あなたのために何度でも
一面薄墨を撒いたような空から、ちらほらと白いものが舞い落ちてくる。
今年の冬中祭は、雪模様になるらしい。
ルーは、真新しい外套の襟に首を埋めて帰り道を急いだ。
国の三大行事の一つに当たる今日は、ルーの修行も休みだった。ついでに言えば、ヘティもだ。しかし、勤勉な彼女は今日も半日だけはと自主練習に行っていた。
あの大事件のあと、すでに半月ほどが過ぎている。
ファレルの一行は各所で停まり、転移を使わずに王都へ戻った。病人を抱えていることと、近隣で済ませるべき事後処理のためであった。
そして、彼らが無事王都に帰り着いたときには、ヘティは無事に試験に間に合い、見事に合格して待っていた。
皆のおかげだ、シンシア様たちも全員合格して本当に良かった、とヘティは誰の目にもはっきりわかる輝くような笑顔をみせた。
実は王都に残っていた友人たちは、ヘティの行方を探す一方で、もうひとつ準備を進めてくれていた。それは目前に迫っていた試験にまつわるもろもろである。彼らは手分けして、荷造りから試験の申し込み手続きから全てをヘティの代わりに済ませていた。さらに、王都から試験会場までも交通手段を用意してくれた。おかげでヘティは試験に間に合い、はれて治癒魔法師見習いとして働く権利を得たのだ。
何も無理矢理今回受けなくったって、と呆れたルーに、ヘティは頬を紅潮させてつま先を見つめてこう言った。
「だって、早くルーを治せる人になりたいから」
そんなことを言われて、どう反応すればいいのか。ルーは脱力するしかなかった。
しかし、ヘティはさらに恐ろしいことをしてのけた。不意にルーの手をとったと思うと、そこについた擦り傷にそっと触れ、
「見習いになったから、他人に使ってもいいんだよ」
と白い指で傷跡を撫でながらうれしそうに笑ったのだ。
その笑顔の破壊力と言ったらなかった。地下でだって使っただろうとか、今さらだとか、人前だとか、いうべきことは山ほど浮かんだのに、口八丁が自慢のはずのルーからは何も出てこない。
気づくとルーはヘティを乱暴に抱きしめていた。
寮内の人間関係に心を砕いてきたルーは、好意を自覚してからも、人前でそんなことをしたことがない。ヘティはひゃあっと驚いた声をあげたが、気にするものかと開き直った。恥じらうように身をよじるのにも、気づかぬふりをした。これは自分のものだと皆に見せつけなければという独占欲のようなものが沸き上がるのを感じていた。
結果的に人目を憚らないルークの行動は、恥じらいはあれど拒絶の見えないヘティの様子と共に、一夜にして寮のみならず魔法省にまで広まった。衝動的な行動ではあったが、名義上の親をかって出てくれたホールデンの求めにも答えた形になった。
だから結果オーライだ、とルーは自分をごまかした。実際は冷やかされて妬まれてかなり大変なことになったのだが、そこは敢えて見ないことにする。
煉瓦造りの学生寮が見えてくる。
いつもは寮の窓から漏れる明かりで外までほのかに明るいが、今日は残っている人間が少ないためほとんどの窓が黒々している。というか、ルーとヘティくらいしかいないのだ。先の試験に失敗し退寮を決めた者、合格を祝う者、悲喜こもごもながら大抵の者は家族のもとに帰省している。
二人はもともと領主をたばかった罰として地元を離れた身だ。そのため帰らないつもりだったのだが、それはルセルから戻った後に赦されている。
「表向き、今回の件は、おとり捜査だったことになる。よってお前たちの功労が認められる」
ファレルに呼び出されてこの話を聞かされたとき、ヘティは非常に居心地の悪そうな顔をしていた。彼女からすれば、暴走した身で功労者などと扱われるのは恐れ多いといったところだろう。確かにヘティの行いは独断で危険きわまりなく、ルーにしてもかなり勝手な行動をとったから、誉められたものではない。けれど、実際ルセルに巣くう闇を一掃できたのだから、この程度の方便はありだとルーは思っている。
そもそも、ヘティとルーを功労者に仕立てた方がファレルの陣営にも都合がいいのだ。ヘティをただ拐われた被害者とすれば、彼女を監督していた彼らが責を問われる。逆に国への功労を認めれば、ヘティとルーに手出しをしにくくなる。
世の中そういうものだ、と考えながらも、ルーはもうそこに嫌悪を抱かない。ファレルが何を背負いながら、その中で常に最大限を掬い上げようとしているのか、知っているからだ。
──自分は、もう何度も掬い上げられた。そして、今度は兄さんも。
そう噛み締める。
一昨日のこと。冬中祭を二日後にひかえて、ルークの兄は目を覚ました。
若干意識の混濁が見られたが、自分のことやルークのことは分かった。
昨日今日は毎日面会時間いっぱい見舞いに行って、記憶の整理をしている。ヘティもそんなルーに付き合って王都に居残った形だ。
門を潜り、屋内に入って階段を上る。まだはく息が白い。
ただでさえ冬の真ん中、一年で最も夜の長い日、人の少ない建物は冷え込んでいた。
二回に上りきったところで、勢いよく扉が開いた。
「ルー、おかえり!」
溢れんばかりの笑顔に、思わず頬が緩む。
「ただいま。寒いから入れて」
「どうぞ、暖まってるよ」
部屋には樽型の小型ストーブが置かれ、その上で鍋のふたがカタカタと鳴っていた。食堂も休みになるので、心配した食堂の夫婦が厨房の暖房用のそれを貸してくれたのだ。上部で簡単な煮炊きができる上、火鉢と温石だけでは暖まらない部屋全体の空気が暖まり、大変ありがたかった。
「簡単にだけど、スープ作ったから、一緒に食べよう」
ルーをベッドに座らせて、ヘティは鍋をかき回す。銀髪がさらさらと背中を流れる後ろ姿に誘惑されながら、かじかんだ手に息をかける。さすがにあの肩に触りにいけないほど冷えきった手が、助かったようで、やはり恨めしい。
「パンはね、マリアンヌがお裾分けしてくれたの。成形はマリアンヌが手伝ったんだって」
「へぇ。あの人、どんどんお嬢様らしからぬ方向に向かってるね」
「ね」
別の人間の話に相づちをうちながら、よく動くヘティの姿から目が離せない。無理もない、とルーは自嘲した。
──こんなの反則だ。こんな、暖かくて、こんな、優しいのは。
ヘティのまとう空気は、彼女が髪を乾かすときに使うあの魔法のようにほのかに暖かく、優しい。それはルーが長らく触れてこなかったもので、そのため最初はヘティの側にいることを息苦しく感じたくらいだ。けれど、今となっては、もう手放せない。ストーブがなくたって温石がなくたってなんとか生き抜ける自信があるが、ヘティ無しでは、自分はもう凍えて冬を越せないだろうと、ルーは思った。
やがてスープのカップが渡されて、パンとチーズなどの入ったバスケットを間において、食事が始まった。
あと一話で完結予定です。




