第九章 巡る血の運命(前編)
リリーは気がつけば、怪しげな色をした液体の中で浸かっていた。
(なに? どういうこと?)
確か、昨日は、シロガネから容赦のない、医者に診てもらえと言われてもめた後、少し本を読んで、就寝したハズだ。
『これは私の記憶。私が活人姫となった記憶』
ガラスの向こう側で……プリンセス・カルミアは無表情で周囲を見回していた。
「だから、どういうこと?」
『これは私の記憶の中の世界と言えば、いいかな』
「よく分からないけど……私をここから出しなさい!」
『そうしたいのは山々だが、残念ながら、これは私の意思ではない。私が君に見せたくてこんなイタズラをしているわけじゃない。むしろ……辛いのは私の方だ』
そんなことを笑いながら言う。
『ここは、とある生物研究所さ。何の研究所か分かるかい?」
「……鼠なんかを扱ってる雰囲気じゃないことは分かるわ」
『そう。人間だ。しかもただの人間じゃないぜ。吸血鬼に関わる実験場さ』
リリーは隣のガラスへと視線を向ける。そこには、老若男女問わず、様々な人が浮いていた。
共通点と言えるかは分からないが、皆が痩せこけている。彼ら彼女らが……どうしても水の街の路地裏で見かけた人たちと重なって見えた。
『そう。ここに居るのは皆が、家なき弱者。ストリートチルドレンもいる。君の席が、私の席だった』
「あなたは、ここの実験体?」
『そんな言葉を使うなッ!』
プリンセス・カルミアは牙を生やし、ガラスをドンドンと叩く。
目が血走り、今にも襲われそうな雰囲気だった。
「ごめんなさい。私、配慮が足りなかったわ」
『……私は、記憶を無くした小娘を相手に何を怒っているのやら』
プリンセス・カルミアは牙も、爪も全て元に戻っていた。いつも怪しげな笑みを浮かべていたカルミアが、ようやく本心を見せたような気がした。
「……っていうか、このガラスの中から出して欲しいのだけれども」
『私もこんな夢を見たくない……出せ! 私は、もう二度とこんな場所には……!』
それどころか、プリンセス・カルミアはひどく怯えているようだった。
頭を抱えて、唇を噛みしめて、ぶるぶると震えて。
「プリンセス・カルミア! どうしたの!?」
『ああ、君は記憶を失った! そんな君が憎くてたまらない! 私はお前だ! お前は私だ! なぜ、お前は記憶を!』
ヒドく怯えているプリンセス・カルミアの隣に知らない男たちが立っている。
白衣を着ていて、ペンにインキを染みこませて、何かの用紙を書いていた。
『よぉー、カルミアお嬢様。どうだい? 元気だったかい?』
「はい? 私はプリンセス・カルミアじゃないわ。カルミアはあなたの隣にいるのよ?」
『ははは。そんな恨めしげに睨んでも、何もできないだろ?』
いや、そんな表情をしたつもりはなかったのだが。
「それよりもあなたたち、何者なのよ」
『良い感じに新タイプの吸血鬼へと近づいてきたな』
「ダメね。人の話を聞いてないわ」
リリーは液体の中で浮かびながら頬杖をついた。
ガラスの外側には声は届かないのか。いや、そもそも水の中にいれば、水の外にいる人間に話をすることなど出来ないではないか。だが、ガラスの向こう側にいるプリンセス・カルミアは、リリーの声が聞こえていた。
『そんなに深く考えなくてもいい。ここにいる連中は、私の記憶に従って話しているだけだ。再現と言ってもいい』
「再現……」
『今、君は、失った記憶を取り戻そうとしている』
「私の失った記憶? 子供の頃のことかしら?」
『本来はあり得ない、私自身の記憶だ』
どういうこと? プリンセス・カルミアの記憶?
リリーの疑問を、カルミアは答える。
『君は痛ましい記憶を持って生まれてきた。本来、あり得ない、他者の記憶をもって。そう、先祖である私の記憶を』
「あり得ないわ。だって、人が何を考えているのかも、人の過去なんて見ることなんて出来ないもの」
『人の記憶をコップで例えれば、君はコップの中に水をいっぱい入れて生まれてきた、特別な存在。ただ、その水は……ある日を境に零れ落ちた』
コップには水を注いでいく。この注いだ水が記憶だとして。
リリーは生まれながらにして、他者の記憶を持ったまま生まれてきた?
そんなことはあり得ない。普通の人間であれば。
『何の因果か。君は活人姫として生まれてきた。その時、私の血に刻まれた苦しい記憶を、受け継いだ』
「活人姫なら、あり得るの?」
『それは今から……分かる』
リリーの爪が、突如として伸びる。牙が生え、灼けるような苦しみが襲いかかってくる。
熱い! 痛い! 喉が渇く!
リリーは衝動的に自身の首を鋭利な爪で引っ掻き続け、目の前にいる研究者風の男が……ニヤリと嫌な笑顔を浮かべていた。
『ついに完成したぞ! 新型吸血鬼の完成だ!』
「なんですって……! ま、さか」
プリンセス・カルミアは頷いた。
『吸血鬼だった私が活人鬼となった瞬間だ』
リリーの聞いていた話と違う。
吸血鬼の子供だったプリンセス・カルミアは、陽の光をモノともしない変異種だったと。それは、突如として生まれてきた異様な存在だったと。
『……私は始祖の活人鬼だ。それは、被検体、第一号と言う意味でもある』
そして、とプリンセス・カルミアは続けた。
『活人鬼となった私は、奴らへの強い憎しみを募らせた。それが、呪いとなった』
ガラスが割れる。
研究者の男が怯えた表情に変わり、プリンセス・カルミアは豹変していく。
『怒りだ! 憎しみだ! 奴らを殺せ! 私から自由を奪い、好き勝手に改造し! 私を怪物へと変えたコイツらを殺せッ!』
カルミアは……研究者の男の首を掴み、締め上げ、そして、その鋭利な爪で……貫いた。
『これが、活人鬼たちの呪いの真実。生まれてきた子供たちは悪意に弱い。悪意が世に充満したり、悪意ある人間と接触したりしていれば、やがては私の強い憎しみが作用して、暴走へと繋げる。そうだ、こんな呪いをかけた、あいつらが許せない! 殺す! よくも私たちを、化け物にしたな! 許さないッ! 殺してやるッ!』
カルミアは……ボロボロと子供のように泣き叫んだかと思うと、今度は地面に頭をぶつけ続ける。
ガンガンと。何度も何度も狂ったように。そして、痛いほど強い憎しみと後悔を……リリーは確かに感じた。
「カルミア。今、あなたの痛みを思い出したわ。あなたの記憶を。断片的にだけど」
『なら分かるか! どうして、どうして私には自由がない! 私じゃなくても良かったはずだ! あいつらが憎い! 殺せ! 殺したいダロ! コロシテ、クレ』
目を血走らせ、怪物の本性を現していくカルミアに、リリーはかける言葉なんて、思いつかない。
けれども、痛みを抱えた彼女を、リリーは抱きかかえた。
「もういいの。もう、終わったのよ」
『まだ終わってない! 奴らは、この時代でも、時代の影に紛れて生きている! これは、運命だ! 隔世遺伝という説がある! 俗に先祖がえりとも言うが、君は、私と同じ存在として突如生まれてきた! だから、私はお前! お前は私なのだ! 現代に蘇った私は、全てを終わらせる義務がある!』
「終わらせたいの?」
『当たり前だ!』
「じゃあ、あなたを助けるわ」
プリンセス・カルミアは先ほどまでの暴走はどこへやら、ポカンと口を開いたままリリーを見ていた。
「だって、みんなを助けるのが活人だもの」
『死人は助けられないのにかい?』
「死人でも、関係ないわ。助けるって決めたもの。あなたの魂が浮かばれるように。私はみんなを助けるの。活人姫だから」
『……そんなこと、出来るわけがない』
「分からないわ。でも、私はシロガネに助けられた。彼が、私の暴走を止めてくれたのよね?」
『そう、だ。君は、私の記憶を持って生まれてきた。君の両親は、君の暴走をどうすれば良いか分からなかった。だが、シロガネが……あの少年が、君を殺すことで救えると考えたから――』
「私は触発されて、暴走が止まった。シロガネにも、もっとちゃんと礼を言わなくちゃ」
どんどん、記憶が蘇ってくる。失ったはずの記憶。獣のように暴れ回り、人間としての理性を持たなかった過去の自分。そして、シロガネが笑ったと言う、リリーの突然の豹変。
そして、もう一つの記憶が再生されていく。存在しなかったはずの記憶。ただの吸血鬼の少女だったカルミアが、活人鬼となった痛ましくて、黒く塗りつぶされた過去の記憶。
あり得ないハズの、他人の記憶。
「カルミア。だから、もう少しだけ待っていてくれるかしら。あなたの痛みを止めるから」
『私はこの世に存在しない。血液と遺伝子に刻まれた記憶にしか存在できない。お前は……この世に存在しない怪物を救うなんて言うのか?』
「あなたが幻の存在でも、私はあなたを救う。だから、私にドンと任せなさい!」
プリンセス・カルミアは……笑っていた。それも今までのような、人を小馬鹿にし、考えを全く読ませないような、そんな笑い方ではない。純粋に、単純に、それでいて、嬉しくて。
そんな笑顔が、リリーにも伝わってくる。
『君は、すごいな。本当に特別な存在……活人姫なのかもしれない』
「もっと褒めてもいいわよ。だって、始祖の活人姫に褒められて、嬉しいもの」
『調子に乗るな。シロガネに斬られるぞ』
――ううむ、それは困ったわ。
リリーは、鬼のような形相で迫ってくるシロガネを想像して、ぶるっと震えた。
「それで聞かせてくれないかしら。今の時代にも巣くっている悪を」
『ヴァルロイヤル家。それが対魔師協会と繋がって、人体実験、吸血鬼実験をしている』
「ヴァルロイヤル家……最近、どこかで聞いたような」
『葬式の時に来ていた吸血鬼がいるだろ? どうして、幻の私が答えないといけないんだ。しっかりしてくれよ、次期当主』
「あ、あはは……。とにかく、あなたの魂を救うから。もうちょっとだけ待ってて、ね?」
『全く。知らないうちに大きくなって』
「あなた、いくつよ」
そんなことを言えば、笑って返された。
血に濡れた研究所が……光に包まれていく……。




