呪われた血(後編)
屋敷に着いたリリーとシロガネは呆気にとられた。
屋敷の中はカーペットやら家屋が鋭利な何かで引き裂かれたのか、五本の傷が走っている。窓ガラスが割れ、何カ所かに血の跡が付着している。
「バカな……敵襲か!?」
シロガネは刀の鞘を持ちながら、リリーの前に立つ。
「どうして……どうして屋敷が荒らされているの……?」
「まさか、レスファンか……!? 何か仕掛けたな……!」
シロガネは周囲を見回し、状況を確認している。リリーも真似をして周囲を見渡す。
現在地は、屋敷の玄関。賊の人数、規模は不明。
しかも、血の跡があるということは敵にせよ、ヴェルモンドの人間にせよ負傷しているということか。
「リリー。ここにはいるな。屋敷から離れるのだ」
「どうして! 屋敷の外に敵がいたらどうするって言うの? むしろ、あなたと一緒にいる方が安心じゃない」
「ならぬッ! 絶対に、キサマを屋敷に入れるわけにはいかぬッ! ボスの命令は絶対だッ!」
「……お父様が何か命令していたの?」
「――とにかく、屋敷から遠く離れろ。見てはならぬ!」
危ないから離れろではなく、見てはダメ。何か、見られてはマズイ秘密があるというのか。
また、リリーに黙って何か隠し事をしようとしているのか。
それだけは許さない。
リリーはシロガネの前に立ち、抗議する。
「こんな状況だけど、私は私の意思で行動するわ! 私は知りたいもの!」
「リリー、キサマ……牙が」
「えっ……?」
リリーは舌で歯を触れば、チクリと尖った歯にぶつかる。
「つまり、この屋敷には悪人がいる訳ね!」
「……そんなにキサマの推理を喜べる状況ではない」
シロガネの表情はより一層険しくなっていく。苦虫を噛み潰したようで、それでいて彼の感情が伝わってくるようだ。
――これは怒りと……悲しみ?
「これは恐らくレスファンの仕業であろう。奴は……オレたちをわざわざ陽動したというわけか。――なぜ奴は活人鬼の弱点を? どこから知れた? ……オレのミスか? ……しかし、どうやって奴は?」
「考え込んでいる暇はないわ! 悪人たちを成敗しましょう!」
リリーがシャドーボクシングを始めれば、シロガネは行動を開始する。
「もたもたしている時間はない。キサマが意地でもついてくると言うのであれば、キサマから斬る」
だから、ついてくるなと言う訳か。
抗議をしようにも、シロガネは刀をチラチラ見せつけてくるのだ。
リリーは渋々従いながら、外に出る。
それ以外に、選択を許されなかった。
「私一人、逃げろって言うの?」
扉を閉めて、一人ごちる。
屋敷の中では何が起きているのか。リリーはそれを知りたい。
だが、シロガネは許してくれないのだ。ならば、リリーにできるのは、いつもと逆。
すなわち、脱出ではなく侵入だった。
「私の脱出回数を舐めてもらっては困るわ。侵入だって、お手の物よ」
リリーが裏口へ回り、窓から侵入しようとしたが、屋敷の裏側では、血を流して座っているユーナギがいた。
その傍らには……無数の男たちが血を流して倒れている。
「……お嬢、帰ってきちゃったんだ」
「これはどういうこと? ユーナギがやったの?」
リリーは彼女の刀を見る。
ヴェルモンド家の刀ではなく、彼女が東の国から持ってきた自前の刀は一辺の曇りもない。
「この男たちは、指名手配犯だってさ。ボスが言ってた」
「指名手配犯?」
「そそ。しかもなんと驚くべきことに、すでに逮捕されて極刑まで言い渡された凶悪犯だってさー。すっごいよね、ビックリだよね、イツツ……死にそ……」
怪我をしているのに呑気に笑い、そして、赤黒く染まった布を取り出して自分に巻いている。
「さあ、リリー嬢。愛の逃避行へと走ろうぜい!」
「……冗談言ってられるほど、余裕があるの?」
「ごめん、ない。死に神の魔の手から逃れるのに必死」
「死に神……」
「……今にも死にそうって話。とにかく、逃げよ? ね」
フラフラしながら立ち上がり、リリーの肩に掴まるユーナギ。
だが、リリーは奇妙な状況に疑問を浮かぶ。
「ここにいる敵はこれで全員よね?」
「え? あー、うん」
「なら、今は誰と戦っているの?」
「あっ、やべっ! 誰とも戦ってないよ、うん。とにかく、医者に診せて欲しいなぁーなんて」
「私の牙と爪が伸びている限り、敵はまだ生きているのは分かっているわ。いったい、あなたたちは何を隠しているの! 教えてくれないと絶交するわ」
「そ、そればかしはご堪忍を~! だって、傷つくのはリリー自身だし!」
また、「やべっ!」と口元を隠すユーナギ。
リリーは嫌な予感に支配された。
今度ばかりは本当に怖い。
今度ばかりは本当に知りたくない。
もし、予感が的中すれば……悲劇が待っている。
「ユーナギ。ここで待っていてくれないかしら」
「ちょっ! ストップ! マジお願いだから、逃げよ? ね?」
だが、怖くても何も知らないままでいるのは、嫌だった。
どんな嘘を重ねられ、どんな真実を目の当たりにしても、リリーは自分のやりたいようにやる、自由がある。
「自由にも、己を知るにも、責任と覚悟がいる。どんな真実を見ても、私は後悔しないわ」
「……リリー」
リリーはユーナギを一人残して、屋敷に入ろうとすれば、頭上でガシャーンと音が鳴り響く。
空を向いてはいけない!
そんな声が、どこかから聞こえた後、リリーは咄嗟にユーナギを背中で庇う。
いくつかのガラスの破片が空から降ってきて、ぐしゃりと大きな何かが落ちてくる。
「ちょっ! リリー嬢! ガラス大丈夫!? それからシロガネも!」
不思議と、リリーの身体はガラスで怪我をすることはなかった。
それよりも気になったのは、ユーナギの発言だ。
シロガネも、とはどういうことか。後ろを振り返ればすぐに答えが分かった。
「シロガネ!」
「ちっ……! キサマはそう簡単に逃げる女ではないか……!」
シロガネは額から血を流しながら、鞘を頭上に構える。
その構えの意味が分からずにいたが、すぐに何かがシロガネの頭上に落ちてきて、それをシロガネが歯を食いしばって受け止めている。
「お父様!」
その落下物は父の背中だった。大きな漢の背中。ヴェルモンド家の主たる山のような不動の背中。
だが、様子がおかしい。どうしてシロガネに攻撃しているのだ。
シロガネは鞘を振ると、ブラムは大きく跳躍した。
「……お父様! その格好は」
「グルル……!」
獣のような呻き声。鋭利に尖った牙を口から覗かせ、紅蓮に染まった瞳でリリーを見据える。
話に聞いていた活人鬼の暴走。
「逃げろ! ボスはもう正気には戻らん!」
シロガネは居合い術で、ボスに斬りかかる。刹那の閃き。閃光と見紛う抜刀術。
だが、玉鋼の一撃をブラムは容易く腕で受け止めた。
「活人鬼の暴走がこれほどだとは……!」
シロガネは続けて、刀を振る。
それらの攻撃もブラムの右腕、左腕で交互に弾かれる。
こんなものは実力の差ではない。同じ人間と戦っていないのだ。刃が通らない、文字通り、怪物なのだ。
「いやよ! 私は……私は……!」
「もう一度言う。ユーナギを連れて、シラユリ様と合流せよ! これはボスからの命令だ!」
シロガネはまた、刀の鞘を使ってブラムの拳を受け止めている。
ここでモタモタしていればユーナギの命も、リリーの命も危ない。だから、逃げなければならない。
それでも、
「お父様、私よ! リリーよ! 思い出して!」
「バカッ! 呼ぶなッ!」
シロガネに突進してきていたブラムは、リリーへと目を向ける。
そして、突進をリリーの方角へ行う。
地面を抉るような力強い走り。足が地面に触れるたびに地鳴りが起きる。
「お父様……」
手と手を組み合わせ、大きく反り返るブラム。その大きな拳でハンマーを作る。
空を見上げ、リリーは呆然と見ていた。
ああ、潰されるのね。子供の頃から私をおんぶするのも簡単な力だわ。無理よ。
そんな言葉が頭の中に巡り、死の恐怖よりも、なんだか悲しくなった。
あの笑顔をもう見ることはできないのか。あの大きな背でリリーをおんぶしてくれないのか。
そう考えると……死の恐怖よりも悲しさで心を支配された。
『躱せ! 跳べ!』
リリーは声に従うまま、大きく跳躍した。転がり、土でドレスが汚れる。
「ボス! 相手はこっちだ!」
シロガネがブラムの背中に刀をぶつけるが、その肉体を切断することはできない。
「グルル……!」
獣のような呻き声を漏らしながら、シロガネに視線を戻し、再びシロガネとの死闘に戻っていく。
「ユーナギ。助かったわ。あのまま声を掛けてくれなかったら死んでいたもの」
「うん、お母さん。そっちに行くから待っててねー」
ユーナギは虚空を見据えて言っていた。
そっちに行く、ではなく、そっちに逝くの間違いではないか。
「ちょっと、ユーナギ死なないで。目を覚ましなさい!」
「ハッ! なんかお母さんが居た気がした!」
それでもまだ、意識が朦朧としているのは相当、重傷ではないのか。
「こんな状態じゃあ、私に声を掛けられないわね。じゃあ、一体誰が?」
リリーは辺りを見回す。屋敷の周りに生い茂る林の方に、一人の少女の面影を見た。
「あなたは……」
お淑やかな佇まい、美しいドレスに、リリーと同じ銀糸を持ち。リリーがお姫様みたいだと称した本の中の人物。
『こんにちは。活人姫さん。お困りごとだね?』
「プリンセス・カルミア……! どうしてあなたが……!」
活人鬼の始祖、活人姫。
始まりの活人鬼にして、過去に生きた人物がリリーに微笑みかけてきた。




