9歳━1
ジョシアが九歳になる今月は、私達は侯爵家に滞在しています。
名目はお母さんが料理を教えることと、お父さんと侯爵様との事業のお話だそうだ。
そんな中、私はジョシアより先に九歳に先月なりました。
私の方がお姉ちゃんです。
私が、お姉ちゃんです。
「お姉ちゃんってうるさい」
「本当のことだもん」
私がお姉ちゃん。ふふ。
そんなお姉ちゃんの私ですが、何故か今、ジョシアのお稽古に付き合わされています。
ダンスなんてやったことないよ。
「ちゃんとリードしてやるよ」
「ジョシアが偉そう」
「ほら、ステップ間違えるなよ」
むう。ジョシアが偉そうです。
そもそもなんでダンスのお稽古に付き合っているかと言えば、領地だと丁度いい背丈の子がいないから手伝って、とカトリーナさんに頼まれたからです。
次期侯爵だもんね。少しでも上手く踊れる方がいいかな、と一緒に踊ることになりました。
侯爵家滞在中は、毎日ダンスだ。先生はカトリーナさんです。
私がダンスに付き合っている間にお兄ちゃんは剣の稽古をしている。
侯爵様がその様子を見て、「本当に十歳か」と呟いていたそうだ。さすがお兄ちゃん。
お母さんは簡単な夕食を料理長と一緒に作ったりしています。
最初の食事会があれだったので心配していましたけど、お母さんの料理のスキルが一つ上の物にレベルアップしていると知った料理長が、お母さんに教えを請うという……。
自分よりもレベルが上の人に教わると、レベルが上がりやすいそうです。なので、職人として料理長はこの機会を逃したくなかったようです。
それにお母さんは裏表がない性格なので、そこが分かれば付き合いやすいってこともあったのかもしれません。
デザートのプリンを料理長に教えたり、色々なソースをお母さんが教わったり、更には二人で今ある料理を改良したりしています。お母さんが教える方が多いらしいですが。
なにはともあれ、美味しいので大歓迎です。
お父さんが侯爵様に赤い魔晶石を売ったので、カトリーナさんと侯爵様、ジョシアは精神異常を防ぐ魔道具を身に付けています。ネックレスタイプです。宝石のかわりに術のかけられた魔晶石がついてます。
服の下なので目立たないけどね。
格安で販売しようとしたお父さんですが、侯爵様がそれをよしとしなくて、王都にある魔術省の打ち出している価格で買い取ってくれたそうです。
それどころか、お母さんから料理を教わるからとお金を払おうとしたのをお父さんがなんとか止めたらしい。
ジョシアの誕生日は明後日。
明後日が終われば、ゲームのシナリオを変えられると、みんな更に気を引きしめた。
□ □ □ □ □
あっという間にジョシアの誕生日。
お祝いは夕食でと決まっていたので、お昼過ぎはまだすることがなく、執務室でお仕事中の侯爵様と、市場や商店街でどんな商品を扱っているのか見に行っているお父さんとベンさん以外は暇を持て余しています。
私は午前中のダンスのお稽古でヘトヘトだけど。
「ねえ、ちょっと商店街に行こう?」
「商店街?」
「もうすぐ王都に向かうんだし、ウチの様子を見るのもあんまり時間ないでしょ?」
「……それはそうだけど」
大丈夫?と、お母さんがカトリーナさんを見る。それから、侯爵様が着けてくれてる護衛の人達に視線を向ける。
「奥様達の行動を妨げないようにと言われております」
つまり、好きにしていいと。
だけど、今日だよ?よりによって出掛ける?
私がお兄ちゃんを見ると、やっぱり渋い表情です。お母さんも困った顔をしています。
「さっ、出掛ける支度して?
心配しなくてもすぐに帰れば大丈夫よ。ぐずぐずしないの」
カトリーナさんに促されて私達が準備をはじめてしまったのは、ゲームの強制力だったかもしれません。
みんなで馬車に乗り━━護衛の人達は馬に乗り━━商店街にやって来た。
先日お兄ちゃんと行った場所じゃなくて、貴族や豪商、豪農が買い物をする、高級店街だ。
周りのお客さんも、お金持ちっぽい。更にお金持ちなら家に直接商人が来るらしいけど、ここにいる人達だって高そうな服や靴とかを身に着けている。
いや、私達無理ですよ?
きれい目な格好をしているとは言え、どう見ても一般人。
お付きの侍女、従者に成り済ましても入店するのを拒まれる可能性が否定しきれない。
しかも今現在、チラチラこちらを見ている人が多い。完全に浮いている。
「……あのね、カトリーナ」
「え?無理ってことないでしょ?」
「無理に決まっているでしょ。一般人が買える値段じゃないわよ」
お母さんが額に手をあて、ため息をつきます。
いや、カトリーナさんって前世もお嬢様だったに違いない。
あれ?でも唐揚げに焼肉定食に餃子……あれ?
「……こっちに来てから価値観が狂ったのかも」
そういうことだそうです。
だから前世の話でお母さんと盛り上がっていたんだね、うん。
「じゃあ他の商店街に行く?」
「そうね。ここにいても買える物もないし」
「洋服と食材、どっち?」
「出来れば両方見せて欲しいんだけど」
「じゃあ移動しよっか。次の商店街━━」
「金ならあるって言ってんだろ!」
開けられたドアから転がり出た男の人が怒鳴り、お母さんの台詞が遮られた。
男の人の服装は私達よりも一般人的だ。
「金銭の問題ではありません。当店ではご期待に添えないかと」
「だから金ならあるって言ってんだろ!」
男の人が苛々しながら更に怒鳴っても、店員は頭を下げ、それからドアを閉めた。
お前なんか客じゃない、とそういうことだ。
男の人の、わりと側にいた人達がした、「みっともないわね」「本当。身分をわきまえないなんて」との会話が筒抜けで、ギラリと睨まれます。
「おい!何か文句があるならはっきり言えよ!!」
女の人って声のボリュームがおかしくなりがちだよね。目の前であんな大きい声で会話なんて普通しないよ。
二人の侍女や従者が間に入り、男の人が手出し出来ないようにガードしている。
こんな考えなしの人達の侍女や従者って可哀想だなあ。嫌な仕事が増えるんだもん。
「みんな、早く馬車に乗れ」
こそっとお兄ちゃんが促し、足早に馬車に乗り込もうとしたその時。
「あら?キンバリー侯爵夫人ではなくて?」
「あら、本当」
背後から先程の人達が、カトリーナさんの素性を明かしてしまいました。「ごきげんよう」って、全然ご機嫌ではありません。
身分が高くても考えなしの人って、つける薬がない。
「早く!」
お兄ちゃんはカトリーナさんとジョシアを先に馬車に乗せようとします。「俺達はいいからすぐに出せ」と御者に言いますが、その前に男の人が大声を出す。
「はあ?キンバリー侯爵夫人って、ここの侯爵様の奥様か?
おい!人が困ってるのに、税金だけとって知らんぷりかよ!!」
考えなしの二人を軽くどつき、男の人がこちらにやって来ます。
カトリーナさんは恐怖に足がすくんで動けなくなっている。護衛の二人がカトリーナさんとジョシアの前に立ちはだかり、更に二人がカトリーナさんを横から支え、馬車に乗せようとしています。
「おい!なんとか言ったらどうなんだよ!!」
「早く!」
お兄ちゃんが護衛の後ろに立つ。
ジョシアもお兄ちゃんの隣に立とうとするのをお母さんが強引に馬車に引きずっていく。私はぐいぐいとその背中を押す。
気持ちは分かるけど、あれは護衛とお兄ちゃんだからであって、侯爵家の令息が体を張っていい場面じゃない。
考えなしの二人は、ようやく自分達が何をしてしまったのかを理解したようだ。って遅いよ!
私はぐいぐいとジョシアの背中を押して馬車に乗せようとしていたけど、肩を掴まれ━━すぐにその手は離れた。
振り向けば、お兄ちゃんが男の人の腕を捻り上げていた。
「ミア!!早く乗せろ!」
「どいつもこいつも、馬鹿にしやがって!!」
お兄ちゃんに阻まれながらも男の人は怒鳴っている。根性あるなあ。
「おい、侯爵夫人!
なんとか言ったらどうなんだよ!」
「ミアちゃん!」
馬車になんとか乗り込んだカトリーナさんが私に向かって手を伸ばします。が、護衛の二人が押し込みます。
お母さんはジョシアを強引に馬車に乗せ、護衛にドアを閉めろと指示した。
取り敢えず、侯爵家の二人を無事に逃がすのが先だ。
「さすがお貴族様は違うよな!人が話しかけても無視かよ!!」
「ミア!」
馬車からジョシアの声がします。
護衛はドアを閉めようとしていますが、ジョシアが言うことを聞かないようだ。
御者もドアが閉まらないので、馬車を出せないでいる。
「ジョシア、早く行って!」
「おい、ガキ!黙れ!」
男の人が護衛とお兄ちゃんに身柄を拘束されながらも怒鳴る。
声は出せるものの、体の自由はないと思うんだけど。よくあんな大声を出せるなあ。
「って、イテェよ!俺が何したって言うんだよ?!」
男が喚く。「大丈夫ですか?!」と足音と共にやって来たのは衛兵らしき人達。
お兄ちゃんと護衛からバトンタッチされ、男の人は衛兵に引き渡された。
どうやらなんとかなったようだった。
私達はほっとして胸を撫で下ろしたけど、一応騒ぎになったので説明をしなければならなかった。
それも簡単な受け答えだけで無事終了です。
「さっさとこの場所から離れよう」
お兄ちゃんが小声でみんなに告げます。もちろん賛成です。
でも私達よりも先に、さっさと馬車に乗り込んだ人達が、またしでかした。
猿でも出来る反省を出来ない人間がいることは知っているけど、その被害を一手に引き受けなければならない理由はないはずです。
もうやだ、あの人達。
「私達を煩わせたのだから重罪でしょう」
「きちんと償いなさい」
扇子で口元を隠し、馬車の窓から暴言を吐くのは、先程のご婦人達です。
少し反省しているように見えた男の人が、二人を睨みます。が、二人は自分達がすでに馬車に乗っていて、男の人が両腕を掴まれているからと気が大きくなっています。
お店に門前払いを食らったとはいえ、この二人があんなこと言わなかったら、男の人があそこまで腹を立てることはなかったでしょう。
そうしたら、こちらに詰め寄ってきたり、大声を出すこともなかったかもしれません。
と言うか、多分悪態つきながらも帰ったでしょう。
「ふざけんな」
低く響く声を発したのは男の人です。
ただ、その声のすぐあとに婦人達を乗せた馬車を引く馬が嘶き、急に速度を上げてこちらに向かって来ました。
馬の脚に傷があり、どうやってか男の人がナイフを投げたようだ。なに、その早業?
「きゃあああああああ!」
二人仲良く悲鳴を上げていますが、とばっちりにあうこちらは本当に迷惑です。
って、どうすんの?これ。え?!
「結界張れ!」
お兄ちゃんが私の名前を出さず、またこちらに視線を向けることなく命令した。
あとで聞けば、誰が魔法を使ったのか分からなくするためだったそうです。
単純に結界を張ると、馬が結界にぶち当たり大怪我をしそうです。その際にあの二人がどんな怪我をしても構いませんが、それでは馬が可哀想だ。
私は結界で三枚の壁を作った。
馬の両側に段々と先細りになり、馬車の車体が擦れて速度を落とし、更には引っ掛かり止まるように壁が出現。
三枚目は、それでも止まらなかった時用の保険を私達の前にデデンっと立てる。
ガガガガガ!と激しい音をたてながらしばらく馬車は進んだけど、引っ掛かると止まった。
二人はうるさい悲鳴をまだ上げているけど、正直同情の余地がない。
それよりも、と確認すると馬は落ち着いたのか大丈夫そうです。良かった。
みんな無事━━それを確認すると座り込んだ。
「おい!待てっ!」
衛兵が叫んだので視線を向けると男の人がいつの間にか、大分先まで逃げている。
あれはもう追い付きそうにないなあ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、お兄ちゃんにお姫さま抱っこされました。おおぅ。
「まずは帰ろう」
「そうね。さっさと馬車に乗りましょう」
お兄ちゃんの台詞にお母さんが頷き、私達は侯爵家へと戻った。
あまりにも色々あって疲れたのか、昼寝とも仮眠とも言いがたい、長めの睡眠をとってしまったのは、私のせいではないと思います。




