新米伯爵のお仕事その2
王都の邸に帰ると、ベンがジョセフ様から書類と伝言を預かっていた。
何でも領地に関する急ぎの内容を宰相から預かってきたそうだ。
俺は書斎でその書類を読み、深く息を吐いた。
「いかがなさいましたか?」
「そうだな……ハンナたちをがっかりさせる内容だった」
アルフは毎日のように領都の安全のために、辺りの動物を狩っていた。
ミアもあちこち精力的に整地してまわっていた。
「早めに伝えた方がいいだろう。手紙を書くから、その間に酒を用意してくれ」
「かしこまりました」
俺は簡潔に手紙を書くと、机の上にある箱に入れ、ふたを叩いた。
王都の邸と領都の邸に片方ずつ置いてある魔道具で、手紙を入れて閉めたふたを二回叩けば、もう片方に移動する。
使う魔力が少ないので、俺やハンナでも使えるありがたい魔道具だ。
難点は対になっている箱同士でしか対応していないことだが。
酒を持ってきたベンにはもう休むように言い、俺は手酌でワインをついだ。
今夜はもう何もする気がなくなった。
いや、何かをしたところで意味がないだろう。あれはそんな土地だったのだから。
ボトル半分ほど飲んだとき、魔道具に手紙が送られてきた。
家畜の世話や畑など、やることがあって、すでに寝ていると思っていたが、ハンナは起きていたのか。
ジョセフ様が持ってきた書類には、あの土地の変わった性質と歴史が書かれていた。
全てではないが、植えた苗や種が、成長するにつれ、別の植物へと変化してしまうというもの。
それから、水害によりかつてあの土地にあった国が立ち行かなくなり、スクワイア王国とソレイユ王国に国土を渡し、保護を求めたという話。
つまりは、あの土地を開拓する意味がないということだ。
なぜこんな大事な内容が抜け落ちていたのか。知っていたなら、開拓するはずがない。
俺は目頭を押さえ、それからハンナからの手紙を取り出した。
広げて読み始めれば、それは考えられない内容だった。
「本気か?」
ハンナは、植物の変化はなんとなく予想出来るようだ。
水害に関しては、ミアが河川を整えた時に対策をしているらしい。なぜ対策を取れたんだ?
そして、このまま領地を開拓したいと書かれていた。
俺はすぐにハンナに手紙を書いた。
宰相と交渉する際に、何に重点を置くのか。
取り敢えず、際限なく条件を並べ出し、そこから最低限得るべきものと、それ以下を優先順に並べることまで、出来れば詰めたい。
そうして送った俺の手紙には返事は来なかった。
手紙ではなく、ハンナが子供を連れてやって来たからだ。
「明日の仕事はボブとビリーにお願いしてきたわ」
ハンナは目を爛々と輝かせているが、転移陣を発動させたミアは、ほぼ寝ている。
アルフも大分眠そうだ。時間が時間だからだ。
ミアは寝ていたのを起こされたに違いない。緊急事態とはいえ、ちょっと可哀想だったな。
「二人はもう寝なさい」
「……おやすみなさい」
アルフは軽々とミアを抱き上げ、そのまま寝室に向かった。
ハンナにも、取り敢えず話は明日にして、今夜は休もうと提案する。
テーブルの上を見て、肩をすくめられた。
「詳しくは明日がいいわね。貴方、お酒をたくさん飲んだみたいだし」
「不毛の土地と言われる理由が分かったからね。正直がっかりしたよ」
「う~ん、不毛っていうか、自分たちに馴染みのない植物になっちゃうから、開拓を辞めただけじゃない?
あと、水害がキツイのかしら?」
「国が立ち行かなくなった原因らしいよ。
それに、スクワイア王国には馴染みがない植物でも、ソレイユ王国は似た気候のはずだから馴染みがあるんじゃないか?
そのソレイユ王国も見放した土地じゃないのかと考えると……」
俺の言葉に、ハンナも難しい顔になる。
「ソレイユ王国の方の土地も水害なのよね?似た気候なら、わざわざ水害の多い土地に作付けしないわよ。
でも、ミアが調整していたから、領地の水害は来年様子見かしらね。あの対策で防げないほどの水害なら、お手上げだわ」
「……いくらミアでも、雨を操作できないだろう?」
「そこじゃなくて、川を整えたのよ。
うねうね曲がっていたのをなるべくまっすぐにしたり、堤防の幅をかなり広くとっていたし、領都側の堤防より、向こう側の堤防を低く作ってあるって」
「それで水害がなくなるのかい?」
「全くないってわけにはいかないけど、洪水は確実に減るわね。
領都は海までの距離があるから、高潮や高波は大丈夫じゃない?
領都は平地だから土石流も、そんなに心配ないと思うけど……。
ああ、土石流が川をふさいだら大変かしら?」
ハンナの言う内容は、何だか実感が持てない。
あの土地にどれだけの価値があると言うのか。
「植物は、変わるものと変わらないものがあると思うのよ。
だから、優先順位を決めて、確認していきたいの。
今までの資料があるなら、見せてもらえれば楽だけど。資料にないものも試したいし」
「しかし、それでは領地が立ち行かなくなってしまうよ」
「家畜は変わらないじゃない。
だから、それを使った商品は問題ないわよ?」
「……え?」
「豚はベーコンやソーセージを作って、鶏は卵を使ったお菓子がいいわよね。
牛は、牛乳をバターやチーズにするのはもちろん、お菓子に使って、今までにないものなら、売れるんじゃないかしらね」
「初めて見たものをそんなにすぐ受け付けるかどうか……」
「そこは、連絡ミスしたお偉いさんに協力してもらうわよ。
ま、そこまでしなくても、カトリーナが勝手に流行らせてくれるわよ。侯爵夫人なんだから影響力が高いでしょうしね」
単に振る舞えば、カトリーナ様経由で貴族の夫人たちには広まると、ハンナは考えているようだった。
「それとね。あの子達がまた魔法陣を作ったんだけど」
「領地に関係あるのかい?」
「大ありよ。気温がほぼ一定に保てるの」
「それは冷蔵庫があっただろう?」
扉付きの棚を思い浮かべれば、ハンナは首を振る。
「私はあんまり理屈を分かってないから、上手く説明出来ないけど」
そう言ってはじめた説明は、俺の想像をはるかに越えていた。
魔法陣を焼き付けた柵で囲んだ範囲の気温がほぼ一定に保てる。
気温を保つだけなので、風雨はそのまま。
柵が壊れたら気温は魔法陣の影響を受けない時に戻る。
しかし、魔法陣を発動し、更に効果を出し続けるには、魔力が必要だ。
今のところ、冷蔵庫が空気中の魔力で補える限界だと言っていなかったか。
「冷やす方が魔力がかかるみたいよ。それに、領地は元々ここより暖かい気候だしね」
「つまり、あの土地を更に暖かくするのかい?」
「そ。それでサトウキビを作るわ」
サトウキビと聞き、俺は息を飲んだ。
確か、領地の調査をしに行ったときも、調査書自体にも、サトウキビを作れる島があると聞いていた。
しかし、その島は広くないし、領都からかなり離れているので、領地の運営が軌道に乗るまでは開拓を諦めたはずだ。
「わざわざ島で作らなくても良くなったのよ?これってウチの特産に出来ないかしら?」
「……場所は?」
「領都内よ。かなり空き地があったじゃない?
その側に砂糖の加工施設を作って、お菓子も作って販売は王都で、ってところかしら」
砂糖はソレイユ王国をはじめ、南方の国々からの輸入がほとんどだ。
これを領地で作れるなら。
「あ、そうそう。胡椒も作れそうだって」
「胡椒まで?!」
俺が驚いていると、ハンナは更に他の香辛料の名前をあげていく。
確かに、ここより暖かい気候の土地で獲れる作物だ。魔法陣がきちんと発動するなら、可能なのかもしれない。
「だから、諦めないで一年は様子を見ましょうよ」
「……ああ、そうだな」
「一年後、どちらに転んでも大丈夫なように条件を考えて提示しましょ」
俺はハンナに頷くと、ため息を吐き出してソファーに身体をあずけた。
「俺は役に立たないな」
「それを言うなら、私が役立たずでしょ」
「ハンナが?料理上手じゃないか。ハンナの料理で領地が潤う」
「何言ってるの?料理を売る店も商会も、貴方の人脈でしょ?私には無理よ。
料理なら、私以外にも作れる人がいるもの」
お互いが自分自身が役立たずだと認識していたようだ。
けれど、ハンナが役立たずだなんて俺だけでなく、子供達もカトリーナ様も認めないだろう。
そう言うと、ハンナは抱きついてきた。
「本音言うとね。ちょっと怖かったの。
私には、何もないから」
「何もないわけないだろう?それを言うなら俺だって━━」
「貴方は商会の実績があるじゃない」
久しぶりにハンナがいじけた顔をするので、俺は苦笑しながら髪を撫でる。
「卑下しあうのは、やめておこうか」
「……そうね」
「それに、やっぱりハンナは役立たずじゃないしね」
ちょっと気恥ずかしいけど、大切なことなので、俺はハンナの目を見つめた。
「ハンナ以外の誰も俺の奥さんにはなれないんだから。ハンナがいなきゃ駄目だろう?」
「なっ!」
瞬時に真っ赤に染まったハンナの、額に口づけた。
領地の話は酒の抜けた明日でいい。
今夜は、俺もハンナも、少し気を緩めて休むべき時期なのだとゆっくり休むことにした。




