(5) マインヤード
【お題】静か、終末、地雷
個人的に理想なのは、一思いに何もかもが一瞬で消し飛ぶような最期なのだが……おそら
くそんなことは現実には起こらないのだろう。もっとじわじわと、他人も自分も執着して生
き残ろうとする。半ば惰性と習性のまま、美しさとは対照的な醜態を晒し続けて。
『──』
これだけ街は広く、人口も密集しているというのに、お互いの距離感というものは寧ろよ
り遠くへ向かい続けているようだった。目には視えない、人一人の力ではおよそどうしよう
も出来ない堅固な壁が、皆それぞれの間に音も無く横割っている。
無関心、そもそもに接点が無い。或いはとうに無意味と断じている──徒に関わり合いに
なることが、近寄ってみようとすることが、自分にも相手にもデメリット“しか”ないのだ
と学んできた。その、めいめいの経験から導き出された処世術。
目には視えない。
……そう言いながらも、実は幻視しているのではないだろうか? 昼も夜も、季節も問わ
ず忙しなく行き交ってゆく人波の中で、それでも彼らは互いに互いを避け合うようにして歩
き去った。触れ合うことへの欲望をぐっと抑え、距離を取る。距離を取ることが最早不文律
となって久しかった。
限界ギリギリ、若しくは安全マージンを取って更に一回り二回り外周を。
これ以上踏み込んでしまえば、文字通り場に火の手が上がるからだ。規模の大小、引きの
良し悪しはあれど、少なくとも悪目立ちするリスクは避けられない。自ら、そんな可能性と
実害を呼び込んでしまう。ならば、そんな面倒を被るのであれば……始めから近付かなけれ
ば良い。近付くべきではない。ならないと、強く自分に制約を課しておけばいい。遵守する
ことだけに集中するのだ。個々の是非などは──考えない。
それが答えだ。およそ、ただ己一人が平穏無事でいる為には、最適解だった。
街は全然広くなどなかった。いや、正確にはより多くの人間を収容できる構造になってい
るからこそ、潜在的な母数を──リスクを高める結果となったのだ。濃縮現象とでも呼べば
良いのだろうか。皮肉にも、快適・効率的であろうと設えた結果が、他でもないその住人達
を雁字搦めにしてしまった。ずっとずっと続いてきて、広くその歪みが認知された頃にはも
う、手遅れとなっていた。じわじわと、緩やかに苦しみ傷付かざるを得ないのだ。今更全て
をひっくり返して立て直すには……あまりにも遅過ぎる。今日まで築き上げられてきたもの
が、大規模過ぎる。
もし踏み抜けば、只では済まない。
そんな曖昧な代物が、街の──いや、人と人との間に敷き詰められ過ぎた。中々どうして
視認困難なそれを、自分達は極力避けながらすれ違ってゆくしかない。『そこは危ないよ』
先に教えて貰えれば随分マシな方で、大抵はそんな取説すら無い。周りを見て、何度か実際
に火力を浴びて、そこから推し量るぐらいしかない。巨大に視えていた光景が、実の所そこ
まで自由気ままに歩き回れる庭ではない──その事実に理解が及んだ時、ある意味で人はよ
うやくスタート地点に立てるのかもしれない。足元から遥か遠くへ、無数に埋め込まれた、
罠床だらけの入口に。
『ギャッ?!』
『ぐあぁぁぁ──ッ!!』
足元に気を付けながら。或いはそこに在ると、気付かない方が幸せだったのだろうか。
それでも哀しいかな、いずれ自分達は各々に認識せざるを得なかったのだろう。何せ日常
茶飯事に、今日も何処かで踏み抜いてしまった誰かがいる。上がる火の手と悲鳴、現場一帯
が巻き添えを食らって吹き飛んだ証、立ち昇る黒煙を目撃してしまうだろうから。
『……何だあ?』
『あ~、また何処かの馬鹿がやらかしやがったか』
『うえっ? マジ? ちょっとちょっとぉ、あたしまで巻き込まないでよ~?』
(そうやって一々反応するから、自分の所まで飛び火するんだぞ……)
だが殆どの者達は、茶飯事が故にこうした突発的な事象にも“他人事”を貫く。それまで
とぼとぼと、生気を見出せない表情で行き交っていた者達のごく一部ではありながら、こち
らからその際が垣間見えた。無関心、そもそもの接点の無さ、先ずは保身。或いは何処の誰
とも知らぬ今回の犠牲者を哂い、若しくは自ら語ることさえも抑え込んで通り過ぎようとす
る。
事実、それが処世術と云う奴だ。束の間視えていた往来個々の表情も、気付けばすっかり
溶けるように失せて──確認出来なくなってしまっていた。切り揃えられたような不気味な
統一感だけが、自身の周りを歩いてゆく。
『てめえ、何俺のモンに手ぇ出してやがる!?』
『お~い! こっちに踏み抜いた馬鹿がいるぞ~! 見てみろよ、火だるまだ!』
『あっははは! よく燃えてるらあ! おい、お前らも来てみろよ!』
遠巻きの現場では、罠床を踏み抜いた当人が悶え苦しむのを、周りの者達が哂ったり怒っ
たりして取り囲んでいる。こと後者は踏み抜かれたことで飛び火を浴びたし、何よりも不快
で仕方なかったようだ。そんな彼の不機嫌などお構いなしに、浅慮と物好きの輩らは次々と
集まり始めている。平坦で劇的な幸福の無い自らの歩みに、ここぞとばかりに刺激を足そう
としている。
『あが……あがががッ!!』
『わ、私だって、踏みたくて踏んだ訳じゃ──』
『うるせえな。さっさとこっちの視界から失せろ』
踏み抜いてしまった者、少なくとも今回彼らは故意ではなく事故だったらしい。これだけ
足元に、罠床がちりばめられていれば仕方ないのかもしれないが。
のたうち回る当人らをそれでもにべもなく撥ね付けて、このテリトリーを有する側の人物
は不機嫌に彼らを追い出した。ぶつくさと恨み節を漏らしながらも、またトン、トンと足元
を踏んで床を整え直す。スッ……と新しい円形の板が、元あった地面とせり上がってくっ付
き、再び遠目には判別し辛くなる。
『てめえらもだ。見世物じゃねえぞ? 出てけ』
しっし! 鬱陶しい蠅を払うように、実際にはもっともっと厄介な節介を改めて適切な距
離へと突き放す為に、テリトリーの主は集まりつつあった野次馬らを散らしていった。今回
は比較的にスムーズに片付いた方だろう。彼らも、自分達の周りからも、この一部始終に興
味を注ぎ続ける者は瞬く間に減っていった。どんどん、生気の乏しい統一感に戻ってゆく。
『──』
嗚呼、それで良い。搔き乱されるばかりの刺激など、無いに越した事はないのだから。
そしてこのような思いは、古今東西多くの者達が同様に抱いてきた夢でもあった。単純に
只でさえ、自分という歩みと足元で精一杯なのに、そこまで目を配れるか──配ることで余
計に消耗が早まってしまう。少なくない火の粉が飛んでくる。およそメリットが無い。何よ
り一番恐ろしいのは、犠牲者本人よりも、野次馬に回った側の者達の方だ。ふと気付けば、
要らぬ悪目立ちをしてしまえば、その熱量は容易くこちらを向く──。
だからだろう。そもそも此方側の通りを行くこと自体を、諦めてしまった者達は存外に多
い。不定期且つ頻繁に起こる起爆絡みの雑音に堪えかねて、自ら地面の“下”へと潜って行
ってしまった者達だ。
実の所自分も、程なくあちらへと本拠を移そうと思っている。そう思い立って何度と経つ
が、どうにも中途半端に終わってしまう。
舗装された悪路より、道ですらないあちらの方がまだマシではないか? 少なくとも罠床
を踏み抜いて、阿鼻叫喚に人と人らががなり立てる環境よりはずっといい。
……ぬるりと、そうして自分達は通りの“下”へと自らを引き下ろした。不安定な粘膜に
包まれて、それでも此方はずっと静かだ。きっともっともっと底には無秩序の塊が蠢いてい
るのだろうけど、それはある意味で“純粋”なのかもしれない。そうして随分と両極端な、
自分でも分かっているその目盛りの間を、何とかして綱渡りする。ぶら下がり、自分なりの
安住の地とやらを探し出したがる。
『ギャ──!』
『グ、アァ──、ァァァッ──』
『馬──野──! ──を──、込むんじゃ──!』
それでも未だ、雑音は聞こえてくる。頭の上から上がる火の手らしき揺れの中から、誰か
が悲鳴を上げている様子が耳に届く。巻き込みに憤っている様子が届く。どちらも……自分
には取り入れたくなかった。だから逃げてきたのに、退いてきたのに、それでもこびり付い
てしまうというのかい?
『……っ』
『ご、ごめん。やっぱり、ちょっとだけ──』
或いはヒトの、自分達の性がそうさせるのか。
何度か見た光景ではあった。たとえ残響でも届いてくる外界の刺激に対し、何人かの同胞
がじれったく、また“上”を覗きに戻って行くのを幾度も目撃していた。
だけども自分達はお互いに個別で、孤立で。同胞と呼べるほどお互いを知らない。知ろう
とも思わなかったし、近寄ってゆくのが怖かった。何となくタブーだと思い込んで、見知っ
ても遠巻きから視界に捉える程度が最適解なのだろうと思っていた。
……いっそ自ら、火だるまになれば? 朽ち果てられるのだとしたら?
(了)