「馬鹿なヘティ」再び1
シンシアと、その友人達との話は、ヘティの意識に大きく影響を与えた。
結論から言うと、へティは、より一層修業に打ち込んだ。
ルーへの気持ちは、分からなくなったままだった。確かに友情なのだと思う部分もあり、しかし、それを超えた自分達の言動も自覚した。
そうした分からないもやもやを、ヘティは修業に昇華させたのだ。
どちらにしても、今それを最もするべきだということだけは、確かだったからだ。
有能な治癒魔法師はまだまだ少なく、貴重だ。加えて女性の社会進出や実力主義を進めたい現女王の体制下では、平民の娘であるヘティがその地位につくことは、特に大きな意味があるのだと、シンシアに教わった。
「『自分』の価値を高めるの。そうやって、誰かに人生を左右される可能性を少しでも減らすのよ」
ルーが自分にとってどういう存在なのかは、定かでない。けれど、大事で、一緒にいたいことは確かなのだ。
そして、修業に打ち込むと、ここへ来たそもそもの理由がくっきり浮かび上がってきた気がした。
ヘティがここへ来たのは、単純に、ルーの怪我を治せるようになりたかったからだ。
そう言うとシンシアは、
「…それでよく、『分からない』なんて言うわよね」
と呆れた顔をし、何故かパメラとマリアンヌはきゃあと声をあげて喜んだ。
ともあれ、修業は進んだ。
集中したヘティの右に出るものはおらず、最も厳しいと評判の教官さえ、じきに承認試験を受けられるだろうと評した。
その試験とは、細い麦わらを人の体に張り巡らされた管と見立ててそこに魔力を通し続けるというものだ。一時間以内に用意された全ての麦わらの中に魔力で糸を通すのだが、麦わらに傷をつけずに達成するには、かなりの精度と持久力が求められる。
承認試験を通過すれば、見習いの認定額を貰える。それが、治癒魔法師への最初の一歩なのだ。
そういったわけで、ヘティは試験に向けた練習を始めた。
不思議なもので、細い藁はルーの血の通る管、魔力を藁の中に通して傷口を癒すのだと仮定すると、俄然集中が高まる。
ヘティはこの修業を、通りすがりに囁かれる嫌みすら聞こえない集中力で続けていた。
それが、勘にさわったのだろうか。それとも、シンシアという後ろ楯を得たことへの、反感だろうか。
ヘティに向けられる敵意がこの日、とうとう、直接的な形となって現れた。
ちょうどこの日は、最近大抵側にいるシンシアたちが、女学校の行事で遅れていた。
加えて教官が急用で呼ばれていったのは、偶然か、仕組まれたのか。
そのタイミングで、誰かが、へティの体を背中から押した。
「きゃっ…!?」
どんっという衝撃。細いヘティの体は机に突っ伏すように倒れこみ、机上のものが全て、音をたてて転がり落ちる。
ヘティの目は、糸のはしが藁から抜けて滑り落ちるのをとらえた。次に、胸元にしまいこんでいたペンが滑り落ち、床に転がるのを見た。
「あ…!」
思わず声をあげたヘティに、近くにいた男がせせら笑いを浮かべて
「なんだよ。ちょっとぶつかっただけで大袈裟なんだよ」
と言った。すると、側にいた取り巻きも尻馬に乗った。
「あーあ、やり直しだなぁ、おい」
「ざーんねーん」
「集中しないとなぁ?」
ぶつかられたのだと知っているはずなのに、当たり前のように彼らはヘティのミスとして嘲る。
けれど、ヘティはこうした理不尽には、残念ながら慣れている。それで、反応せずに黙ってペンを拾おうとした。
しかしそれは目の前で掠め取られた。
「なんだよこのペン。変な形だな」
無造作に放り投げた先はぶつかってきた男で、ヘティはその男が以前自分のペンを投げ捨てた人間だと気づいてはっとした。
「返して!」
「はっ!これ、ご丁寧に名前入りだぜ?結構するよな。どっちに貢がせたんだ?弟か、お貴族様か」
「触らないで!」
冷静さを失ったヘティに気をよくした相手は見せつけるようにペンを投げ合う。
「やめろよ、それルークが課題で造ったやつだって」
「そうだよ、お前らやり過ぎ」
ランスらが諌めるも、彼らは止まらなかった。
「ルーク?あいつも悪趣味だよなぁ。こんな無愛想な上に節操なしな女、どこがいいんだか」
「色仕掛けでその気にさせられてんじゃねえの?」
そう言った男が、とうとうペンを窓の外に投げようとした。
──そのとき。
ひときわ強い風が吹き抜けた。
「返して!!」
人生で一番大きな声が出た。
押された肩の痛みも辱しめる言葉も、やり過ごそうと思っていた。痛いけれど。悔しいけれど。涙のこぼれそうな目元にぐっと力を入れていた。
けれど、どうしても我慢できなかった。
叫んだ瞬間、身体中から何かが吹き出すような感覚があった。
「私が、課題をやり直すのは、いい。私がその分早く上手になれるだけだから。でも、ルーのこと悪く言うのは許さない。ルーの作ったものを馬鹿にするのも、絶対許さない!」
腹の底がかあっと熱い。ぶわっと体の奥から何かが湧き出る感じがした。
目が熱くて、チカチカする。
けれど、目の前の男を睨むのは止めなかった。
「ルーは私がペンを無くして困ってたから助けてくれただけだもの。悪趣味ってなに?色仕掛けって何よ?いい加減にして!」
うっと男が呻いた気がした。
だからなんだ。構うものかと頭のなかで誰かが叫ぶ。
「ルーのこと、馬鹿にしないで!」
がたんと音をたてて倒れこんだ相手へ一歩踏み込む。
「私の親友を、馬鹿にするなっ!」
「おい止まれ、へティ·ブラント、止まれ。」
騒ぎに気付いて駆けつけたのか、いつのまにか教官が来ていた。
しかし教官に話しかけられても、へティの興奮は収まらなかった。縫い付けられたように男から目が離せない。
「ヘティ!こっちを見なさい!」
がしっと両手で肩を掴まれてようやく、ヘティは視線を動かして、その手の主を見た。
シンシアだった。
「駄目よ、暴走しては駄目。分かるでしょ、ね、ヘティ」
二人にだけ届く小声で囁かれた言葉に、心臓がどくんと震えた。
「っぁ…─」
シンシアがどれ程真剣に自分を止めているのか、それが誰のためなのかが、分かった。
自分を抑えねばという気持ちと、まだ戦わねばという気持ちとが、ぶつかり合って、揺れた。
それをわかって宥めるように、シンシアは付け加えた。
「ちゃんと、ペンは貴女が持っているわ」
そう言われて、ぎくしゃくと視線を下ろせば、いつのまにか手の中にペンを握り込んでいる。
どうやって。ヘティはそれを持っていたはずの男を見下ろした。
彼は青ざめた顔で震えていた。胸を抑えて、呼吸が浅い。
それは自分がやったのだと、頭のなかで繋がった。
ペンを取り返したくて、腹が立って、許せなくて、魔法を彼にぶつけたのだ。風は思うがままにヘティに味方した。
──体の中が、すうすうする。
ヘティは意識を失った。




