第十章 活人姫(前編)
夜の鉄の街にその屋敷はある。ヴァルロイヤル家。それは吸血鬼の中でもとりわけ歴史的名前のある一家。
リリーもその屋敷の大きさに、圧倒されたものだ。なぜなら、自分たちの屋敷が小さいと感じるほど、大きくて、広かったのだから。
その大きさにも圧倒されるが、その明るさにも圧倒された。これほどの規模の屋敷を、余すところなく明るく光らせるには、かなりの瓦斯が必要になるだろう。
屋敷に着いてからのシロガネの行動は早かった。守衛を鞘の一撃で沈めると、軽快な動きで屋敷の中へと侵入する。
屋敷に侵入してからというもの、シロガネは一切の物音を出さず、敵の位置が頭の中に入っているように、曲がり角に隠れながら投げ飛ばし、鞘で殴る。
「シロガネ。こっちよ。こっちに地下室への隠し扉があるわ」
リリーも役に立たないわけにはいかない。リリーはプリンセス・カルミアから貰った記憶を頼りに屋敷を歩く。
知っている。覚えている。この心と記憶に刻まれた痛みが、ヴァルロイヤル家によってもたらされたものだと。あの苦しくて、恐ろしい数々の人体実験を行っていた場所に確実に近づいている。頭の中で、プリンセス・カルミアがメスを通され、薬品を投入され、痛みで苦しむ声が響く。
けれども、リリーは耳を塞ごうとしなかった。その苦しいほど痛ましい思い出を、消したり逃げたりしない。もう、記憶を失って、逃げたくはないという思いがあったから。
リリーはとある一室に侵入すると、その中にある本が入っていない本棚を動かせば、裏側には階段が広がる。リリーはすでに牙と爪が伸びていた。そして、五感が鋭くなっているのか、薬品のニオイがリリーの鼻を突き上げる。
この先には、プリンセス・カルミアが人体実験を受けた研究所がある。
リリーは重くなった足を意にも介さず階段を降りていく。
階下には、数々の薬品が立ち並んでいた。壁にも床にも、長い歴史と痛みを象徴するように、黒い血が染みこんでいる。
リリーは部屋の真ん中に安置されているガラスの中に浮いた人々に近づく。
「シロガネ」
「ウム。今出そう」
シロガネが刀を構えると、ガラスが切り裂かれる。液体の中から出てきた人の首をリリーが触れて、生きているかどうかを確かめる。
息は……止まっていた。
「…………」
「リリー。彼らを助けるのであろう。であれば、ここから出してやることが救いとなるだろう」
「うん。そうね」
リリーは遺体をよく観察する。牙や爪の生えた吸血鬼。それから普通の人間もいるようだ。
「ここにいる連中は、対魔師によって討伐されたと言われていた吸血鬼に……それから、行方不明になったと……オレがかつての仲間内から聞いたヤツもいるな……」
つまり、家なき弱き者と吸血鬼たちは、ここで実験材料にされていたわけか。
リリーはヴァルロイヤル家を許せなかった。ここで、多くの人たちが酷い目に遭い、改造され、終わりのない悪夢を見せられていたわけか。
彼らは自由を奪われ、その命を最期まで終わることのない実験の材料にされて……。記憶の中にある、彼女の……プリンセス・カルミアが活人鬼にされるまでの記憶が、次から次へと蘇っていく。そして、まだ、この痛みは終わっていないのだと、彼女が語りかけてくるようだった。
この痛みを止める……この恐ろしい実験を止める。それが、リリーが当主としての、初めての仕事なのだ。




