モルトハウス伯爵
学園にいる娘から手紙が届き、金曜日の夕方、虹の鈴商会のある通りの馬車止めに来ていた。
「お父様」
馬車から降りれば、先に着いたと思っていたのに、こちらよりも前に止まっていた馬車からブレンダが降りて来た。
先に降りて来た少年の手を借りて。
「……ブレンダ?」
「大切な話があります、お父様」
「このまま、キンバリー侯爵家へご一緒願えますか?」
キンバリー侯爵家?何故この少年が?ご子息のジョシア様ではないはずだ。
私は訳が分からず、顔をしかめる。
「こちらの馬車についてきて下さい」
「お父様」
ブレンダが私の背を押し、馬車に導く。ブレンダも一緒に乗って来た。
御者が少年の馬車に続くように馬を走らせ始めた。
「ブレンダ?どうしたの?」
妻のビアトリスが、馬車に乗り込んできたブレンダに首を傾げ、話しかけた。
「キンバリー侯爵家へ向かっているの」
「キンバリー侯爵家?さっきの方は、キンバリー侯爵家の方?
ご子息はもう少し年下かと思っていたのだけれど」
「彼は、サザランド伯爵家のアルフ様よ。
今日のお話に、侯爵様も同席して下さるの」
「侯爵様が?」
眉間に皺が寄る。
ブレンダが、何度か深呼吸を繰り返し、緊張した面持ちで私を見た。
「私、アルフ様と結婚したいの」
「ブレンダ?貴女、何を言っているの?!」
「このままだと、アーネスト様にまた求婚を受ければ、拒めないでしょう。そうなる前に、アルフ様と婚約したいの。
侯爵様は、後見人になって下さるって━━」
「侯爵様はご存知なのか?」
「アルフ様がお願いしてくれて。
アルフ様の妹のミア様が、侯爵様の嫡男ジョシア様の婚約者なの。その繋がりで請け負って下さったのよ」
「しかし……」
アーネスト様も侯爵家の人間だが、キンバリー侯爵家へ頼むとなれば、おそらく家の格から言っても、強引に婚約を解消させることは難しいだろう。
ただ、この事に侯爵家を巻き込んでしまう。
「お願い、お父様。私、アルフと結婚したいの」
ブレンダは侯爵家に着くまで、何度も私にそう繰り返した。
侯爵家に着くと、直ぐに何故か食堂へ案内される。
そこにはサザランド伯爵家の他に、キンバリー侯爵夫妻と更にライトフット公爵夫妻がいた。
「あ、あの……?」
「いきなりお呼び立てして、すいません。さぁ座って下さいね」
そう声をかけてきたのは、どちらの夫妻でもなく、おそらくサザランド伯爵夫人だと思うのだが、目を見開いた。
彼女がワゴンに料理を乗せて運んでいたからだ。
「今、出来たところよ」
「いい匂いがするな」
「さぁ、食べながら話しましょうか」
「え?婚約の話、ですよね?」
「あら、もう聞いていらっしゃるのね。なら、先に書類だけ仕上げましょう」
「あの?何故ライトフット公爵様達が……?」
「ああ、キンバリー侯爵家とともに後見人になろう。なんだか面倒な相手がいるらしいからね」
「この料理が目当てなんでしょ」
「今日も美味しそうね」
確かにいい匂いがするが、ちょっと待ってくれ。私の娘の婚約の話だ。大切な娘の一生の問題だ。
それが料理のついででは、いたたまれない。
「モルトハウス伯爵様」
先程の少年が、隙の見えない動きで私の元にやって来た。
「我が家はまだ貴族となったばかりで、不安に思われるかと思いますが。ブレンダ様を幸せにします。どうか結婚をお許し下さい」
「……アルフ」
頭を下げる少年━━アルフをブレンダが目に涙をためて見つめている。
なんだ。もう、決まっているではないか。
「あんな口先だけの男よりいいだろう」
「違うわ、お父様。あんなのと比べなくてもいい人なのよ」
ブレンダが両手を握りしめ、力説する。
惚れているのは分かるが、のろけすぎではないのか?
「それにしても、急な話だわ」
ビアトリスが呟くと、ブレンダが顔を曇らせる。
「闘技大会の剣術部門でアルフが優勝して、色々な方に誘われているのを見ていたくなかったの。
それに、私に婚約者がいないからと言い寄ってくる方がいて、それを見たアーネスト様がまた何か言ってきそうで怖かったの」
「ブレンダ……」
確かにアーネスト様はブレンダに執着していたから、何かしら行動を起こすだろう。
今までも断り続けてきたが、段々と風当たりが強くなって来ていた。
ロックハート侯爵家と親しくしていなくても、モルトハウス伯爵家と比べれば、侯爵家をとる貴族は多い。
つまり、我が家との、我が領との取引を避ける貴族が年々増えていた。
領地のことを思えば、さすがにこれ以上断れなかった。
しかし。
「私達が後見人となれば、いくらか楽になるのではないか?」
「しかし、モルトハウス伯爵家は中立派だろう?ライトフット公爵家まで後見人では、国王派と見なされることにならないか?」
「いえ、それは構わないのですが。逆に我が家のために、ここまでしていただくのは……」
「ああ。それはこちらにも利がある。アルフに恩を売れる滅多にない機会だからな」
ニヤリとライトフット公爵様が笑う。
敏腕で知られる宰相であるライトフット公爵様に恩を売れると思わせるアルフは、どんな人物なのか。
「ハンナの料理は、外交でも活用している。サザランド伯爵家に恩を売れるいい機会だ」
「外交で料理を?」
「モルトハウス伯爵も知っているだろう?サザランド伯爵家の商会が、王都でスイーツ店や食堂やパン屋を運営しているのを。
そのレシピをハンナが考えているんだよ」
「私以外にもいるけどね」
「それを外国からの客人たちに振る舞うと、新たな貿易品になったりするのだよ」
新たに貴族となったばかりのサザランド伯爵家が、宰相に重用されているということか。
そこにブレンダが嫁ぐのか?大丈夫だろうか……。
「モルトハウス伯爵家の特産は何ですか?」
「メイプルシロップは、外国にも負けない量と質を誇っているよ。
他には小麦と大麦、牛と豚の飼育もしているが、他領よりいくらか盛んな位だ。
海があるから魚も獲れるが、貴族はあまり魚を食さないから、ほぼ領民用だな」
「メイプルシロップ……」
アルフの妹らしき少女に聞かれて答えれば、メイプルシロップにひかれたようだ。
「モルトハウス伯爵領は、北部の寒い地域なの。人が少なくて、でも農地が広いから、領内に充分行き渡るし、他領に販売しているのよ」
「寒い地域なんですか?」
「森も広いから薪に困ることもないけれどね」
「う~ん。寒い冬は、鍋やシチューやグラタン、チーズフォンデュ?」
「……美味しそうね」
ブレンダが更に言えば、何か呪文のような言葉を並べる。鍋とシチューは知っているが、『ぐらたん』『ちーずふぉんでゅ』とは何だ?シチューからすると食べ物のようだが。鍋は鍋だろう?食べ物ですらない。
「とろみがある方が冷めにくいわよ?まぁ、暖をとるために火をつけているから、そこに鍋をかけていればいいだけだけど」
「領民が食べるものとなると、どうかしら」
「酪農していてチーズやバターが手軽に使えるのなら━━」
ビアトリスがサザランド伯爵夫人となにやら話始めた。
モルトハウス伯爵領の冬は早く来て、長く寒さが厳しい。作物がとれるとは言え、葉ものは冬の間ずっともつものでもなく、食べられる食材がどうしても決まってきてしまい、作る料理も変化が乏しい。
「魚って何が獲れるのかしら?」
「サーモンやタラですわ。ロブスターも獲れます」
「クリームパスタも美味しそう」
ビアトリスとサザランド伯爵夫人の会話に、少女も入っていく。
「クリームコロッケもいいけど、領民が自宅であんなに油は使えないでしょうね。伯爵家のおもてなしにはいいでしょうけど」
「おもてなしにいい料理、ですか?」
「ええ。取り敢えず、食事しながら話を進めましょうか」
サザランド伯爵夫人は、素早く大皿をテーブルに乗せていく。
山盛りの揚げ物や彩り鮮やかなサラダ、円い形のオムレツ?照りのあるパン。
湯気が立ち上るスープは小さく切り揃えられた野菜とベーコンが入っていて赤い色をしていた。
「……赤い?」
「トマトを使ってますから」
夫人の話を聞きつつ、食事を味わっていたが、その旨さに不安になった。ブレンダには夫人の真似は出来ない。一般的な貴族の令嬢と同じく、料理をしたことがない。
私がサザランド伯爵に聞けば、特に料理の必要はないと言われた。夫人が料理が上手いのは、元々一般人であり、また料理が趣味だとか。
そっと安堵の息を漏らし、それからは料理を堪能した。
赤い色のスープは、あっさりした中にベーコンと野菜の旨味が感じられた。
揚げ物は『豚カツ』と言うものらしく、ソースをかけて食べるとサクサクな衣とジューシーな肉が旨い。
円いオムレツは、中にジャガイモやほうれん草などが入っていた。
照りのあるパンは、胡桃が入っているもの、レーズンが入っているもの、何も入っていないものがあった。私の知るパンよりも柔らかく、三種類とも一つずつ食べ比べ、ビアトリスも満足げだ。
そして食事が終われば、ブレンダとアルフの婚約の書類を作った。
その間に出された『どら焼き』と言うスイーツは甘さ控え目で、旨い。
ライトフット公爵家のご子息二人が満面の笑みで食べている。
ふとビアトリスに視線を向ければ、サザランド伯爵夫人と料理の話をしているらしい。
そこにライトフット公爵夫人とキンバリー侯爵夫人も加わり、それぞれの家の料理人に、先程言っていた料理を教えることに決まったようだ。
クリームコロッケを我が家だけに、とサザランド伯爵夫人が言っていたが、キンバリー侯爵夫人の懇願により、他の家にも教えることになった。
娘が婚約することにより、私の世界が変わっていくのだろう。
少し寂しく思いつつも、望まれて嫁ぐことになって良かったと胸を撫で下ろす。
アーネスト様では、ブレンダにとってもモルトハウス伯爵家にとっても、不愉快な思いをすることが目に見えていた。
夫人達と話すビアトリスも、アルフに幸せそうに微笑むブレンダも、これが正しい選択だったと語っている。
「王都では頻繁に交流しませんか?」
「そうですね。ブレンダがサザランド伯爵家に慣れるためにも━━」
「いいえ。ブレンダ様が嫁いでこられても、ですよ。私達は貴族の生活に慣れていませんので、よろしくお願いいたします」
サザランド伯爵がにこやかに右手を出した。
そうか。彼も娘を持つ父親だったな。
私の嬉しさと寂しさが入り交じる感情を察してくれたのだろう。
「ええ。これからお願いします」
私がサザランド伯爵と握手をするなか、楽しげな声が部屋にあふれていた。




