馬鹿なヘティ、再び15
「だって。あんな子、ルーのことなんにも知らないじゃない。私の方がずっと前から知ってるのに、魔力が多いんだかなんだかしらないけど、あんなのがのうのうとルーと婚約してるなんて、おかしい。変なのよ」
食堂裏、湿った土を爪先で蹴りながら、アイーダは、そう吐き捨てた。
最初は何を聞いても知らぬ存ぜぬだったが、一度口を割ると、ヘティを罵る言葉が濁流のように流れ出た。
「陰気で、見た目だって無愛想で。何よ婚約って。家族のことすら知らないで、そんなのあり得ないわ。だから、言ってやったの。あんたは何も知らないんだって」
「は!?お前には関係ないだろ」
ルーの冷たい声に、アイーダは金切り声をあげた。
「関係ないですって?!」
「ああ、関係ないね。俺の兄貴のことも、俺の相手も、なんでただの知り合いのお前に口を出される筋合いがあるわけ?」
「あ、ひ、酷い、ただの知り合い、なんてっ…」
知るか、とルーは吐き捨てた。そのまま立ち去ろうとする背中に向けて、アイーダはヒステリックな声で言った。
「でも、もう、会えないんだから。いい気味よ!あんな売女、今頃」
がんっとアイーダの肩が壁にぶつかる。
「今頃、なんだって?言えよ!」
ひっと空気の漏れる音。
慌ててランスが止めに入る。
「待て、ルーク。息させて、とにかく急いで吐かせないと」
「…俺がぶちギレる前に、さっさと吐け」
「…はっ…、はっ…、あ、その、私は」
「吐けッ!」
「ひっ!あああのヘティとかいう女はっ、自分から誘拐されに行ったの!私が教えたこと鵜呑みにして!」
アイーダは、王都に出て職を探したわけではなかった。仕事があると誘われて、王都に来たのだ。
アイーダにその人物が声をかけてきたのは、彼女の家が困窮していたからだと、彼女は思っていた。約10年ぶりに父親が帰ってきて、アイーダと弟は喜んだ。そうは言っても、長年の過重労働で体の弱った父親がすぐに働ける訳ではなく、成人して働き始めたばかりのアイーダは、二人の扶養家族を抱えて困っていた。
荒れ果てた我が家の畑を耕すことは出来たが、収穫はなんとか人二人が食べていく分しかなかった。弟は成人前で、働きに出られるのは自分だけ。かといって、長年悪徳領主に搾取されてくたびれた街によい働き口があるわけでもない。
そんなとき、王都につてがあるという男が、働き口があると声をかけてきた。急ぎで探しているので、給料を二月分前金でくれるという。それに、田舎では見つけられない月給。弟と父がほそぼそ暮らせるくらいは仕送り出来そうだと思った。男の背後に後光がさして見えた。
すぐにでもお金がほしかったアイーダは、即決した。
生まれ育った町を離れることに不安はあったが、王都に着いて早々、昔馴染みに会った。同じ孤児院にいた彼は、すっかり成長し、小綺麗な格好をしていたので驚いた。その後すぐ、彼が貴族の養子になっていたことを知った。
運がまわってきたと思った。
羨望と、同時に沸き上がったのは、自分もそうなれるのだという、根拠のない思い。今まで自分も同じように苦労してきた。その分、自分にも運がまわってくるのだと、思い込んだ。そしてそれは、目の前にある気がした。
頼る者のない王都で、境遇も同じ幼馴染みが再会したら、支え合いたいと思うものだろう。分かり合えるのは互いだけなのだ、寄り添って、共に生きていくのは、当然ではないか。
アイーダは、自分の感じた運命を、ルークも感じていると思い込んだ。アイーダの話を聞いて、仕事を紹介してくれた恩人も、その通りだと言ってくれたから。
だから、ルークにまとわりつくヘティ·ブラントを遠ざけるのも、当然だと思ったのだ。
『お兄さんの居場所、分かるかもしれないわ』
『ちょうど話を聞かせてくれそうな人が、冬中祭の日に近くの街に来るらしいの』
『一緒に会いに行きましょ?ね、こんなチャンス、もうないかもしれないわよ』
嘘をついて、ルークの気を引いて。
『ルークは、お兄さんを探しているのよ』
『そんなことも知らないんじゃない!あんたはルークの何を分かった気でいるのよ』
『ルークがあんたと婚約したのなんて、養父に恩を感じて魔力の高い女の腹を確保しようと思っただけでしょ?あんたが運悪く側にいなければ、そんなことも考えなくてすんだのに。ルークが可哀想だと思わないの?』
『本当にルークのことが大事だっていうなら、探してきなさいよ。ほら、ここにいけば見つかるかもしれないわ。彼ら、うちの隣の領の鉱山に詳しいらしいから』
『鉱山は鉱山よ、あるのよ、うるっさいわね。』
『早く行きなさいよ!』
言葉の刃でヘティを追い払って。
他に何を言ったのかは、覚えていない。
ただ、ヘティ·ブラントがものすごく青い顔をして分かったと言ったので、アイーダは満足した。
恩人は、ヘティ·ブラントを連れてくれば、ルークの兄を返してもらえるかもしれないと言っていた。そうだ、実質的にこの娘が行くことでルークの兄が戻るなら、嘘は言っていない。ただ、そのときヘティ·ブラントはルークの側にいないだけで。
拐かした後、彼らが彼女をどうしたいのか、アイーダは知らない。ただ、ヘティ·ブラントに恨みを抱いているとだけ、聞いた。やはりヘティ·ブラントは排除すべきなのだと思ったし、恩人はアイーダの父のいた鉱山についてもよく知っていたので、ルークの兄についても知っている可能性は高いと思えた。ルークに感謝され、気持ちも晴れやかに二人の新生活をきるのだと夢想した。
ヘティがどうなろうと、知らない。たとえ父と同じように過酷な鉱山作業に押し込まれても、もっとひどいことになっても。
いつのまに手続きをしたのか、少女たちは講義室を貸し切り、そこに幾重にも厳重な防音魔法をかけていた。
「ルークが止まんなくてさぁ。結局抱えて来たけど…遅くなってすみませんね」
ランスは疲れた顔でシンシアたちに謝ると、ルークに代わって、アイーダの嘘でヘティが敵に拐かされたと説明した。
聞き終えて、誰からともなくため息が漏れる。
「最悪の偶然ね…」
パメラが、ヘティの立場について話したちょうど同じ日、アイーダが、ヘティに接触しルーの過去を話す。
何も知らされない、と感じていたヘティは、パメラの言葉に衝撃を受け、さらに苦しいことを告げてきたアイーダの言葉こそを正しいものとして鵜呑みにしてしまう。
「誰が、とかどこに、というのは言っていなかったの?」
シンシアの問いにランスが首を振る。
「まだ。でも、ヘティが向かった場所は分かりましたよ。大通りをそれたところにある、”五色の水“っていうカフェだって」
「五色の水?」
ゲインが顔をしかめた。
「知ってるのか」
「…何度か行ったことがある。ヘティ·ブラントのことも二度連れていったことがある」
ランスはすでに、その店に友人二人を向かわせていた。もしまだヘティがいれば連れ戻してもらうし、いなければ、店員に目撃情報聞いてもらうためだ。
次にシンシアが報告した。
彼女の話は、姉と兄の筋から集めた情報だった。ヘティを拐う動機のある父方のバッフル一族に動きはないこと。残党探しは兄も徹底してやっているため、その線は薄いこと。それから、王都にいる貴族の中で動機があるのは中堅層の者たちだが、エレノアの知人によれば、一番怪しいのは魔法省に三男のいるフラー子爵家だということ。
「今、知人に頼んで馬車の出入りを確認してもらっているところよ」
シンシアの報告を聞き、マリアンヌが地図上のバッフル一族の谷に、×印を書き込む。捜索候補地がひとつ削られたのだ。
この地図は、ルーの持ち物だ。彼が兄を探しにいき、空振りに終わった場所につけていた×印が、ルルム近郊に散らばっている。それでも、まだ広すぎる。海と森とに囲まれた広大な国土を見下ろし、皆険しい顔を崩さない。
「…俺たちの師匠が言うには、今日ヘティ·ブラントが魔法省に来ていないのは確かだそうだ」
地図の中央、王都にあたる赤丸を見つめながら、ゲインが言った。ランスが、注意深く尋ねる。
「失礼ですが、どうして言い切れるんです?もし関係者に嘘をつかれていたら─」
「それはあり得ない。これは俺が師匠を盲信しているからではなくて、あの方の能力だと思ってくれ。あの人には、誰かが嘘を吐けば全てわかるんだ」
ランスの疑問をゲインは一刀両断した。まだ納得いかない顔をしている彼らだったが、シンシアがここできっぱりと信じると言ったので、それならという空気になった。それで、ゲインは先を続けた。
「朝から魔法省に来ていないということは、恐らくその前には寮を出たのだろう。あの店なら、迷わず行けたろうし…師匠は、方面の目安がついたら出発して、魔法具の気配をたどる気でいる。あの人なら転移施設を使えるから、目的地次第では追いつける」
そうこうするうち、『五色の水』に行っていた二人が戻ってきた。
ヘティはすでにそこにはいなかった。
「ってかあの店誰もいないし」
「店の裏手から馬車が出ていくのを近所のばぁちゃんが見てた。今、地元のダチにその方面で見慣れない馬車の話を集めてもらっているけど…」
「誰もって、どういうこと?」
「店の持ち主は?!」
「どっち行ったって?西か?!東か?!」
「従業員は?」
戻ってきた二人に、皆が一斉に質問を浴びせる。
「誰もは誰もだよ。もぬけの殻だ。表に、『都合により休業』ってビラだけ貼ってあって」
「近所で聞いたけど、あの店って、昔からあるけど、つい最近オーナーが代わって店員も入れ換えたらしいんだ。それで、新しいオーナーについては周りの店の店主も誰も知らない」
「何だよそれ、じゃあ犯人を逃がしたってことか」
「全員が居なくなったのは、尻尾を捕まれないために消えたってこと?それじゃあ、ヘティを探せないじゃない」
「い、一応南の方で目撃情報集めてるけど、まだはっきりとは…」
「ローゼルだ」
皆がゲインに注目した。ゲインは、床の木目を睨みながら、言った。
「ローゼル領に行ったはずだ。…俺の知り合いの従業員は、そこの出身だった」




