(57)人は変われない
人は変われる、という言葉をよく耳にする。
暗い自分を明るく。
不摂生な自分を健康に。
弱い自分を強く。
そんな風に理想をかなえることは可能だ。想像してほしい。
今の自分が、理想の自分に変わっていく様子を、そして、変わった姿を。
心が躍るだろう。
実現したくなるだろう。
ならば、そうすればいい。
明るいふるまいをし、食生活を改善し、体を鍛えればいい。
できるはずさ。「人は変われる」のだから。
だけど世界の人間のほとんどは、己の理想を実現していない。
なりたい自分になることなく過ごしている。
なぜだろう。
可能なのだから、やればいいのに。
その答えは簡単だ。
己を変えるには、必要なエネルギーが高い。強い意志が必要なのだ。
人は、そんな大きな飛躍をするほどのエネルギーを持たない。
なにかこう、自分を突き動かすものがなければ
変化に要するエネルギーを、今生きることに使った方がマシだと考え
結局は現状維持が好ましくなる。
そんな変動をためらう怠惰。
それは、誰の心中にも存在するものだ。
変わった人間には、ただ、莫大なエネルギーを使ったとしても変わりたい理由があっただけ。
それは何でもいい。
片思い中の相手を振り向かせたい、とか。
病気にかかりたくない、とか。
己の強大な決意一つで、怠惰という壁を壊すことは可能だ。
かつて俺も、自分を変えたことがある。
弱さを。
怠惰を。
それが出来たのは、俺を突き動かした、巨大な絶望があったからだった。
はぁ……。俺は、頬杖をつきながら、机に置かれた一枚の白紙を眺める。
ため息を一つついて、椅子の背もたれに体重をかけた。今は手紙を書いている最中だ。
何か月かに一回、実家に近況報告を送るようにしている。
夜も更けてきたこの期に及んでまだ白紙なのは、書き出しに迷っているからだ。
眠い頭では何も思いつかず、ただ幼馴染の寝息を聞きながら星空を眺めるのみ。
窓の外に広がる光の海を見て、とある記憶がよみがえる。
「あの頃を思い出すな……」
ああ、どうしてこんなことに……。今日は夏季休暇最終日。
いや、日付は変わっているから正確には休暇は終わっているのだが。
まあいいっか。
そんなことに脳のスペックを割いている暇はない。
積み上げられた紙の山は、どんな建造物よりも高く見える。
問題の難易度が高くないことだけが唯一の救いだ。
量が多いだけの課題に意味があるかはおいておいて、とにかく今は必死に消化する。
なんだ。
何が原因でこうなったんだ。
毎日毎日遊びに誘ってきたアイシャが悪いのか?
一瞬、それが正解だと決めかけた。
だけど、アイシャもサラも、宿題はもう終わっていると言っていた。
遊んでいても、やれば終わる。
やらなかったのはオレだ。
犯人はほかの誰でもなく、オレ自身の心に潜む怠惰だ。
あまつさえ、アイシャのせいにしようとしたオレは本当にクソッタレ野郎だ。
「こんなことなら……畜生……」
そう。
こんな時間にこんな苦労をするくらいなら
あいつらのように計画的に片づけておけばよかったんだ。
「……去年もこんなことを言っていたな」
ちょうど一年前のこの日も同じことをしていた気がする。
今のオレと同じように、「来年こそは」と思っていただろう。
だが残念。今年もこの有様だ。
ああ、きっと来年も……。
「人は変われないんだな……」
根拠はオレ。
去年のこの日に間違いなく誓った。
こんなことは繰り返すまいと心に決めた。
だけどオレの心の中の怠惰を殺すことはできなかった。
宿題の山に追い詰められても足りなかったエネルギー。
こんな思いをしても変化出来ないのなら……。




