすの骨のようだ。しかし口元と頭部を覆った、同

色のフードから覗く顔面積と同じく、その色味は不気味なほど闇色にぼやけている。

 それでいて、こちらを見つめる双眸はギラギラと白く真ん丸で、両手に抱えている古びた

大鎌にもその姿ははっきりと映る。

 有り体に言えば──“死神”のようだった。一般的にイメージされる、その不吉な姿形と

大よそこの人影は似通っていたのである。

「お前が視えるようになってから、仲間達が次々に死んでいく。所属先が変わっても、先輩

や後輩ができても、俺一人を残して皆死んじまう。まるで……俺が近くに居たばっかりに」

 これでもう何度目だろう? 何人の同胞が散っていっただろう?

 Dは段々、新しい関係性を作ることすら厭うようになっていた。どうせ次の戦闘に駆り出

されれば、こいつらの大半が死ぬ。その命が無意味だとまでは言わないが、一々悲しみに耽

ることすら消耗に思えてきた。どうせ苦しむのなら、予め備えてガードしておきたいという心理に

はなる。

「お前の仕業なんだろう? 死神は、魂を刈り取ることが仕事だもんな。戦場ここは確かに絶好

の環境かも、しれねえが」

『──』

 視えるようになってから、何度もDはこの正体不明の人影に語り掛けてみていた。この現

象に何か説明が付けられないか、本当にただの幻覚なのか、少しでも証拠となる情報の一つ

でも欲しかったからだ。

 だが当の“死神”は……こちらの呼び掛けに一向に答える気配を見せない。ただふと、気

付いた時に現れては、やや遠巻きの位置からじっとこちらを見つめている。実際今回もDの

言葉に、この存在は何ら反応を示さなかった。バサバサと、瓦礫ばかりの荒地に吹く風にな

すがまま、着込んだボロ布を揺らして突っ立っている。

(本当に……。こいつは一体、何なんだ?)

 Dは負傷の痛みも手伝い、顔を顰める。

 こう何度も、こうも徹底して無反応を貫かれると、やはり自分が視ているのはただの幻覚

なんじゃないかと疑ってしまう。自分一人だけが生き残ってしまったと、そんな罪悪感から

くるフィードバック的な何かなのかと。

 とはいえ一方で、自身が幾度となく戦場で一命を取り留め続けているのも事実だ。仲間達

はこれまで次々と、しばしば呆気なさ過ぎるほど簡単に死んでいったのに、自分だけは妙に

致命傷を避けて生き残っている。今もあちこちから血が出て、傷んではいるが、応急処置を

して即死亡という状態には陥らずに済んでいる。尤も現状としては満身創痍で、自力でこの

場を離脱。治療の受けられる前線基地まで戻るというのは難しそうだ。交戦中に吹き飛ばさ

れ、救援要請を送ろうとしていたあいつの信号が向こうに届いていなければ、いよいよ自分

も先に逝った戦友達の仲間入りとなるだろう。

「……」『──』

 改めて睨む。

 だが待てど詰れど、やはりこの“死神”が応じる素振りはない。

「! いた! お~い、生存者がいたぞー!!」

 なのに奇跡はちょうど……そんな最中に起きたのである。はたと何処か遠くから必死の叫

び声が上がるのを聞いて、Dは弾かれたようにその方向を見遣った。顔を上げる。視線がぶ

つかる。間違いない、味方の衛生兵だ。同じく捜索にやって来たであろう他の隊員達が、こ

ちらを見つけて慌てて駆け出して来ている。

「お~い、大丈夫かー!」

「担架! 担架持って来い!」

「一応、周囲は警戒しろ。報告では全滅と聞いているが、まだ敵兵が隠れ潜んでいる可能性

も、ゼロじゃあないからな」



「──おい。例の“英雄”様だぜ?」

「しっ、本人に聞こえちまうぞ。関わり合いになったら、こっちが先に死んじまう」

 基地に搬送されたDは、その後懸命の治療の甲斐あって、訓練に合流出来るほどの心身に

回復していた。

 先の激戦を生き残った唯一の兵士。これまでの経歴と不可思議なジンクスを知っている軍

内部の者達は、舎内ですれ違う彼にヒソヒソと陰口を囁きながら避けて通る。

(聞こえてんだよ……糞野郎)

 頭や腕に巻いた包帯が、まだ痛々しい。この日Dは基地の上層部に呼び出しを受け、一人

司令室へと向かっていた。はっきり言って悪い予感しかしなかった。まあ、ここは基地であ

り戦場。兵士である自分が命じられることと言えば、一つしかないのだが……。

「おお、よく来たな。まあ、入ってくれ」

 扉の前でノックをし、淡々と名乗りを上げると、室内の幹部達は若干喜色を漏らして彼を

招いた。「……失礼します」ぶすっとした当人とは裏腹に、勲章まみれの軍服で着飾った幹

部達は、ふむふむと品定めをするように暫しDを見た。実際この時の彼は、彼らを含めた世

の中全てを射殺すかのような眼をしていただろう。

「君の噂はかねがね……。よくぞ先日のあの激戦から戻って来てくれた。我が軍も多くの犠

牲を払ったとはいえ、あの地域一帯の制圧には未だ手こずっていてね」

「はあ……」

 予感は大よそ当たっている。噂はかねがね。要するに自分が駆り出された戦場は、何故か

自身を一人残してことごとく全滅している。敵軍・友軍を問わず、だ。

 そこから自分に何時からかついたあだ名は──“死神”。理由は言わずもがな。一方であ

る意味、確実に“敵を殲滅”して帰って来る自分を、逆に“英雄”と評する者もいるとかい

ないとか。ほぼ間違いなく皮肉だろう。或いは当て擦り、暗に遠ざかろうとする己への方便

として、誰からともなく使われ始めたのか。

 ……要するに幹部達から下されたのは、自身を隊長として目下攻めあぐねている敵軍との

境界線、その攻略を命じるというものだった。何となく予想はしていたが、やはりというか

遂にというか、ジンクスそんな目当てのむちゃ捨て駒ぶりをされてしまった。

 Dはこれまで以上にないぐらいに、ぐっと渋い表情をしていた。しかしいち小隊長クラス

の彼に、取り囲まれた幹部達からの命令を断る権利など無く、最終的にはたっぷりと間を置

いた後に応じざるを得なかった。選択肢など、始めから一つしかなかった。

「うむ! そう言ってくれると信じていたぞ!」

「此度の作戦、我が軍にとっても大きな転換点となるであろう。君につける部下達共々、気

を引き締めて任務に臨んでくれ」



 ──敵を全部倒してしまえば、長く続いたこの戦争も終わると思っていた。

 しかし実際は、ほぼ間違いなくそんなことはない。相手方の兵はどんどん補充されてゆく

し、時間が経てば経つほど状況は不利になる。お互いにジリ貧になる一方で、現場の最前線

で命を張る俺達は、お偉いさんの意向や面子の為に使い潰されるばかりだ。それこそ……本

当の意味で“無駄死に”だと言ってしまってもいいぐらいに。

「砲兵の射線を分散させろ! 攻撃を集められたら、益々避けられなくなるぞ!」

 長引く戦況と、強制される泥仕合。

 Dは鬼気迫る表情で新たな隊を率いながら、敵軍からの雨霰の間を駆け抜けていた。とに

かく相手の懐に入り込み、大将の首を取る。そうでもしなければ戦闘は延々とすり潰し合い

を続けることになるだろう。……不必要に誰かが死ぬのは、もう厭だった。

「ガッ!?」

「ぎゃあああーッ!!」

「右翼が押されてる。予備兵力を突っ込まれたか?」

「これ以上は無理だぞ? また一班・二班分散させたら、最低限の火力も足りなくなる」

 状況は、次第に敗色濃厚となっていった。劣勢の兵力を押し潰されないよう、代わりに小

回りを利かせて回り込もうとしたが、向こうも向こうで必死だった。狂ったように砲撃や銃

弾が飛び交い、バタバタと人が死んでゆく。どだい経験の足りないDが一任されるような仕

事ではなかったのだ。

(……またか。また俺は、こいつらを生かしてることも出来ずに……)

 鉄の臭い、石の臭い。爆発の度に舞い上がる土と、人の焼ける音。

 Dは幻視していた。目の前で新しい部下達が、かつて見知った兵達が骸となって進んでゆ

くのを。

 あの“死神”が、また遠巻きからこちらを見ている。

「──」

 公的な記録では、この後Dの率いた部隊は“敗走”したことになっている。だが実際に起

きた事実は大きく異なっていたのだ。

 確かに彼は敗けた。多くの兵がこの攻略戦で命を落とし、散り散りになった。それでもD

は、辛うじて逃げ延びた者達と合流を重ね……遂には自国に対して反旗を翻す。

 要するに、Dは逃亡兵となったのだ。ただ愚直に、真正面から命令のまま戦っていては、

この戦争は終わらないのだと。寧ろ叩き潰すべきは前線の兵士などではなく、彼らを戦わせ

ている上層部──権力者の側なのだと。


「き、貴様! 自分が何をしているか解って──ぎゃあッ!!」

 文字通りのUターン、大返し。

 Dが呼び掛けたある種の抵抗勢力レジスタンスは、数年後遂に自国の政府中枢への攻撃を成功させた。

長く潜み、苦しみ、多くの犠牲をその過程の中で出したが、彼は決して止まらなかった。一

度狂い、転がり出した己が選択を、今更無かったことには出来なかったという面もあるのか

もしれない。

「……やっとだ。やっと、これで全てが終わる」

 銃弾に撃ち抜かれ、血だまりの中で動かなくなった祖国の元首。警護していた兵とも散々

に殺り合い、D達の側にも少なからぬ被害が出た。しかしそれでもやはり彼自身は致命傷を

免れていた。返り血と汗でぐちゃぐちゃに汚れた口元を拭い、ゆらりと同胞らに振り返る。

「ありがとう。これで、隣国との戦争も終わらせられる。これ以上、無意味に人が死んでゆ

く地獄なんて作らなくていいんだ」

「いえ──平和こそ、俺達にとっちゃあ地獄ですよ」

「えっ?」

 パァン! 刹那、一発の銃声。

 気付いた時にはDは、その胸元を至近距離から撃たれていた。今日の今日まで自分につい

て来てくれた、同志と思っていた兵達の一部が、崩れゆく自分の姿を見下ろしていた。

「……今更、平和になってどうしろって言うんですか。これまで俺達は、散々殺してきたの

に。戦いの中で生きてきたのに」

「酷いッスよ、隊長。貴方は戦争前の時代を知っているけど、俺達は“今”しか知らない。

戦い以外の生き方を知らない。ここで本当に終戦だの停戦だのって話に持っていかれちまっ

たら、待っているのは空っぽの日々だ」

 だから、すみません──。何時からかは分からない。だが彼らはかねてより、Dが本懐を

遂げた時には改めてこれを“ひっくり返す”心算だったのだろう。或いはそうしてくれた方

が都合の良い別の勢力が、秘密裏に彼らを支援していたのか。

「……お、前、達……。本当、に……それ、で……??」

 裏切られた。撃たれてすぐにそれは理解した。

 しかし信じられなかった。Dには戦いの終わり以上に、地獄から抜け出す道など無いと思

い込んでいたから。

(どうしてだ? これまでだって俺は、致命傷なんて一度も──)

 にも拘らず、疑問が過ぎる。過ぎって、視界に映ったそれにようやく気付く。理解する。

 “死神”が立っていた。あの時と同じ、これまでと同じ。だが明確に異なっていたのは、

この時奴は“彼らの背後”に立っていたということ。

 そういうことなのか? 戦争が終わったら、お前にとって都合の良い狩り場が、ごっそり

無くなってしまうかもしれないから……。

『──』

 どうっ。Dはそうして遂に斃れた。自身から溢れ出る血の池に沈み、生気を失った瞳のま

ま動かなくなる。

 嗤っていた。遠く罵声や歓喜を上げる彼らの後ろで、ボロ布のフードに人相を隠していた

“死神”の双眸が、ニッと確かに吊り上げられた口角と共に楕円になっていたのだから。

                                      (了)

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