彼は自由に選択した
相楽遊人はいわゆる調子乗りな人間だった。その上見栄っ張りで楽天的、物事を深く考えるということをせず、何かといえばその場の乗りで行動しがちな思慮の浅さはテレビに出たての若手芸人に通じるところがある。難しい局面に立たされた時も「まあ何とかなるっしょ」の精神で即断即決して、多くの場合その危機や苦難を、なんといとも容易く乗り切ってきた。
何故かといえば幸か不幸か、彼はほんの少しだけ、運が良かったのである。
例えば学力テストの話。選択式の問題は適当にでっち上げたあみだくじで八割を正答し、時間がないからと山を張って勉強した箇所は大抵いつも試験に出てきた。
また、授業中彼が睡魔に負けてうとうとしている時は決まって別の誰かが教師の注意を引くことになったり、たまたま家に携帯を忘れた日に限って持ち物検査が行われたり、日常の生活においても、このちょっとした幸運は常に彼の味方をした。
元々取り立ててまじめな性格でもなく、本来の実力なら中の上、あるいは中の中が彼の学力に対する評価としては適切なはずだった。
ところが、この幸運のおかげで周りは彼の実力を誤解した。そこまで熱心に勉強していなくても上の下くらいの結果が出せる、たまに羽目を外すこともあるが基本的には品行方正な優等生。それが、親兄弟、友人知人や彼を受け持ってきた教師たちの彼に対する評価だった。
遺憾ながら、彼の不幸は親しい友人たちの学力が皆彼の築き得た虚構の学力とちょうど同じくらいのレベルだったことにある。
中学三年の秋。必然的に進路の選択を迫られた彼は周囲のレベルに合わせる形で市内でもまあまあレベルが高い進学校を志望校とした。もちろん調子に乗っていたし見栄を張ってもいた。しかしこれまで幸運によって維持出来ていた成績のおかげで担任も両親も友人たちも、彼の選択を危ぶまなかった。ただ一人彼だけが内心の不安から目を背けながら、そこそこ成績優秀な自分を演じ続け、信じ続けた。
そして迎えた入試本番。彼は本来の実力を遺憾なく発揮して、至極順当に試験に落ちた。
原因は他の誰でもない彼自身にあった。さすがに入試ともなれば彼の得意とする選択式問題などはほとんど出ない。問題の多くは記述式だし、自由な発想や論理的な思考力を求められる作文などは得点の比重も大きかった。
それでも、得意の勘で膨大な出題範囲に山を張り、そこに絞って対策を練っていれば決して合格も不可能ではなかったはずだったのだが、困ったことに彼は試験当日までほとんど努力らしい努力をしてこなかったのである。
無論人並みに勉強はしていた。授業だってまじめに受けたし空いた時間があれば自主学習を怠らなかった。
しかしながら、彼の生活には他の受験生に比べて空いた時間というものが極端に少なかった。その理由こそが彼の人格を端的に表している。
調子乗りで人見知りをしない彼には昔から友人知人が多かった。そしてそのお調子者の性分は彼に人からの誘いを断るということをさせなかった。
カラオケ、麻雀、ボーリング、フェス、草野球、フットサル、ビリヤードに自主制作映画の手伝いetc.
誘われればどこにでも行ったし、いつだって付き合いを優先した。それも夏休みとか秋口とかそんな時期の話ではない。試験日の二日前まで受験の苦労など分かろうはずもない後輩たちに誘われてぷらぷら遊び歩いていたのである。
ちょっと考えればそれが良くない事だと分かりそうなものだが、入試を目前に控えた受験生となっても彼の生活と考え方が変わることは決してなかった。
余裕ヨユー、この俺が、受験に失敗? ありえない。
思春期にありがちな根拠のない自信がそうさせるのだろう。とても分かり易く調子に乗っていたのだった。
繰り返すが、彼の本来の実力は良くても中の上程度である。同じスケジュールで生活しても友人たちとは素地が違う。彼くらいの頭でちょっと上を目指そうと思ったら人一倍の努力が必要だった。
実際彼を遊びに誘った友人たちの多くは適度に息を抜きながらも大半が志望校に受かっていた。受からなかった一部の者たちにしても、彼と同じく大分背伸びをしていたため受験前から偏差値的に厳しい戦いになることは予想されていたので彼ほどの落胆はなかった。いずれも彼とは異なり、悔いを残さない形で受験を終えたのだ。
とにもかくにも、相楽遊人は本命の入試に落ちてしまった。中学浪人という選択肢が全くないわけではないが、もちろんそれは一般的にあまり推奨されている選択ではない。病気や事故など何らかのトラブルに見舞われたり、どうしても妥協したくないほど強い志望があったりと、そんな事情はもちろん彼にはないのだった。
結局、人格的にも環境的にも平凡と評して差し支えない彼が選んだのは、きわめて常識的な進路となった。つまりは、滑り止めである。
四月、遊人がくぐることになったのは、願書を出した時には通うつもりなど毛頭なかった、学力的な意味では県内最底辺の部類に入り、教育機関としての世間の評判もあまりよろしくない、ある私立高校の門だった。
――楽しく学べる場所でありたい。
創立者兼現理事長のそんな願いが込められて、その学校はこう名付けられた。
私立楽学館高等学校と。