「馬鹿なヘティ」、再び3
それから大至急、ルーだけが王都に戻った。
そのまま真っ先にヘティのもとに向かうのかと思いきや、待ち構えていた人物は、彼を見つけるやいなや、着替えさせ、王宮へと連行した。
よく分からない偉そうな人々の前で言われた通りの返事をし、よく分からないままその場から連れ出された。
「よくやったね。これでひとまず難を逃れたよ」
そこでようやく、詳しい説明を受けた。
ファレルの言う通りすぐに発ったのだが、あと少し遅ければ、彼らのいないうちにヘティの処遇が決められていたと言われた。
それを告げたのはホールデンという名の講師で、ルーは魔法学の講師が本職だと思っていたが、実は魔法省の重役で、ファレルの味方でもあるらしかった。
「まあ、僕としても貴重な治癒魔法師の卵を政治の道具になんてされたくないからね。ルーク君が来てくれて良かったよ」
「あの、さっきのは」
王宮から魔法省に戻り、ルーはようやく気になっていたことを口にした。
「ああ、ちょっとね、君の立場が不安定だと付け入られるから、僕の養子って形にしたんだ」
「…はい?」
ルーのあげた声にホールデンが片眉を上げた。
「気づいてなかったの?最後、ルーク·ホールデンって呼ばれたのに。ああ、嫌なら普段はノースウッドを名乗ればいいよ。それに、僕は今現在役職ゆえの爵位は持っているけど、一代限りのものだから、養子といってもたいしたことじゃない」
それでも十分たいしたことに思えて、ルーは慎重にホールデンの底の知れない瞳をうかがった。相手もそんなルーの内心くらい見通しているのだろうが、にこやかに続ける。
「それでも、ヘティ·ブラントの現在の交際相手であるルークは、将来有望な魔法具技士として、ホールデン一族の後ろ楯を得たわけだ。さすがに侯爵レベルの貴族は愛妾といってもある程度家柄を求めるし、横やりを入れてくるのは伯爵以下だから追い払えるでしょ」
驚くことは多々あるが、とにかく一点だけはと訂正する。
「俺はべつに交際相手とかじゃ」
「ないとかいうなよ。君らの噂も最大限に利用したんだから」
「ちょっと待ってください、噂ってどれですか」
「ん?将来を誓いあった仲で、ヘティ·ブラントはルーク君を追いかけて都に来たとか。あと、最近手製の魔法具を贈ってたって言うから、それで正式に婚約を申し込んだってことにしたよ」
__つまり、ヘティ・ブラントはルーク・ホールデンと婚約中の身であると。
「でたらめです!」
「そうだけど?」
驚いて叫んだルーは、平然と返されてさらにびっくりした。まじまじホールデンを見つめると、彼はハチミツのような甘い笑みを浮かべたまま、こう続けた。
「だから、言ってるでしょ?『噂を利用した』って。真実がどうだったかなんてどうでもいいんだ。君らの仲が広まっていて、しかも無理矢理覆すのは醜聞になるって思わせるのが大事なんだから」
「…でも、ばれたらもっと困るでしょう」
にやりとホールデンが笑った。その笑みは、ファレルのそれに少し似ていた。
「ばれたら?そんなの、ばれる前に本当にすればいいでしょう」
大人って何を考えているんだ、とルーは呆れはてた。
しかし、すぐにホールデンの言葉におののくことになる。
「そういう訳だから、さっさとちゅーくらいしといてね」
「はぁ?!」
ルーの驚愕の声は、きれいに聞き流された。
──何がそういう訳だ。
──そもそも俺は、ただの人助けのつもりで戻ってきたのに。ファレルだって、別に付き合えとか、ましてや婚約とか、そんな話は一切してなかったのに。
抗議は止めどなく沸いてくるが、ホールデンの姿はすでにない。ヘティの居場所だけ告げるとあっという間に行ってしまった。
指示されたのは、魔法省の中でも、足を踏み入れたことのない階層だ。ここは安全圏だと言われてきたものの、少し緊張した。眼光の鋭い老人と話していたシンシア·ガーラントが、ルーに気づいてくれた。
夕日の差し込む部屋に通される。
寝ていると思われたヘティは、簡易ベッドの上に起き上がっていた。
ルーの顔を見て、ぽかんと口をあける。
ルーは黙ったまま近づいて、少女と向き合った。
立ち止まったところで、ヘティの唇がぎこちなく動いた。
「ルー、えっと、おかえりなさい」
ルーは、目を見はった。
「…ただいま」
自分の口からするりとその言葉がついて出たとき、ルーは心のなかの諸々がすとんとあるべき場所に収まったような気がした。
先程まで胸に渦巻いていた抗議も、ソーダの泡のように消えていった。
「今日」
「あのさ」
お互い言いかけた言葉が重なる。
しばらく目で譲りあったが、ルーが折れなかったので、少女の方が話し出した。
「今日ね、ちょっと修業中に、うっかりして…魔力の制御をしくじっちゃって、ね」
目が泳いでいる。嘘ではないのに、ごまかしているのが丸わかりだ。
「それでね、明日から、大きな魔法を使う練習もすることになっちゃった。魔法の基本は魔力とイメージだから、イメージをしっかりもって、無意識に使うことがないようにって…」
尻すぼまりに声が消えていく。
ルーの反応を気にしているのだ。へティは、ミリア襲撃事件の際に自分が無意識にミリアを攻撃したことを知らされていない。だからもちろん、ルーがそれを知っていることも知らない。
ルーにとっては今さらな話だ。
そして、それ以上の決定がされかけていたのだから、なおのこと些細な問題だった。しかし、それもまた、この少女は知らない。
自分がどこぞの貴族の愛妾として飼い殺されようとしていたことも、それがどう間違ってかルーと婚約していることになってしまったことも。
「あの、でもちゃんと」
「うん。いいんじゃない?やっといて損はないし」
ルーが言ってやると、ようやくヘティはほっとしたように言い訳を止めた。
「怪我は?」
「させてないって聞いた」
「そっちじゃなくて、あんた」
ヘティの黒い目が、真ん丸くなった。
「…ううん。してない」
「そ。なら、いい」
ゆるゆるとヘティの頬が緩んでいくのを、見るともなしに見る。
「ゲインと、出掛けた?」
気づけば口から出ていた。ヘティは一瞬きょとんとしたが、ああ、と笑った。
「うん。ルーへのお礼を選びたかったからね、案内してもらったの」
今度は、ルーが目を丸くする番だった。
「何それ」
「だから、お礼。ほら、ペンをもらったでしょ」
「あれは課題だし」
何に対してか、ルーは言い訳をしていた。けれど、ヘティは力を込めて、言った。
「嬉しかったの。すごく。もうね、一番の宝物なの」
それから、心配そうに眉を下げた。
「あのね、お礼、今シンシア様のところにあるんだけど、受け取ってもらえる?」
「うん。断る理由ないから」
「本当?あ、でも、私そのぅ、思わずお揃いみたいなペンにしちゃったんだけど…」
ルーは、はあと長々息を吐いた。何を言えばいいのか、言葉が見つからなかった。とりあえず頷いておくと、またぱあっとヘティの顔が輝いて、頬が夕日のなかでも分かるほど紅潮した。
改めて、ずっと腹をたてていたのが馬鹿みたいだと思った。けれど、謝るのも、言い訳するのも、どれも、しっくり来ない。
その上、自分はこれから、早急にやらねばならないことがある…ヘティに関して。
結局、出てきたのはこんな間の抜けた言葉だった。
「…夕飯、食べに行く?」
言った側から、なんだこれはと自分で自分を罵倒したくなった。しかし、ヘティは嬉しそうに頷いて、ベッドから降りてきた。




