二度目の旅11
「冷えてきたと思ったら雪か。降るには早いだろうに」
扉をあけて入ってきたファレルがそう言った。
「ここは山が近いですから、その分冷えるのでしょう」
「やつらの身柄は無事に拘留所に着いたぞ」
そちらはと視線を送られ、クリスが首を傾げる。
「証拠は十分あがっているのですが、懲役後戻ってこない人間がどこに送られたのか、明確なリストがないんですよね」
「香木の伐採要員だけでは数が合わないのか」
「はい」
そうだ、ルーの兄はそこには居なかった。もう二年も前に確認済みだ。
今にも口をついて出ようとする言葉を押し留めていると、はぁとファレルがため息をついた。
「仕方がない。やつらに尋問するしかないな」
「ええ。しかし、領内はあらかた目星をつけて手の者を回らせたあとです。ですから、最悪、領外に売られている可能性もあるかと」
「そうなると、そっちの領主の許可もいるのか」
「もめるでしょうから、具体的な証言か証拠が欲しいんですよね」
二人はぽんぽんと今後の流れを確認していく。
ここで追及の手を緩める気はないようだ。ルーは、いつの間にか握りしめていた拳を緩めた。
──ファレルはあの悪徳領主をその地位につけていた王族の一員だけど、それを是としていたわけでもなければ、黙認していたわけでもない。
それからファレルは隣室へ消えた。手製の魔法具で王宮とやり取りをするのだ、とルーは知っている。旅の間も、ファレルは王宮に残してきた仕事をそうして動かしているのだ。
「手が止まっているぞ」
「って!すみません」
クリスから脳天にげんこつを見舞われ、ルーは頭を抑えた。この侍従は見かけによらず鉄拳制裁派だ。
「またお前は、私に敬語を使うのだな。殿下に使わないくせに」
「すみません」
首をすくめると、深いため息をつかれた。
「本来説明するまでもないことだが、私が殿下へ敬語を使うべき最大の理由は、殿下が尊敬に値する人物だからだ」
クリスの口から出るには意外な気がして、ルーは彼の顔を見上げて探った。彼は基本ファレルにため息をついてばかりなのだ。
「殿下は適当でちゃらんぽらんだが、実は仕事熱心で優秀な方だ。お前にももう、それは分かったはずだ。生まれのみで疎まれ、軽んじられるべき人では、決してない」
そんなことは、と反論することは、できなかった。この件は、ルーにとっても自分の存在に関わる深い問題だったので、いつものように都合のいい嘘をつくことができなかった。
しかし、なぜと思うことはまだ残っていた。
「──王族というのは一番偉いはずではないのですか?こんな回りくどいやり方をしなくても、王子が一言命じれば、一発で終わる話でしょう」
今回のルルムも、この前の風の谷も。ルーには、わざわざ遠回りをして時間を無駄にしているような気がしてならなかったのだ。
不信を隠そうとしないルーの態度に、クリスは苦笑いした。
「それができれば楽だが。実際には、王といっても、力のある貴族にそっぽを向かれては国が立ち行かなくなる。だから、地道な証拠固めが必要だ」
この国は、強い宗教も大きな外国の驚異ももたない。そして国民のほとんどが何らかの魔法が使えるため、他国よりもかなり豊かである。それは国民にとってよいことに違いないのだが、王にとっては必ずしもそうとは言えない。外の脅威がない、その上王に宗教的な求心力がない中で、各地の領主は豊かな民から税をとって力を蓄える。それは王にとって、有力な貴族を抑える困難に
もつながりうるのだ。
「…そういうものなんですか」
「何を話しているかと思えば」
はっと振り返ると、いつの間にか用を済ませたらしいファレルが扉をあけて立っていた。彼は面白くなさそうな顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「お前たち、こそこそ話すなら猥談くらいしろ。聞き耳のたてがいもない」
「猥談なら聞き耳たてるより乱入してくるでしょう、殿下は」
すまし顔でクリスは流したが、ルーは動揺していた。
どう接すればいいのか、そもそもどんな顔をすればいいのか、分からなかった。それで目を合わすまいとお茶を受け取るファレルになかば背を向け、手元の書類に視線を落とす。
すると、ああそういえば、とファレルがゲインを呼んだ。
「この前、ヘティの買い物の付き添いをしていたらしいな。今、魔法省のやつからも噂を聞いたぞ」
こんなところまで話が広がっている。
しかも猥談の流れで思い出されるのかと、ルーは俯いたまま苦いものを飲み下した。
「ご報告した通り、何も起きず、無事に寮まで送り届けました」
ぴしりと背筋を伸ばして答えるゲインに、ファレルがおうように頷く。
「そうか。ご苦労だった」
「…は?」
ルーは思わず顔を上げ、目を開いた。
なぜゲインがデートの報告をして、それをファレルが労うのか。それではまるで、と向けられたルーの目に、ゲインは憮然とした顔で応えた。
「だから、この話をしようとしていたんだよ、この前からお前に」
それなのに聞こうとしないしと小声で言われて、早くも察したルーには、返す言葉がなくなった。
つまり、ゲインがヘティと出掛けて噂になったあれは、ファレルから命じられた護衛かなにかの一環で、デートではなかったということだ。
確かめるべくファレルの方を向くと、あっさり肯定される。
「お前一人で全てのカバーをするのは不可能だろうから、ゲインにも、お前がつけないときは目を配るように言っておいた」
そうだったのかと拍子抜けする一方で、なぜかクリームシチューに砂が混ざっていたような妙な感じがして、ルーは顔をしかめた。
「そういう訳だから、戻り次第仲直りでも謝罪でもするんだな」
にやりと美貌を歪めたファレルに言われた。
仲たがいしていることまで筒抜けかとうんざりしつつ、ルーはまだ動き出さない頭を軽く振った。
ゲインの件は分かった。
しかし、ルーは一度抱いた考えを無視できなかった。それは、ゲインがどうあれ、ヘティがいると落ち着かないということだ。ヘティといるとそつなく振る舞えない。そもそもゲインの方は任務でも、ヘティも何とも思っていないとは限らない。
そう考えると、またもやもやした気持ちが広がって、頭が一層働かなくなった。今は兄があと少しで見つかるかという何より大事な時なのに、それでは困る。
だからルーは、ファレルから目をそらしてこう返した。
「…いい」
「何がだ」
「このままで。アレはこのまま奥方様が戻るまで、ガーラント家においてもらった方がいいでしょ」
どうせあと少しで寮生活も終わる。シンシアとうまくいった今、その方がヘティにとっても都合がいいと思い、そう言った。
その瞬間、タン、とファレルがカップを置いた。
「放すのか?」
「なに」
「ヘティ·ブラントを手放すのか?」




