王都・準備中━━領民候補その4
僕はテリー。勤めていたチーズ工房がつぶれてしまい、就職先を探していた。
そんな中、妻のコメットが本人曰く『面白い話』を持ってきた。
何でも新しく出来る領地の領民を募集しているとか。
そのわりに何故かテンションが異様に高いと感じていたけど、なぜかは分からなかった。
説明会に獣人がいたのにはびっくりしたけど、見学会にも来ていた。
特に暴れることもなく、まあ領民として仲良くしていこうと思っていると、ヒステリックな女が何か言っている。
「あれもってなると面倒くさいわね」
「……さすがに伯爵が許可出さないんじゃない?」
「そうかなぁ。表情が変わらないから分かんないよ」
コメットの言う通り、伯爵はポーカーフェイスで人当たりのいい笑顔を標準装備しているから、感情が読めない。
でも、伯爵夫人は嫌そうに顔をしかめたから、領民にはしないと思うなぁ。
それぞれ見学はパン屋と農地とに別れてまわることにした。
僕は本当はチーズを作りたかったけど、チーズ職人の募集はなかったから仕方ない。
牛を育てるか作物を育てるか。
僕がぼんやりと牛を見ながら考えていると、お嬢さんがやって来た。
「どうですか?牛の他に鶏と豚もいるんですよ」
「……牛は、食肉用ですか?」
「乳牛なので、牛乳を絞ってチーズを作るつもりだったんですけど……」
「チーズ職人は募集していなかったですよね?もういるんですね……」
僕が遠くの牛に視線を向け、ぼんやりいいなぁとチーズ職人を羨んでいると、視界の中でお嬢さんが頭を振ったのが見えた。
「領地運営は初めてのことばかりで不手際が多いんです。チーズ職人さんも募集をかけ忘れました」
━━は?今なんて?
「牛乳のまま全部売るしかないですね、今のところ」
「……僕がやります」
「え?」
「僕がチーズを作ります!
あれは水牛ですよね!ってことはモッツァレラチーズを作るつもりなんですよね?!山羊はいないんですね。でもジャージー牛がメインなんですか?おお」
「え?牛乳はミルクティーとかに使うつもり……」
「あんなにいて、紅茶に入れるだけじゃあ、消費しきれないじゃないですか!」
「ですから販売……」
「ここから王都に?夏場は腐りますよ!」
僕が言うと、お嬢さんは何かぶつぶつ言っている。腐らせないとか転移陣とかなんとか。
「牛がいるのに、チーズを輸入するつもりなんですか?」
「だって、作れる人がいないし、熟成に時間がかかるからしばらくは輸入するしかないし」
「作るつもりがないんですか」
僕はがっかりして項垂れた。
牧場は僕が知っている牧場なんかより大きく、倍以上余裕である。高い壁で囲まれた王城の敷地くらいありそうだ。
そんな恵まれた環境なのにチーズを作らないなんて。牛乳のまま?売る?なんてことか。
「作らないっていうより、作れないんです。
何種類かは母が作れますが、伯爵夫人としての務めも考えると、チーズに向き合ってばかりいられませんし」
お嬢さんは、チーズではなくて、バターを作ったり、お菓子や料理にも使うつもりだと言った。でも、どう考えても余る。
「作れる人がいたら?」
「お兄さん、チーズ作れるんですか?」
「……チーズ職人だったんです。工房がつぶれてしまいましたけど」
キラリとお嬢さんの目が煌めいた。
「チーズ、作れるんですね?」
ふふふ、とほくそ笑み。
僕は何かを間違えたのかもしれない。いや、チーズを作ることが出来るなら間違いじゃないはず。
「ミア?どうしたんだい?」
「お父さん!あのね」
お嬢さんは伯爵に僕がチーズ職人だったと説明を始めます。
伯爵は何度も同じことを説明するお嬢さんの話を根気強く聞いていた。
「君はチーズ職人になりたいのかい?」
「は、はい!」
僕は即答した。
そんな僕に、伯爵は腕を組んで首を傾げる。
「牛乳から出来るのは何もチーズだけじゃあない。
バターも作らなければならないし━━」
「作り方さえ教えていただければ、作ります」
「必要な道具が分からなくてね」
「先日まで作ってましたから、分かります」
僕の答えに伯爵は頷き、にっこり笑う。
「詳しい話は見学が終わってからにしましょう。ここに住むかどうか、きちんと見てください」
ポーカーフェイスでやはり分かりにくかったけど、伯爵の印象は悪くなかったと思いたい。
見学が終わり、夕食は広場でみんな一緒に食べることになっていた。
すでに美味しい匂いが漂っていて、説明会の食パンや今朝のパンの旨さから期待が高まる。
「テリー!どうだった?」
コメットが手にしていたパンをテーブルに置くとやって来た。
「ひょっとしたらチーズ職人になれるかもしれない」
「え?」
「牛が沢山いて、聞いてみたら今回募集し忘れたみたいで、さ」
「なにそれ?良かったね」
左手にぎゅっと抱きついてきたコメットの頭を撫でる。
「コメットは?」
「うん。やっぱり思っていた通りだった。私、ここに住みたい」
僕とコメットは笑いあい、もうすでにここに移住することを決めた。
王都に帰るその日の朝、伯爵は夫人を連れてやって来た。
元々宿泊は、移住した際に住むことになる家屋が割り当てられ、寝袋を支給されただけだったので、ここには僕ら夫婦しかいない。
「チーズとバターを作ってもらえるそうだけど、本当に?」
「はい!バターは経験がないのですが、レシピを聞けばなんとかなるかと」
「チーズは元々職人なのよね?」
「はい」
「じゃあこれに必要な設備や道具を書いてね」
僕が返事をする前に伯爵が口をはさむ。
「まずは移住の意志があるかどうか聞かないと」
「あら、コメットも来るでしょ。ここを知ったら、他の領地になんて行けないわよ」
「ううう。その自信を覆したい……」
「ふふん、他の領地に住めるの?
旦那さんに聞いてるか知らないけど、水田もあるし、大豆も小豆も作るし、娘は和菓子が作れるのに」
「ここに住むわよ!なんでそんな意地悪言うの?!」
信じられない、と続けたコメットだけど、いや、伯爵夫人にそんな口調の君の方が信じられないよ。
「あの、すいません!」
「いや、私達も最近まで一般人だったからね。妻もこうなんだよ」
伯爵は苦笑して肩をすくめた。
「移住してくれると考えていいのかな?」
「はい」
「では、チーズ工房に必要なものの指示を頼むね?
説明会をした場所に商会を開くんだが、そこの人間に言ってくれたら手配するから」
移住の日時については、僕らにまかせてくれるそうだ。
でも、コメットはすぐに行くと乗り気だ。
和菓子を食べたいとか。
目的が違う気がするけど、僕は無職だし、コメットの仕事次第だ。
「じゃあ、これからよろしく」
「はい、お願いします」
差し出された右手に応えて握手をすると、夢じゃないんだな、と思えてこれからが楽しみで仕方なかった。
次の章はまるごと兄妹視点ではない予定です。




