決意(後編)
リリーはブラムと向き合う。
シロガネなら当然、リリーを守るために立ち上がるわけだが、アザや出血が激しい。
「バカな……キサマはいい加減、逃げるという言葉を覚えぬか!」
シロガネが吠え、ブラムがジリジリと迫ってくる。リリーは一歩も退かない。
「逃げて、どうするの?」
「なんだと?」
「ここで逃げても後悔しか残らないわ。もう暴走が止まらないなら、その命を奪ってでも止めなくちゃいけない!」
「バカな。訓練も積んでいないキサマに止められるものか! 邪魔になるまえにどこかへ行け!」
「訓練を積んでないですって? あなたにどれだけ刀を振り回されたと思っているの!」
「あれが訓練だと!? これは本物の殺し合いだ! キサマの厄介なイタズラに対する罰とは違う!」
「……止めないといけない。命を奪うために戦うんじゃない。命を生かすために戦うの」
「活人、か。よもやキサマがそれを語る日が来るとは」
ブラムはリリーの目の前で立ち止まり、紅の双眸で真っ直ぐリリーを捉える。
恐ろしい牙に、無数の傷口。
犯罪者たち共との戦いの中で、怪我をし、指名手配犯の悪意に触れて、暴走して。
「お父様。あなたがどうして私に活人鬼であることを教えたのか。どうして、大事なことを隠していたのか、今、ようやく分かりました」
ブラムは黙って聞いているように大人しくなった。今までの暴走が嘘のように。
「もう、時間がなかったのね。こうして暴走して、家族に手を出してしまう。だから、その前に私へ伝えたかったのよね。でも、人間じゃないことを私に伝えるのも、もうすぐ自分は暴走して、獣になるなんて伝えるの、怖かったよね?」
リリーは瞳を閉じて、ゆっくりと父の腕に触れる。
太くて、力強くて。けれども、娘に怪物だと告げることも、娘に怪物の姿を見せることも、どちらも辛いことだろう。瞼の裏側で、父の大きくて小さくなった背中が見えてくる。
「リリーヴェルは決して、多くの秘密を打ち明けなかったことに対して、誰も憎みません。みんなで必死に隠してきた真実。それらを全て。私は背負い、ヴェルモンドが守り通してきた思想を受け継ぎます」
リリーは堪えた涙を溢れさせながらも、ブラムを見つめる。
「リリーヴェルは自由の代償として、ここに涙を置いていきます。あなたを殺して、人を生かす。その思想を貫き、新たなヴェルモンド家の当主となります。だから……ここでお別れです」
その言葉は父に届く。
今の獣のような姿が戻るなど、淡い期待を抱いてはいない。
けれども今、この生きている間にリリーの覚悟と決意を聞かせなければ、もう二度と伝えることはできない。
「グルル……」
果たして、深淵の中で眠る父へと届いたのだろうか。
活人鬼として、暴走してしまった男との最期の挨拶。
「お父様――」
瞬間、リリーは腕を掴まれ、豪腕で投げ飛ばされた。
屋敷にピストルの弾丸の如き速度で激突し、壁が損壊する。
「リリー! ……くっ、ボス! 娘をその手で殺すとは……」
砂埃が晴れる。
リリーは崩れた壁に片手でしがみつきながら、もう片方の手でドレスに付着した砂埃を払う。
「さすが活人鬼ね。我ながら身体が丈夫だわ」
「リリー!? まさか、あれほどの衝撃で無事だと」
屋敷の一部が壊れるほどの一撃を受けて、それでもなお、リリーは潰れなかった。
リリーは屋上近い場所から、難なく飛び降り、素手で見よう見まねの構えを行う。
「さあ、お父様。覚悟して! あなたを……救うから!」
シロガネはリリーの隣にフラフラとやってくると、鞘にしまったままの刀を地面に刺して支えにする。
「キサマ一人に、良い格好はさせぬ」
「あなたこそ、そんな身体で何ができるの?」
「やらねばならぬのだ。オレがやらねば、ボスへの忠を果たせぬ!」
「そうまでして……」
「恩人なのだ! 子供の頃のオレを救い、力をくれた! だから、オレは恩人との約束を違えるわけにはいかぬのだ!」
シロガネはフラフラしながらリリーの背中にぶつかってきた。なので、リリーは自らの背中で彼を支える。
シロガネはそのまま、リリーに背中を預けたまま、鞘に入った刀の切っ先をブラムに向ける。
ようやく、シロガネがリリーの存在を認め、必要としてくれたように思えて、少し嬉しかった。
「新たなヴェルモンドの当主と共に、あなたを殺す! 誰の命も奪わせぬ! 殺すのではない、奪うのではない! 生かす剣、活人剣だ!」
背中と背中を合わせて、父と向き合う。この瞬間、リリーとシロガネは頼り会える存在同士になったのだ。
「グルァッ!!!」
獣のような咆吼が耳を貫く。
ブラムは人であることも忘れて四足歩行で二人に迫ってきた。巨大な拳がリリーに迫り、対してリリーも拳を繰り出す。
拳と拳がぶつかり合う。鋼がぶつかり合うように、大きく響きわたる、乾いた音がする。砂埃が舞い、地面には大きな溝が発生した。
だが、華奢な腕は悲鳴の一つを挙げず、むしろピンピンしている。
「その腕、頂戴ッ!」
リリーとブラムのぶつかり合いの最中、シロガネが刀で腕を斬る。しかし、刃が通るどころか、刀が皮膚に弾かれてしまう。
当然、そのスキを突いて、ブラムはシロガネに殴りかかろうとするが、
「スキだらけよ! お父様!」
リリーがブラムの腕を掴んで、力の限り引っ張る。その勢いはリリー自身ですら押し殺せず、気がつけばブラムを屋敷に向けて放り投げていた。
「あらら? 投げるつもりはなかったのに」
改めてリリーは自身の腕を見つめた。父の豪腕を受け止め、さらには巨体すら物ともせず投げ飛ばせるほどの力。普通の淑女にはできない活人姫の力だ。
「いける……いけるわ! 勝てるわよ、シロガネ」
「……それはどうだろうな」
「え?」
瞬間、耳をも破壊する叫び声が轟き、屋敷からブラムが突っ込んできた。
リリーは活人姫の能力を持ってしても、瞬時に反応することができず、吹き飛ばされてしまう。
「っ!? なるほど、これくらいじゃあ、物ともしないってわけね」
リリーは宙に飛ばされながらも理解してしまう。自分たち、活人鬼の身体能力の高さを。この程度、体当たりをされても大したダメージにならないと。
悪を断つ、活人に相応しい能力を発揮しているのだと。
体勢を取り直して、地面に着地すれば、二本の足でしっかりと立つことが出来た。不思議と痛みもない。
「ふっ。つまるところ、まともな人間同士の戦いではない。まともな人間であるオレでは手も足も出ないわけだ」
「わ、私だってまともよ!」
「猛牛にぶつかって、ピンピンしている女を“まとも”と呼ぶ人間はいまい」
尊敬し、忠を尽くす相手に猛牛呼ばわりか。
もっとも、もはや家族に暴力を振るう相手に捧げる忠はないのか。それとも、シロガネがブレゲ・アームストロングを殺して墓に埋めた際に言っていた……魂と行いは別々だとでも言うのか。
「ボス……皮肉だな。あなたに活人を教えられた、悪を斬ることを教えられたのに……活人鬼というのは、どうして悪を成敗し続けたのに、悪へと変わるのだろうな」
そんな言葉を、忠を捧げる相手にぶつけながら、シロガネはボスへと刀を振る。
当然、そんな一撃一撃を物ともしない相手なので、リリーも加勢しながら、相手の拳に拳をぶつけている。
「シロガネ、そんなの当然よ! 殺しは悪なのよ! 悪意が毒だと言うのになら、悪人を殺す活人鬼もまた、悪!」
「そんなことは分かっている! 墓でも言っただろう! どうしようもない悪意に言い訳を作っているとな! 活人とは自分勝手なのだ!」
リリーとシロガネでブラムの腕を掴み、二人一緒にブラムを背中から転ばせる。
追撃するため、リリーはかかとを下ろし、シロガネは刃を突き立てる。
「活人が自分勝手?」
「そうだ! 世間の法ではなく、我らの法で生きる。それが活人! 自由の裏返しの不自由。それが活人鬼の法!」
だが、二人の一撃をブラムはそれぞれの手で受け止めて、掴まえたまま立ち上がる。足を掴まれているリリーは天と地が反転して見えた。ついでにドレスが落ちるので、手で押さえる。
――世界がぐるぐると回り始める。
――ブラムが二人を掴んで、その場で回転し始めたのだ。
そのまま、勢いに任せて投げ飛ばされる。空を高速で飛ぶ中、リリーは見た。
刀を構えるシロガネの姿を。それも、鞘にしまい、抜刀するために呼吸を合わせんとする状態で、ブラムを見据えている。
「何をしているのッ!?」
「――――」
高速で空を飛び、今にも屋敷の屋上近くの壁に激突しそうになっている状態なのに、見向きもしない。極限まで研ぎ澄まされたリリーの感覚に、シロガネがついて行けないのか。あるいは、極限まで集中しているシロガネには、もはや何も聞こえないのか。
真相など分からない。だが、リリーにはシロガネがやろうとしていることが伝わってくる。
(お父様を斬るのね。活人の……自分勝手な法のために)
言葉はいらない。居合い斬りも通じない。活人姫の力も通じない。
ならば、それらを合わせなければ、救うことなどできない。
「シロガネ! こっちよ!」
リリーは壁に対して両手で受け身を取り、壁に張り付く。
「任せろッ! ボスは――オレが救う!」
その言葉と共に、リリーの両足にシロガネの両足が引っ付いた。リリーは壁に張り付いてからシロガネの姿を一度も確認せず、シロガネも恐らくはリリーを一度も確認していないだろう。
互いに宙へと飛ばされながら、咄嗟に相手の考えを読んで、咄嗟の連携を繰り出す。
奇跡と呼ぶ以外に表現できぬ、意思疎通。あるいは、気持ちが繋がっているからか。
殺すのではない。救うのだ、と。
「お父様を救って! シロガネッ!」
リリーは力のあらん限り、シロガネの足を蹴飛ばした。
活人姫の足の力をバネに、さらに居合いの達人の力をバネにすれば、二つの力が合わさり、高速をも越える速度を生み出す。
「ボスッ! 少し痛みますが――覚悟してくださいッ!」
シロガネが刀を抜き、刀を突き立てる。
弾丸と抜刀がかけ算で組み合わされた時――鋼をも貫く強力な一撃となる。
シロガネの一撃をブラムが受け止めると、そのまま屋敷裏の林を次々となぎ倒しながら進んでいく。
「まるで……大砲ね」
屋上に上り、地形が変わっていく林を見つめる。これをリリーとシロガネの二人でやったと考えれば、自分の力が恐ろしく感じた。
と、同時に呑気に考えている暇ではないことも思い出す。
「そうだわ! シロガネッ! お父様ッ!」
シロガネを砲丸にし、強烈な大砲を放ったのだ。
砲丸側も、受けた側も、きっと……。
リリーは屋上から大きく跳躍し、シロガネと父がいるであろう林で着地する。
「リリー、か」
シロガネはフラフラとしながらも、刀の血を和紙で拭いている。
シロガネは、リリーとブラムの強靱な身体で続け様に飛ばされ続けたのだ。両足でしっかりと立ちながら刀を鞘にしまっている余裕など欠片たりともないハズである。
彼も心配だが、父もだ。リリーは急いで、倒れた父に近寄る。
「……お父様」
そこには、瞳を閉じながら眠る父の姿があった。
リリーは血で汚れることも気にも留めず、父に寄り添う。
「さようなら、お父様。ゆっくり、お休みになって。後のこと、全部私が背負って行くから。安心して、ね?」
涙は、もう流さない。全てを背負う代わりに置いてきたのだ。
覚悟が伝わったのか。それともリリーを安心させるためなのか。
父は……眠りながら、笑っていた。




