はかどらない日々
消極的な必然性によって、遊人はゲームクラスを選択することになった。芸術などには毛ほども興味がないし、絵心なんてものは持ち合わせていない。その上将来IT関係の仕事に就く予定も今のところないのだから、残された選択肢は一つしかないのだ。
自称進学志望の意識高い系男子であるゆえ、やむを得ず、仕方なしにという体ではあったものの、二学期になり、専門の授業が始まってからも遊人は楽高生としての高校生活を継続していた。
もちろん転入学の道を諦めたわけではない。家に帰れば自主学習に励み、暇を見つけては予習復習に取り組む勤勉な姿勢は相変わらず続いている。
しかしながら、誘われたら断らないところもやはり相変わらずだった。根をつめ過ぎるのは良くない、参考書を借りてくるなどとたびたび言い訳を見つけては中学、あるいは高校で新しくできた友人たちと遊んだりして気を晴らすこともしばしば。むしろ環境が変わって交友関係が広くなった分、彼が勉強にかける相対的な時間は減っているくらいである。
遊んで遊んで勉強して、また遊んで、若人としては概ね健全な、見る人が見れば「爆発しろ!」と呪いの言葉をぶつけたくなる程度に充実した毎日は、そろそろ半年を迎えようとしている。暦はすっかり秋に変わっていた。
十月二週目の火曜日。今日も五、六限は専攻科目である。昼休みの終わりが近づくと、大半の生徒たちは忙しげに仕度を始め、それぞれの選んだ専門の授業を受けるために教室を後にした。
一方、遊人を含むゲームクラス専攻の生徒は人の減っていく教室で授業の開始を待った。テーマがデジタルやアプリの場合にはそれぞれの実習室に移動して行うことも多いのだが、今日はアナログの日である。
遊人はルーズリーフと教科書を机上に出して時計を見た。授業開始までは二分もない。普通ならだらだら雑談でもしながら待つところだ。しかし、遊人は頭を振る。いやいや、逆に考えれば一分以上もあるのだ。こうゆう隙間時間をどう使うかで一年後二年後の結果が変わるのだ、と。
どこかで聞きかじったばかりの格言を胸に、兄から借りた英単語帳を意気揚々と取り出してぱらぱらとページをめくる。教師の目に映る彼はさぞかし勤勉な学生に見えたことだろう。ところが、彼の同級生にはおかしなやつにしか見えなかった。
「何で英語の勉強してんの? 次専門なんだけど」
親切心からか、声をかけてきたのは絵美だ。彼女は遊人と同じような理由でゲームクラスを選んでいた。相変わらず席も近く、彼女の親しい友人が皆Webとグラフィックに行ってしまったため、この時間遊人に絡んでくることが多かった。
遊人はあきれ半分苛立ち半分で答える。
「自主勉強だよ。中間も近いし」
「まじめ~。頭いいのにまだ勉強するんだ? っていうか勉強するから頭いいのか」
よくねーよと思ったが、遊人は口にしなかった。遊人の成績で絵美相手にそんなことを言えば嫌みになってしまう。
遊人は英単語帳に目をやりながら逆に尋ねた。
「お前は大丈夫なのかよ、勉強しなくて。中間来週だぞ、来週」
「あーまあ、来週のことは来週考えればいいかなって。やっぱ大事なのは今でしょ、今」
それはくしくも一昔前、有名予備校の講師が受講生たちを煽るのに使ったのと同じセリフだった。遊人はその答えに驚き、あきれ、そしていっそう勉強を頑張ろうと心に誓った。
実際今度の中間試験は遊人にとって失敗できないものだった。転校を決意し、表明してから、どうにも結果の振るわない日々が続き、気持ちとしてはかなり追い込まれている。このまま転校するする詐欺で終始し、結局三年間をこの全体的に勉学に対する意識の低い楽学館高校で終える未来が、いよいよ現実味を帯びてきているのだ。
そんな遊人自身が一ミリも望んでいない結末だけは、何としてでも避けなければならない。だからこそ遊人は集中したかった。
が、遊人の状況も決意も知らない相手の方には彼を気遣う様子はないようだった。
「つーかさっきから思ってたんだけど、こいつやばくない?」
絵美が指差したのは斜め後ろの席、机に身を預けて眠りこけている健二だ。何がやばいのかといえば彼の専攻はWebクラスだからである。遊人は健二の肩をつかんで揺り起こした。
「おい、もう五時間目始まるぞ」
「んあ?」
健二はがばっと身を起こし、寝ぼけ眼で時計を見て、教室を見て、理解してなさそうな顔で何度も肯く。
「おぉう、オッケー、オッケー、大丈夫だから」
「何が」
問いただそうとしていると教室の戸が開き、化粧箱を抱えた金井先生が現れた。同時に始業のチャイムが鳴る。起立の号令で健二を含めた十一名が立ち上がり、礼をして着席。遊人が不安そうにちら見していると、出席簿に目を落としていた金井先生は、「あ」と小さく声を上げて説明した。
「今日から坂井くんがコース変更でゲームに来たので、皆色々助けてあげるように」
「おなひゃーす」
あくび交じりの短い挨拶が教室に響く。その簡単なやり取りで生徒たちは理解した。思い起こせば専門授業の初日に、先生はこのような事態を予言していたのだ。
デザイン科一年生八十名は、アートコースに三十名、スキルコースのグラフィックとWebのクラスにそれぞれ二十名ずつが分かれ、残った十名がゲームクラスを専攻することになった。
がらんとした寂しげな教室で、教壇に立った先生は言ったのである。心配しなくても二年次までには他のクラスと大体同じ人数になる。グラフィック、Webからそれぞれ平均して四、五人ずつくらい。あまりないことだけどスポーツ科や音楽科からも何かの事情で転科になった子がやって来ることもある。説明会で話したセーフティネットとしての機能は、何もデザイン科に対してだけのものではない。何故ならこのクラスは他のどの学科と比較しても取り分け専門的な技術、素養を求められない、敷居の低いクラスなのだから、と。
要するに健二は、Webの授業レベルから落ちこぼれた最初の一人なのだった。