8歳━4
男の子が市場にやってきた翌日。
お父さんが教えていた借家に、男の子は母親と従者を連れ、馬車でやってきました。さすが貴族。馬車の装飾がきらびやかです。
男の子の母親はガリガリで、うわ言だとしても、望むものを食べさせてあげたくなる気持ちが分かりました。
実は、先日のお祭りは、男の子の母親がうわ言で呟く料理をお題にしていたのだそう。
何人もの料理人が参加をし、その中の一つにでも反応したら、と期待していたものの、全く反応はなく。お祭りなので各部門の最優秀賞は決めたものの、侯爵家の期待は外れたそうです。
ええ、そうです。市場にやってきたのは、キンバリー侯爵家のジョシア様でした。
つまり、唐揚げだの焼肉定食だの言っていたのは、キンバリー侯爵夫人ということです。
「お待ちしておりました、ジョシア様」
その夫人は、どこかぼんやりした感じで馬車から降り、玄関に入ったところで、急にがばっ、と顔をあげました。
「……母上?」
「どこ?どこにあるの!」
ジョシア様の言葉は聞こえていないのか、走り出しそうだったので、私は腕を掴んで止めます。
「食べる前には、手洗いうがいです。
やらない人は、唐揚げを食べる権利がありません」
「唐揚げ?!」
夫人がハンター並の目をしています。いや、見たことないけど。
「ジョシア様。右手の扉が洗面所ですので、手洗いうがいしてください」
「あ、ああ」
「行くわよ、ジョシア」
夫人がジョシア様の腕を引っ張って行きました。
あれ?
私が首を傾げていると、バンっと扉が開きこちらに戻って来たのでキッチンに案内します。
お母さんとお兄ちゃんと話し合った結果、追加で何か出しやすいように、キッチンがいいんじゃないか、となったので。
キッチンには、揚げたての唐揚げが山積みです。もちろん、市場に持っていく用が大半を占めます。
夫人が吸い寄せられるように唐揚げの山に歩いていくので、さっさと座らせました。
「侯爵夫人はこちら」
ちょこんと三つだけお皿にのせてテーブルの上に置きました。
「ちょっ、待って!あんなに山になってるのにたったの三つだけなの?!」
「焼肉定食」
「……は?」
「お味噌汁に玉子焼きに焼肉。唐揚げでお腹いっぱいになって、入らなくてもいいんですね?」
夫人が呆然と私を見ています。わなわなと唇が震えているようです。
「ちなみにデザートは羊羹とプリンのどちらが━━」
「もちろん両方よ!!」
カタン、とテーブルに焼肉定食━━ご飯とお味噌汁と玉子焼きと焼肉(付け合わせにキャベツの千切りとポテサラ)━━をお母さんが夫人とジョシア様の前に置きました。
焼きたて、美味しそう。
昨日市場で必要な材料を買ってから家に帰り、以前お母さんと試行錯誤して完成させた焼肉のたれを作りました。
りんごやにんにくやしょうがをすりおろすのは、面倒臭かったけど。お兄ちゃんもお父さんも大好きなんですよ。生姜焼きも好きですけどね。
「ミア。大丈夫そうだから届けてくる。急いで戻ってくるよ」
「はい。いってらっしゃい」
今日はベンさんとお父さんが市場に行っているので、お兄ちゃんが届ける係になっている。
お母さんは料理をしないとならないし、私は一人に出来ないからだそう。
……お手伝いくらい出来るもん。
夫人は、というと。
一心不乱に食べている。ちゃんとお箸を使えているけど、やっぱりあれだよね。こんなに唐揚げと焼肉定食に反応するんだし、決定でしょう。
ちらりとお母さんを見ると、苦笑して頷かれました。
「焼き肉美味しかったですか?」
「スッゴい懐かしいわぁ」
人心地ついたのか、ポテサラを美味しいと言いながら答えてくれた。
夫人は大変だったんですねぇ。ん?お母さんもずっと食べてなかったはず。お母さんも大変だったんでしょうか。
「それにしても。よく味噌があったわね」
「なんとか作りました。鰹節はまだ見当たらないんですけど、昆布はここでも手に入りますよ」
「え?キンバリー侯爵領には海がないわよね?」
「他領のものが売ってました」
「ポテサラのマヨネーズは?」
「?お酢と油と卵で作れますよね?」
夫人が私の両肩を掴む。痛い痛い痛い。
「貴女、もしかしなくても料理上手な日本人よね?!」
「やっぱり貴女、日本人なのね」
夫人の発言に、しかし答えたのは私ではなくお母さんでした……。
□ □ □ □ □
お母さんと夫人が和気あいあいと話し込んでいます。
私とジョシア様は、夫人の高いテンションについていけません。
お母さんは、私達が転生者と分かる前が似た状況だったので、夫人の話を頷いて聞いています。
「あの、なんと言っていいのか。
元気になられたようでなによりです」
「ああ、そうだな。
なんと言っていいのか分からないが、まあ、母上が元気になったのだから良かったよ」
私もついていけないテンションですから、男の子には辛いかも。
しかし横顔を見ると、嬉しそうに笑っています。
そうか、そうだよね。
上流貴族なのに、必死に市場にまで直接来ちゃうくらいなんだもん。嬉しいに決まってます。
「あの、お母さん」
「なぁに?」
私がちらりと視線をジョシア様に向けると、お母さんは頷きました。
「まず親子の会話が先だったわね」
「え?親子の会話なんて毎日しているわよ?」
ね?と夫人言われ、ジョシア様がうつむきました。
「……母上は、ここ二ヶ月ほど、ずっとぼんやりしていて……」
「二ヶ月、も?」
「あまり食が進まず、倒れるのではないかと……」
「ああ。確かにガリガリだねぇ」
お母さん、容赦がないなあ。
でも、こんなに細いと、いつ倒れても不思議はなかったのかもしれません。
お医者さんにも、それとなく言われていたとのこと。
「……私、危なかったのね」
「まあ、あのキンバリー侯爵夫人なら、危ないよねぇ」
「……あの?」
私が首を傾げると、お母さんは苦笑して、それから夫人を見た。
「貴女は、『あなた色の恋物語』略して『あな恋』を知ってるんでしょ?」
「知ってるわよ。そして絶望したわよ。
私、ゲーム前に死んでるじゃないのよ」
「!母上?!」
ジョシア様がうわずった声をあげます。当たり前です。ゲームの話なんて、私達にしか分かんないよ。
多分、従者の方や護衛の方達も分からないし、侯爵様にのちほどどうやって説明するんでしょう?
それにしても、フルは『あなた色の恋物語』って……なんてタイトル。酷すぎて思い出せなかったんですよ、きっと。
「えーと、ジョシア。これはね……ここと似た小説の世界の話なのよ」
「小説、ですか?」
「そう。そこでは私の役は、精神的に不安定になって亡くなるのよ」
「!」
「確か、息子が九歳になる日だったかしら?あれ?ジョシア、貴方の誕生日って……」
「……再来月で九歳です」
「え?まだなってないって?どうするつもり?」
「……強制力ってあると思う?」
ジョシア様が青ざめています。お母さんも驚いているし、夫人は天井を仰いだ。
「もう不安定ってことはないね」
「死因が変わるとかかしら?」
「それなら護衛を強化してもらって、家に籠りなよ。息子の誕生日が過ぎたらいいんじゃない?」
「……ウチに来てくれる?」
「一般人に無茶言わないで。明日だって商売があるんだって」
「薄情者ぉ」
「……当日くらいは一緒にいてあげようと思ったけど必要ないんだね」
「ごめんなさい。お願い、見捨てないで。美味しいご飯が食べたいから作って」
夫人の目的にお母さんの料理が加わっています。ずっと和食を食べれなかったのだから、仕方ない……よね?いや、焼肉が和食でいいのかとかは考えない、うん。
「護衛を強化したら大丈夫でしょうか?」
「う~ん。それは何とも言えないなあ」
困ったようにお母さんは苦笑しました。ジョシア様の顔色がずっと悪くて、なんとかしてあげたいものの、こればかりは断言できない。
「取り敢えず、今までのは再来月危なかったのを夢で見て精神的に不安定になってたってことにしなさいね。旦那さんに説明をしないと」
「そうよね」
「で、まだ過ぎてなくて不安だから護衛や警備を強化してって言えば?侯爵家なら、それくらいなんとでも出来るっしょ?」
「……護衛と警備を強化したら、大丈夫かしら?」
「打てる手は打たないと。
まだ貴女の息子、八歳でしょ。諦めるのは最後の最後!」
「そうよね!頑張るわ」
「そうよ、頑張ろうね」
お母さんと夫人は、あっという間に仲良くなって、抱き合ってる。
「ただいま━━って、なにやってんの?」
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
扉から顔を覗かせたお兄ちゃんにハグします。お兄ちゃんはお母さんと夫人を見て、訝しげに眉をひそめました。
「夫人も転生者だって」
「……まぁ、そうだろうな」
こそっと告げれば、空になった焼き肉定食のセットを見て、お兄ちゃんが呟きました。