他人の貌
早く年寄りになりたい、などと言う人を昔は奇異に思っていたものだけれど、いざ自分が年齢を重ねてくると、年取るってなかなか楽しい!なんて感じるようになった。
しかしやはり身体の衰えはどうしようもなく、私も3年ほど前から眼を患い始めた。先日は病気の進行具合を診るための定期検診だったのだが、その結果はあまり芳しくなく、少し落ち込んだ私は電車の窓から外の景色を眺めながら、生きている間に光を失うのかもな、ということまでチラリと考えた。
気分転換というわけでもないけれど、昔住んでいた家の最寄り駅で何となく降りて何度か通ったことのある喫茶店に入った。マスターは以前と替わっていて、柔和な感じの、私と同じくらいの年齢かと思われる女性だった。
あまり話し好きでない私はいつもカウンターの隅っこに座っていたのに、その日はマスターの笑顔に釣り込まれるように彼女の真ん前に座った。
お出かけだったんですか?と尋ねられたので、ええ、ちょっと病院に。何年か前から眼を悪くしちゃって、少し遠くの眼科まで通っているんですよ、と答えた。
話しながら見ていると、サイフォンの部品やらコーヒーカップやらコーヒー粉など、店員の若い女性がマスターの周りに使い勝手が良いように全て配置している。
実は私も眼が悪いんです、とマスターは笑いながら言った。
「子供の頃から眼が悪くて、今ではもうほとんど…と言っても全く見えないわけではないですから、こういった作業の準備も自分でやろうと思えばできるんですけど、彼女が心配していろいろ手伝ってくれるんです」
と、にこやかに店員さんの方を見た。
サイフォンを使うとなると、準備よりも実際にコーヒーを淹れる方が火や熱湯の扱いなど危険そうだが、マスターは慣れた手つきでアルコールランプに火を付け、お湯を沸かし始める。やがてロートに熱湯が上がり切り、火から外されたフラスコにコーヒーがゆっくりと落ちるのを眺めながら
「私、子供の頃から眼が悪いでしょう。最初は気付かなかったんですけど、幼心にだんだんとみんなに見えているものが、私には見えないんだってことがわかってくるんですね」
私はそう話すマスターの目を見た。何かを一心に見つめているような、また全く何も視界に入っていないような不思議な視線だった。
「すると、私が住んでいる世界は、他のみんなのそれと違うんじゃないか…って思い始めるんです。だって目の前に見えているものが世界でしょ?それがみんなと私で違うのだから。何というか、私だけ隔離された別の場所にいるのじゃないか、自分の一番身近な親兄弟とも、すぐそばにいるようでいて実は見えない壁で離ればなれになっているんじゃないか、って思いました」
マスターは抽出されたコーヒーを温めたカップに注いで私の前にそっと置いた。柔らかな味と香りで私好みのコーヒーだった。
彼女は私の表情で、コーヒーの味を気に入ったことを見て取るとまたにっこりとして話を続けた。が、笑顔と裏腹に話す内容は明るい話題ではなかった。
「私は実は家族とも誰とも手の届かない場所にいる。その孤独感は幼い子にとっては恐怖でした。子供ですから、自分のそんな気持を周りに伝える語彙も無いですし。時々訳もなく泣き叫んでは母親を困らせるだけでした」
私にもそんな覚えがあるような気がした。自分だけが見えない壁で囲われた、自分一人の宇宙空間に生きているような不安。よく夜中、怖い夢を見たわけでもないのに泣き喚きながら目を覚まして、祖母が睡眠薬代わりに飲んでいた精神安定剤を半分に割ってもらって飲み、また布団に戻ることもしばしばだった。
いつの間にか客は私一人になっていた。マスターは店員の女性とカップを拭きながら話し続ける。
「そのうち高校生ぐらいになると、明るい景色の中で透明な虫や雲や水滴のようなものが常に目の前を行き来するようになりました。今度はみんなには見えないものが、私に見えるようになったわけです。私の世界には、相変わらず私が一人孤独に住んでいて、誰も私と全く同じ世界を見てくれる人はいないままでしたが、自分にしか見えない、という今までと逆の経験で少し優越感を持ったりなんかしました」
自分にしか見えないもの、確かにそれもいいが、私は誰かと「全く同じ世界」を見てみたい、共有してみたいと、何故かその時ふと切望した。
「そして私は何年か前から眼を患い始めました。だんだんと視野が欠けていくのです。見えなくなった部分は、何というか…砂金を散らしたような具合になります。その砂金は時々流れて形を変え、人の顔になるんです。でもその顔はいつもこちらを見ずに在らぬ方を眺めていて、私自身が楽しいと思っている時は涙を流し、私が悲しい気分の時は憎らしいほど笑っているのです。だけど、それも今だけ。きっと私の目の中のこの顔の表情は私の感情に同調してくるでしょう。そしてどこを見ているのかわからない顔の向きもだんだんとこちらに向かってきて…」
ぞくりとした感覚に押され、私は話を遮ってコーヒーのお代を払って店を出た。
きっとその、眼の中の他人と自分の目が合った時、私は完全に「全く同じ世界」を見る者と出会うことになるのだろう。でも果たして、それは許されることなのか?世界は人の数だけ存在する、それがその本質で、それが破られることがあり得るのだろうか?
店を出て駅へ向かっていると突然私の視界に若い女性が入ってきて、ぶつかった、と思ったのにその感覚はなく、振り返ると、先程マスターと一緒にカップを拭いていたはずの店員の女性が、立ちくらみの時に見るような光の粒になって消えていこうとしているだけだった。
私の右目の視野ももう半分ほどが失われている。これからあの店員の若い女性の顔をたびたび見ることになるかもしれない。