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ゲーマーズHIGH!!  作者: 御目越太陽
虚構の世界だからこそ
16/25

相楽家と遊人の事情

 天才と評するにはとても及ばないが、相楽賢人(けんと)は名前の示すとおり賢明で出来の良い少年だった。学業でつまずいたことはなく、人柄も温厚。塾に通うでもないのに優秀な成績で市内トップの公立校、北西高校にも難なく進学した。


 両親はもちろん平凡な人間だったから、天才だ神童だ、とんびから鷹が生まれたと大変喜んだものだが、当の賢人本人はそこまで高く自分を評価しなかった。天才などという表現はおこがましい。勉強なんて所詮、やろうと思えば誰にだってできるものじゃないか。テストで良い点を取ったり、教科書の内容をただ間違わずに理解したりするだけで天才だというなら、東大の入学者数を見るだけで毎年三千人も天才が生まれていることになる。


 謙虚にわきまえているわけではなく、賢人は自身の考えを当然のことだと思っていた。天才という言葉は、そんなに軽く扱うべきじゃない。常人には思いもつかない発想で新しいものを生み出す存在。あらゆる固定概念を取っ払って新たな価値観を創り出すセンスを持つ人たち。天才と呼ぶべきはそんな人間なんだ。俺は違う。


 彼は若さゆえ、「やろうと思うこと」にすらそれなりの才能が必要であることを知らなかった。周りの学力が彼に劣るのは、彼ほど真剣に勉強に取り組んでいないからだと本気で思っていた。


 そんな彼が少しだけ認識を改めたのは高校に入学して三ヶ月が経ち、夏休みを控えた七月の終わり頃のことである。食事を終え、リビングでくつろいでいる父と洗い物に忙しそうな母を呼ぶと、全教科学年一位を取った期末テストの順位表を差し出しながら賢人は切り出した。


「学校を辞めようと思ってる」


 両親は顔を見合わせ、賢人を見、期末の順位表に視線を落としてからもう一度賢人を見た。


「え? 何? 辞めるって、何を? 何で?」と狼狽する父。

「どしたの~もういきなり~」とこちらは冗談と思ったのか可笑しそうな母。


 想定していたリアクションだったらしく、賢人は全く冷静に話し始めた。


「高校って何のために行くと思う?」

「そりゃお前、勉強して」


「大学入ったり就職したりするためでしょ? 就職に関しては確かに高卒以上を条件にしてる企業は少なくないから行く意味はあると思う。でも俺は今のところ今すぐにでも就職して働きたいとは思ってない。自分はどんなことに向いてるのかとか、自分に何ができるのかとか、分からない内に働くのは正直気が進まない。だから必然的にその問題を考える上で進学が一番適当な方法なんじゃないかと思うんだけど、だとしたら別に高校卒業しなくてもいいんじゃないかと思ってる」


「それはあれか、大検取って進学しようってゆう」

「うん。今は高卒認定試験っていうんだけど、それに受かれば高校出てなくても大学入試を受けられるし、将来的に就職するってなった時、大学さえ出てれば学歴的にも問題ないと思う。だから俺、高校はもう行く必要ないから辞めたい」


「ちょぉっと待ってよ!」


 電撃的に展開される主張に、待ったをかけたのは母だ。理屈の理解が追いつかなくとも、感情は息子の決断を是としなかったらしい。急遽洗い物を中止して塗れた手をタオルで拭きながら、仁王を思わせる威圧感で母は息子に立ちふさがった。


「あんたそれもったいないじゃない、せっかく入ったのに」

「行く意味ないところに三年もお金払って通う方がよっぽどもったいないよ」


 賢人の即答は母の感情すら置いてけぼりにする速度だった。言葉を返せない母に代わって、今度は父が息子に歩み寄ろうと試みる。


「意味ないってことはないだろ。あ、もしかして、い、いじめられてる、のか? 何か辛いことがあって学校に行きたくなくなったのか?」

「全然。周りは皆良いやつだよ。全体的に行儀良くて不良っぽい人もいないし、勉強するための環境としては中学の時より全然良くなってると思う」

「じゃあ、何で」


「効率の問題だよ。前から思ってたんだけど、皆がみんな同じスケジュール守って生活するのって、なんか非効率じゃない? 朝七時前に起きて雨の日も雪の日も風が強くて冷たい日でも三十分自転車漕いで学校行って、やりたくもない体育とかそんな興味も才能もない音楽とか美術とかの授業も受けさせられて、また家まで三十分自転車漕いで帰ってくる。移動だけで一時間も無駄にしてるし、例えば数学に詰まってるところがあっても終了と同時に次の時間の授業に頭を切り替えなきゃいけなかったり、がちがちに固められたスケジュールであれやれこれやれって指示されたことをやらされるのって、やっぱどう考えても非効率だよ。家で勉強するなら自分のリズムで自由にできるし、それで偏るようなら予備校にでも行って修正すればいい。今時学校なんか通わなくたって勉強する方法ならいくらでもあるんだから」


「予備校って、あんたねえ簡単にいうけど、お金はどうするの? タダじゃないのよ。下手したら学校通うより高い月謝払うことになるかもじゃないの」

「それはバイトでもして自分で何とかするよ。俺のわがままで高校辞めるんだし。それに通年で通うことになるなら学費も馬鹿にならないだろうけど、俺の場合は行くにしたって短期の講習とかだけだからそんな高くはならないと思うよ」


 全ての反対意見に回答を用意しているかのような、まるで付け入る鋤のない返答には、ついに両親もかける言葉をなくして黙ってしまった。少し間を置いても、二人の口から出されるのは消極的な反対の意のみだった。


「うぅん……でもやっぱりもったいないじゃない。北西よ、だって。ここら辺で一番頭いいって評判の、ねえ」

「そ、そうだぞ。なにも勉強だけが高校生活の全てってわけじゃないんだから、友達と過ごしてたくさん思い出を作ったり」


 言葉を探す内に、父はふと思いついた問いを投げかけた。


「そうだ彼女とかだってできるかも知れないだろ。いないのか、学校にその、気になる子とか」


 難しい年頃を迎える息子のデリケートな部分に踏み込む。父としてその話題は諸刃の剣だった。上手くいけばあっさりと問題を解決できるかも知れない。思春期の青少年が抱える悩みの半分は異性との関係にまつわる部分が多いとは経験則から導き出した父の直感である。しかし反面、ここに踏み込むことはやり方を間違えれば修復不可能な溝を両者の間に刻んでしまう可能性もあった。母がテーブルの下で父の腿をつねるのも、当然その危険性を察しているためだ。


 ところが、俄かに緊張する両親とは対照的に賢人は動揺など微塵もない落ち着いた反応で父の切り札を撥ね付けた。


「学校辞めたからって縁が切れるわけじゃないよ。学校違うから毎日は会わなくなったけど中学の友達とは今でも連絡取り合ったり遊んだりするし、思い出も彼女も学校行ってなきゃ作れないわけじゃない」


 賢人の価値観は完全に両親の理解を超えていた。彼を初めとした今時の若者が生きるのは、スマホとSNSの普及によって構築される過去に類を見ないコミュニティである。顔を見たこともない相手と友人になったり恋人になったりが当たり前のこの時代、広大ながらも個々の結びつきに重きを置かないその価値観を基準とするなら、確かに同じ釜の飯を食った仲のような直接のつながりを重要視する古い人間関係は暑苦しくて煩わしいものなのかも知れない。昔より遥かに容易でずっと希薄になった社会とのつながりが、とにかくこれと判断を下した賢人に迷いというものを抱かせなかった。


 結局この日は夜遅くまで両親による説得が続いたが、二人の言葉は賢人の気持ちを変えることができなかった。夏休み前の三者面談、もとい担任と学年主任と仕事を休んでまでやって来た父と母を交えた五者面談でも、彼が自身の主張を変えることはなかった。


 どれだけ説得を試みても頑として受け付けない賢人に、とうとう父は条件を出した。八月末に行われる全国模試で全教科一桁台の順位を取れたら辞めてもいい。もしできなかったらお前はまだまだ井の中の蛙なのだから不満があっても親の言うとおり学校に通いなさいと。


 一位としなかったのは譲歩のつもりだった。あまり厳しい条件を出せば相手に要求を飲ませることはできない。互いに歩み寄れるラインを定めることで、初めて取引というものは成立するのだ。といって、全教科一桁台というのも常識的に考えればかなり難しい条件である(というかもうそれは全国一位とほとんど同じ意味合いといえる)。これで息子の大胆に過ぎる決断を思いとどまらせることができるだろうと、父はしたたかに内心で安堵の息を漏らしていた。


 ところが、事態は父が予想もしなかった方向に進んでいった。一瞬たりとも迷うことなく即座に条件を承諾した賢人は、いわれたとおりの模試で見事全教科満点を取って、二学期を待たずに短い高校生活を終えてしまったのだ。その後、翌年の夏には高卒認定試験に合格し、大学入試が始まるまでは適度に受験対策をしつつ週四日をアルバイトに費やす、まったくもって順調に有限実行の日々を彼は過ごしている。


 最後の最後まで断固として反対を主張していた両親も、ここまで来るともう長男のやり方に口を出さなくなった。この子は自分たちの物差しで測れない。そんな諦めが平凡な夫婦のたどり着いた結論だった。


 ところで、この平凡な相楽夫妻には、非凡な長男とは対照的に両親の平凡さをしっかりと受け継いだもう一人の子供がいる。


 兄が高校を辞めるといい出したその日、横のソファでくつろぎながら兄と両親のやり取りを聞いていた相楽家の次男坊遊人少年は、突然訳の分からない自論を展開しだした兄のことをシンプルに「やべーなこいつ」と思った。しかしながら困ったことに、実際に高校を辞め、高二の年に高認試験に受かった兄を見て、彼の抱く「やべー」の意味は真逆の方向に変わってしまった。


 まともじゃない考え方、それを可能にできる行動力と実行力。親に似て凡庸な遊人にとって、憧れと尊敬を抱くべき兄の存在はまぶしいほどに輝いていた。こんなすごい兄ちゃんの弟なんだから、俺だってきっと、何かしらちょっとくらいはすごい才能を持っているに違いない。


 中二の遊人少年が因果の薄い論理に基づいて妙な自信をつけてしまった結果、どうなってしまったのかは今の境遇を見れば瞭然である。この件については調子に乗って努力を怠ってしまった自分自身に責任があると理解しているため、流石に遊人も優秀過ぎる兄を恨んだりはしなかった。


 ただ、その後自身が行きたくもない県内ド底辺校に、どうしても通わざるを得なくなった経緯については、身勝手ながら遊人は兄のことを恨んでいた。





 本命としていた市内でもまあまあの進学校、市立南高校の受験に失敗していた遊人は、当初滑り止めの楽学館になど行かないつもりだった。落ちてしまったことはまあ仕方ない。こうなったら兄に倣って在宅浪人に励み、高認試験からワープ進化で大学に行くんだ。大学さえ良いところを出てれば世間の目は冷たくない。まだまだ全然挽回できる失敗じゃないか。


 自画自賛したくなるほど完璧な学歴ロンダリング計画は、発覚と同時に頓挫した。もちろん、良識ある彼の父母から承認を得られなかったためである。


 卒業式を終え、後は四月の入学を待つばかりとなっていたある日曜日のこと。昼頃目覚めてリビングに降りてきた寝起きの遊人は、母に身支度を急かされた。


「あんたまだ寝てたの? 早く仕度しなさい。お父さんが車出してくれるから」

「何、どっか行くの?」

「制服買いに行かなきゃでしょ。ぼーっとしてたら入学式なんてすぐだよ、すぐ。時間あるうちに済ませちゃわないと」


 ばたばたと忙しく動き回る母をあくび交じりに見送りながら、遊人は焦る素振りも見せずに答えた。


「あれ、いってなかったっけ? 俺高校行かないよ」

「何を馬鹿なこといってんのあんたは」

「いやいや、マジで。俺も兄ちゃんみたいに宅浪して大学行くから。つーか楽学館とか行くだけ恥でしょ」


 テレビのバラエティ番組を見て「あはは」と愉快な笑い声を上げる遊人。だらしなくソファに身を預けている彼は、背後で急速に温度を下げる母の変化に気づかなかった。


 母は能面のような硬い笑顔で次男の肩をぽんと叩いた。


「……ちょっとそこに座りなさい」


 この一言で緊急家族会議が召集された。出席者は父、母、遊人、そして何故か当事者ではない兄賢人も暇なら出て来いと参加を余儀なくされた。


「えー、何かいいたいことがあるんだって、遊人?」


 議長の父に尋ねられ、遊人は面倒くさげに挙手をして自身の思うところを述べた。


「高校には行かずに、兄ちゃんと同じく在宅浪人して大学行こうと思ってます」

「何でまた」

「だって楽学館とか馬鹿そうだし行く意味ないじゃん」


 俄かに般若、もとい母が立ち上がる。父は慌てて制止した。


「わぁ! ストップ、お母さん! 落ち着こう。気持ちは分かるけど暴力は良くない」


 母をなだめて席に着かせると、父は気を取り直して真面目に尋ねた。


「馬鹿そうって、そもそもお前が選んで受験したんだろ。分かってるのか?」

「あん時はそんな深く考えずに選んだっていうか、まあ俺も本命落ちると思ってなかったし、そうゆう乗りだったし」


 再び激した母がテーブルを叩く。父も今度は止めない。というか止められる剣幕ではない。


「あんたねえ! 受験するのだってタダでやってんじゃないのよ。お金かかってるんだからね」

「そら、悪かったと思ってるよ。だから兄ちゃんみたいに働いて返そうと」

「返せばいいとかそうゆう問題じゃないでしょ!」


 荒ぶるばかりの母に比して、父は冷静だった。母がテーブルを叩くたびに不安な音を鳴らせる塩コショウの小瓶などを避難させつつ、遊人の言い分をまとめる。


「まあまあ、分かった。要するに、行きたくないから行かない、と」肯く父は不意に弟の隣で事の成り行きを見守っていた賢人に振った。「それについて、賢人浪人大臣、何か意見は」


「浪人大臣ってなんだよ」


 小さくぼやいた賢人はふざける空気ではないことを察して軽く咳を払った。弟の向ける期待の眼差しと、母から向けられる余計なこと口にするなよと言わんばかりの視線を受けて、あくまで客観的な立場からの意見を述べる。


「自分が実際そうだから、高校くらい嫌でも行っとけとは俺はいえない。むしろ行く必要がないと思ってるから辞めたわけで、そう決断したことについては遊人の主張を支持したいと思う」


 最大の味方を得たと口角を上げる遊人。一方で怒りのボルテージを目に見えて上昇させている母を制して、「けど」と賢人は続けた。


「けど、俺が辞めたことでお父さんとお母さんには色々申し訳ないことをしたなって思うのは事実だし、世間体を考えると一家に二人も中卒がいるのはあんまり良くないことだと思うし、それに、一応俺は三ヶ月は通いました。その上での結論が在宅浪人だったわけでね」

「つまり?」

「とりあえず行ったら? 学校」


 つかの間の静寂。そしてすぐさま遊人が食って掛かる。


「み、味方じゃねえのかよ、浪人大臣」

「俺は中立だって。どっちの意見も否定できない」


 やり合う二人を尻目に、議長は早速議会を締めにかかった。


「では賛成一、反対二、無効一で、この議案は否決ということで」

「良くない、良くない! 何でだよ? おかしいじゃんか、こんなの! 何で兄ちゃんは良くて、俺は」

「それはお兄ちゃんだからでしょ」


 決が出てなお食い下がろうとする遊人に、母が突きつけたのは無慈悲な現実だった。


「北西で一番になったお兄ちゃんと、市立南に落ちたあんたじゃ、立場が全然違うじゃないの。どうしても高校行きたくないんだったらねえ、高校行かなくても勉強できますってところをちゃんと示してからいいなさい、お兄ちゃんみたいに。それができないなら、どんなところでもきちっと通ってしっかり卒業するの。分かった? できなかったら勘当だからね、勘当」


 母のまくし立てる正論には全く返す言葉もなく、遊人は結局その日の内に制服と靴と鞄を買いに行かされた。行きの車中では父のことさらに明るい声が止まなかった。学費のことなら気にしなくていいぞ。楽学館は入学金も授業料も私立の中では安い方だった。学歴のことだってお前はこだわってるみたいだけど、多少評判が悪くても大学に入っちゃえば結局誰も高校の名前なんて気にしないし。まあ、そんな心配するなって。どこに入ったって大体高校生活ってのは楽しいもんだ。いい出会いがあるかも知れないぞ。何か夢中になれるものも見つけられるかも知れない。実は父さんと母さんも同じ高校だったんだよ。まあ高校の時は面識なくて、大学出た後地元で就職してから出会ったんだけど。


 聞いてもいないのに語られだした両親の馴れ初めを適当に聞き流しながら、遊人は流れていく景色を空しく眺めていた。兄のようになりたいと思うのに、現実は上手くいかない。まばゆいばかりの兄の輝きが、今は直視できないほど辛く感じられた。あんなにすごい兄ちゃんがいるのに、自分はなんてつまらない弟なんだろう。兄の凄さを身近に感じるだけ、一層自分に対して抱く惨めさは大きかった。


 父に掛けられる優しい言葉さえ、今の遊人には痛いだけだった。無理しなくていい。お前は兄ちゃんみたいな天才じゃないんだから。受験に落ちて底辺校に行く事だって何も恥ずかしくないんだぞ。


 父が肯定的なことばかりいってやたらと励まそうとするのは、つまり遊人に多くを期待していないということだ。兄とは違って凡人の遊人が、兄のような生き方を許されるはずもない。


 この日以来、遊人はもう兄に憧れを抱かなくなった。兄を意識して、強く意識して、取った行動の結果がこの屈辱的な現状なのだ。この上まだ身の丈に合わない夢を見ようなどとは、流石の楽天家も思わなかったのである。





 それから半年あまりを経ての現在、遊人を机に向かわせるのは何の進歩も成果も得られていないこれまでの日々に対する反省と焦りだった。


 もう失敗はご免だ。ここでまた調子に乗って恥を上塗ってしまうようなことにでもなれば、今度こそ言い訳できない正真正銘の大馬鹿野郎になってしまう。


 天才ではなくとも人並みではありたい。強く思う遊人は、自分なりのやり方で失敗を取り返すことを心に決めていた。悪くない大学に入ってそれなりの会社に就職して、具体性こそないものの目指しているのは立派な社会人だ。憧れられることも羨まれることもない代わりに、文句を言われることも後ろ指を差されることもない、凡人らしくも真っ当な存在、そんな未来図こそ今の遊人が思い描いている理想だった。


 それを実現するためには、まず真っ当な進学校へ通う必要があった。慢心という名の魔法が解けた凡人二十八号の遊人にとって、勉学に励む時間は一秒だって必要なはずだった。ゲームだのデザインだの、目標としている悪くない大学を受験するためには明らかに不要と思われるような授業を彼が受けている間にも、同年代のライバルたちは漏れなく真っ当な授業で受験のための力を身に着けているはずだった。突き詰めれば突き詰めるほど、楽学館で過ごす時間が、将来のために必要なものだとはどうしても思えない。


 故に遊人は燃えていた。次のテストこそ結果を出してやる。そして一刻も早くもっとレベルの高い学校へ転校するのだ。


 心の底に不可解な寂しさを感じながら、遊人は俄然試験対策に精を出した。


 頑張らなきゃ駄目だ。あの学校じゃ駄目なんだ。


 言い聞かせるようにつぶやくのは、その寂しさを無視するためだった。


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