目がこわい
目が、瞳が、その視線が、自分に注がれる目線が、嫌いだ。
理由は定かではない。しかし、漠然とした確信があった。
父は厳格な人であった。悪く言うと頑固なのだ。
母は自分が生まれると共に、自分の命と引き換えに逝ってしまった。
幼い頃から、始終怒られてばかりいた。どんな些細なことでもすぐに父に見つかってしまい、ひどく叱られた。そのように生きていると、いつのまにか父の視線が怖くなっていた。どこまでいってもついてくる。そういった恐怖に何時もおびえて生きていた。
今思えば怒られて当然だと思うこともあったが、それとは逆にどうして怒られたのか理解し難いものもあった。
基本的に我が家ではゲームはしてはいけないものだった。その訳としては、目が悪くなるだとか、勉強しなくなるだとか、よくあるようなものだった。なので遊びといえば外に出て走り回るぐらい。しかし、2年生頃から外にでることも許されなくなった。
「○○、お前は受験をする。県で一番の学校に入学するのだ。勉強をしろ。一日中だ。世の中は頭の良い者程優位にたてるようにできているのだ。」
父はそう言い放ち、塾に朝7時から夜の10時までいるように、と告げ、仕事へと向かった。
父の職業は医者であった。自分は父の仕事を誇りに思っていた。医者とは、尊い人の命を救うものと聞いたからだ。なので、父のように立派な医師になりたいという気持ちがあった。だから勉学に没頭した。
朝から晩まで必死になって机にかじりついた。
恐怖心があった。学力がどの人よりも劣っていたら、怒られる。父から追われるようにしてペンを握った。
中学2年生の頃、友達にゲーム機を預かってくれ。そう頼まれた。
友達から預かったと言えど、見つかってしまったら、激怒される。絶対にそうなることのないようにタオルに包み、鞄の中にしまい、持って帰った。ゲームに、興味があった。
好奇心。
夜中の2時あたりにそれを鞄から取り出し、音を消し、電源を押した。パッと明るい光が広がった。中には、巷でうわさのゲームカセットが入っていた。高鳴る心臓をおさえ、スタートさせた。
あまりの面白さに、感動した。
ボタンを押せば、自分の思うようにキャラクターが動く。現実では不可能なようなこともゲームというものはやって退けた。
1時間程経っただろうか。不注意だった。油断していた。熱中していた。自室には鍵が取り付けられていなかった。
突如部屋のドアが開かれ、父がドカドカと入ってきた。咄嗟にゲーム機を背後に隠したが、もう遅かった。
あの時の父の表情は、もう忘れられない。いわゆる、鬼の形相というものだった。今まで見たことのないような激しく憤怒したような顔つきだった。手に持っていた機械を取り上げ、窓の外に放り投げた。右頬を強くたたいた後、父は何も言わずに部屋から出て行った。
この時に確信した。父はいつも自分を監視している。どんなところにも父の目が潜んでいる。
目が嫌いになった。顔のついている魚が食べられなくなった。自室に飼っていた金魚も、直視できなくなった。学校にいけなくなった。目が、こわい。
写真に写る目も。街行く人の目も。
いつの間にか、部屋から出ることができなくなった。父はもう何も言わなかった。
飽きられたのか、しかしそれでも恐怖心は無くならない。
部屋に引きこもり、2週間ほど経った。
汗で臭くなった布団をかぶり、ただ死ぬのを待ち続けた。
ぐうぅぅぅぅ
腹がなった。そういえば、ここ5日ほど何も食べていない。このまま飢死するのも悪くない。
しかし尿意があった。部屋をそっと開けると、目の前に父が座っていた。
「とっ・・・とうさん・・・」
あまりの突然の出来事と、怒られるという恐怖心から足と歯はガタガタと鳴り始め、小便を漏らしてしまった。目を合わせることができない。
「○○、すまなかった。許してくれ。お前が将来不便をしないように勉強を強いてきた。優位に生きていけるようにだ。しかし強制しすぎていた。お前の大切な時間を奪いすぎた。ただわかって欲しい。お前が憎くてこうしてきたわけではない。愛ゆえなのだ。」
父は深々と頭を下げた。もしかして、父は謝るためにずっとここに座り続けていたのか。
涙が出た。ほんのりとあたたかい液体は頬をつたい、床に染みをつくった。
親の愛。
父はただ優秀な子供が欲しい。自慢できるような、恥じない息子が欲しいのだ、とそう思っていた。しかし違ったのだ。今までの自分の思想を恥じた。
「がんばるがらぁ!!・・・べんきょうがんばっでぇ!とうさんみたいなりっぱなぁ医者になるがらぁ!!!!」
泣いていたからだ。言葉をうまく発することはできなかった。父はその言葉を黙ってきいてくれていた。
小便のついたズボンを洗うため、洗面所に向かった。もう今までの自分ではない。生まれ変わったのだ。
顔を洗った。
鏡を 見た。
そこには 目が
あった。
目 目 目
はあ・・・はああ・・・・・はああああ・・・・・・・・
呼吸がだんだんと荒くなっていく。心臓が握り締められているように苦しい。
次の瞬間 自分の両手は 自分の目を 圧迫していた。
眼球が メシメシと 歪な音を立てる。 グチュリ。
父さん ごめん もう 勉強できない 目が――――――――
目がこわい。