花奈Side 1
放課後。私は今日も、4階にある音楽室へと向かう階段を上る。
踊り場の開いている窓から、吹奏楽部がチューニングしている音が入ってくる。
今年初の真夏日でモワッとしている空気の中、私は階段を昇ってすぐの所にある、音楽室左手の少し古びたドアを開けた。
8畳ぐらいの広さのそこは、軽音同好会の部室の音楽準備室だ。
同好会、と言っても、私ともう1人しかいないんだけど。
縦長の部屋の奥に、何かしらが入った段ボールが積まれていて、その手前に、長いソファーとテーブルがある。
日当たりが良いせいでかなり暑いので、私はドアの脇にある、エアコンのスイッチを入れた。
風量をフルパワーにして、温度設定を20度にすると、部屋はあっという間に冷えた。
設定を元に戻してから、私はソファーに座って、同い年で幼なじみのゆかりが来るのを待つ。
彼女は人気者で、友達と喋ってから来るから、いつもちょっと遅れてくる。
そのまま、しばらくぼんやりしていると、
「おまたせ花奈ー」
ゆかりがいつも通り、元気よくそう言いながら入ってきた。
汗だくの彼女は、背中のギターケースを壁に立て掛けてから、私の隣に座った。
「いやー、すっかり暑くなったねー」
「うん」
そう言ったゆかりは、足元に置いた学校指定の鞄から、丸めたタオルを引っ張り出して、それで汗を拭う。
「今でこれだと、真夏とか溶けちゃうかも」
「ゆ、雪だるまじゃあるまいし……」
「おお。よく私の正体を見抜いたなー?」
私のあんまりセンスがない発言に、とぼけた様にそう乗っかってくれたゆかりは、
「ばれちゃ仕方ない。お前も仲間にしてやるぜー!」
「ひゃあー」
へっへっへっ、とイタズラっぽく笑いながら、私の髪の毛をワシャワシャしてくる。
「ふっふっふー、これで野望達成に1歩前進だぜー」
なんちゃって、と、明るく笑って言う彼女は、ポッケから出した櫛で、ボサボサになった私の髪の毛を梳き始めた。
鼻歌交じりに櫛を操るゆかりが、こっちに向けてくる笑顔が眩しくて、私はつい顔を伏せた。
すると、不意にその手が止まって、
「んー? どーした花奈ー? 何か嫌なことでもあったかー?」
「わひゃっ」
ゆかりが目の前にしゃがみ込んで、私の顔を見上げてきた。
「ゆかりさんが何でも相談に乗るぞー」
「大丈夫。何でも無いから……」
頼もしげな表情でそう言って来る彼女に、私はドギマギしながらそう返す。
「ならよかった」
安心したようにそう言ったゆかりは、私の頭を1撫でして、髪の毛を梳く作業に戻った。
「じゃ、そろそろ練習始めるね」
「うん」
登校したときよりも私の髪を整えたゆかりは、そう言ってギターをケースから出した。
中に入っているのは、緑色のテレキャスのエレキで、彼女の好きなギタリストと同じモデルらしい。
ストラップを首にかけると、ゆかりは弦を何度も弾きながらペグをいじっていく。
彼女は絶対音感を持っているので、チューニングにチューナーは必要ない。
「……」
私はそんなゆかりの凄く真剣な顔に、思わず見とれていた。
楽器の事になると、彼女は普段の3倍ぐらい魅力的に見える。
チューニングが終わって、よし、とつぶやいたゆかりは、ケースの後ろポケットからケーブルを出した。
それをギターのジャックに挿して、反対側を部屋の角においてある、ひと抱えぐらいの大きさのアンプと接続した。
アンプの電源を入れると、ゆかりは適当に弦を弾いて音量と音質を調節した。
「じゃあ行くよ。花奈」
「うん。いいよ」
私にそう確認をとって、私が頷くのを確認したゆかりは、1つ息を吸って演奏を始めた。
ゆかりが弾くのは、音質はかなり硬めで、私の好みの軽快なメロディーの曲だ。
たった数秒で、私はその曲の世界に引き込まれる。
いつも私に聴かせてくれるそれは、私のために彼女が作ってくれたものだ。
コード進行がものすごく難しいんだけど、演奏が詰まる気配は全くない。
本人は誇ろうとはしないけど、ゆかりは天才的なギタリストの才能がある。
その証拠に、この曲が完成したのは、今から3年前、つまり中学1年のときで、その当時から、彼女はこれを全く苦労せずに弾いていた。
そんな彼女がこんな所にいる原因は、――全部、私のせいだ。