第二章 自由と不自由(前編)
外に出る許可を得た翌日。
ヴェルモンドの屋敷から出発してすぐの場所に霧の街はある。
瓦斯が一般家庭でも利用され、街灯に火をつけ、一年中温かくて便利な生活……というわけにもいかない。
まず街に着いたリリーは目と口を塞いだ。自分が活人鬼と呼ばれる生き物だから、陽の光に弱い吸血鬼になぞらえて霧に弱いのかと考えたが、人間であるシロガネも不快そうだった。
「瓦斯の使いすぎが特にヒドイんだ。屋敷にも霧は漂ってくるが、中心源は濃霧だな」
と、珍しく解説してくれた。温かくて、最新鋭の技術は生活を豊かにしてくれるが、世界を汚してしまうらしい。雪が積もった日などは霧が濃くなることだろう。
つまりはこういうことか。
濃霧に包まれた街は、昼にも関わらず街灯の光を必要としている。霧が濃くて何も見えない、だから、街灯をつけよう。街灯をつければ瓦斯のせいもあって、霧が濃くなった。霧が濃くなったから街灯を増やそう。と無限の輪に縛られていることだろう。
だから、バカみたいに霧だらけにするくらいなら、霧の発生しない瓦斯を作ればいいじゃないと言えば、シロガネが鼻で笑った。
「瓦斯でさえ、世界最新鋭の技術だ。世界最高の技術を持つエイフェンド帝国が、いつまで経ってもクリーンな技術が作れないということは、限界なのだろう」
「そんなことはないわ。外国の友達は新エネルギーと技術があれば、瓦斯の代替となる物はあると」
「フンッ。ではキサマに問う。その新エネルギーと技術とはどこにあるのだ?」
「あるのよ。きっと探し続ければ」
「ないと断言しよう。仮にあったとしても、金額、公害、技術面。それらを加味すれば、瓦斯の利便性からは脱出できまい」
本当にそうだろうかと疑問を抱きながら霧の街を歩く。
かつてはこの街も“貴族の街”と呼ばれていたが、貴族たちが瓦斯を大量に利用するようになってからと言うもの、今となっては霧の街と呼ばれるようになった。
「ちなみに間違っても、この街で買い物などしようとせぬことだ」
「どうしてかしら?」
「ここは貴族たちしか住んでいない。貴族向けの値段で金を取られる。間違っても旅人が足を踏み入れてはいけない土地だ」
「あら、優しいのね。普段のあなたなら、あえて黙って『硬貨一枚もなしで飢え死にしてしまえ』って心の中で笑ってそうなのに」
「キサマの持っている金はヴェルモンドの物だ。おいそれと全額使わせてたまるか」
せっかく、初めての旅、初めての買い物を経験してみたかったが、中々創作物のように一人で生きていくのは難しそうだ。
リリーはシロガネを引き連れて街中を歩く。この剣士はどうにも瓦斯のせいか不機嫌な顔をしている上に、辺りをキョロキョロと目を配らせていた。それでいて、リリーが少しでも路から逸れると、無言で腕を掴む。
念願叶って、初めての外だったが、あまりにも自由に行動させてくれない。リリーの夢見たような、商人たちとお話したり、お仕事を探したり……華やかな暮らしは難しそうだ。
しばらく歩けば、貴族たちの居住区に到着する。
「制服を着た人たちが多いわね。警察組織の人間かしら?」
どうにもローブを身につけた男たちが多い。彼らを見つめていると、シロガネが腕を引っ張ってきた。
「奴ら全員対魔師だ。顔を合わせるな、不審な行動をするな」
「対魔師? なんでそんな連中が貴族街にいるの?」
「吸血鬼には貴族が多いからな。吸血鬼は寿命が長く知識も年の功だけあると言っても良い。それに人から命をいただくんだ。ついでに金もいただくのが世の常識だろ?」
そんな常識は初耳だが。
つまり、経験豊富で、金を盗んでいるから貴族が多いと。高貴な血筋であるかは関係がないのか。
「おい、そこの二人」
後ろから声をかけられ、振り向けばローブを身につけた金髪の男が立っていた。
ベルトに曲刀とピストルを身に帯び、ローブには階級の高さをアピールするためか、他の対魔師よりも豪華な紋章を服に付けている。
地位の高い偉い対魔師というわけか。その偉い対魔師がいったい、何の用だろうか。一般人である二人には縁のない相手ではあるが。
「ああーっ!? 私かぁーっ!?」
そうだ。昨日、活人鬼だと言われたばかりではないか。
「突然、どうされたのだ。僕たちが何か恐れ多いことをしたのだろうか?」
「いえいえいえ! 別に怪しい者でも何でもないわ!」
金髪の対魔師は余計に疑いの眼差しで睨んできた。何も聞かれていないのに、自分から怪しくないと言って、誰が信じるというのだ。
慌てて弁解を考えている間に、シロガネは紋章を見せつける。
「我らはヴェルモンドの主と従者である。対魔師が何用か?」
「申し訳ないが、この街では吸血鬼による悲惨な殺人事件が多発している。貴族、および従者にも身体検査をさせてもらうよ」
金髪の彼は、他の対魔師を呼び寄せると、十字架を受け取った。
それで何をするのか。まさか吸血鬼かどうかのチェック作業か。
(どうしよう……これで人間じゃないってバレたら。ああ、でも友人からプレゼントされた十字架のネックレスは平気だったわね)
金髪の対魔師はまずはシロガネの額に十字架を当てる。
続いて、「失礼」と一言断ってからリリーに十字架を当てたが、特に変化は起こらない。
「お時間とご協力、感謝させていただく。ただ、主人殿の帯剣は厳重に注意させていただきたい」
「ほう? では貴殿は強盗に遭っても無抵抗に殺されろと申すか?」
「いえ。ですが――」
「今や十人に一人は犯罪者の時代。その上、対魔師殿は存在しているかも怪しい吸血鬼なる存在がいると口にされているにも関わらず、帯剣することに注意される。荒唐無稽な話に笑止ですな」
「滅相もない。僕はただ帯剣するからには往来で振り回さぬこと。従者にもピストルなどの扱いやすい武器を携行することを勧めたく存じただけの話。余計な気遣いと警告をしてしまい、申し訳ない」
「ウム。忠告のほど感謝する」
金髪の男とその隣の対魔師は一礼すると去って行く。
「あれ? 従者にも……ピストル? もしかして、私が従者扱い?」
何か違和感があると思ったが、まさか主人と従者を間違えられるとは。どう考えても美少女であるリリーが主人にしか見えないであろうに。
「キサマ。うぬぼれなら、口から漏らさずに行うことだ」
「また、私。心の声が漏れていたの……?」
「顔にも表れるからな」
今後は考えていることを口にも顔にも出さないように努力していかないといけないのかもしれない。
「それにしても対魔師Aランクのレスファンがこんなところで出くわすとは……運がなかったとも言える」
「金髪の彼? そんなに偉いの?」
確かに今思い出せば、彼はどこか抜け目のなさそうな目つきをしている。それほど人と出会う機会はないので、第一印象で人を判断できないリリーだが、彼のような誠実で真面目そうな人間であれば、出世するのも間違いないだろう。納得の階級という奴だ。
「対魔師のランクなど金一つで変わる信用できんもんだ。だが、レスファンは正義感の塊のような男だ。最悪なことにな」
「いいじゃない正義感の塊。何がそんなに気に入らないの?」
「奴は親を吸血鬼に殺されて以来、吸血鬼というのを盲目的に嫌っている。だから厄介なのだ。熱心に吸血鬼を探す仕事人間だからな」
なぜだかシロガネは早足で歩き始めた。別にシロガネは吸血鬼でもなんでもないなら、特に気にする必要はないのに。
「とにかく、街を出るぞ。ここではロクに寝泊まりもできん」
厄介な対魔師がいるからとも、金銭的な問題があるからとも取れる言葉に、リリーは取りあえず頷いた。
そういえば、この幼なじみのことをリリーはよく知らない。色々なことを知っているし、夜中に出かけることは多いことくらいで、いつから屋敷に住んでいるのかも知らないのだ。
「ねえ、シロガネ。たまには仲良くして、お話しましょうよ」
「断る」
「一言!?」
無愛想な男はただひたすら黙ってリリーの先を歩いていた。
街と街の境は“やや異様”な光景が広がっていた。
煙突まで備えられた高級感漂う煉瓦の家から、急に木造建築の家ばかりへと姿を変える。家には窓の一つどころか、屋根の傾斜もなく、どれもこれものっぺりと表現した方がいいほど凹凸のない家々が立ち並んでいるのだ。
「ねえ、シロガネ。こんなに屋根が平坦なら雪の重みで崩れてしまわないのかしら?」
煉瓦ならともかく、強度を感じられない木造建築ではいずれ崩れてしまわないかヒヤヒヤする。
「崩れる。だから毎日屋根に登っては雪かきをするのだ。今はシーズンではないから、落ちる心配もなかろう」
「そんなに危険なら傾斜をつければいいのに。どうしてそうしないの?」
「そんなことをしてみろ。角度につき税金を徴収されるぞ」
「え?」
「昔、屋根の傾斜をつけ、雨漏りをしないようにするにはかなりの技術と金が必要とされた。ゆえに貴族から税金を徴収するために、角度税が設けられた」
「角度税? でも、そんなことをすれば――」
「まだまだあるぞ。窓は高級品だから窓税。煙突と暖炉がある家庭も煤の管理などの手間と費用が必要だから煙突税。煉瓦で家を建てられるのは富裕層だから煉瓦税。様々な税金で年間を通じて徴収される」
聞いているだけでリリーは目眩がしてきた。それで貴族たちから税金を徴収できるのか、それ以上に庶民たちが暮らせる家を制限していないのか。それが世界最高の国を自称するエイフェンド帝国のルールなのかと。
「キサマは書物の中でしか世界を知らんだろうが、現実はこんなものだ。皆が金を貰えぬ仕事を行い、高い税金を徴収され、必需品を買おうものならあっという間に貯金は音を立てて崩れる。国に頼ってもロクな扱いをされず、かと言ってずる賢い人間や、生まれながらの貴族と吸血鬼だけが生き残れる」
ちょっとした宿屋で仕事をして、毎日を楽しく過ごすの……そう言っていた日々が、ガラスのように粉々になっていく。
こんなの無理だ。たぶん、税金だけで殺される。
「ここは、霧の街で暮らせなくなった子供や大人たちが寄り添って生きている街だ。いや、水の街との境目だから街ですらない、か」
「水の街でも暮らせないの?」
「ギリギリ水の街に建っているが、元々は霧の街の路地裏で暮らしていたのだろう。大方、警察組織どもに居場所を追われて、小さな家で身を寄せ合って暮らしているのだろうな」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい。警察組織に居場所を追われた……!? 正義の味方である彼らが、なんでそんな真似!?」
「家無き者は生きるために何でもする。犯罪はムロン、明日ではなく今日を生きるために何でもする。だから、警察組織は治安維持の名目で追い出していく。弱者に人権などない。それだけのことだ」
そんな話があってたまるか。リリーの夢見た外の世界が、貴族のためだけにある生活なんて。信じられないという思いだけが心を支配した。
「ちっ。キサマに乗せられて長々と話をしてしまった。話はここまでだ」
「いいじゃない。あなたは私の従者でしょ? 聞きたいことならいっぱいあるわ。それの何がいけないの?」
「いけないことだ。オレはお前が嫌いだからな」
「わ、私も嫌いよ! 宿に着いたらどっかに出て行きなさい! クビよクビ!」
「残念だが、雇用主はボスだ。キサマに命令される筋合いはない」
父よ、どうか事前に「嘘でもいいから娘に優しくするように」と命令してくれれば、この腹立つ従者も親切、丁寧に色々と話をしてくれたかもしれないのに。シロガネもシロガネで半端な命令を守るせいで、リリーから一向に離れる気配がない。付き人というよりも監視役が正しい表現だろう。
「そうだわ。良いことを思いついたわ」
「ロクでもないことしかせぬキサマに、良いことなどあるか。悪いことの間違いであろう」
柄を握りしめ、悪い子を成敗せんと睨めつけてくるシロガネ。彼を出し抜く方法を思いついたのだ。後からキッツい叱責を覚悟しないといけないが、やむを得ナシ。
そう、貴族の箱入り娘、リリーヴェル・レ・シェリダン・ヴェルモンドから、貴族の冒険娘、リリーへと生まれ変わるチャンスなのだ。たった、一日でも自由になっても良いだろう。旅で一人になる時間を作るメリハリも必要だと。