8歳━5
取り敢えず、お兄ちゃんへ簡単に説明した。二ヶ月近く前から、夫人がおかしかったことと、焼き肉定食の食べっぷりを。
私達四人はそれで大丈夫だけど、従者さんや護衛さん、ジョシア様は置いてきぼりを食らってます。
うん、しょうがないってことで。
「いいわね、あなた達。母親が味噌や醤油を作れて、お料理は美味しいし、言うことないでしょう?」
「あら。味噌も醤油もミアのレシピなのよ?
だから私も最近までは和食なんて食べられなかったんだから」
「え?だって料理を作っていたのは……」
「料理は作れるけど、調味料まではね」
お母さんが肩をすくめると、夫人が私を見ます。
いや、実際に作ったのはお母さんですけどね。私はお手伝い程度です。身長が足りなくて危なかったから仕方ありません。
「毎年おばあちゃん家でお味噌を作っていたから」
「……焼き肉のたれは?」
「それは私とミアで試行錯誤して作ったレシピよ。食材も探しながらだから、なかなか簡単じゃなかったし」
「……確かにね」
それでもお父さんが商会をしていたので、色々な食材を入手しやすかった環境ではあったのですが。
それに、味噌も醤油も、前世で作るよりも簡単に出来上がるのです。頭の中に響くアナウンスで、新たなレシピを入手しましたって言われるし。お父さんの鑑定でちゃんと出来上がったことを確認できるので安心して食べられます。
「元々、農村に生まれたから、そんな余裕もなかったしね」
「あら?ハンナって農民だったの?」
夫人が小首を傾げます。もうずっと商人の奥さんをしているお母さんは、確かにもう農民には見えないでしょう。
「そうよ。流行り病で家族が他界して、町に出たの」
「村から町に出るのって大変でしょう?」
夫人の労るような声に、私は首を傾げます。
この世界のことが、本当に分かってないんだと思い知らされます。
「まあね。三人分の死亡税とかさ。よく払えたなあって思うよ」
「町に出るのにも払ったでしょう?」
「まあね。
母が地元民だったけど、父がよそ者だったのよ。
それでいい畑をもらってなかったけど、この世界って、あんまり肥料とか発達してないじゃない?
なんとか肥料っぽいのを作ったり、連作を避けて輪作したり、季節ごとに収穫量がいい作物の作付面積を増やしたりして、四人家族でも食べ物に困ることもなく、蓄えもあったんだけどさ」
お兄ちゃんも眉を寄せています。みんな真面目にお母さんの話を聞く。
普通は、いい畑とよくない畑を任され、トータルで同じくらいの収穫量になるように決めるところを、よくない畑二つを割り振られていたらしい。
「いい畑じゃないのに、ウチの収穫量が良い畑を使ってる家より段々良くなっていくのを妬んでいたみたい」
お母さんが言うには、両親と兄━━私の祖父母と伯父が亡くなって、他の家の次男三男の跡を継げない人達からのアプローチが酷かったそうです。お母さんと結婚出来たら領主から借りているその土地を引き継げるから。
更にはお母さんから、収穫量が上がった秘密を聞き出そうと企んで、とか。
お母さんはそれを嫌って、何頭かいた家畜を売り、町に出ようとしたものの、村に信じられない価格を提示され、それでもたまたまやって来た行商に━━それでも市場価格と比べて格安だが━━買い取ってもらい、土地を出るための税金を払ったらしい。
親戚もいなかったから逃げ出しても良かったんだけどね、と苦笑しましたが、あとで見つかると面倒臭いから払ったそうです。
いや、面倒臭いで済まないと思います。罪人になっていたら……ブルブル。
「十四歳で町に出て、変なのに引っ掛からずにいい人に会ってさ。
読み書きなんて前世の記憶があるから、別に勉強する必要もなかったので、そういう面では、ラッキーなんだろうけど」
お母さんを心配してくれた人が紹介してくれて、商会を営む商人の家の下女になり、そこで文字の読み書きが出来ると知られて商会で働くようになって、お父さんと出会い熱愛の末に結婚したとのこと。
結婚した頃お父さんが独立して商会を立ち上げると、仕事を手伝うのに忙しく、そしてすぐにお兄ちゃんと私が生まれ、子育てに忙しく、なかなか食事の改善に手を出せなかったそうです。
そうしたら、私が唐揚げのレシピを手に作ってとおねだりしたという……なんかごめんなさい。
「ん?でもはじめからお母さんの料理は美味しかったよ?」
「味は改善したけど、基本的にはハーブと塩だからね」
なるべく美味しい物が食べたかったし、とお母さんは苦笑します。
「でも、トイレは水洗で助かったけどね」
「確かにね。そこはゲームに感謝するわ」
「まあ、そうなるよな。
納得いくかどうかは別として」
「?普通水洗トイレじゃないの?」
ピキ、と三人の動きが止まります。
はじめに動いたのはお兄ちゃんでした。
「ミアは子供だったな」
「子供っていくつ?」
「中学に入学したところ」
お母さんとカトリーナさんが絶句しています。え?
「まあ、それはそれとして」
こほん、とわざとらしく咳払いをして、お兄ちゃんは夫人に向き直ります。
「母さんと侯爵夫人は━━」
「カトリーナ、よ」
「は?」
「夫人じゃなくて、カトリーナ!」
「……カトリーナさんは、転生者の上にゲームを知っている、と」
「貴方達、知らないの?」
「妹はやってたけど、俺はやってない」
「私も妹がやってただけ」
「……」
夫人━━カトリーナさんが呆然とした顔をしています。
「……そう言えば、カトリーナさんがおかしくなったのって、二ヶ月前くらいから、だっけ?」
お兄ちゃんの言葉に、ジョシア様が頷きます。
ん?二ヶ月前?
「……色々有りすぎて確認していなかったけど、ミアの魔力検査会で、何か声が聞こえなかった?」
「え?お兄ちゃんも聞こえたの?」
イベントが終了して一部システムが開放って、いうような内容でした。
イベント?システム開放?なんなんだか。
いつものアナウンスと同じ声だったから、私にしか聞こえていないと思っていたけど、どうやらそうではなかったみたいです。
「イベント終了って、ひょっとしたらあのヒロインの魔力検査ってこと?
それで一部システムが開放……」
そこまで言って、お母さんは私を見ました。ん?なんで?
「ミアって、あの声の後で魔力検査を受けたわよね?まさか……」
「それだと、俺や母さんの魔力が開放されるんじゃないか?特にそんな事ないし……」
「確かにステータスに変化はなかったわね」
「俺はちょっとだけ魔力が上がってたくらい」
お母さんとお兄ちゃんが、しばし考えます。
でも、システム開放と私の魔法関連の関係性は分かりません。
逆の順番だったらどうなっていたんでしょう?今更考えても仕方がないかな。
「二ヶ月前に、確かにそんな声が聞こえたけど……その後の記憶があんまりないわ」
「あれからゲームが始まったのかしら?……でも、ヒロインの魔力検査は声がする前だったしなあ」
「え?ヒロイン?ヒロインってこのゲームの?」
「そう。それでさぁ━━」
お母さんは、ヒロインさんの話を簡潔にカトリーナさんに話しています。
魔力検査会での話、そしてウチが王都に向かっているのは商会が潰れたから、という話まで。
「……ヒロインの実家が悪徳商会って、そんな設定ないわよね?」
「人徳者だっけ?孤児院に寄付をして━━って、ああっ!
貴女の息子、攻略対象じゃない?」
「……そうなのよね。
それで貴女から見たヒロインってどうなの?まとも?」
「まともだったら、他の商会を潰したりしないでしょ?」
「絶対に侯爵家の嫁にはしないわよ」
カトリーナさんの目が怖いです。
「その前に、カトリーナさんのことをどうにかしないと駄目だろう」
「……そうなんだけど。強制力が働いたらどうにもならないわよね」
カトリーナさんがしゅんとして俯きました。強制力ってどこまであるのか分からないから、不安ではあるけど。
「取り敢えず、ちゃんと食べなさいよ。
そんなにガリガリじゃなんとかなるもんも、何ともならないよ」
「……その後は?」
「ウチは来月一杯ここで商売しているから━━もう一月ここを借りる?当日くらい一緒にいてあげたいし」
「ねぇ。だったら私の家に来ない?
来月までは商売があるっていうなら仕方ないけど、再来月はないんでしょう?」
「う~ん、旦那に相談してみるよ。
ここで放り出すなんてしたくないし」
「!ハンナ、愛してる!」
カトリーナさんがまたお母さんをぎゅっ、と抱き締めました。
ゲームを知っているだけに、不安も大きいだろうし、お母さんもなんとかしてあげたいと思っている。
私も、なんとかしてあげたい。
「……精神異常を防ぐ魔道具ってあったよな?」
「あったけど、もう不安定じゃないわよ?」
「打てる手は打っておく。
ゲームの強制力を心配するなら、そっちも防いでおくに越したことはない。
後悔したくないしな。
更に護衛と警備の強化ってところか」
「そうよね。安くはないけど、そんなところでケチって死にたくないわ、私」
「当日は絶対に一人になるなよ」
「ええ、分かっているわ」
十歳が母親くらいの女の人にこの口調はどうなんだろう。偉そうです。うむ。
取り敢えず、カトリーナさんは侯爵様に説明をして、今日話した提案を受けてもらえるように、説得することになりました。
よく分かっていないながら、ジョシア様も説得してくれるそう。
カトリーナさんが、元に戻って普通に会話出来ているので、私達を信用してくれたみたい。
「じゃあまた明日ね!」
カトリーナさんは満面の笑みで帰っていきました。
明日のお昼はコロッケに決まっています。ウスターソースも出来ていると言ったら、カトリーナさんに掴みかかられたので、決定事項です。
「コロッケだけじゃなく、とんかつもいけるよな」
「そうね、とんかつも揚げるわ!エビフライだって━━」
「キンバリー侯爵領は海がないって」
「うっ。そうなんだけど、とんかつとコロッケでも豪華よね」
「炊き込みご飯も食べたい……」
私がお母さんを見上げると、ぎゅっ、と抱き締められました。
「作ってあげるから」
「うん」
料理上手なお母さんは大好きです。
私がお父さんとお母さんの間に、お兄ちゃんの妹として生まれたのは、幸せなことだったんだなぁ、としみじみ思います。
□ □ □ □ □
翌日、カトリーナさんはコロッケの他にとんかつにも、言葉にならない悲鳴をあげてました。炊き込みご飯はジョシア様にも好評です。
ジョシア様は悲鳴をあげたカトリーナさんに一瞬呆然としていましたけど。
昨日では慣れきれなかったよう。
「ジョシア、でいい。様はいらない」
「じゃあ、私もミアで」
「分かった。ミア、よろしくな」
「ジョシアもよろしくね」
改めて握手とか、ちょっと照れてしまいます。
身分の差があるから、他に人がいる時はきちんと様をつけることになっています。
ただ、ここではいらないって言われました。お母さんとカトリーナさんもそうだしね。
「はあ、お腹いっぱい」
満足満足、とカトリーナさんがお腹を撫でます。淑女の欠片もない。侯爵夫人なのに。
「それで、旦那さんとはどうだった?」
「再来月はウチに来て。それで話がまとまったから。
ただ一つ問題があって」
お母さんが聞けば、カトリーナさんは少し眉尻を下げました。
「精神異常を防ぐ魔道具を作るのに、魔晶石がいるんだけど。最低でも赤くないと駄目なんだって」
「赤でも侯爵家なら買えるでしょ」
「売っていればね。いつも買うところが品切れで、再来月に間に合わないの」
お母さんは、カトリーナさんの肩を抱いて慰めるように背中をさすった。
私が作れるけど、お父さんとの約束で他の誰にも喋ってない。お母さんにも、お兄ちゃんにも。
カトリーナさんとジョシアを見て、黙っているのが正直辛いです。でも、護衛の方や従者がいるから、喋っていいのか分からない。
緑でも駄目だって言われたのに、赤なんて駄目だ。
駄目だけど、でも……ううん。駄目だ。一日だけ、待ってもらおう。お父さんに相談する。
お母さんがカトリーナさんを慰めている中、私は今夜お父さんと話し合うことに決めました。




