第四章 死と闇と活人と(前編)
リリーはわずか二日の旅路を終え、屋敷の前に到着した。
先に電報を打って帰宅の旨を伝えていたため、母であるシラユリ・レ・シェリダン・ヴェルモンドは一人、日傘を差しながら外で待っている。
「お母様。今帰ったわ」
「ああ、リリー。わたくしの愛おしい娘。シロガネから聞きましたわ」
「出来ればもう少し、旅をしたかったの。でも、私、知らないから。お母様も活人鬼のこと、教えてくれる?」
「お黙り!」
リリーは突然、怒られてキョトンとした。
教えられないとでも言うのか。
「あなたは対魔師の屋敷に閉じ込められたのでしょ!?」
「そうだけど……かっこいい牙と爪が生えたこと以外、何もなかったわ」
ちなみに今は、その牙も爪も短くなっている。
「何もなかった!? 何を言ってますの!? 対魔師に殺されるかもしれない、殺されなくても、敵の対魔師は男だと聞きましたわ!」
「それが、どうかしたの?」
「どうかしたの、じゃないでしょ! 何もされなかったのが奇跡ですわ。もしあなたの身に何かあればわたくしは……」
両手で顔を覆う母を前に、リリーはなんと声を掛ければ良いのだろうか。
リリーは無謀なことをしたという自覚が薄過ぎたのだ。母の心配など分からずに同じことを繰り返すくらいには、自分を省みること忘れている。心配させてからでは遅いというのに。
「シロガネ! あなたが付いていながら、どういうことですの!?」
「シラユリ様、申し訳ありません。ブレゲ・アームストロングは元より、ヴェルモンドの獲物。リリーが暴走せぬよう、街から排除しようと考えた次第」
「考えて、行動に移して……それでリリーが勝手な行動をしては意味がありませんわ」
「言葉もございません」
「……わたくしとて、いつ家族が、どうなるか覚悟はしているつもりです。ですが、娘に“人”として生きて欲しいと願うのが母の情というもの。いざという時は、ヴェルモンドの約束を守っていただきますわ、シロガネ」
「リリーを殺すのは……オレです」
「……今後も、お願いしますわ」
先ほどまで、娘の心配をしていたのに、急に娘を殺すと言われて了承するとはどういうことだろうか。
「お母様。私はシロガネに殺されないといけないの? 彼はしきりに暴走と言っていたけれど」
「それに関してはボス……お父様が教えてくれることでしょう。もっとも……どうしてあなたが牙と爪を生やしておきながら、暴走することがなかったのか、わたくしの方が聞きたいのだけれども」
「……私はいずれ、シロガネに斬られなければならないの?」
「…………ごめんなさい。わたくしの口からは、教える勇気がありませんわ」
シラユリはそのまま、何も言わなくなった。
言えないと言い換えるべきか。
リリーとシロガネはボスの執務室に入る。
父、ブラムは神妙な面持ちで外を眺め、シロガネもまた父に倣って神妙な面持ちで腕を組んでいた。
当然、リリーにとって、彼らがどのような事実を持っているのか想像も付かず、おろおろすることしか出来ない。
山よりも重い空気が流れる中、ブラムが口を開く。
「シロガネから全て事情を聞いている」
「ボス。あなたからの命令を守れず、忠を尽くせなかったこと、申し訳なく思います。切腹も、覚悟の内の所存」
シロガネは鞘を取り出す。自害でもする気なのか。
ブラムが「よせ」と一言口にするまで、シロガネは鞘をホルダーに戻さなかった。
「お前はいつも良くやってくれる。電報の謝罪文が多過ぎて、電報代が高く付いたこと以外は褒めている」
「ありがたきお言葉」
「電報代に関しては褒めてはいないんだがな」
ブラムは請求書をチラリと見ると、ため息をついた。電報で文章など送った日にはべらぼうな金額が請求されると聞く。そのために、暗号にして文字数を減らすものだと言うのに、この男は口で説明しなくても伝わるほどには長い文章を送り……アホみたいな金額を請求されているわけか。
「リリー。どうして、俺が全部を伝えなかったか、分かるか?」
「私が人間じゃないから、真実を知ると傷つくと考えたからじゃないの?」
「その通りだ。口で伝えるよりも、実際に経験した方が良い。俺はそう思って、この旅を提案したわけだ」
「……余計な気遣いのお陰で、私は真実を知らず、その暴走? ってのを起こすところだったわ。どうして私に何も教えようとしなかったの!」
シロガネは表情を変えて、刀を掴む。
「キサマ……ボスがどのような想いで!」
「まあまあ、落ち着けシロガネ。元はと言えば俺が全て悪い」
ブラムは自分のデスクの前にある椅子に緩慢な動きで腰を置くと、薬の瓶を開け、水で一気にあおる。
「ゲームのルールも教えずに、いきなりスタートしたんだ。これほどヒドイ話もないだろ? なあ、リリー?」
「ええ。お陰で私が望んだ自由への旅が出来なかったわ」
「本当ならシロガネから我ら血族に与えられたルール説明を受けながら、好きに世界を回ってもらいたかったわけだが」
「余計な気遣いね。お陰でロクに旅を楽しめなかったわ。マネも巻き込まれる形になったし」
「マネ?」
「ダンピールなんですって。水の街にある宿屋で働いているの。今は問題なく仕事をしているけど、もし、私のせいで吸血鬼として処刑されていたら……そう思うと、どうして教えてくれなかったって怒りが溢れてくるわ」
「……怖かったのだ」
シロガネは表情を変えて、「ボス」と呟く。
「リリーはもう子供ではありません。真実を受け入れるだけの度量を確認いたしました。オレも真実を告げることには賛成です。……いざという時は、オレが殺します」
「お前が言うならその通りなんだろう」
せめて、最後の一言だけは、その必要はないと否定してくれないのか。
ブラムはデスクの裏側に並ぶガラス戸を開けると、一冊の本を取り出す。
「それは何、お父様?」
「世間では吸血鬼を信じる者もいれば、創作上の怪物という認識の者も多い。が、その言葉の意味と弱点は間違いなく浸透している」
「ダンピールだとか、例外はあるみたいだけれども。私でも創作物や新聞を通じて知っているくらいね」
「だが、吸血鬼の中に活人鬼が紛れていることは知らない。この本は活人鬼がどういう生き物なのかを教えてくれる、世間に一冊しかない本――我ら一族が書いてきた歴史書だ」
ブラムはリリーに近づき、本を差し出す。
活人鬼ヒストリーと書かれたそれをリリーは受け取り、中のページを見る。
ページごとに字の癖が違う本をパラパラと目を通し、その中の一ページ……唯一挿絵が描かれたページにだけ目が留まる。
「プリンセス・カルミア」
唯一、名前と古ぼけた写真が存在する美しい女性の画。牙と爪こそあるが、椅子に座って微笑みかけるその顔は淑女そのもの。
「そのお方を見て、どう思った?」
「お姫様、みたいな感じがする人ね。聡明そうで、牙と爪なんて気にならないくらいに美しいわ」
「その方は活人鬼の中でも、初めて活人姫となった始祖なのだ」
この女性が活人鬼たちの始祖。リリーは食い入るようにページをめくった。
「活人……姫?」
リリーはどうしても目に入ってしまう。他のページには鬼と表現されている活人鬼が、このプリンセス・カルミアのページだけ、姫と表記されているのだ。
――リリー。リリーヴェル・レ・シェリダン・ヴェルモンド。ようやく目覚めたね。
古ぼけた写真が急に口を開き、声を発したような気がした。
――何? 今の声は誰?
戸惑うリリーだったが、ブラムはカルミアの話を続ける。
「カルミア様は吸血鬼の間に生まれた子供だった。だが、彼女は異様でな。陽の光に晒されても灰にならず、吸血をせずとも飢えを凌げた。ダンピールかと疑われたこともあったが、吸血鬼としての特徴を何一つ持っていなかったのだ」
「活人鬼だったから?」
「カルミア様は吸血鬼から突然産まれた、全く新しい能力の持ち主だったわけだ。だが、彼女の子孫たちと彼女は決定的に違うことがあった」
「それは、なに?」
「悪意ある心に触れた際に、暴走するか否か」
それが、シロガネや皆が問題視している暴走というものか。
「牙が生え、爪が伸びれば暴走状態になるの?」
「いや、厳密には殺意を抑えきれずに、見境なく獣のように襲いかかることを暴走と呼んでいる」
「なぜ、そんなことが起きて……カルミアは暴走しなかったの?」
「分からん。カルミア自体が怪しい存在で、黒魔術の研究をしていて、我々に呪いを掛けた……仲間内にはそんなデタラメな主張をする者もいるが……」
「どうしてそんなことを言うの? カルミアは自分の子供たちにそんなことをするような人……活人鬼だったの?」
「子供たちに、悪を挫くための力を。それが、我ら血族へ与えられた呪いだったのだろう。俺はそう信じて……いる……ゥ……」
ブラムは額にかいた汗を手で拭う。父はこんなに汗をかく人間だったか。
「もし、我ら血族が悪意のある人間を始末せずに放置すれば、呪いが作用し、暴走する。かと言って、人を殺す悪を続けても……自らの悪意に呪いが作用する」
「ブレゲ・アームストロング……あの男を放置していたから、私は暴走した?」
「そうだ。悪意は我らにとって毒だ。毒は取り除かなければならない。だが、お前の場合は何から何まで異常だったようだ。毒を喰らってもピンピンするくらいには」
「どういうこと?」
「シロ……ガネ、後は任せる」
ブラムは来客用に用意しているソファーに座ると、そのまま俯いた。
「ボスから承知を得た。これよりキサマに、キサマの異様さを話そうか」
「ねえ、シロガネ。お父様は病気なの?」
「……オレがボスに命令されたのは、あくまで活人鬼として異様なキサマの話だ」
それ以外は質問を受け付けないということか。
「キサマは産まれた頃から言葉を持たん怪物でな。二本足を使える頃にはキサマは獣のように暴れ回っていたと聞く」
「そうなの……?」
「オレもキサマにこっぴどくやられてな。何度、身体の肉を抉られたか」
リリーは想像して、痛ましくなった。
「でもおかしくない? 活人鬼は悪意に弱くて、悪意ある人間に近づくと暴走するんでしょ」
「人間は大なり小なり悪意を持つ。活人鬼とて、悪意の耐性に大なり小なりの差は持つし、悪意を持つ。理性で動く生命体というのは善意と悪意の矛盾した感情を持つのでな。しかし、キサマは……もはや暴走している原理が分からぬ存在だった」
「つまり、私が幼少期の記憶を持たないのは……毎日ずっと暴走していたからと言うこと?」
「ウム。当時、オレはヴェルモンドで居合い術を学びながら、活人に関して東にある異国の考えを学んでいた。人を斬ることで、人を生かす。すなわち、弱者を救うために活人を行うのだと。プリンセス・カルミアが東の国の精神と刀を気に入ったがゆえに、自らの血族を活人鬼と自称したように。オレも活人という精神を学び、オレ自身も活人を会得する日々だった」
そして――シロガネは刀を抜く。
「そして、ある日、暴走するキサマに負傷し、オレは覚悟を決めた。『この娘はいずれ、誰かを殺す。その前に殺して、人を救うのだ』と」
「それから……どうなったの?」
シロガネはそこから、腹の底から笑い始めた。おかしな思い出でも蘇ったのか。
「キサマは言った。『私、リリーヴェル・レ・シェリダン・ヴェルモンドよ。お友達になりましょ?』だと。刀を向けているのに、殺し合いをしている最中なのにだ。これがおかしくないなら、ヘソで美味い茶が湧くワ!」
「……そんなに面白い話かしら?」
「ボスから聞いた。キサマのその言葉が産まれて初めて喋った言葉だそうだ。産まれて初めての第一声が殺し合いの最中で、自己紹介とはな! 笑うなと言う方が難しいワ!」
シロガネが響くような大声で笑う中、ブラムもまた笑った。
「あれは……本当に喜劇だったな……俺も見ていたが……まるでオママゴトをしていたように笑う娘の姿が……今でも」
「お父様? 顔色が悪いわ、大丈夫?」
「すまんがな。少し休みたい」
父はそう言い残して、ソファーで横になって寝た。
シロガネは声を殺しながら続ける。
「とにかく、ボスは以来、キサマが普通の活人鬼と異なるものだと考え、真実を伝えぬことを決定した。今度はキサマの暴走がなくなり……普通の活人鬼とは異なる存在かもしれぬと、真実を伏せてきた」
「それは、どうして? 私がショックを受けるから?」
「……もしかすると、キサマは人間なのかもしれぬと、淡い期待を込めて、だ」
そんな期待、子供の頃に暴走をしていたらしいリリーは、すでに人間ではないことは確定しているし、現にブレゲ・アームストロングの一件で、消えた牙と爪が戻ったのだ。
だが、もしそんな出来事がなければ。リリーは人間として生きていけたのだろうか。
二度と、活人鬼としての暴走を起こさなければ、人間として暮らせたかもしれない。
「活人。悪を斬り、弱者を救う。聞こえは良いが、人殺しには変わりない。もし、キサマがそんな呪いと関係のない一般人でいられれば……今回の旅は、それを検証する目的もあった」
「でも、暴走してしまった」
「ウム……。そのことだが、半端な暴走が気になる。それこそ、プリンセス・カルミアのような、牙と爪を持ちながらも、理性を残したまま、さらには力まで得るようなことがあり得るのか?」
シロガネは部屋の隅に乱雑に置いている毛布を手に取ると、寝息を立て始めたブラムの上にかける。
「オレとて人間だが、活人鬼とは変わりがないと考えている。キサマがどのような存在か分からぬが、外へと出るな」
「分かったわ。でも、問題ないと分かったら、出ても良いでしょ?」
「分かってないな。キサマ、オレと共に旅をして、勝手な行動をしただろう。もう二度と敷地から出るな、さもなくば斬ると言っているのだ!」
「どうして、あなたの私怨が混じっているのよ!」
シロガネはギロリと蛇に負けぬ眼光で睨めつけてくる。
「オレは活人鬼でもあり、粛正者でもある! 暴走した活人鬼の息の根を止める粛正者だ! キサマが外へ出ると妄言を続けてみろ! 斬るッ!」
勝手な行動一つでここまで大事になってくるとは。
暴走を起こした者を止めるのがシロガネの役目だと言うのなら、リリーの行動は暴走にあたるのだろうか。
「リリー、シロガネ。すまんがな、声が頭に響く」
「申し訳ありません、ボスッ!」
「いや、声量を落としてくれ……」
目を覚ましたブラムに追撃するように腹に響く声で謝罪するシロガネ。
「とにかくだ。キサマはまたしばらく屋敷内にいることだ。キサマが暴走すれば、息の根を止めるのがオレの仕事。勝手に出て行くなどとしたら……」
「分かってるわよ、勝手な行動は慎むわ」
リリーの次への冒険はどうなるのか。
次に外へ出るのはどれほどの時間が掛かるものだろうか、と。