初めての友人…
空中に、ふよふよと小さく透明な球体が浮かぶ。
「うわあ、すごーい」
「えー、マークのほうがおっきかったよ」
「おれのほうがでっかいの出せる!」
次々と現れる水の玉が、空き地を彩る。ほんの数秒後には、それは地面のぬかるみに変わるのだが。
下町の子どもたちにとって、魔法は遊びの一つだった。
大人達が毎朝かまどに火をつける、水差しに水を貯めるその指先を見て、自然と真似し、身に付けていく。
そうして出来るようになったものは、誰でも人に見せたいものだ。葉っぱの上に一滴落ちるだけだった水滴が、今では子供の頭ほどの大きなものまで宙に浮かぶ。さすがに火だけは危ないからと固く禁じられていて、子どもたちもそれを守っていたが、それ以外は自由なものだった。
力比べに興じるのは男の子が主だ。たまには女の子が混ざることもあるが、たいてい少女たちはより小さな弟妹を集めてままごとやらごっこ遊びをしていた。
この日のごっこは、お姫様ごっこだった。実際には、働かないことこそ淑女の証明とされるこの国の貴族の姫が魔法を使うことはないのだが、そこは子どもの考えることで、思い思いに魔法で演出をしていく。
緑の魔法で小さな花びらをだすものもいれば、小さな水玉をきらきら弾けさせるものもいた。まだ土の魔法しか使えない子も、手と魔法で可愛らしい砂のお城を作ってみせた。
お姫様ごっこが妖精ごっこなのかなんなのか分からなくなったころ、少女たちの一人が言った。
「ほら、ヘティもおひめさまになって」
呼ばれたお下げの少女は、恥ずかしそうにうつむいた。
やや内気なところのある彼女は、いつも二才下の弟の手を握っている。家を出る時に、ちゃんと面倒を見るようにと言われたのだろう。空き地についてからも少女は、やんちゃな弟の後ろを追いかけて転んだ膝を払ってやったり、飛び出しそうなのを連れ戻したりしている時間の方が長い。もともと大人しい性格も相まって、遊び仲間の輪の中では目立たない存在だった。
「リックのことは見ていてあげるから」
そう言ってくれた子と弟の顔を見比べて、彼女はそっと手を離した。
「ありがとう」
それから、お下げ頭を少し傾げる。
「…でも、わたし、水もお花も苦手なの」
周りにいた少女たちは、ええ、と驚いた声をあげた。
水の魔法は、簡単なものならほとんどの人間が使える。それは、魔法というものがイメージで出現させるもので、人間の生活に深く結び付いている水は、他のものよりもイメージが持ちやすいからだと言われている。稀に、生まれもった魔力の性質が水に向かないために使いにくい人間もいるのだが、使えない者の方が珍しかった。
しょんぼりしてしまったヘティに、ある子が言った。
「じゃあ、できるやつでいいじゃない」
「風は?ミリアみたいに、ふわふわってスカートを膨らませたらおひめさまみたいだよ」
励ますように言われて、ヘティもうん、と頷いた。
「うまくできるかわからないけど」
そうして、少女は目を閉じて、小さく息を吸った。
ふわ、と風が吹いた。
ひらりと青色のリボンがとんでいく。
その次には、音が消えた。
「どうかな…?」
はっと、幾人かが我に返ったように身じろぎした。
けれど、すぐに声を出す者はいなかった。
お下げの解けた銀の髪が、ふわふわと風をはらんで広がる。それは日の光を受けてきらきらと輝き、少女の白い肌までが輝いて見えた。いつもは俯いていて見えにくい顔が、髪を避けるように小さく振られ、星のように光る黒い瞳が露になる。浮かびかけた細い手足を覆う質素な綿のワンピースも、ひらひらと揺れて、まるで妖精の衣のようだった。
いつの間にか、力比べをしていたはずの少年たちまで騒ぐのをやめて注目していた。
「あの、どうだった?」
困ったように眉を下げた彼女に、子どもたちは何と言えば分からずに一拍黙った。
単純にかわいい、と言うのとも違う。お姫様というより、と考えたのだ。また、ヘティの足がなかば浮きかけていたことに気付いた者は、見たことのない魔法の発現に戸惑っていた。
彼らにはまだ、今見たものを表現出来るだけの語彙も経験もなかった。
その沈黙を破る者がいた。
「変よ」
可愛らしい少女が、頬を真っ赤にして叫んだ。
「そんな髪がばらばらのお姫様、いないもの。変」
早く結べとばかりにつき出されたリボンは泥に汚れてしまっていたが、変だと言われて傷付いたヘティは、大急ぎで髪を編んでそれを結んだ。
顔が、酷く熱かった。
「いやだ、かみにどろがついてる。きたない」
渡したリボンについていた泥なのだから当たり前なのに、少女はことさら嫌そうに顔をしかめた。
「わたし、きたならしいのってきらい。ねぇ、そうでしょ?」
彼女と仲のよい少女が反射的に頷くと、その場の流れが変わった。
「なんか、銀髪って妖怪みたいだよな」
「ちょっと、こわかった」
稀有なものへの戸惑いに混ざっていたかすかな畏怖が、ここで分かりやすい拒絶へと傾いた。
銀の髪を固く結び直した少女は、遠巻きに寄越される視線に縮こまったまま、弟の手をとって、空き地を逃げるように離れた。
「なにも言わないでかえるなんて、かんじわるいわ」
去っていく背中を見ていた子どもたちも、ミリアの言葉で振り向いた。
可愛らしく、活発な少女はこの辺りの子どもの人気者だ。そのミリアが言うことは、正しいことのように子どもたちに受け止められた。
ヘティへの拒絶に、嫌悪が加わる。
「そう、だよね」
「うん、かんじわるいな」
「あのお下げ、なんだか太いはりがねみたい」
「たしかに」
こうして、目立たない少女は一夜にして針金ヘティとなり、そのうち強ばった彼女の顔は鉄面皮と呼ばれるようになる。その頃には、もう誰も、何がきっかけだったのかなど忘れてしまっていた。
ただ、一人だけ、今も覚えている者がいた。
ミリアは言い様のない焦りに襲われていた。
「なんなのよっ」
ヘティの魔力の量と神々しいような姿を目にしたとき、瞬間的にミリアは察知した。これは自分がもつ人気や地位を奪うものだと。そんなことは、あってはならない。
ミリアは徹底的にヘティを集団から排除することにした。集団にあの子がいなければ、そもそもミリアの人気もポジションも奪いようがない。
実際、そうして十年近く、うまくいっていたのだ。
それなのに。
「お屋敷にあの子が雇われるなんて…!」
ルーという新参者に、ヘティと付き合いがあるのは知っていた。けれど、釘は刺したし、まさかお屋敷勤めに推薦するほどとは。
「私が選ばれるべきだったのに!」
枕を壁に投げつける。
そうだ、あの子は私のものを奪ったのだ、とミリアは思った。
「やっぱり、私が思ったとおりだったじゃない!」
ミリアにとっては何年も前にあのヘティの魔法を見て、恐れたとおりだった。そうして、はっとする。
あの魔力の量が、お屋敷勤めで貴族の目に触れたら。
見る人間が見れば、ヘティの魔力量が庶民の平均を遥かに超えていると気付いてしまうかもしれない。それで、ヘティもそのことに気付いたら、どうなるのか。今までせっかく排除して、俯かせてきたのに、それが全て水の泡になってしまうのか。
「絶対駄目よ。そんなの、ダメなんだから」
ミリアはイライラと爪を噛んだ。
魔法や魔力の設定は、エレノアと同じです。これから少しずつ説明を加えていこうと思いますが、とりあえず魔法の発現=魔力+イメージです。魔力量が多ければ、できることは大きく、回数も多くなります。一般にこの国では、貴族の方が魔力量が多いです。