馬鹿なヘティ、再び5
「──であるからして…」
午前の講義は座がく中心だ。週に二回、魔力制御の訓練を受けに行く以外は、他の学生と変わらない。
木製の椅子は固いが、もくもくとノートをとることには慣れているので、苦ではない。ただ、どうしても、食堂の仕事をさぼっているような気がしてしまう。それが、王宮から下された指示だったとしても。
ヘティは小さくため息をついた。
あの日、ヘティが気が付いたときには、様々なことが終わり、ヘティの学校生活は大きく変わっていた。
校内での嫌がらせはなくなり、修業はさらに進んだ。同時に、制御を学ばなければ危険な魔力量と判断され、ヘティには、魔法省での特殊訓練が課されることになった。それに伴って、それ以外の日は午前の講義への参加も義務づけられたのだ。
ランスら周囲にいた生徒から事情を聞いた教官は、倒れた男子生徒達が自業自得なこと、幸い大きな怪我も損害もないことを確認し、この件を不問とした。
「しかし、以後十分に自制をするように」
そう言われてヘティは、体の芯が痺れているような感覚のまま、はいと返事をした。
教官は連絡事項を伝えるとすぐに部屋を出ていき、残されたヘティは、付き添ってくれていたシンシアに言った。一流の治癒魔法師になりたいと。
嗚咽をこらえて、浅い呼吸と共に吐き出した言葉とそのときの情景を、ヘティは一言一句覚えている。
「私、風以外の魔法も使えないし、詠唱がなきゃそれすら続けられませんけど、それでも怪我の治癒は出来るんですよね?」
「ええ。外科は傷口へ魔力を注いで組織を活性化させるから、基本何属性でもね」
分かりきったはずのことを尋ねたが、シンシアは嫌な顔ひとつせず答えてくれた。シンシアの声は、暖かかった。
「じゃあ私、一流の外科医を目指します。私が、一流になったら、もう私の周りの人、馬鹿にされませんよね」
ヘティの頬をぽろりと何かが伝ったと同時に、シンシアは小さく息を吸った。それから、労るような声で答えた。
「…そうね。貴女ならきっと、そうなるわ」
顔をおおってしまったので、ここで記憶は途切れる。
そのあとは、夕方遅くにルーが駆けつけてくれたところまで、またうつらうつらしていたのだと思われる。
ちらりと斜め前方へ顔を向けると、ルーのすみれ色の目がヘティを見た。
「─っ」
ヘティは思わず目をそらしてしまった。
ルーもまた、戻って以来少し変わった。
いや、変わったのはヘティの方かもしれないが、それだけでない気がする。ルーは、何かしら考えているように、じっとヘティを見ていることがあるのだ。
「ルーク·ノースウッド」
講師が厳しい声で呼んだ。
「余所見はそのくらいにして、私の質問に答えてもらうぞ」
周りの囃し立てる声で余所見の先がまだ自分だったことに気づいて、ヘティは俯いた。
胸の奥がさわさわとむず痒い。
ヘティは、なぜ自分の頬が熱くなるのかと考えてしまう。人に注目されて恥ずかしいからか。それとも、ルーが、自分のことを見ていたからか。
──親友は、こういうとき、どういう顔をするのだっけ?
ルーが戻って以来、ルーのことを考えると顔が熱くなったり逆に全身冷たくなったりする。
──私がルーとしたいと思っていたことの、半分は恋人がすることだった。友達は、普通、髪を触ったり、そういう触れ合いをしないものだった。ルーはよく呆れた顔をしていたけど、どう思っていたんだろう。
──でも最初は女同士だと思ってたんだから、仕方ない…よね?多分ルーも、その辺は分かってるよね。ああでも、やっぱり、男の子だって分かってからも『友達だから』って馬鹿なことしてたし…
ヘティはかあっと火照った顔を左右に振った。それで火照りを
冷まそうと思ったが、色々と考えていた頭は益々ぐちゃぐちゃになる。
そのとき、教室がどっと沸いた。
ルーが何かしら周りを笑わせたらしい。
黒板の前でしかめ面をしていたはずの講師までが、苦笑している。
その中心にいるルーを見て、ヘティもまた、知らないうちに微笑んでいた。
昼食は、ルーとその仲間たちと一緒に食べる。
午前の講義にも出るようになったため、朝食も昼食も、他の学生と同じ時間に食堂で食べることになったのだ。ヘティは密かに心配していたのだが、初日に当然のようにルーが待っていて、ルーの友人たちが取ってくれた席で一緒にご飯を食べ、それからずっと続いている。
ルーは午後から魔法省に行くので、昼食後、シンシアたちが来るまでは、教室で大人しく自主練習をする。他の学生に声をかけられることもあるが、以前のように意地悪をされることはないし、たまに受け答えに困ることを言われると、ランスたちが助け船を出してくれた。しかしその事は、どういう仕組みかシンシアたちにも筒抜けになる。
「自分であしらえるようになりなさいっ」
シンシアには腰に手を当てて叱咤される。
そして、夕食の席でルーにも報告される。
「…へぇ」
こちらはなぜかいつも冷たい声を出される。今日も例に漏れず、ヘティは居心地の悪さに縮こまった。
「怒るなって。分かってないだけなんだから」
「分かってないからこそ、問題なんじゃないの」
ランスのとりなしもむなしく、ルーは手厳しい。ヘティはそっと向かいを伺う。
そして、あれ、と思った。ルーは食欲がないらしく、飲み物しか持ってきていなかった。ただでさえ同年代より細いのに、とヘティのなかのお節介が顔を出す。
「ルー、ちゃんとご飯も食べなくちゃ」
何をおいても健康第一、がブラント家の家訓なのだ。
ルーに自分のトレイからスープを差し出すと、黙ったまま奇妙な目で見られた。
「え、あの、それ、まだ口つけてないよ?」
慌てて弁明すると、ランスたちの方が同調してくれた。
「そうだよ、飯は食べるべきだよ、その通り!」
「心配かけるなー」
「ルー、食べた方がいいぞ」
「あーもう。分かったって」
結局、ルーはしぶしぶスープを飲んでくれた。
その代わり、しっかり仕返しされた。
「要らないの」
そう言うが早いか、ヘティが冷ましていた焼きリンゴをひょいと奪っていったのだ。
ヘティが猫舌だということは、ルーも知っている。
「熱いの駄目って知ってるくせに」
と膨れるヘティににやりと笑っているのだから、確実だ。
「そうだっけ?」
とぼけながら返されたリンゴは半分以下になってしまっていた。
ヘティはそれ以上奪われないように皿を両手で抱えた。けれど、すぐに食べる気にはなれなかった。何となく頬が熱いし、何となく、そのリンゴをかじるのは恥ずかしい気がした。
「…ヘティちゃんって表情読みにくい子だと思ってたけど、ルークとセットだとなに考えてるかまるわかりだね」
「…分かりやすいなんて、始めて言われました」
ヘティは面食らった。けれど、それからすぐにルーの方を向いて恥ずかしげに笑った。
「やっぱりルーといると、嬉しいことが起きるね」
「…そりゃどうも」
ランスがぼそりと、虫除けなんだか逆効果だか、と呟いたが、幸か不幸かその意味がヘティに通じることはなかった。




