キンバリー侯爵領・アルフ10歳
ジョシアの誕生日から日付がかわり、テンションも高く喜び、しかし子供は寝ろとすぐに部屋へと向かわされたのだが、気になることを思い出し、俺は食堂に引き返した。
「アルフ?どうしたんだい?」
「気になることを思い出しました。
カトリーナさんと侯爵の魔道具━━ペンダントを見せて下さい」
俺の台詞に侯爵の眉が寄る。
確かに今、ジョシアの誕生日を過ぎてみんなホッとしていたばかりだ。
しかし、だからと言って放置していていい問題ではない。
「ペンダントならしてるわよ?ほら」
カトリーナさんが胸元からチェーンを手繰り寄せて見せたそのペンダントの魔晶石は、透明になっていた。
「!」
「まさか!」
侯爵も手繰りあげ、赤から黄色に変わっているその石に愕然とした。
これがなかったらどうなっていたのか━━誰も口に出さなかったが、喜びから一転、背筋が凍える。
魔道具を使う機会があった━━そういうことだ。
色の変化からすると、侯爵よりもやはりカトリーナさんの方が強い何かを受けたのだろう。
確かに、俺達が出掛けたのは不自然だ。
侯爵が行動を妨げないようにと護衛に言っていたのも、不自然だ。
あの時、何かしらの力が働いていたのかもしれない。
「ジョセフ様。予備はあるのですか?」
「……一応、いつものところからも魔晶石を買って作っている。
しかしこれは……」
「たぶん、ジョシアのも透明になっているか、色の変化があったでしょう。替えた方がいい」
侯爵の、いつものところという発言が気になったが、俺の台詞に父さんがごそごそと袋から取り出した赤い魔晶石に驚いた。
「今は六つですが、足しにして下さい」
「有り難い。
買い取りは先日の値段でいいか?」
━━先日。
つまり父さんは侯爵に売っていたのか。
母さんも察したらしい。これがミアの作ったものだと。
「いいえ。今回良くしていただいたので御代は要りません」
「しかしそれではっ」
「妻もお世話になっておりますから」
「それよりも。定期的に入手出来るのですか?」
「定期的に、か。
いつもの分に加え、これ程の頻度でとなると━━なんとかするしかないだろう」
「私達もそろそろ王都へ立ちます。
王都のお屋敷をお教え下されば、こちらから伺えます。どうか」
母さんが言えば、侯爵が何度も頷いた。
「君達には、本当に世話になる。
お願いしてもいいだろうか」
「もちろんです」
それから俺達は、ジョシアとミアには内緒にすることに決めた。子供に不安を抱かせては駄目だろう。
いや、今の俺は十歳なんだけどさ。
□ □ □ □ □
キンバリー侯爵領を出発する朝、父さんはどこをどうみても寝不足だ。
原因は今、ジョシアと楽しそうに話している。
兄としてはまだ早いと思わなくもない。
ジョシアがミアにそういう思いを抱いているのは、前世で三十越えだったから分かってはいた。
実際に俺に対抗意識を燃やして、剣の稽古をしたいと言ってきて、今月は稽古をつけていたし。
昨日真剣な表情でミアを呼び出し、顔を赤くして帰って来た二人を見れば上手くいったのかと思っていたが、 上手くいきすぎだ。
ジョシアは昨夜夕食のあと、侯爵とカトリーナさん、それからウチの両親にミアとのことを話したらしい。
らしい、というのは、俺はミアと一緒にいたからその場に居なかった。
結果、カトリーナさんと母さんは舞い上がり、父さんは哀れんだ侯爵と酒を飲み、この有り様だ。
カトリーナさんに、侯爵は反対しないのかと聞けば、「私を助けてくれた一家なのに?」と逆に聞き返される始末だ。
確かにジョシアは、剣にダンスに勉学に励む、将来性のある子供だろう。
でも侯爵だ。
ミアがしなければならないことはないのか聞くと、「まだ子供じゃないの」とカトリーナさんは気にしていなかった。
この世界はゲームで、攻略対象者に隣の国の者がいて、たぶんそのせいだろう。外国語が存在しない。
この世界はみんな同じ言語を使っている。方言はあるけど。
だから外国語の勉強はいらないし、数学……というか算数はミアのレベルで十分だろう。読み書きも問題ない。
ゲーム内で、時間制限付きのミニゲームがあったが、全年齢対象だったから、小学生レベルの問題だった。子供騙しだと妹が言っていた。
どうもここでも、そのレベルみたいだ。
勉強が必要なのは、この世界の歴史と地理。貴族のマナーとかは、俺達ではどうしようもない。
そこでカトリーナさんと侯爵にお願いして、簡単な歴史と地理の本をミア用にもらった。
俺も使わせてもらおう。うん。
ジョシアの勉強に、何度かミアと共に参加させてもらったが、もう少し詳しく知りたい。
今月、母さんとカトリーナさんはゲームの内容を時間が許す限り書き出していた。
なんでも前世の記憶が大分なくなってきているらしい。
俺も記憶がなくなっていっている。
そう気付いた時から、剣に関することは特に些細なことでも、書き綴った。
家族や友人はかなり忘れている。
きっとここで生きていくために、忘れることも必要なのだろうが、それ以外の知識などは書き留めたい。
カトリーナさんはジョシアが攻略対象者だから、必死さが違う。
だけど。
ジョシアがミアに惚れて、プロポーズとか、どこまで原作崩壊しているのか、と聞きたい。
それでも、ミアが婚約者になっていないのには安堵した。
もし婚約者の立場になってしまったら、ライバルキャラになってしまうかもしれないからだ。ライバルキャラの名前も身分も違うらしいけど。
父さんと侯爵は二人きりで執務室で何か話し合っていたようだった。
父さんがミアとも話していたから、魔晶石を更に渡したのかもしれない。
まだゲームが始まる前の時期ながら、シナリオはもう覆したけど、まだ何があるか分からない。余分に渡したくなるのも頷ける。
俺がとりとめもなく考えているうちに、出発の準備は整ったらしい。
父さんが侯爵に、母さんがカトリーナさんに、ミアはジョシアに。
それぞれ別れの挨拶をして、幌馬車に乗り込む。
父さんがゆっくりと馬車を出し、動き出すとジョシアが数メートル走ってついてきた。
「ミア!王都で!」
「うん。またね」
ジョシアに手を振るミアは、普段とあまり変わらなかった。
「まあ、ミアとジョシアが上手くいって良かったわ」
母さんの発言に、ミアが固まった。
そしていきなり真っ赤になる。
「おおおおお母さん!何を言って━━」
「昨日、夕食のあと、ジョシアから許しを請われてね」
「え?ジョシア、が?」
「プロポーズしたから、いつか認められるように頑張るって。だからミアに婚約者を作らないでくれだって」
「あ、うん」
「自分にも婚約者を作らないでくれって」
「そう、なんだ」
呆然とミアが呟く。どうやらこの件は知らなかったようだ。
「だから父さんが今日おかしいだろう」
「……うん」
「まあ、それは仕方ないわよ」
仕方ないで済ませるのもどうかとは思ったけど、何も出来ないので放っておく。
「で、これがカトリーナさんと侯爵から貰ってきた歴史と地理の本。
少しずつ勉強しておけ」
「うん」
「俺も冒険者になるのに必要だから、たまに借りるよ」
「うん」
ミアは本を腕に抱え、視線をさ迷わせている。何か言おうと迷っているみたいだ。
「あの、ね」
「どうした?」
「私がジョシアと結婚するには貴族の養女にならないとって言われて━━」
「まあ、そうなるかもね」
「でもね。
私のお父さんはお父さんだけだし、お母さんはお母さんだけだし、お兄ちゃんはお兄ちゃんだけだよ」
なんて可愛いんだ!
俺がミアを抱き締めようとしたら、先に母さんがぎゅっと抱き締めていた。
「ミアったらなんて可愛いの」
頬擦りまでしている。
元々母さんは愛情表現が濃いタイプではあった。
ミアが前世でも子供だったと知ったからかもしれないが、最近更にミアにはスキンシップが多い。
ミアの性格も可愛いから仕方ない。うん。
「まあ、正式に婚約者になるのは、ジョシアが学校出てからだな」
「え?」
「ジョシアが攻略対象者だからさ」
俺が言うと、ミアは「あ」と言って肩を落とした。
「すっかり忘れてた」
「そう」
「うん。それで、十六歳までしか待てないって言っちゃった」
俺と母さんは視線を合わせ、同時にため息をついた。
この世界でも十六歳は少し早い。いや、そこから結婚の準備するなら丁度いいのか?
しかし問題はそこじゃない。
「十六歳って丁度ゲーム中じゃないの」
ミアはしょんぼりとしていたけど、まあこれは後でジョシアに説明するしかないだろう。
これからしばらく、父さんのフォローが大変だったのは、正直忘れたい。




