あなたのためにもう一度3
ルーとゲインが出ていくと、他の者も三々五々部屋を出た。令嬢たちは家の者をこれ以上待たせられなかったし、青年たちは何かしら情報を集めようとしていた。
そんな中、ランスはすぐに立ち去らず、シンシアに向き直った。
「ちょっと、聞いていいかな」
「ええ、どうぞ」
ランスの改まった表情に、シンシアはもともと伸びていた背筋をさらにしゃんとした。
「ルークたちの師匠って、魔法省に部屋を構えて弟子をとるくらいだから、偉いんじゃない?そんな人が何だってヘティを探してくれるんです?」
ヘティは一般庶民だ。たとえこれから女性の治癒魔法師として地位を確立しようと、貴族制度のあるこの国で、庶民と貴族の間には歴然とした境が存在する。
ランスたちは、賢い。治癒魔法師という新たな職の訓練校は、庶民の中でも、能力が高く向上心のある若者を試験で集めている。そんな彼らが、ファレルの行動の不自然さに気付かないわけがなかった。
シンシアは、努めて冷静な口調を心がけた。こうした説明も残った自分の役割になるのは、想定済みだ。
「国内のパワーバランスを考えたときに、野放しにできない重要人物だからです」
ファレルの正体に触れず、ヘティのことをぼかして伝える。精霊の話は出来ないが、彼女の魔力量はけた違いなので、それだけでもある程度説明になるだろうと。
ランスは、眉を潜めてシンシアを見つめた。
説明不足は否めないが、これ以上は言えない。密かに緊張して背の高いランスのしかめ面を見上げる。しかし、彼の反応は予想と違った。
「そんな、大事だったわけ?」
「お話しないでごめんなさい」
「先に言うべきだ」
シンシアは叩かれたような気分だった。
知らずに危険に巻き込んだ、そう言われても否定できない。貴族は市民を守る存在なのに、と彼らをヘティの守りに巻き込んだ自分の落ち度に青ざめた。
「でも知らない方が貴方たちに危険はないはずなんです、だから、むしろ今の話も忘れて下さい」
シンシアが早口で言うと、ランスはあ、と呟いて顔のしわを緩め、すぐに両手を振って苦笑する。
「そういう意味じゃないんですよ。そうじゃなくて、友だちがそんな危うい状況だって、俺たち知ってればもっとなんかできたかもしれないのにと思って。もちろん、一般人に言えないこともあるんだろうけど」
それから、窓の外へと目をやった。
「確かにどうにもならないこともあるけど、力になれることだってあるんだ。危なければちゃんと保身するくらいの目端もあるつもりですよ、俺たち。…ああもう本当、見てろ馬鹿ルークめ」
「何をするつもりですか?」
歩き出したランスに問いかけると、ドアノブに手をかけたまま彼は振り返った。
「大人しく待ってるのはシャクなんで、ちょっと街に行ってきます。シンシア様は」
「私は、ここで待ちます。方々から連絡も来る予定ですし」
軽く目を見開いて、ランスは言った。
「本当、落ち着いてますね。貴女はたまに年下に思えませんよ」
「昔からこういう役回りなのです」
今度はシンシアが苦笑した。
ランスが部屋を出るのを見送ると、シンシアは姉に連絡をとった。
姉と繋がる通信機は山ほどある。国一番、唯一無二の魔法具技師が姉との連絡をとりやすくするために何度も改良型を作ったためだ。
『はい、こちらエレノアです』
姉はすぐに出た。
「シンシアです。そちらの決定が下ったころかと思って」
パタンと控えめに扉を開閉する音がした。姉が部屋を移ったらしい。彼女は騒ぎを聞いてすぐ、王宮へ駆けつけていた。
身重の体でと周囲は止めたが、反対を押しきってきたのには理由がある。彼女は、婚姻前にガーラント家の娘として精霊と契約を結んだ張本人なのだ。さらには他国でも、同様の存在と相対したことがある。
こと精霊に関して、エレノアの右に出るのは夫のハロルドくらいだ。よって、彼女は即座に、古巣である王宮、女王の側へ馳せ参じた。
『シンシア、そちらの備えは?』
「万全です。小亀も使っていますし」
これまた姉から借り受けた魔法具で、シンシアはこの部屋の防音を徹底している。
基本的にシンシアを信頼している姉が、わざわざ言わずもがなのことを確認するのは、これから話す内容が国の最高機密であることを示していた。
よかった、と言いつつエレノアはそれでもさらに声を潜めた。
『アイリーン女王は、ローゼルに精霊がいるならば、足場ごと駆逐せよと仰せになったわ』
シンシアは、一瞬言葉につまった。
「足場ごと…ですか」
おうむ返しにそう口にする。
それは、かなり難しいことに思われた。精霊に守られた土地を破壊するなど、人間の力でできることとは、シンシアには思えなかった。
『ええ。精霊が魔力の塊といわれているのは知っているわよね。私たちは、彼らが生じたのは、魔力の生じやすい地形があるからだと考えているの』
「それでは、地形を壊せば精霊は確実に霧散するのですか?」
『上手くいくかは、誰にも分からないわ。以前に精霊を倒した例は、一例しかないもの。そのときは、生じたばかりの精霊を、力の大きなガーラントの精霊が吸収したのだけど…肝心のヘティが囚われている以上、バッフルの谷からローゼルに精霊を呼ぶという策はとれないでしょう』
「ならば、ガーラントの精霊を呼べば…」
シンシアの思い付きは、すぐに否定された。
『精霊は、基本的にその土地から動かないの。あのとき動いたのは、直接的に私たち守護対象が害されたからよ』
「それでは…上手くいくという保証もないのに、山ならば山を崩す、川ならば干上がらせるというのですか?一時的にであれ、それでは災害ですわ。皆、無事ではいられないわ」
自分の思い付くことくらい、女王も姉達も考えた上だろうことは、分かる。けれど、言わずにおれなかった。シンシアは、ローゼルに行ったことはない。それでも、先程からにらみ続けてきた地図がただの紙でないことくらい分かっている。あの上には、たくさんの人の暮らしがあるのだ。そして、ヘティがいて、ルークやゲインが向かっていて、どこかにルークの兄もいるのかもしれない。
女王の決断は、源をたつということだ。最悪、ヘティが死んでしまったとしても、抑えが効かなくなれば同じようにバッフルを破壊すれば良いことになる。そして、ルークやゲインや、ルークの兄はどうなるのだろう。ちゃんと逃がしてくれるのだろうか。
姉の答えは、一拍おいて返ってきた。
『国に害なす力は、何をおいても排除すべし』
シンシアは反射的に反論しかけた。けれど、それより早くエレノアが言葉を続けた。
『けれど、勿論罪もないたくさんの人を巻き込んで良いわけがない。女王は百も承知よ。だから、ファレル様が行くのよ。ファレル様なら、女王の願いを叶えてくれるから』
シンシアには不可能に思える難題を、有能な王弟は解決できるのか。けれど、ふいに脳裏に浮かぶものがあった。
「…お姉様にとっての、お兄様みたいに?」
昔から、姉のこととなると力業で不可能を可能にしてきた兄を思い出す。ヘティにもしものことがあれば、確実にエレノアが悲しむ。よって、兄は全力で動く。同じように、王弟も動くのであれば。
『ええ。だから、信じて祈りましょう』
どんな理由でもいい。今は、何にでも祈ろうと、シンシアは目を閉じた。




