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プロローグ

 少年は一人、飢えに苦しんでいた。

 食べるものがない。物を盗んで飢えを凌げど、百姓や商人たちの対策は、すでに子供の窃盗を容易に許さない万全の対策を立てられていた。

 当然だ。窃盗の被害を山ほど受けていれば、自然と対策も強くなる。子供相手だろうと容赦のない暴力を振るい、時には殺害する者までいる。

 名前のない少年は、盗んだ剣を抱えながら路地裏から往来を見ている。

(獲物はどこだ。貴族は――)

 飢えに耐えども、手段を選んで居られなくなった少年は、その凶刃で他者の命をも奪おうとしている。

 もう、すでに何人かは殺害の経験をしている。また返り血で汚れるのは慣れていた。

 浴びた返り血は皮のように張り付き、洗濯すらまともにしていない少年の衣服は、黒く固くなっていた。

(ああ、これでは吸血鬼にされたみたいだ)

 貴族を狙い、殺害以外の選択肢を排除している少年は、吸血鬼と呼ばれる怪物の眷属だと自虐した。

 この片刃で反りのある剣を、吸血鬼の屋敷と呼ばれた廃屋から盗み出した時。その時から吸血鬼の仲間となったのだろう。

 食事のために人間から血を流させる。怪物の眷属と呼ぶに相応しい行為だ。

 もう自分も吸血鬼なのかもしれないな。

 どうにも醜くなれば人間、自分のことでもおかしくて笑いがこみ上げてくるものらしい。

 さて、そんな自称吸血鬼となった少年は、新たな獲物を求めていた。どうせなら、人間の血や肉で腹を膨らませたかった。そろそろ人間を捕食する時期なのかもしれないと一人ごちる。

「来た。獲物だ」

 今日の獲物は白い服に身を包んだ男女だった。

 話を盗み聞くあたり夫妻だろう。汚れなき純白を目にして、少年は不思議と十字架を見せられたようにイラだった。

 おいおい、今時の対魔師の制服ですら白くはないぞと。

 陽に晒されるのが弱い吸血鬼への対策とも言わんばかりの白は、まるで光だ。夫妻のコートを赤黒く染め上げたくなった少年は、本来の飢えを凌ぐという目的を忘れて、剣を抜いた。


 驚くことに、少年の剣が二人の夫婦を切り裂くことはなかった。

 それどころか、少年が持つ剣と同じ片刃の剣で男が受け止めたのだ。

「小僧。どこでその刀を手に入れた」

「知るか!」

「別に警察組織に付き出すわけじゃない。単なる質問がなぜ分からん」

 男の野太い声に物怖じせずに、剣を何度も何度も男に打ち続けた。

 少年の本能が叫んでいる。この男と戦ったところで失うものはあれど、何も得られないと。

 それでも、挑むのは少年には後がなかった。生き残るためには手段を選べないのだ。

「いいか小僧。刀は振り回せば斬れるもんじゃない。構えをしっかりとれ。呼吸を合わせろ」

 男はそのまま刀と呼ぶ剣を鞘にしまいこんだ。お前など相手にならんと暗に言われた気がして、血が上った。

「ヤロー!」

 少年が剣を振ろうとした矢先、激しくて鈍い衝撃が手に伝わった。剣が弾け飛ぶ。

「人を殺すことに戸惑いがない。が、戸惑いがない分、相手を殺すことしか考えていない。焦るあまり、行動が単調になっているんだ。呼吸と居を合わせろ。抜かせず、掴ませずに斬れ」

「なんのつもりだ?」

「ん?」

「オレにそんなことを教えてどうするつもりだ!?」

「殺してほしいからな」

 夫婦は互いに顔を合わせて笑った。

 何なのだ、この二人は。背中が寒くなった。

「なら望み通り、今、殺してやる!」

 少年は弾かれた剣を拾い、握りしめて“鞘に戻した”。

 撤退の意思を見せたのではない。男がやった動きを真似ているのだ。

「うおおおっ!」

 気迫、呼吸、居合い。それらを合わせて、少年は抜刀を行った。

 ふと振り回してばかりだった時とは違う“何か”を感じる。

 まるで鞘に仕込まれた火薬が火を噴き、金属の塊を撃ちだした感触がしたのだ。不思議な一体感とも言うべきか。

「そうだ。それでいい。それが居合いの極意だ。お前には怪物の才覚があるな」

 少年の一撃は、高速の世界を体感していた。だが、男が少しばかり鞘から抜いた刃で受け止められる。

「どういう意味だ!?」

「そのままの意味だ。俺たちと同じ、怪物に」

 まさか、最近市井にて潜伏している名無しの切り裂き鬼か。あるいは未解決となっている西の国にいる暗殺者か。

 いや、男はそのままの意味で怪物と言った。断じて、何かの例えではないと。

「お前、吸血鬼か?」

「少し違うな。我らはニンニクや陽の光を嫌いはしない。血を飲む必要もない。むしろ、彼らよりも完璧で不自由な存在だ」

「どっちにしろ、化け物だろっ!」

 剣を振るう目的が変わってきた。生き残るためには違いないが、奪うためではなく怪物から自らの命を守るための戦いへ。

「小僧。名前は?」

「そんなものない!」

「なら、くれてやる。お前は俺たちを殺してくれる」

「怪物になれと!?」

「そうだ。食事も与える。剣も富も全て与える。名前もだ」

 少年は決して頭が悪くない。甘い言葉に誘われて消えていった友を多く知っているから、同じ轍を踏まない。

 それも怪物を自称し、言葉通りの実力を併せ持った者だ。信用するのは難しい。

 だが、同時に死んでも良いように思えた。殺してくれるなら、こんな地獄から怪物としての才覚を発揮できる場を与えてくれるなら、血を吸う怪物としての一生を経験してみるのも悪くないと。

 どうせ今の生活では後先は長くない。十分な教育も仕事もないなら、いっそのこと吸血鬼の仕事でも悪くないと思った。

 騙されたつもりで頷く。


 馬車に揺れて屋敷に着いた少年は目を疑った。

 こんな僻地に大きな屋敷があるのかと。吸血鬼の根城と呼ぶよりも、貴族が住まう豪邸だった。

 まず少年は服を与えられた。

 次に血を吸われて眷属になるのかと思ったが、特に血は吸われなかった。

「いいか。お前の名前はシロガネ。その刀と同じ名前だ」

 少年は気に入らなかった。どうして物と同じ名前を人様につけるのだと。

「そいつは遠い国で打たれた業物だ。千年は時代に合わせて変化していくだろう。輝く玉鋼が吸血鬼の心臓に食い込めば、銀よりも強力な刃で、命を止めてくれる」

 改めてシロガネを抜いた。

 その眩き輝きは、殺してきた者たちの血を吸っても汚れなく光り続ける。少年はその輝きに何かを魅せられていた。

 魔の宝玉を見て、心を奪われた女の童話があるのだが、

とどことなく似ている。美しく、反りに合わせて曇りのない輝きが移動していく。鈍色の鋼が、磨かれた鏡よりも美しいとは。

「おっさん。どうしてこの刀の名前を知ってるんだ?」

「なに。昔、吸血鬼の友人がいてな。そいつにプレゼントしてやったんだよ。友好の証としてな。対魔師に十字架を当てられ、心臓に杭を埋められて死んじまって久しいがね」

「やっぱりあの屋敷、吸血鬼の屋敷だったのか」

「それも高名な吸血鬼だ。我らファミリーの遠縁でもある。十字架を捨て、高潔な東の国にいる友人の精神を受け継ぐつもりだったようだが。最期は世間のイメージ通りの死に方をしたな」

「やっぱ、お前ら吸血鬼だったのか」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「お前の話は難しくて良く分からない」

「理解できるほど教育を受けていないだろ?」

 それもそうだが、最近の教育というものは吸血鬼について詳しく教えてくれるものなのか。

「なら、我らがどういう生き物か教えてやろう」

 男が妻に目を配らせると、妻は部屋から出て行く。

 そして、しばらく待つと、部屋に再び入ってきた。

 鎖をその手に持ち、獰猛な獣を引き連れてきた。ただし、その獰猛な獣は人の形をしている。

「ぐるる……!」

「なんだよ、そいつ!」

「娘だ」

 少年には耳を疑うことしか出来なかった。

――娘だと? 笑わせるな、こんな恐ろしい生き物は、ストリートチルドレンにすらいない!

 爪は鋭利に延びきり、八重歯と呼ぶにはあまりにも長くて尖った歯。細くて煌めく銀糸は美しさを感じさせるが、乱れていれば怪物らしさしか感じられない。

 髪のカーテンから僅かに瞳を覗かせる。

 深紅に染まった瞳は、血塗られた少年よりも深い死の世界を見せた。

「オレを怪物の餌にでもする気か?」

「そんなことはしない。来るべき時、その刀で娘を殺して欲しい」

 シロガネと呼ばれた刀を引き抜く。

 幸い、今は鎖で捕まっている状態だ。暴れて吠える犬を殺すのは難しいことではない。盗みを行うならば、番犬を“黙らせる”のは必須のスキルだった。

「がアアアアアアッ!」

 人の言葉を失っている少女は、少年に向かって噛みつこうと暴れ始める。

 首輪で痕が付くことも厭わない。

 怪物、化け物。

 初めてそう呼ばれる存在を五感で感じた少年は、尻餅をついた。

「シロガネ。刀をしまえ」

「黙って殺されろって言うのか!」

「違う。心を静めなければ、娘はより凶暴な本性を見せる」

 本当にそうなのか。

 半信半疑のもと、刀を鞘に戻すと不思議なことに暴れていた少女は、少し落ち着きのない娘に変わった。

「娘は人の血は好まん。だが、もっと嫌いなモノがある」

「それは?」

「人の心を嫌う。お前のように人殺しをしてきた者は特にな」

「やっぱりオレを喰わせようとしてたのか」

「ふふ。そんなことはしないと言っただろ。時が来たら娘や我々ファミリーを殺して欲しいのだ」

 怪物というのはどうやら、思考までもが常人とは異なるらしい。

「そろそろお前らの正体を教えてくれたっていいんじゃないか? 気持ち悪くて仕方がない」

「言うなァ、小僧。そうだな、俺たちは鬼だ」

「吸血を好む鬼か? だが、お前は違うって言ったな」

「ただの鬼じゃないぞ。“活人鬼”だ」

「カツジンキ?」

 聞き覚えのない怪物の名を耳にして、少年はどう反応を返せば良いのか戸惑った。

「俺たちの友人が住む国にある思想で、活人剣という言葉がある。殺すことで人を救える思想だ

 男は刀を抜いた。

「俺たちに相応しい名だ。悪人たちを刀で殺す。だから俺たちは活人鬼と名乗っている」

「オレは悪人じゃないのか。だからオレを殺しはしないのか」

「小僧を殺したところで、誰も救われんさ」

「…………」

「小僧。いや、シロガネ。お前はその刀を手にした時から活人鬼だ。悪人を斬れ。そして、我らを斬れ。お前には贅沢な暮らしも、望む物も全てやろう。我らには人間の仲間も多い。不自由しないだろう」

「オレは――」

 殺すことで救える人間がいる。悪人たちを刀で殺す。

 少年たちが死んでいき、一パーセントの富裕層が富を独占する社会。金持ちは金持ちのまま、貧乏人はいつまで経っても見えない明日を過ごし、自然と犯罪者になる社会。

 それを、この刀で終わらせることができるのか。活人という思想の名の下で。彼らの言うとおりにしていれば、その機会を与えてくれるというのなら。

 ……答えなど決まっている。

「約束する。オレはお前たちを斬る。そこのオンナもだ」

 刀を、娘だと言う少女に向ければ、不思議と牙を見せなかった。

 むしろ、落ち着きのなかった彼女は、じっくりとその深紅の瞳を真っ直ぐと覗かせている。

「娘を殺すまではまだまだ時間がありそうだ」

 男は笑いながら、少年――シロガネの頭を撫でた。

 一本一本が固くてゴツゴツとした大きな手。

 少年はこの者たちの家族になって良いかもしれないと考えた。生まれてこの方、両親というモノに恵まれなかったシロガネにとって、彼らは無償の愛を与えてくれるのだから。

――それから、数え切れないほどの季節が流れていった。

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