第八章断章 シロガネ――新たな当主への忠
ブラムの葬儀から翌日。
シロガネは早速、警察組織の本部周辺のパブに来ていた。
そこで一人で食事を摂っていると目の前に男が座った。もちろん、知らない男ではない。
「金は?」
「言い値で出そう。して、電報で問うた内容はいかがか?」
「先に頂ける物を頂こうか」
男は手を差し出し、金を無心する。
この男は警察組織に入り浸っている情報屋だ。金さえ払えば、いかな情報とて手に入る。その代わり、金さえ支払えばどんな情報でも口にするので、ユーナギ以上に優秀で、かつ信用が出来ない。
「旦那の言うとおり、昨日、極刑を言い渡された指名手配犯が獄中から出てきた。脱獄ではなく、別件の容疑で対魔師協会が連れて行きやがった」
「吸血鬼、か」
「なあ、旦那。そいつら、吸血鬼なのか?」
「さてな。世間での認知度通りの存在なのではないか」
「あんな、怪しい協会が吸血鬼だと一言決めつけただけで、獄中の凶悪犯を連れて行った。おかしな話だ。俺から金を出してでも聞いてみたいね」
「貴殿は情報屋だ。自分で調べたらどうだ?」
「生憎、対魔師協会って奴は、ガチで吸血鬼を信じている奴か、金の力を持った者しか内部に踏み込んでいけなくてね。“友達”にはそこまで踏み込めた奴はいない」
友達……情報屋仲間か。
シロガネは昨日のヴェルモンド家襲来はレスファンの仕業とは考えているが、対魔師協会の情報はランクの高い者しか知らない情報も多い。
運営に関しても、シロガネ……引いてはヴェルモンド家や、活人鬼、吸血鬼仲間も調べているが、その詳細も、誰がリーダーで、資金源をどこから得ているのか。その権力をどうして持っているのか、何も分かっていないのが現状だ。
吸血鬼と活人鬼たちは対魔師協会を口々にこう語る。
曰く、対魔師協会は、実体の存在しない組織、言わばゴーストが運営している。
曰く、対魔師協会は、この世界を牛耳る強大な組織が運営している。
曰く、対魔師協会は、全ての種族の頂点に立つ者が運営している。
――人様をやれ怪物だ、やれ吸血鬼だの言っておきながら、怪物はキサマらの方ではないか。
シロガネは愚痴りたい。
「そういえば、旦那。対魔師協会でレスファンが出世したようで」
「聞いている。すでにSランクだとな」
「アレに関しても調べておいたぜ」
「金は?」
「常連へのサービスだ」
「聞かせてくれ」
「レスファンの両親を殺した吸血鬼の名前だが、名をブラム・レ・シェリダン・ヴェルモンド。旦那の主だ」
「ほう?」
「この情報は推測だ。レスファン本人の話、それからヴェルモンド周辺の話。そして、吸血鬼事件の関係者の証言から統合した推測だがな」
「……金は?」
「推測では金は取れねえな」
基本的に情報屋というのは信用できない人種だ。持ってくる情報自体が信用できないユーナギはさておき、金のためならなんだってする。脅迫だって、経験の一つや二つ持っていることだろう。
だからシロガネは警戒を忘れない。本音を言えば、利用したくないのだが、情報が持つ力は計り知れない。
「その吸血鬼ってのは、どうにも異様な男でなー。陽の光に晒されても、レスファン少年が十字架で叩いても一切、効かなかった」
「フム。吸血鬼としては異様だが、普通の人間なのだから、効かなかっただけではないのか?」
「俺が言いてえのは、吸血鬼として異様なのではなく、人間としても異様だとな」
「どのように異様なのか分からぬが?」
「『すまない。君の両親は悪人だ。命を奪ってしまい、申し訳ない。恨んでくれて構わない』。そんな異様な言葉をレスファン少年に向けたそうだ。事実、レスファン少年の両親は、不正な労働先を紹介する業者だった。天誅をしたつもりなんだろ。義賊気取りかねえ?」
「さて。オレには何の話か分からぬ」
シロガネは脅迫を警戒する。
連中は金のためならばなんでもする。金ではなく、誰かの役に立ちたいと周囲に漏らした挙げ句、大した情報を持ってこないユーナギの方がまだ信用できる。
「そういえばお宅の情報屋。最近、対魔師協会にこそこそ探らせて何やってんだい?」
「さて。あそこが運営している組織を暴こうとしてな」
「ははは! あんな落ちこぼれよりも、俺の方がもっと調べられるぜ? 俺ならば、堂々と対魔師に『最近、なにやってんの?』とか、『対魔師協会の運営元や資金源を教えて?』とかアホみたいな調べ方はしないし、対魔師本人から言伝手を預かるような恥ずかしい情報収集はしないんだが?」
「どこ情報だ、それは」
「いや。普通にここで質問してた」
あのダメ情報屋が! どうして上手いこと情報を探れないのだ!
シロガネは怒りに満ちた内心を隠した。
――どこの世界に正々堂々と秘密を教えろと言って、教えてくれるマヌケがいるのだ。そんな情報収集の仕方をしているから、電報代節約のためにパシリをさせられたのであろう。
「そんな旦那に俺の方から良い情報をくれてやる。あくまで噂だから、信用しなくても構わないぜ」
「聞かせてくれ」
「対魔師協会が人体実験をしてるって噂だ」
「……そんな噂、聞いたことがないがな」
「そうか? 相当昔からあるぜ。で、どうだい、俺の噂は。お宅の情報屋よりも、俺の方が優秀だろう。悪いことは言わねえから、俺と長期的に契約しないか?」
「生憎だが、オレたちの情報屋は役に立たぬが、家族だ。家族は信用できても、金でどんなものでも売る人間は信用出来ぬのでな」
「そうかい。残念だ」
男は立ち上がり、何も言わずに去って行く。
対魔師協会。その謎がますます深まる。
対魔師協会は吸血鬼にとっても脅威だが、活人鬼についても、間違いなく何かを掴んでいる。それに、人体実験とはなんだ。なぜ、そのような非合法の実験や、死刑囚の連行までもが許されている。いったい、対魔師協会とは何の集まりなのだ。
「調べなければならぬ、か」
今までも、歴代の吸血鬼たちや活人鬼たちが対魔師協会を調べ回っていたが、ここまでの実力行使に出た以上、シロガネとて今まで以上に本腰を挙げて調べ回らなければいけない。
もちろん、他のヴェルモンド家のファミリー……ユーナギや他の面々とも協力しなければ、次にどのような手を打ってくるか、分かったものではない。
シロガネは、次のターゲットを決めた。
シロガネが屋敷に戻った頃には、どっぷりと日が暮れていた。
屋敷の住民には誰にも告げずに出たことはシロガネにとって、悔いる点ではあるが、伝えるわけにもいかない情報というのはどうしてもある。
「あら、お帰りなさい、シロガネ」
屋敷に戻って、真っ先に顔を合わせたのは、屋敷の主になると意気込んでいるリリーだった。
心なしか、彼女はやつれた表情をしている。
「ウム。少し野暮用でな。キサマとて、どうした。シラユリ様に色々教えられたか、説教されたか?」
「前者よ。お母様ったら、こんな時間までずっっっと当主になるために必要なこと、教えてくるもの」
「生半可な覚悟でなれるモノか。もし、仮に当主になると言うのであれば、ヴェルモンドの未来はキサマにかかることになるのだぞ」
「うう……当主になるのも大変ね……」
気がつけば、いつの間にやら少しずつ成長していた箱入り娘。
シロガネは不思議だった。なぜ、彼女は世間というものを人から聞いた話か、創作物の上でしか知らないのに、中々どうして土壇場に覚悟を持って挑めるのか。
あるいは、いつも自由に願いを持っていて……叶わない願いが、彼女を少しずつ大きな器へと育てていったのかもしれない。
「当主になるなんて言ったから、殺人鬼のような目で睨みつけてくるのはどうにかしてくれないかしら」
「キサマ。今ここで当主の資格がないと、相分かった。ここで斬り捨ててやる」
「な、なんでよ! 何も言ってないわ!」
「思いっきり、口から考えていることが漏れているとなぜ分からぬ!」
この女は。これが瓦斯ならば、屋敷の人間はもれなく全員窒息死しているくらいには、口からいらぬ言葉が吐き出される。
「ちょっと! 刀を抜くのは、一刻だけ、悪に染まる時だけって決めてるんでしょ!」
「……我が主の暴走を止めるために抜くのはゼヒもなし」
「ヒドイ! 暴走なんてしてないわよ!」
などと言いながら刀を抜けば十分だろうか。
シロガネは長い年月を、この次期当主候補(自称)と一緒に暮らしてきたが、シロガネは段々と訳が分からなくなってきた。
この女は――この新しい主は、刀を抜き、シロガネが斬るとチラつかせれば暴走が止まるのではないのか。
「シロガネ? 刀を見つめて、どうしたの?」
「ウム。意味不明なキサマが良く分からぬ」
「……わざわざ貴重な和紙を毎月決まった日に取り寄せる、いつも同じ仕立屋に行って、同じ服を注文して、一バーリーコーンでもずれたら文句ばかり仕立屋に言うあなたの方が意味不明じゃない」
「減らず口を言うのはその口だろうか」
シロガネが睨みつければ、リリーは「滅相もない」と謝った。どちらが主か分からない。
それにシロガネが文句を言った時は、一バーリーコーンの三倍。一インチもずれていたのだ。誰だって、指一本分くらいボタンの位置がずれていたら文句を言うだろう。
ブラム曰く、「シロガネは形から入り過ぎる」と何度言われたことか。形から入らなければ、理解はできまい。
「……また、私。考えていることが声から漏れていたかしら?」
「ウム。それで当主として仕事が出来るかどうか。近いうちに吸血鬼たちが集まる会談……のようなものがあるが……とてもではないが、キサマをヴェルモンド家の代表として紹介出来るかどうか」
「大丈夫よ。私は活人姫だもん。きっと、すごい当主だって認めてくれるわ」
「活人姫? キサマが? あのプリンセス・カルミアと同じ? ついに頭もおかしくなったか」
「何よ! いつもどこかおかしいみたいな言い方して!」
「おかしくなければ、脱走など繰り返さぬ」
そう、いつもおかしいのがリリーという、異様な活人鬼なのだ。
子供の頃はいつも暴走して、シロガネが刀を抜いて止めようとした時から……人間のように大人しくなって。
それからというもの、シロガネは刀をチラつかせ、刀を振り回すことがリリーの暴走を止める行為なのではないか。そう結論づけて、刀を振り回すことが、リリーの暴走が止める行為だと考えていた。
だが、彼女は暴走した。
そして、暴走しながらも理性を維持していた。
シロガネはもう、訳が分からない。結局、シロガネがやっていた行為は、彼女の暴走を止める薬ではなく、ただただ刀で主を殺そうとする危ない人でしかない。
「救うために殺すことが、キサマの暴走を止める行為だと考えていたのだがな」
「シロガネ? 何か言ったかしら」
「……キサマの子供の頃を思い出していた。いつの間にやら、成長して、大きくなって」
「あなた、いくつなのよ……」
シロガネは勝手に結論づけて、リリーに刀を何度振るったか。シロガネの活人の思想が、リリーの暴走を止めていると勝手な想像を抱いて。
「……なんですって? どういうことよ!」
「ム? どうした。オレが何か言ったか?」
「シロガネはちょっと黙ってて。私に刀をチラつかせなければ暴走していた? それってどういう意味よ」
いったい、この主はどこに向かって話をしているのか。
シロガネは辺りを見回してみたが、誰もいない。つまり、リリーは突然、目に見えない何かと話を始めたわけか。
「ついに頭がやられていたわけか。かわいそうに」
「ちょっと笑わないでくれる?」
「オレは笑ってないぞ」
「あなたがじゃないわ。プリンセス・カルミアがよ」
「やはり頭がやられていたわけか。どうしようもないな」
シロガネは近いうちに医者に診せなければと考えた。もちろん、頭のだ。
「シロガネの行動は一切、間違えていない? 殺して、暴走を止めて、私に人を殺させないと誓ったから?」
「キサマはさっきから誰と話しているのだ。これから寒くなると言うのに、瓦斯で室温を上げ過ぎて頭がおかしくなったか?」
「あっ、ちょっと待ちなさいよ! ……なんだったのかしら?」
「それはこっちのセリフだが?」
一体、先ほどから誰と話していたのか。季節外れの虫とでも会話していたのか。
リリーは困ったように、眉を八の字にしている。
「プリンセス・カルミアが言っていたわ。シロガネが子供の頃に私を斬ろうとしていたのは正解ですって」
「何? キサマがいきなり、殺し合いの最中、自己紹介してきたちゃんちゃらおかしいアレか?」
リリーは銀糸を掻き上げて、シロガネから目を逸らす。
「なんか、記憶にないけれど恥ずかしいわ。とにかく、私が暴走が止まったのは、あなたのお陰なんですって。良く分からないけど、礼を言っとけって。ありがとね」
プリンセス・カルミアが言っていた? シロガネの活人の思想が、暴走を止めた?
シロガネは訝しむ。この女はいったい、どうしたというのだ。
「キサマはさっきから何を言っているのだ。プリンセス・カルミアは過去の人間だ。そやつがオレの活人がキサマの暴走を止めただと? なぜそのようなことを言い切れる!」
「知らないわよ。私も、いきなり現れて、いきなり好き勝手言われているんだから」
シロガネは今度は戸惑いが強くなった。シロガネが、リリーの暴走を止められていた。そんなことを、プリンセス・カルミアなる人物が言っているのだと言う。
「でも、シロガネ。安心して。私は他の活人鬼たちと違って暴走することはないの。もしかしたら、暴走しない方法をプリンセス・カルミアから聞き出せるかもしれない」
「もし、仮に暴走をしないとして。活人はどうするつもりだ?」
「え?」
「全面的に禁止か。それも良かろう。所詮、活人と言えども殺人には変わりはあるまいて」
シロガネにはヴェルモンドへの礼がある。力をくれたこと、それから弱者を救う理由をくれたことだ。
だからこそ、それを取り上げられる訳にはいかない。まだまだ、虐げられる弱者は多いのだ。
「ええ。殺しは犯罪よ。誰かを救うためでも」
「なら、いっそのこと全て止めてしまえばいい。活人鬼たちは誰かの悪意にも弱いが、罪を犯した自らの悪意にも弱い」
「止めないわ。殺しで人を救えることを知った。ブレゲ・アームストロングを倒して、私たちは酷いことを平気で行う人を止めて、あの男の犠牲になるであろう未来の人々を救った」
「…………」
「お父様を殺して……自我を失って、大切な人を殺めようとするほどの暴走を止めて。お父様を救ったの。だから、私は、活人を止めない。誰かを救うために、私たち活人鬼がいるの。痛みで何かを解決しようとするのは間違っているとは思うわ。でも、行動で誰かを救えるなら、犯罪者と呼ばれても、私は行動したい」
「リリー。キサマ、活人の思想を」
「目の前でも、目の前にいなくても、私は世界中の人を救うために行動がしたい。私の活人で、人を生かすの」
少しばかり、目の前にいる何も知らないお嬢様の背中が、彼女の父親のように大きく見えた。
活人を否定した上で、活人を受け入れる。
殺人を否定しながらも、その行動が救いになると考える。
とても、一人の箱入り娘の考えではない。殺しは異常な行動だ。それがたとえ、正義のためとは言え、一人の人生を奪うことになる。
けれども、活人鬼たちには、それらを実行に移さなければ、自分たちが暴走して、殺人を厭わない怪物へと変貌する。
長年、活人鬼たちは矛盾に苦しみ、殺すことは救いだと、活人の言葉を言い訳にして、胸に抱いていた。ブラムですら、苦しみ、最期には自分で押しつぶされてしまった。
だが、このリリーは。活人鬼という呪いに対して、言い訳を持たず、誰かを救うために立ち上がる……純粋な救いのための活人。
「随分と、大きく出たな」
世界と来るとは。
知らない間に、この主は大きくなったようだ。大きな、大きな器へと。
「私を……新しい当主として認めてくれるかしら」
「ああ。少なくとも、オレは認めてやる。しばらくはシラユリ様が実務のほとんどをやり、キサマが名目上での当主……そう考えていたが、キサマなら、ヴェルモンドを引っ張っていくリーダーに相応しい器だろう」
リリーは年甲斐もなく、喜んでみせた。
「まあ、まずはキサマを医者に診せねばなるまい」
「……どうして? 私は病気じゃないわ」
「いいや、病気だ。頭のな!」
カチンと固まってしまったリリーを笑う。
シロガネはこの日を忘れないことだろう。腹を抱えるほど笑い、そして、新たな当主へ、心の底から忠を尽くそうと誓った、今日の出来事を。




