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あらざらむ  作者: 松澤 康廣
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16

「小山田殿に密書を届けなければならない。密書は、北条はもう今川に組みしない、武田の進軍を容認する、武田との同盟破棄は本意ではない、武田との同盟関係を暗黙あんもくで再締結したい、との内容です。それを直ぐに伝えなければなりません。既に信玄は武蔵に侵攻を開始しています。これは急を要します。小山田殿の信任の厚い貴殿にぜひ、間をとりもっていただきたいとの殿のたっての願いです」

 3人の山伏は皆、大悟に恭順を示し、懇願した。

 そのうちの一人は島尾だった。以前、道鬼殿を甲斐まで一緒に迎えにでかけた、仲間だ。なぜ、島尾がここに来たのか、不思議に思った。大悟の次に、甲斐の間者と疑われてしかるべき男だからだ。

「分かりました。すぐに出立しゅったつしましょう」大悟は、静かに言った。拒否は不可能だった。この言葉を信じたわけではない。が、信じたかった。

「いや、そこまで急ぐ必要はありません。一人では何かと不便でしょうし、何人か、連れを用意しましょう。小林殿の信頼できる者を必要なだけ選んで結構です」一番年嵩(いちばんとしかさと思える山伏が話を続けた。

 大悟は迷った。もし、この密書が嘘なら、名前を上げた者の命は危ない。かといって、相手は自分が誰を信頼しているか知っている、適当な名前を言えば、密書を疑っていると思われてしまう。

「坂田をお願いします。2人で大丈夫です」

 坂田は私と同じように武田側と思われているに違いなかった。名前を言おうが言うまいが、北条方の扱いは同じだろう……。

 3人の山伏は少なすぎると思ったのだろう、顔をしばらく見合わせていたが、

「分かりました。すぐに用意します」と一番年嵩いちばんとしかさの山伏が言った。そして続けた。

「酒を殿からいただいております。今日は酒宴をあげましょう。我々はそのお相伴(しょうばん)に預からせていただきます」山伏は後ろを向いて、もう一人の山伏から(ふくべ)土器(かわらけ)を受け取って、これ以上ないだろうというほどの満面の笑顔を浮かべて、土器になみなみと濁酒を注ぎ、大悟に差し出した。


 これは毒だ。

 北条は武田と組むことはないのだ。

 密書は白紙だろう。

 武田側と思える仲間を皆殺しにする気なのだ。

 我々山伏は北条殿から特別な任務を与えられていた。その第一が諜報(ちょうほう)だ。そのために武田側と通じる者が今までは必要だった。しかし、今は違う。武田とは敵同士なのだ。武田と通じる者を抱えることなどできるわけがなかった。

 大悟の杯をとる手が震えた。

 山伏たちは何も疑念をもっていないよう、振舞った。どの者も笑顔を浮かべていた。

「われわれもいただきましょうぞ」年嵩の山伏は後ろを振り向き、後ろに控えた山伏から杯を受け取った。

「では、われわれもいただきます」年嵩の山伏はまずは、自分の杯に、そして、後ろを向いて、二人の山伏の杯に酒を注いだ。

「いただきましょうぞ」年嵩の山伏は杯を掲げ、一気に飲み干した。遅れることなく、小林も一気に飲み干した。

 毒は入っていなかった。


「小林殿はさぞかし、心配したでしょうな。われわれも心配しましたよ。しかし、良かった。武田と敵対していいことなどない。今川もへまをしたものだ。織田に敗れるなど考えられない。今川はもう終わったも同然だ。その今川と組んだら、北条殿も終わりだ。そのくらいは殿も分かっている。しかし、良かったなあ。小林殿」年嵩の山伏は言った。したたか酔ったとみえ、身体が揺れていた。

「ところで、我々のなかの誰が武田側に話ができるのかねえ。坂田だけではあるまい。小林殿を信じないわけではないが、万一の場合もある。第二の使者が必要なときには誰が良いか、教えていただけないか」

 大悟の仲間を聞き出そうとしているのに間違いは無かった。大悟は演技が必要となった。

「何を言う。万一の場合など起きる訳がない。私も坂田も北条側に斬られる事はあっても武田に斬られる事はない。私は武田の間者(かんじゃ)だからな」大悟はことさら大声を出し、そして笑った。

 年嵩の山伏は苦笑した。それでも、言葉を変えて、小林の翻意を促したが、大悟の答えが変わることはなかった。


 酒壺は二つ目に入った。

 これに、毒か。

 大悟はそう思った。しかし、そうだとしてもそれを大悟は受け入れようと思った。これまでしたたか飲んだ。十分酔った。死ぬ覚悟は出来ていた。


 小林の死を確認して、3人の山伏は河井宅に向かった。予定の行動だった。

 河井に命じて、村の代表8人が集められた。

 河井宅には「あらざらむことのみ多かりき」と描かれた掛け軸に向かって、肩まで届くほど長く豊かな白髪の河井肥前守が鎮座していた。

 肥前守の前で憮然ぶぜんとして立ち止まった3人の山伏に、肥前守の地位はないものの、実質的な権限を譲られている孫の河井盛義(かわいもりよし)が「大丈夫です。いつものことで、止められません。耳が悪いので、聞こえませんから、ご安心ください」と言った。

 普段は肥前守の座るべき場所に3人の山伏は座した。8人の村民は(むしろ)に額を擦り付けてひれ伏し、聞き耳をたてた。

 年嵩の山伏が立ち上がった。

 ひれ伏す村民が怖れるに十分な大音量で山伏は喝破(かっぱ)した。

「この村が武田方の村であることは明白ぞ。小林は毒をもって成敗した。あとはお前たち次第だ。北条殿に味方するというなら、小林の娘を亡き者とすることをもって其の証をたてよ。期限は5日」


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