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活人姫(後編)


 ヴァルロイヤル家の屋敷から出ると、シロガネは「御者に手はずを整える」、「準備が済み次第、侵入と脱出を繰り返して遺体を運ぶ」と、真夜中の隠密行動の段取りを決めていく。

 リリーとて、あまり隠密行動は取るのは、どうにも心臓に悪くて侵入するのは気が退ける。

 そこでリリーは、屋敷の前で見張りをしているからと言うと、シロガネは潔く承諾した。

 曰く、「慣れぬことをさせた」と、それから、「屋敷の研究所の場所が分かれば、後は奴らを倒すのは容易い。大船に乗ったつもりでいるのだ」と。

 だから、リリーは屋敷の裏口で一人、空の星を眺めていた。

 シロガネなら、一度、屋敷の中に侵入できている。彼ならば、遺体を運ぶために数回往復するのも問題ないだろう。現に今だって、彼が侵入しているにもかかわらず、屋敷内が静かだ。

 なにせ、彼が倒した見回りは全員、ロープでがんじがらめにして縛って、一室の中に放り込んでいるのだ。騒がせないために猿ぐつわもしている。

 大体、十数分もあれば一往復できる。今夜中には全て終わらせられる。

 シロガネはそう言っていた。それに、明日の朝一番に、全ての吸血鬼の名家たちに電報を出して、ヴァルロイヤル家に強襲をかけるとも。

「どうか、何事もないように。シロガネ……」

 もう、家族は失いたくない。父の次に、彼まで死んでしまうのは、嫌だ。

 けれども、今はリリーが一緒に屋敷に侵入しても足を引っ張るだけになるのは目に見えている。現に、リリーは何回、見回りに見つかりそうになったか。

「心配するなら、自分の方じゃないか? ヴェルモンド家の新当主さん」

「っ!? 誰!?」

 リリーが周囲を見渡すが、その男の声がどこから響いているのか全く分からなかった。

「僕は上だ。それにしても大胆なことをするんだね。驚きだよ」

 屋敷の屋上からその男は飛び降りてくる。

 当然、リリーの屋敷よりも大きいということは、屋上までの距離も高いということ。

 地面に着地したその男は、リリーの身長を数倍した高さから平気で飛び降りてきたのだ。

「久しぶりだね。元気にしていたかい?」

「……レスファン」

「おっと、牙を隠さなくても、君の正体を知っているんだ。何も隠す必要はない」

 その男はジリジリとリリーに近づいてくる。

 リリーが刀に手をかける。父の遺した刀、ホワイトリリーを。

 だが、相手も訓練を受けた人間だ。サーベルを抜き、拳銃を構える。リリーは刀を触れても、すっかり冷え切った手で抜刀することまでは出来なかった。

「レスファン! 聞いて! ヴァルロイヤル家は多くの人間や吸血鬼を人体実験している悪い吸血鬼なの! だから、今だけは見逃して!」

「ふーん。で?」

「で、って。あなたの嫌う吸血鬼の、しかも長い歴史の中で悪人であり続けた吸血鬼なのよ!」

「知っているよ。対魔師協会を裏で率いているのも奴らだ」

「なんですって……? 相手は吸血鬼なのよ! そこまで知って、なぜ彼らに協力するの!?」

「そう。だから、いずれ僕は、ヴァルロイヤル家を潰す。けれども、今は彼らに力を貰い、邪魔な吸血鬼たちを殲滅する」

 この男はどこまで知っているのだろう。そして、吸血鬼に両親が殺されたのであれば、対魔師協会を運営しているのが吸血鬼であることを知っているのであれば……それに反発するのが自然なのではないか。

「対魔師ランクSって言うのは、かなり融通の利くものでね。対魔師協会の運営元を知ることも、吸血鬼に対抗する力を貰える」

「その力で何をするつもり?」

「分かるだろ? 君たち活人鬼に復讐するんだよ。僕の父や母を殺した君たち活人鬼も吸血鬼も皆殺しだ」

 リリーは刀を抜いた。

 だが、今まであったような力が溢れない。刀を持つのも重く感じてしまう。

「牙が……!?」

 リリーは今まで活人姫モードだったのに、レスファンを前にして、その力を失った。

 なぜだ。悪人と相対すれば、リリーはいつだって活人姫モードで切り抜けてこられた。

 それなのに、この男を前にした時、暴走の兆しを見られない。

「驚いているね。当然だよ。僕の行動は正義なのだから」

「だから、私の活人姫モードが?」

「僕の正義じゃあ、ブラム・レ・シェリダン・ヴェルモンドは暴走しない。だから、囚人を客として送り込むのは苦労したよ。納得できる理由を対魔師協会に述べなければいけないのだから」

「あなたが……お父様を暴走させた……? それのどこが正義なのよ!」

「吸血鬼は死すべし! そのための行動がなぜ、いけないんだ?」

「あなたのせいでお父様は……あなたがそんな犯罪まがいの行動をしたからお父様は死んだのよ! それが正義ですって!? ふざけるんじゃないわ!」

「正義だ! 国民のためを思って行動した、正義だ」

 リリーの怒りは止まらない。けれども、リリーを暴走させるほどの力は湧いてこない。

 リリー自身が、彼の行動が正義であることを認めているような。そんなことはあり得ない。彼のやっていることは間違いなく悪人なのだ。そう、リリー個人にとっては。

(もしかして、国民のためを考えての行動だから?)

 この言葉をリリーは知っている。誰かのために相手を殺す。


 それは、活人そのものではないのか。


「まあ、でも君たちがこうしてヴァルロイヤル家に来てくれたお陰で、僕の仕事もやりやすくなった。僕の両親の仇はとれたけれども、君たちも邪魔なんだよね」

「……まるで、お父様があなたの仇とでも言いたげな口ぶりね」

「ああ、君の父親が僕の両親を殺した」

「証拠は?」

「僕の目さ」

「犯行の瞬間を見たって言うの?」

「ああ。今まで、どうして、僕を殺されなかった。ずっと疑問に思っていた。やっと、その理由を最近知れてね。活人鬼だって? ヴァルロイヤル家が作った、歪な吸血鬼たち」

「誰が、誰が歪よ!」

 リリーは屋敷の侵入者――と言っても、屋外だが――であるにも関わらず、叫ぶ。

 確かに、人体実験をプリンセス・カルミアが受け、彼女が抱いたヴァルロイヤル家への憎しみが、悪意に触れると暴走を起こす歪な存在へと変わり果てた。だが、それを何も知らない人間に言われる筋合いはない。何よりも、活人鬼たちはなりたくて活人鬼になったわけではない。

 だから、リリーは彼ら彼女らに代わって、怒りを代弁する。ただの犯罪者集団ではない。吸血鬼が血を必要とするように、世間から悪人を排除することがどうしても必要なのだから。

 それでも、レスファンは、口端をニッと上げて――リリーが先ほどから騒いでいるにも関わらず――逃げるどころか、銃口を額にくっつけてきた。リリーがたとえ「助けてー!」と叫んだところで、殺人の目的は吸血鬼を殺すこと。リリーを殺して、無事目的達成だ。たとえ、ヴァルロイヤル家の守衛がやって来たとしてもだ。

「……とにかく、私たちは悪人じゃないわ。人を殺してきたけれども、相手は悪人だった」

「僕の両親はッ! ……悪人と言えども死んでいい人間だったわけかい?」

「違うわ。そんなことはない。けど、あなたがやっていることは、私たちと同じじゃない」

「違うねえ。君たちクズは人を殺してきた。怪物がこの国に住んで良い場所はない。君たちはただの殺人犯。僕たちは怪物共を殺す、言わば英雄さ」

 リリーとレスファンの水掛け論と呼べるかどうかも分からない言葉の応酬が続く。

 レスファンにとっては、吸血鬼や活人鬼を殺すことが正義。それはリリーにとって、活人鬼たちと同じ考えにしか思えない。

 けれども、リリーたちは活人鬼だ。人間ではない。だから、悪魔や怪物を殺すことに等しく、罪に問われないし、殺したことでむしろ賞賛を得られるのだろう。

 リリーは不公平に思えた。どっちも殺人じゃないか。どっちも悪だと。

「まあ、いっか。まずは君から殺す」

 レスファンは、拳銃の撃鉄をコッキングする。ガチャリという音と共に、回転式弾倉の穴が動く。

 それでもリリーは額に拳銃をくっつけたまま睨み合いを続ける。決して逃げない。

「私たちは自由に生きたいの。そして、みんな自由に生きて欲しい。それが人殺しなんて行為をしているけれど、私たちは決して自分たちの行いを正当化していないわ」

「正当化? お前たちは醜い怪物だ。お前たちがいるから、この国に安全な場所はない。お前たちの存在自体が悪だ! 正しいかどうかが問題ではない!」

「でも、私たちは決して相手を無闇に殺したりしない。みんなのために戦うの!」

「怪物が人間の言葉を使うなッ! 平和を守っているのは、対魔師協会だッ!」

 トリガーに指が動く。

 リリーは額から汗を流し、もうダメだと絶望した瞬間。

――声が響き渡る。

「手出しはさせぬッ!」

 シロガネの駆ける一閃は拳銃を持つレスファンの腕を弾き、拳銃の発砲はどこか明後日の方向へと飛んでいく。

「っ……! 従者か。随分と早いお戻りで」

「……キサマの腕、どうした?」

「これかい?」

 シロガネは刀を一度確かめた後、納刀してからレスファンの腕を見た。リリーもその腕を確認するが、対魔師の象徴であるローブは確かに鋭利な刃物で切れているのに対して、肌にはかすり傷一つついていない。

 ブレゲ・アームストロングとの一戦の際、シロガネの刀が敵を切断することはなかった。だが、それは、刀による撫で斬りに強いチェインメイルを着込んでいたからだ。

 対して、レスファンが傷一つつかない理由が分からない。同じくシロガネの刃が通じない相手は知っているが……あり得ない。

「……レスファンは、吸血鬼か活人鬼?」

 そんなわけはない。なぜなら、彼は吸血鬼や活人鬼を憎んでいるのだから。

「これは僕がヴァルロイヤル家から貰った力さ。なんでも対吸血鬼用の力。吸血鬼どもの居場所を感知する能力と、圧倒的な戦闘能力を獲得したのさ」

「それって、あなたはヴァルロイヤル家の人体実験を受けたの?」

「実験ではない。信頼できる技術だ」

 余裕綽々と語るレスファンだが、シロガネだけは笑っていた。

「信頼? ハテ。キサマの語るそれはダンピールの能力だ」

「ダンピールだと?」

「混血。つまり、人間と吸血鬼の間に生まれた子か、もしくは牙を介さずに吸血鬼の血を受け入れた者がなる」

「……ッ!? 吸血されず、血を……!?」

 つまりこういうことか。吸血鬼の吸血には、相手を眷属にしたり、相手を吸血鬼の仲間にしたり。そんな力がある。

 それは、吸血鬼たちが、吸血を行う際に、自らの血液を相手に流しているからが原因だそうで、聞いた話によれば、眷属にされた者は純血の吸血鬼となる。

 けれども、シロガネが語るそれは、吸血鬼による吸血を受けずに、何らかの方法で吸血鬼の血を体内に入れたと語っているのだろう。それも人工的に。

「ダンピールには、吸血鬼を探し当てる能力を持つ。もっとも、吸血鬼の能力を牙も出さずに力を使い、吸血鬼の変異種である活人鬼を探し当てる……そんな芸当をできるダンピールは聞いたことがないがな」

 そういえば、同じダンピールであったマネもまた、同じような能力を持っていたのだろうか。

 リリーの場所を探し当てた彼には、マネ以上のダンピールの力を持っているということか。

「ダンピールだと? ふざけるな! 僕は人間だ!」

「ならばこれを見るがいい!」

 シロガネは指差す。

 彼が指差す先には、人が倒れている。先ほどリリーが見た人体実験を受けた遺体だ。その口には鋭利な犬歯が生えている。

「……ただの吸血鬼じゃないか」

「こやつらはヴァルロイヤル家に無理矢理吸血鬼にされた人間だ。証拠もある」

 シロガネは懐から何やら記帳を取り出すと、一つ一つ目を通しながら述べる。その記帳には、彼らが元人間で、吸血鬼にされるまでの課程が書かれているのか。

「ようこそ、吸血鬼の世界へ。キサマの憎んだ者たちへの同胞となったわけだ。歓迎してやらんこともないぞ?」

「くくく……。歓迎だと?」

 なんとも形容できぬ顔で笑うレスファンは、曲刀をシロガネに向けて振り下ろした。

 対してシロガネは鞘から刀を少し覗かせて受け止める。

「僕は対魔師だ! 僕は吸血衝動に駆られていない! 僕は吸血鬼どもをぶっ殺す力を得た人間だ! ヴァルロイヤル家の力は本物だァ!」

「バカな。ヴァルロイヤル家はキサマをダンピールにしたのだぞ? おまけに、キサマの嫌う吸血鬼で、弱者たちを人体実験に使う畜生だ! それをキサマは守るというのか!?」

「ごちゃごちゃとうるさいぞ! お前たちは黙って殺されればいいのだ!」

 金切り声を挙げ、狂ったように曲刀を何度も何度もシロガネの刀に打ち付けるレスファン。

 そして、シロガネが剣を受け止めるのに必死になっている間、左手の銃口が確実にシロガネに向いていた。

――危ない!

 そうリリーが思ったときにはすでに動き出していた。

「シロガネッ!」

 リリーは飛びつくようにシロガネにタックルする。

「うぐっ!」

 勢い余って、シロガネの脇腹にぶつかり、彼は呻き声を挙げた。

「キサマ……! なんのつもりだ!」

「今、ケンカしてる時じゃないでしょ! ほら、レスファンが今にも殺してきそうだわ!」

 レスファンが撃鉄を起こし、寝転ぶリリーとシロガネに向けて容赦なく発砲してくる。

 リリーとシロガネは飛び起きてそれぞれ反対方向に逃げ、シロガネだけがレスファンに迫る。

「キサマが我らの邪魔をするならば、活人の下、斬るもやむなし」

 シロガネの居合いがレスファンへ迫る。

 レスファンの弾丸をも躱し、その隙を突いて居合い――をしない。

 間合いを取ったシロガネは柄には手を添えたまま、抜刀することはなかった。

「シロガネ! 抜かないの!?」

「ウウム……。これは勝てぬな」

「どういうこと?」

「オレの刀ではレスファンを斬れぬ。身体も痛む。ハッキリ言って負け戦だな」

「どうして諦めムードなのよ」

「戦況を冷静に述べているのみだ」

 レスファンは無表情にローディングゲートを開いて、弾をリロードしている。だが、余裕たっぷりなのか、曲刀を納刀し、しかも視線を完全に拳銃に落としている。

「見てみろ。『斬れるものなら斬ってみろ』と言いたげではないか。さっきも、オレが手を出していたら、躱さずにそのままオレがやられていただろう」

「せめて私が活人姫モードであれば……」

「ウウム……。ここは逃げるのが正解か?」

 悠長なリロードが終わった後、レスファンは回転式弾倉を回転させ、シロガネたちに向けた。

「逃がすわけないだろう。君たちはここで死ぬ運命さ」

 シロガネはリリーに近づくと、前に立って自ら壁となる。

「……キサマは我らヴェルモンド家にケンカを売ってきていることは知っている。我らのボスを暴走させたのも知っている」

「だから、僕に復讐するのかい? 君たちの大好きな活人って奴でさ!」

「復讐は活人ではあらず。活人は殺すことではなく、生かすためにあり。キサマを斬ることで幾万の命が救えるとは思えぬ」

「ほう?」

「今、キサマを相手に刀を振るうのは、リリーを逃がすためで十分」

 シロガネは居を座して、鞘を構える。

 しかし、このままシロガネとレスファンが戦っても、シロガネの刀が通じない以上、勝つことはできないのは、明白だ。

 それ以上に、

「シロガネ、活人なら、彼を救えないの?」

「……なんだと?」

「お父様を斬ったのは、暴走するお父様を救うためだった。なら、相手を救う活人が出来るんじゃないの?」

「バカな。活人は一の命で万人が救われる思想。殺し合いをする相手を助けるだと? そんなバカげた発言――」

「バカげた発言なんかじゃないわ! 彼は吸血鬼を殺すことに縛られて周りが見えなくなっている! そんな闇の中から救ってこそ活人でしょ!」

「キサマは、どこまで活人を超越しようと――」

「ごちゃごちゃうるさいぞ! 何が僕を救うだ! 僕を救うなら、その刃物で自分の首を刎ねてみせろ! 吸血鬼が死んでこそ、僕は救われるのだ!」

 ドンッ! ドンッ! と火薬が炸裂する音が鳴り響き、シロガネが飛び、リリーは這うように逃げる。

 これほど騒いでなぜ、守衛たちが来ない。そのことが不思議だったが、そういえばシロガネがほとんど倒していたような……。

「とにかく、キサマのやるべきことは逃げることだ! 今のキサマには逃げることしか出来ぬ!」

「嫌よ、私には選択する自由があるの……!」

「分かるだろ!? 今のキサマには悪人を成敗する力がない! 相手を救うなど、戯れ言を言えるほど自由は存在せぬ!」

「いいえ。誰かを助けたいという思いを抱くのも自由よ!」

 シロガネはなお、居合いで剣と銃を操るレスファンと戦っている。

 リリーがワガママを言えば、彼の邪魔になるだろうか。

 いや、違う。

 これはワガママではない。リリーの見つけた、覚悟なのだ。

「キサマは知っているハズだ! 自由は不自由の裏返しだと! 自由には代償がいると! キサマにその言葉の意味が分かるか!?」

「分かっているわよ。もう、分かっている」

「なら、答えてみせろッ!」

「何かをするには、なんだって自由よ。その代わり、自由にはいつだって対価がいる。その対価が時に不自由を呼ぶ。その対価がなければ理想は叶わない。だから、私はお父様への活人の対価として、支払ったのは涙。今度支払う対価は――覚悟」

 リリーの答えに、シロガネは満足したというよりもやや不服げだった。

 けれども、彼は否定の言葉を続けない。

「プリンセス・カルミア。あなたはヴァルロイヤルと、彼らに与するレスファンを許さないでしょう」

 そんな言葉を漏らせば、リリーに刻まれた記憶のプリンセス・カルミアが姿を現す。

『当たり前だ! あいつらには活人鬼たちが苦渋を飲まされてきた! だから、殺せ! 力が足りないなら、私が君の血を暴走させてやる!』

「ごめんなさい。私はあなたを助けるとは言ったけど、あなたの代わりに復讐をするとは言ってないわ」

『どうして……! 君までもが私を裏切るのかッ!』

「初代活人姫様。リリーヴェルは、あなたに捧げる覚悟と謝罪と救いとして、痛みを止めることを誓います」

『! ……それが……シロガネの問う、自由への代償、かい?』

「はい。私は、痛みを受け止め、相手を殺さない。復讐と憎しみ、弱者たちの虐げられた痛みを止めることを誓います。代償として、私は、時間を捧げ、父を殺された痛みを受け止め、屋敷の当主として責任ある行動を誓います」

『痛みを止めるために、痛みを受け止めると言うのか? 皆の自由のために自分自身の自由をも捨てるというのか?』

「殺されるかもしれない。それでも、私は活人姫として、殺し合いをするのではなく、弱者も、狂った貴族も、吸血鬼も対魔師も活人鬼も。みんなみーんなひっくるめて、助けたい」

 頭の中にいるプリンセス・カルミアは肩をすくめた。

『呆れた。心底呆れた。怒りも湧いてこない。もう、好きにしなよ』

「ええ。そうさせて貰うわ」

 リリーは帯ヒモを解いて、父の遺した刀、ホワイトリリーを握りしめる。

 だが、刀は抜かない。鞘にしまったままのそれを、リリーは柄を両手で持ち、納刀された切っ先を天に向けて胸の前に構えた。

 それは、祈り。吸血鬼――の改造種である活人鬼――が十字架をわざわざ作り、祈りを行うのはおかしなことだろうか。

 しかし、リリーは祈る。

「見ていてください、お父様。そして、どうかお力をお貸しください。今までの活人鬼たちができなかった、相手を殺さずに救うという新たな活人。それは斬り殺すよりも難しいことでしょう。それはブレゲ・アームストロングのような、人の話を聞かない男には通じないでしょう。けれども、私は救う。全てを救う。敵も味方もない。だから、どうか、お力を。お父様」

 祈りの中でシロガネはリリーの側にやって来た。

「ならば、オレもキサマの理想に答えてやる。ただし、オレにとって殺しは救いに違いはあるまい」

「私の無茶な理想に付き合う必要はないわよ?」

「なに。キサマがバカなことをやると言うのであれば、バカに付き合ってやるのがオレの勤めだからな」

「ありがとう、シロガネ」

「キサマなら……我々の矛盾と呪いを解き放てる……弱者を真の意味で救える存在かもしれぬ。オレも賭けたいのだ」

「任せなさい。配当金、数千倍で返してあげる」

 リリーは刀を抜かず、鞘に納刀したままレスファンと向かいあう。

 ちろりと舌で歯を撫でるとチクリと痛む。

 だが、それは活人鬼特有の悪人センサーによるものではない……のかもしれない。あるいは、活人鬼たちは自らの心の内にたまったカルマが暴走を引き起こすように、リリー自体の全てを救うという無茶な考えがカルマとなって暴走をしているのかもしれない。

 だが、これでリリーは戦える。

「私の活人は自由よ! 復讐に囚われたあなたの心を解き放つわ! 私は全ての人を救うの!」

 今までの活人鬼たちが出来なかった、殺しを行う相手を救うことで、万人を救う。

 殺しをせず、それでいて全てを救うことなど不可能にも近い。なにせ、相手を殺さなければ、悪事を繰り返すどうしようもない人間がいる。法の力でも、金の力で無理矢理ねじ曲げる輩がいる。そんな連中を相手に、殺さずに、しかも生かす。

 自分が無茶を言っているのは分かっている。

 けれども、リリーは覚悟を決めたのだ。

 どんな無茶でもリリーには、その無茶を行う自由がある。

 自由のために、己の全てを捧げてもいい。

 それがリリーの覚悟。

「復讐に囚われた僕の心だと? ははは! これは誰がどう見ても正義じゃないか! 僕には怒りだけじゃない! 国民たちを守る偉大な仕事なのさ!」

 リリーに向けて曲刀を振り回すレスファン。

「人を怪物へと変えるような不気味な組織が正義なわけないじゃない!」

 リリーは一歩一歩、確実に後退しながら刃を躱していく。

 剣による一方的な展開。しかし、活人姫モードのリリーには掠りもしない。

 焦るレスファンは拳銃を構えてリリーに発砲する。

「今、人間であるオレを殺そうとしている時点で正義もクソもあるかッ!」

 リリーが腰を逸らし、眼前には銀の弾丸と、玉鋼の刃が交差する。

 シロガネの居合いはレスファンの顔面に一撃を加え、爽快なほどの速度で吹き飛ばし、塀に激突させる。

「黙れ! 吸血鬼に与する時点でお前も吸血鬼だッ!」

 何度も、何度も。撃鉄を起こしては倒す。高速の銃弾をジグザグと走り回りながらシロガネは躱していき、六発目の弾丸には背面跳びを披露する。

「キサマも吸血鬼に与しているではないかッ!」

 シロガネは宙で刀を抜くと一閃。レスファンの頭上を通り超しながら後頭部に一撃を加える。

 よろけたレスファンにリリーが鳩尾にアッパーカットを加えて、空高く吹っ飛ばす。

「だから……だからどうしたッ! お前たちが悪に違いないッ!」

 レスファンは拳銃をリリーたちに構えるが、何度も撃鉄をカチカチ言わせるのみ。弾切れを起こした上に、先ほどまでのダンピールの能力による余裕がなくなっているのだろう。

 シロガネも、活人姫モードとなったリリーも、レスファンを自由に行動させはしない。その銀の弾丸を込めさせる隙を一切与えるつもりはない。

「お前たち悪人は絶対に殺す! 殺す! そして、この世界から消し去ってやる! 人間様が偉いことを思い出させてやる!」

 レスファンが……宙に留まった。

「嘘!? どういうこと!?」

 シロガネも答えが分からずに、戸惑っているようだ。シロガネの知らない知識、というわけか。

「殺す殺す! お前たちは皆殺しだ! うおおおおおおおおッッッ!!!」

 レスファンが雄叫びを空で挙げると、対魔師の象徴であるローブが破れる。

 レスファンの身体よりも一回り大きくて黒いそれは、何度も何度も忙しなく動く。

「コウモリの……羽根?」

「吸血鬼の変身能力か!? バカな! ダンピールが変身など出来るわけないッ!」

 何度も何度も“暴走”という言葉は聞いてきた。マネは吸血衝動に駆られて吸血鬼に変身したし、父、ブラムも自らのカルマで暴走を起こした。

 けれども、レスファンの変身は、半端な存在や変異種のそれとは違う、シルエットそのものが変わってしまっていた。

「レスファン! そんな姿になってまで、吸血鬼とは違うと言うの!?」

「吸血鬼だろうがそんなことはもう関係ない! お前達さえ殺せれば、それで構わないッ!」

「レスファン。あなたがそんなことをして救われるの?」

「エイフェンドの民達は救われるッ!」

「あなたは……救われるの?」

「救われるッ!」

「そう」

 また、レスファンの悠長なリロードが始まる。空にいるからの余裕だろう。

 リリーも本場の吸血鬼たちのように変身する力があれば、空を飛んだだろうか。熱気球も使わずに空を飛ぶというのは気持ちが良いものだろう。少なくとも戦いの場でなければ、そんな悠長なことを言っていられたのに。

「キサマの言う、殺し合いをする相手を救うとの発言。本気ならば、見てみろ。ヤツはあそこまで我らを憎んでいる。戦場で甘いことを言っていれば死ぬぞ」

「なら、やめろって言うの?」

「いや。昔懐かしい話だが。お前の父親も殺しをしようとした相手を救っていたことを、今思い出した」

「あなたの話?」

「ああ。あの方は、生きるために人を殺す子供に対して、手を差し伸べた。おかしかろう。殺そうとしていた相手を、よりにもよって家族にするとは」

「ええ。とても。でもお父様のお話を聞いていたら、相手を救うことが出来るって思えてきたじゃない。どうしてくれるのよ」

「言おうが言わまいが、キサマのやることはどうせ変わらん。バカやるなら付き合ってやる」

 空から銃弾が降ってくる。シロガネとリリーは息を合わせて躱していく。

 時に、リリーがシロガネの頭を押してお辞儀をさせて弾丸を躱し、またある時にはシロガネがリリーの手を掴んで、ダンスのようにリードとターンをして弾丸を躱す。

「しつこいなッ!」

 最後には羽ばたきを伴い、レスファンは空から突っ込んできた。

 古来より、戦場いくさばにおいて、騎馬兵と歩兵とでは騎馬兵が勝つと相場が決まっている。創作の上での戦場しか知らないが、それでも歩兵の剣は騎馬兵の身体を貫くことはない。だから、歩兵は――かわいそうだが――馬の足を狙う。

 だからなのか、シロガネが居合いの姿勢をとった際に、リリーはどこを狙っているか分かってしまった。

(斬るのね、レスファンを)

 言葉が通じなくなった彼を深淵の縁から救い出すには、彼と対話しなくてはいけない。もうヴァルロイヤルが仇敵である吸血鬼だ、だとか。そんな論理など今更通用しない相手を救うには……黙らせるしかない。

 リリーはこの短い期間に活人鬼たちの世界を見てきた。

 死と救いの世界を。

 リリー自身も知りたいと願ってきた。

 そして、殺しで救えると学んだ。

 そして、殺さずで誰かを助けられるのじゃないかと考えた。

 そして、一つの殺しで万人を救うという考えを粉々にするのは――レスファンの復讐。

 活人剣が、どれほど一の命で万人を救う考えだとしても、ブラムはその先……レスファンが復讐でより多くの命を奪うことに繋がるという考えが抜け落ちていたのかもしれない。

 だから、リリーがやるべきことは――

「戦う相手を、救うわ!」

 東の国が誇る活人の思想が、一殺多生であるのならば。リリーにとっての活人は、無殺全生。

「抜かせず、掴ませず――」

 シロガネが居合いの時にいつも言っている言葉を口にしながら、彼は……言の葉を続けた。

「殺さずに、斬る!」

 シロガネとレスファンが交差する。その瞬きする間も許さぬ一瞬の刻。

 シロガネが納刀すると同時に、レスファンの翼が根元から切れた。背中から血が噴水のように噴き出す。

「くそッ! 吸血鬼如きにッ! 歪な吸血鬼のクセにッ! 歪な奴らに協力している奴のクセにッ!」

 レスファンはまだ立ち止まらない。

 納刀したシロガネの背に向かって飛びかかった。

「勘違いしないで。私たちは活人鬼。この世にいる悲しい思いをしている人たちを救うの。あなたも含めて、救うの」

 リリーは刀を構える。父の遺したホワイトリリー。

 ホワイトリリーの花言葉は……純潔。

 活人との矛盾。殺しが救い。どんな言葉を頭の中で反芻しながら、父は己の中の罪と向き合っていたのだろう。どんな復讐心を抱いて、プリンセス・カルミアは活人という思想を大事にしたのだろう。

 シロガネは多くの弱者や、恩のあるブラムのために、誰かを常に殺してきた。

 それぞれが痛みや矛盾を抱えながら、己の中のカルマと向き合ってきた。

 だから、リリーも相手と向き合うという行為に目を背けない。

 駆け出すと同時に、刀を抜く。

「活人鬼ィィィ!!!」

「もう、誰も憎む必要は、ないから」

 レスファンの曲刀に、リリーは居合いを浴びせた。

 高速を、音速を超えた一撃は、曲刀を砕く。

「リリー! 止めるぞ!」

「ええ! 痛みも殺しも、全部止めるの!」

 シロガネの言葉に合わせて、リリーは左足を軸足に刀を回転させる。

 二つのハリケーン。

 強烈な二振りの一撃は交差し、レスファンを吹き飛ばした。

 そう、二つの峰打ちで。

「くっそ……! どうして、どうして!」

 レスファンは……そのまま地に倒れたまま空を見上げていた。


 戦いが終わり、シロガネとリリーは納刀する。

「ウム。あの一撃ならば、峰打ちと言えども常人は死ぬな」

「でも刃で攻撃したらレスファンは死ぬわよ?」

「今度、キサマに不殺での峰打ちを教えてやる。その過程でキサマを斬ってしまうかもしれんがな」

「そんな危ない講義、けっこうよ」

 リリーはレスファンの隣に座る。ドレスが土で汚れようと構わない。

 レスファンは空を見上げながら、リリーとは目を合わせようとしなかった。

「僕をどうするつもりだ?」

「ヴェルモンド家に連れて行くわ。あなたを治療して、吸血鬼から元に戻さないと」

「僕は……吸血鬼なんかじゃない!」

「空まで飛んでおいて、まだそんなことを言う気?」

「当たり前だ。ヴァルロイヤル家は僕に力をくれた! 僕は吸血鬼たちを殺すための部隊も、力も……」

「それが、あなたにとっての誰かを救うための行動なら、それでいいわ」

 シロガネが「リリー」と一言呟く。

 きっと、どうせ、その後に続く言葉は、「そんなことを言ってどうするつもりだ?」だろう。

 だが、リリーは否定しない。

「あなたにとって、吸血鬼や活人鬼たちは世界を脅かす怪物たちで、彼らを殺すことで国民たちを救えるんでしょ?」

「ああ、その通りだ。だからお前たちみたいな化け物を殺そうと……」

「だから、あなたは自分自身が憎い怪物になっても、それでも戦おうとした。私たち活人鬼たちと同じように、殺しで世界を救おうとした」

「……仲間だとでも言いたいのかい? 同じ怪物仲間と」

「あなたを否定することは、私たちの存在を否定することになるもの。だから、私はあなたを否定しない。私の活人は、自由よ。みんなが自由に生きられますように」

 シロガネは、ああ、そういうことか、と理解してくれたように頷いた。

「レスファン。キサマが我らを憎むのは至極当然。しかし、復讐は連鎖する。キサマのせいで、我らは主を失った」

「くくく。ざまーみろ」

「……だが、キサマの復讐は、両親を我らによって殺された至極当然のものである。前当主であれば、キサマとヴァルロイヤル家は、弱者を人体実験に使う極悪非道の連中として斬り捨てるところであるが……現当主は、どうにもそれでは復讐が連鎖すると考えているようだ」

「だから、僕を殺さないと?」

「不殺では悪は世間を蝕む。そうなれば、活人鬼たちは正気でいられない。だから、我ら活人鬼たちは殺しを必要な正義として実行してきた。しかし、この新当主は、不殺という極めて難しい世直しで、世界を変えようとしている。ならば、見守るのが従者の仕事」

「く、くくく……。怪物は、殺さなければ、世界からは消えない……!」

「…………」

 レスファンは……そのまま眠るように倒れてしまった。

 リリーは首元を触れ、脈を調べる。

「生きてる……わね」

「……こやつも連れて行くのだろう。キサマの方便を借りるのであれば、人間に戻して救う……か?」

「ええ。そして、私たちと一緒に活人をしてもらうわ」

「なんだと? 正気か?」

「私はいたって正気よ。だって、彼、復讐のためと言っても、人々のためにも戦っているんだってことも忘れてなかったわ」

「……活人」

「ええ。だから、きっといつか一緒に戦って貰うわ」

「なら、やるだけやってみろ。キサマを止めはせん」

「ありがとう、シロガネ」

 空を見上げる。

 早くしなければ、陽の光が昇りそうだった。


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