巡る血の運命(後編)
リリーが目を覚ました時、シロガネとシラユリがリリーの顔を覗き込んでいた。
「わわっ!? お母様!? シロガネ!?」
「目を覚ましましたわね」
「はい。医者はいらぬようです」
母とシロガネは好き勝手話しているが、なんのことだろうか。
「リリー。キサマ、笑ったり泣いたり大忙しだったが、覚えているか?」
「覚えているわけないじゃない」
「……とにかく、医者は無駄になったわけだ。なんの医者かと? 頭の医者だ!」
誰も聞いていない。
「とりあえず、何ごともなさそうで母は安心しましたわ」
「お母様。安心するのはいいけれど、隣にいる口の悪い従者を叱ってくださらないかしら」
「シロガネ。頭の医者には念のために診てもらった方が良くなくて?」
「はい。バカにつける薬があるかもしれません」
「なら、聞くだけ聞いてみましょうか」
――お母様までヒドイ!
リリーは家族からイジメを受けているようだ。とりあえず、リリーは天蓋付きのベットから降りると、シロガネの背中を押して部屋から追い出そうとする。男が居ては着替えなんてできない。
「待て。部屋から出る前に聞きたい。ヴァルロイヤル家が対魔師協会と繋がっているとはどういうことだ?」
「どうしてそれを?」
「キサマが寝言で言っていたではないか」
「なら後で教えてあげる」
「今、教えるのだ」
「今、寝起き姿で、寝間着なのよ!」
リリーはシロガネを部屋から追い出して、扉を力の限りバンッと閉めた。
改めてリリーは医者――案の定、頭のだった――を帰して、白いドレスを着て、父の執務室だった部屋に、シロガネとシラユリと一緒に集まった。
「夢の中でプリンセス・カルミアと会ったわ」
「そうか。頭の医者を帰したのは不正解だったな」
「そればっかりね……よく聞いて。プリンセス・カルミアは人の手によって改造された吸血鬼だったのよ」
「なんだと……!? バカな、人の手で?」
こればかりはシロガネもシラユリも、とても信じられないと言いたげだった。
しかし、妄言と呼ぶにはとてもではないが、あまりにも内容がぶっ飛び過ぎていて、帰って真実味がありそうだ……と思う。
リリーだって、作り話だとしたら、とてもではないが二、三日考えた程度で言えるような内容ではないと考えている。
「で、その話が仮に本当だとしてだ。そのプリンセス・カルミアが現れて、寝言で言っていた対魔師協会とヴァルロイヤル家が繋がっているという話とどう繋がるのだ?」
「プリンセス・カルミアを活人鬼にしたのは、ヴァルロイヤル家。カルミア、対魔師協会、ヴァルロイヤル家は繋がっているの」
「そんなバカな! ヴァルロイヤル家は吸血鬼の一族だ。それも由緒正しい、歴史的にも名のある一族が、なぜ敵である対魔師協会を運営する!」
シロガネの疑問を代わりに答えたのは……シラユリだった。
「吸血鬼だから、対魔師協会を運営した……そうは考えられませんか?」
「シラユリ様! それは、どういう?」
「吸血鬼を実験材料にしたいなら、身内を売ればいいだけですもの」
「ああッ!? 一般人では……吸血鬼を捉えることなど、見つける段階から容易ではない……!」
「そうですわね……。世間一般的には『吸血鬼なんて、存在しない』が常識ですから。……吸血鬼の吸血鬼ハンター。言い得て妙ですわね」
リリーの寝言を、この二人はどこまで聞いたのだろうか。
ヴァルロイヤル家はともかく、吸血鬼が身内を売る組織として対魔師協会を運営している……かもしれない。
二人はそう考えているようだ。
「リリー。良く聞け。情報屋が噂している話だが、対魔師協会は非合法な人体実験を行っているらしい」
「ってことは、もしかしたら私の話を信じてくれるってことかしら」
「知らぬ。たまたま偶然だろ」
「たまたま偶然で、人体実験の話、私がするかしら?」
「フッ。キサマの話が真実だろうが、根拠がなかろうが構わぬ」
「失礼ね。だから、本当にプリンセス・カルミアが言っていたの。というよりも、私はプリンセス・カルミアの記憶を持っているの。だから本当よ」
「それはどうでも構わぬ」
「ムキィー!」
リリーは腕を振り回してシロガネをぽこぽこと叩いてみるが、彼は全く相手をしてくれない。
それどころか、刀を構えてきたので、リリーは大人しく座ることしかできない。
「対魔師協会には吸血鬼も、活人鬼も一杯喰わされてきた。オレたちヴェルモンド家も、ファミリーのボスを暴走させるなりふり構わぬ実力行使に出た。……そろそろ数百倍にしてお礼をせねばな」
「プリンセス・カルミアが受けた痛みの分もお願いね」
シロガネは事実かどうかもロクに確かめるつもりはなく、やる気のようだ。だが、シラユリはなんとも言えない険しい表情をしている。
「証拠もなしにどうするつもりですの? それにわたくしたちは活人鬼。証拠なき暗殺はただの救いようのない殺人ですわ」
「お母様、聞いて。これは活人なの。今も昔も吸血鬼たちも、活人鬼たちも、対魔師協会に虐げられているの」
「……でも、復讐の念に駆られては、活人とは言えませんわ」
「復讐じゃない。人間も、吸血鬼も、活人鬼も、みんな全員まとめて助けるの」
「やっぱり、あなたは対魔師を相手に戦おうと言うのですね、リリー」
そして、シラユリはみるみるうちに鬼のような形相へと変わっていく。
ソファーから立ち上がり、ついには仁王立ちまで始めた。今にも、「危険を冒すと言うのなら、まずこの母を倒してから行きなさい!」と言わんばかりに。
「危険を冒すと言うのなら、まずこの母を倒してから行きなさい!」
ほら、言った。
「シラユリ様は、リリーが危険を冒すのは反対なのですか?」
「当たり前です! 活人鬼として仕事をしなければ、我々は暴走してしまうとは言え、危険を冒す必要性はまるでありません! なんのためにシロガネ……あなたがいると思うのですか!」
「オレが暗殺すれば、活人鬼たちが悪意ある人間と接触する……危険な真似をしなくて済む。確かにその通りです」
「……シロガネ。あなたまで、わたくしの……母の願いを無視するのですか?」
「申し訳ありませぬ。オレにはこの活人鬼……いや、活人姫は止められません。こやつは……活人鬼としても、人間としても、もはや異様過ぎる」
それは褒めているのだろうか。
褒めてはいるのだろうが、どうして眉間に皺を寄せて言うのか。そんな言い方をすれば、生ゴミの臭いで顔をしかめているのと変わりあるまいと言うのに。
「ああ、たしかに不快だ」
「私、何も言ってないわよ」
シラユリは首を振った。生ゴミ云々とたしかに言ったと。
「キサマは明らかに異様だ。ヴェルモンドが東の国から学んだ活人の思想を、遙かに超越しようとしている。オレが子供の頃から毎日精進していたものを、キサマはこの短い期間で、自らのものにし……そして、何かを超越しようとしている。もはや、人間でも、吸血鬼でも活人鬼でもない。それらを超越した存在」
「すなわち、神?」
「キサマのバカはブレゲ・アームストロングに影響されたせいか?」
それは違うと願いたい。
「とにかく、そういうことです、シラユリ様。今のあなたがリリーを止められるとすれば、子供たちが決して死なぬよう、傷つかぬようにと願いの言葉を述べるのみ。活人鬼として止めることは……もはやどのような理論を持っても、リリーはそれを容易く越えていくでしょう」
「わたくしは……あなたたちを失いたくなく……」
「それはオレもリリーもです。オレたちは家族を、これ以上、殺させやしません。これは活人です。必要なことなのです。だから……どうか、もう少しだけ、ご辛抱を。母上」
「う……うう……」
シラユリは小さな嗚咽を、小さな両手で隠した。
「リリー」
「ええ」
リリーとシロガネは、父の執務室から一言も母と交わすことなく出る。
きっと、母は危険を冒すことを必要だと分かっていても、止めようとするだろう。どれだけ、自分たちが暴走する運命だとはいえ、それを覚悟しているとはいえ。
大事な人を失うのは……覚悟していても嫌に決まっている。
それが、どれだけ気丈に振る舞っても、覚悟していても、隠していても、自分の本当の気持ちには抗えない。
「お母様……」
「リリー。どうせキサマは止めても、止まらぬだろうから先に言っておく。キサマかオレが死ねば、シラユリ様は自らを憎み、暴走を起こすだろう」
「それで……あなたは活人を止めるの?」
「止めるわけなかろう」
「なら、私の答えも同じよ」
「だから、オレから言えるのは……シラユリ様を悲しませぬようにしろ」
決して死ぬな、死んだら……残された家族は悲しむ。それがどれだけ気丈に振る舞い、覚悟しているとしても。いつ死んでもおかしくないと言われて、覚悟を抱いていても。死すれば、隠している心が傷つく。
ブラムの死だって、母は気丈に振る舞ってはいたが、リリーと同じく、見えないところで涙を流していたことだろう。結局、心がある限り、大切なものを失うことへの喪失感には抗えないのだ。
「ユーナギ。降りてこい」
シロガネが突如として、ユーナギの名を口にし、何かが天井から降りてくる。
「ヴェルモンド雇われの情報屋、ユーナギちゃん登場……」
颯爽と天井から――どうやって張り付いていたかは知らないが――現れたユーナギはどんどん声が尻すぼみに小さくなっていく。
話を聞いていたのだろうか、あまり騒ぎたくないのだろう。
「聞いていたな?」
「もち……行くの?」
「当然だ」
「あたしが行かなくていいの?」
「キサマはシラユリ様を頼む。奴らは……オレたちのボスを殺した。次も卑怯な手を使うかもしれぬ」
「そこは『情報屋として信用できぬ!』って言って欲しかったなぁ。シラユリ様を守るのって、重大な任務じゃん」
「なら、辞退するか?」
「ううん。あたしは殺しをしない。殺しをさせない人間だから。シラユリ様を決して殺させないよ」
「頼む」
ユーナギは痛むであろう身体を押さえながら、執務室の前に黙って立った。
何人たりとも、シラユリを悲しませないように。その表情は、いつもリリーと意味不明な掛け合いをしている時とは違い、真剣味を帯びている。
「ねえ、シロガネ。もう強襲をかけるの?」
「ああ。すぐに真実を確かめ、すぐに成敗するためにも、早めに出た方がいい」
「まだ怪我も完治してないのに……どうしてそんな無茶するの?」
「……今、モタモタしていれば、対魔師協会は我々にちょっかいをかけてくるだろう。それに……人体実験をしているのであれば、吸血鬼だけでなく、人間も被害に遭う。今、動かねば、弱者を救えぬ」
自分を救うことのできない人間に他者を救うことなどできるのだろうか。そんなことを言えば、シロガネが止まる人間だとはリリーは一切考えていない。むしろ、ストリートチルドレンの仲間たちを想えば想うほど、彼を止められない。それが、シロガネの活人であるように感じた。
――だって、父を前に、シロガネは一度たりとも逃げ出すことはしなかったのだから。
きっと、シロガネは一度決めたら、最後まで貫き通すだろう。
「あっとリリー! これだけは持って行って!」
投げつけてきたそれをリリーは受け取った。
シロガネと同じ、鞘に入った刀を。しかもご丁寧に帯ヒモまでついている。
まだら模様のヒモに、色鮮やかな装飾のされた鞘。少し引き抜けば、輝くような照り返しが宝玉の如く心を奪う。
「ユーナギ。これは?」
「ホワイトリリー。東の国で打たれた無銘の刀に、ボスが名付けた……ボスの刀だよ」
ホワイトリリー。すなわち、シラユリ。
母の名と娘の名を持つ、先代当主の大事な刀を、リリーはしっかりと帯ヒモを結んで帯刀した。
「その刀に込められた想い……リリーなら絶対答えられるっしょ! あたしゃー百万枚の金貨を賭ける!」
「なら、期待に応えて、いっぱい買い物しなくちゃ。ね、シロガネ。楽しみにしてるわ」
「……もしかして、その賭け金をオレが支払うと言うのか?」
リリーとユーナギ、二人揃ってうんうん頷くと、シロガネは「やれやれ」と漏らす。
「ささやかな催し物程度なら用意する。それで良いか?」
「うんうん。良き良き。だからぜってぇー帰ってこいよぉ!」
「ムロンだ」
「私も約束するわ」
リリーは勇ましく先頭を歩いて行く。
シロガネは従者としての立場を重んじて、リリーの後を付いてきていた。




