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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-121.December 2022
102/284

(2) 鎹(かすがい)

【お題】川、告白、プロポーズ

 子供の成長というものは、こちらが意図しないふとした瞬間に垣間見れる……なんてこと

がままある。放っておいてもある意味で、本人は本人で日々育っているのだ。どちらにせよ

親の思い通りに──ああ育って欲しい・こう為ってくれればという願いは、往々にして避け

て通られるものなのだけど。


「ねえ、パパ。パパとママは、どうして結婚したの?」

「えっ……?」

 本当に突然って奴だった。その夜、夕食も済ませてリビングでのんびりとした一時を過ご

していた壮太は、ふいっと幼い愛娘にそんな質問をされた。何となく流しっ放しにされてい

たテレビの音、胡坐を掻く膝の上にちょこんと乗り、見上げるように向けられる眼差し。心

の準備も何も無かったものだから、正直彼は酷く狼狽した。

(嗚呼、そうか)

 ちょうど画面の中でドラマがやっているから……。

 それでも辛うじて、娘が急にそんなことを訊いてくる切欠については理解した。恋愛感情

に振り回される一組の男女、職場の上司や双方の友人。様々な人間関係が事態をややこしく

する。どうせ脚本、物語の都合上そう入り組ませているんだろうと冷めた目で鑑賞にも留め

なかったが、この子にとってはもっと新鮮に映るのだろう。まだまだ、知らないことだらけ

なのだから。フッと苦笑いを零し、彼はさてどう答えたものかと思案する。

「──」

 ちらりと一瞥、視界の端。リビングの背後、対面キッチンの流しでは、妻の真智が食後の

洗い物を続けていた。彼女も娘のませた発言が聞こえていたのか、それとなくこちらの回答

に耳を澄ませている感がある。正直……困る。

(どうしてって言われてもなあ。流石に子供にこんな生々しい話は……)

 何故なら結婚の直接の切欠は、妻が妊娠したことだからだ。当時から交際をしていた二人

だったが、お互いそういう話にまで踏み込んではいなかった。そんな折に妊娠が発覚し、壮

太もいよいよかと腹を括った──責任を取らなければと考えたから、というのが事の真相で

ある。

「あ~、それは……。そう、パパもママも茉優まひろに会いたかったからだよ。仲良くしていたら、

会えるって判ったからね」

「ふ~ん?」

 だというのに、何とかオブラートに包んで応じたというのに、当の娘からの評判はあまり

良くはなさそうで。

 くんっと、傾げていた小首をもう少し捻り、されど程なくして彼女は興味を──少なくと

も父からの答えに対しては関心を失い、再びテレビ画面の方へと向き直り始めた。ぱたぱた

と、時折膝の上で足をバタつかせている。壮太も壮太で、何が不満なんだと内心おろおろし

っ放しだった。ここの所、どんどん変わってゆくものだから、全然解らない……。

「本当、あなたってこの手のセンスが無いわよねえ」

「むっ……。だったらどう返すのが正解なんだよお」

「知~らない」

 ぽつり、いやチクリ。台所の方から続いて聞こえてきたのは、真智からのそんな呆れを含

んだ突っ込みだった。思わず眉根を寄せ、肩越しに。自分でも子供っぽいとは分かっていた

が、つい壮太も反発心を見せてしまう。

 真智は、反応しておいてそれ以上は答えなかった。わざとらしく軽い口笛を吹きながら、

残っていた洗い物を乾燥機に放り込んでスイッチオン。提げタオルで手を拭うと、すぐに別

のルーティンへと向かってゆく。

(……順番が逆、だったか? 俺と真智が好き合っていたから……)

 時間だけは、ゆっくりと流れる。もう会話・質問自体は終わっているのに、どうにも壮太

の頭の中にはこの問答が長く居座った。気付けば娘は、ドラマのメインシーンをじっと食い

入るように見つめている。

 まだ幼稚園児だ。こういう複雑な話が解る訳が──思って「いや」と心の中で頭を振る。

子供の、特に女の子の成長は早い。どんどんませてゆく。流石に理屈でどうこうというレベ

ルではないにせよ、何となく感性が伝えるのだろう。そして同時に学んでゆく。まだ世間と

いうものを知らず、こんな“ドラマのような”恋模様だの成功だのがいずれ自分にも訪れる

のだと漠然と記憶しながら。

(恥ずかしいからってのは……俺のエゴなのかなあ? 真智も変に濁したから、ちょっと機

嫌を悪くしたっぽいし)

 正直な話、パパとママが愛し合ってお前が生まれたんだよ云々というのは、幾ら何でも露

骨過ぎて引かれるだろう常識的に……と思った。思って何とか“子供向け”の表現に変換出

来ないかとばかり考えた。それが傍から見れば、当の真智にもそこまで愛していないんじゃ

ないか? という印象を与えてしまったのかもしれない。照れが混じっていたことは、十中

八九勘付いていたとしても、だ。

(無理もねえか。付き合い始めた時も、結婚するってなった時も、俺は──)


『ねえ。私達って今、付き合ってるのよね?』

 社会人になってから、飲み会の席で出会い、何度か会ってデートを重ねる内に交際へと発

展していった時代。

『そっか……。責任、取るよ。結婚しよう』

 更にそこから数年後、彼女の妊娠発覚を切欠に入籍を決めたあの日。


 思えば自分は、彼女に結局はっきりとしたプロポーズはおろか、告白もしていなかったの

ではないか? 壮太は独り静かに戦慄した。事の深刻さに気付いた。気が合う、何だかんだ

とフォローしたりされたりの関係性。それらが心地良くて、成り行きのままに、こうして夫

婦となるまで歩んできた。だがそれは本当に、彼女が望んだことだったのだろうか? 明確

な最初の“儀式”が曖昧のままの自分に、何処かで不満を抱いてきたのではなかろうか?

(でも、今更どうしろって……。茉優もこんなに大きくなったし、改めて言い出したら却っ

て拗れるんじゃ……?)

 悶々。置き去りにしてきたものの存在に気付き、実際心臓が激しく動揺するように脈打っ

たにも拘らず、彼は尚も迷っていた。気恥ずかしさもある。だがそれ以上に、タイミングを

完全に逸しているではないか。サプライズ? 昔からそういう洒落た真似はキャラに合わな

いとばかり思ってきた。花束を、指輪を。愛する妻へその証を。……交際当初・新婚の頃だ

ったらともかく、今思い出したようにやったって白けそうなものだが。

 イメージはもわもわと膨らむ一方で、やはり即行動に移そうといった気概は彼にはなかっ

た。ごそごそ。家の中で用事を片付けている妻の気配はするが、その姿はもうリビングには

無い。壮太は不意にやってきた気煩いに参っている。

(ん……?)

 気付けば、膝の上で茉優むすめがうとうとと舟を漕いでいた。夜はまだ長いが、幼いこの子には

もう十分の時間らしい。

「……。よいしょっ、と」


 今日は比較的、大人しく寝付いてくれた方だな。壮太は少し頬を緩めた。すっかり眠りの

世界へ引っ張られてしまった愛娘を抱っこして運んでやり、合流した妻と共に苦笑。自分達

親子の寝室に一旦寝かせてそっと扉を閉め、暫し二人は語らった。

 娘の成長、あんなませたことを言うようになったなんて。

 壮太も先刻までの──きちんとした告白も、プロポーズもやらずじまいだったことを詫び

ようとしたが、結局言い出す空気を作れなかった。それよりも妻はすっかり“母”になって

いた。優しい眼差しで、戸襖の向こうにいる娘を見つめていた。

「先に、お風呂に入らせておいて良かったわね」

「そうだなあ。一旦集中しだすと梃子でも動かない癖して、終わったら終わったでスイッチ

が切れたみたいになっちまうから……」

 大人の時間は、娘が寝入ってしまってからも暫くある。壮太は明日の支度を済ませ、真智

は遅まきの入浴を終え、再び寝室に戻って来た。途中で起こしてしまっていたらいたで、ま

た構ってやるつもりだった。ただどうやら今夜は、このままぐっすり眠れそうだ。

「~♪ ~♪」

 ぽんぽん。娘の横に添い寝して、静かに優しくその頭を撫でる。そんな妻を、彼は同じく

向かいで横になりながらそっと見つめていた。彼ら夫婦の一人娘を挟んで、いわゆる川の字

に眠る態勢である。

(少なくとも、真智は茉優を可愛がってる。俺にとっても、俺達の大事な娘だ。可愛くない

だなんて思う訳がねえ)

 だからこそと、壮太は尚も思考の片隅にその思いを占拠されていた。自分達は夫婦である

ようで、本当に夫婦として胸を張れるのだろうか? と。今夜みたいに、ふとあんな質問を

されてもすんなり答えが出るようにならなければと。


『──まあ、今の内に精々可愛がっとけ。もう何年かすりゃあ、向こうから「パパ~♪」っ

て言ってくっ付いて来てくれなくなるぞ?』

『それは……キツいッスね。色々と』

 

 何時ぞやの、休憩中の先輩との会話を思い出す。今夜膝の上から見上げてきたあの純粋な

眼差しも、時を経れば失われてゆくのだろう。反抗期という奴だ。自分でも親馬鹿だとは解

っているが、将来娘とまで何となく距離が出来てしまったら……本当に立ち直れなくなるか

もしれない。家族って何だっけ? とまた、自問に苛まれそうで。

「? あなた?」

「ん。いや、何でもない……」

 ちらり。とうに灯りを落とした部屋の中で、真智が少しばかり怪訝にこちらを見ていた。

我が子を寝かし続けるリズムは尚も続いている。穏やかな、時間ばかりが幸いにも流れる。

「……」

 今日の日付を思い出す。やはり面と向かって中々切り出せずじまいだったが、壮太は頭の

中で思い描いていた。どうせならもっと区切りのある時に──結婚記念日か、娘の誕生日辺

りがいいだろう。どちらにしても、まだ結構日数がある。準備をするには好都合だ。

(真智、茉優、俺は──)

 うとうと。見れば妻も、いつの間にか瞼が重くなり始めている。壮太はそんな二人、愛す

る妻子を見つめながら思った。誓った。


 もう、恥も外聞もあるモンか。

 ちゃんとケジメをつけよう。伝えよう。成り行きのままじゃあなくて、ちゃんと自分の意

思で選んだのだと。選んで進んでゆく、守ってゆくんだという、今までへの決別の為にも。

                                       (了)

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