二度目の旅6
──ガーラント家の一族は、皆魔力の生成器官をもつにも関わらず、魔法を使うことができない。しかも、使われなくとも魔力の生成は止まることなく続いている。
──魔力は、通常、感情の隆起などに従って微量ずつ漏れだし、持ち主を困らせることなどない。その魔力の放出が全くないということは、体にその魔力が溜まり続けるということだ。魔力過多による体への負担は大きく、慢性的な体調不良からやがて衰弱し、死に至る。
「…おんなじじゃない」
ヘティは思わず呟いた。
これは、まさに、ほんの少し前までの自分だ。もっとも、ヘティの場合は後天的なものだったから、若干の弛みはあったし、意識して魔法を使えばすぐに解決した。
ではシンシア·ガーラントは、どうやって克服したのか。そして、その姉のエレノア·ガーラントは。
ノートは、途中から紙質が変わった。前半よりもやや質が劣り、くたびれている。日付が並んでいるところと所々走り書きになっている辺りは、まるで日記のようだが、内容は一族の歴史だ。
ヘティは目に入った走り書きを何の気なしに読んだ。
─早く見つけないと。お母様が。シンシアが。探せ探せ探せ!
─ハロルドから連絡あり。お母様の容態はかなり深刻。時間がない…
はっとする。
これは、エレノア·ガーラントが、奥方様が、書いたのだと気付いた。つまり、ほんの数年前までガーラント家は魔力の異常に悩まされていたことになる。シンシアが魔法を使えるようになったのも最近だと言っていたが、それは死と隣り合わせの日々を送っていたということなのだ。
日記によると、エレノアは隣国に視察にいくファレルと共に治癒魔法を学び、その中で精霊の存在を知ったらしい。
──精霊は、魔力の塊のようなものだけれど、意思を持つ。そして、自分と同質の魔力を好んで求めたがる。
ヘティの知る風の精霊と、同じだ。
しかし、このノートが書かれた当時、国内では、精霊の存在は公に認められていなかったらしい。
いないとされているものを、彼らは探したのだ。エレノアが隣国で学んだ治癒魔法の基礎を、母親の延命のために実家に伝え、国に残ったハロルドが古い記録を探り。
やがて日記は、彼らが、領地の森でおきた変死事件を糸口に、そこに精霊がいるのではないかと考えだすところに到達した。
──私がガーラント家の中で、例外的に魔法を使えるのは、幼い頃に遭遇した実の父の死と関係があるのではないか。あのとき、私は精霊と出合い、精霊はガーラント家の体にたまった魔力を好んで欲したのではないか。
「すごい…」
その後、エレノアはとうとう精霊を見つけ出し、契約を結んだ。そして、母親とシンシアは、精霊が魔力を奪った際に体内の魔力の入れ物が壊れたことで、魔力過多から解放された。
ヘティはそこで、不思議なことに気付いた。
すべては一件落着と思われたのに、ノートにはまだ続きがある。そして、もうひとつ。
「ファレル様たちは、どうして精霊がこの国にもいると知ったのかな」
国で当時存在を認められてすらいない精霊との、禁忌とされそうな契約だ。危うさはエレノアの日記でも指摘されていた。それなのに、好んで国に報告するとは思えない。
ヘティの場合は、すでにファレルらが精霊の存在をつかんだ上で、公認で契約主にされたという経緯がある。だから知られていて当然なのだが、ガーラント家の場合は、違う。いくら忠誠心が篤くても、かなりの冒険だ。
知らずごくりと唾を飲みながら、ヘティはページをめくった。
──ここから先の内容は、国の極秘事項に関わる。本来書き記すことは許されないが、ガーラント家を継ぐものは知っておくべきと判断し、ここに記す。
すぐに気付いたのは、筆跡が違うことだ。美しいが癖のある文字。固い文体。ヘティは旦那様かなと思い付き、何となくそれが正解な気がした。
朝はシンシアと一緒にご飯を食べて、王立女学院という貴族の子女の通う学校へ行く彼女と同時に家を出た。シンシアが学校で降りた後、馬車はほんの少し遠回りしてヘティを寮に下ろしてくれるという。
本当は、歩いていくからと断ったのだが、シンシアもカミラも納得してくれなかったのだ。
「危ないもの。ヘティは地元から出てきたばかりだとすぐに分かるから」
そうカミラが言えば、シンシアも重々しくうなずいた。
「そうですわ。それに、貴女を我が家で預かることはファレル様との約束なのですから、万が一のことがあっては困ります」
そんなわけで、ヘティは緊張の面持ちで、ガーラント家の家紋が入った馬車に乗り込んだ。
「貴女って、面白い人。ファレル様のお伴をして一緒の馬車に乗ったこともあるでしょうに」
シンシアにくすくす笑われ、ヘティは気まずい思いで肩をすくめた。
「確かに、今思うと、とんでもないことでした。でも、シンシア様はそのこともご存じだったんですね」
シンシアはにっこりと微笑んだ。
「カミラが教えてくれたんですの。カミラは、私たちの同士であり師匠なのです」
「師匠、ですか?」
確かにカミラはシンシアやその友人の中では一番年上だが、何にでも一流の家庭教師を雇えるだろう貴族の令嬢に何を教えているのか。シンシアは、人差し指を唇に当てた。
「恋愛小説愛好会のですわ」
それと自分の話がどう関係するのかと思ったが、ヘティは黙っておいた。
「あら、また不満げだこと。貴女は、小説がお嫌い?」
「とんでもない。大好きです。ただ、私の読むお話には、あまり男の人は出てこなかったですけど」
「そうなんですの?それでは今度、私のおすすめを貸してあげます…あら、どうかしまして?」
「いえ、なんだか、お友だちみたいだなあって。私、友達ってほとんどいないので」
それからヘティははっとして勢いよく頭下げた。
「ごめんなさい!私、馴れ馴れしいことを」
貴族の令嬢に、勝手にお友だちだなんて、無礼な話だ。しかし、ヘティのつむじに降ってきたのは叱責ではなく愉しげな笑い声だった。
「嬉しい。ヘティ。本当よ」
顔を上げてと言われて恐る恐る目を動かせば、シンシアがにっこり…むしろにんまりと笑っていた。
「私、いずれは貴女にそう言わせるつもりだったの。カミラから噂を聞いて、ずっと仲良くなりたかったの。それに、本当のことを話せる、大事な人だもの」
本当のこと、というところに微かなアクセントがついていた。
表情を改めたヘティに、シンシアは少しだけ顔を寄せる。
車輪と蹄のたてる音の中、ぎりぎり聞こえる声で、彼女は言った。
「あの本は、読んでくれた?」
ヘティはとっさに声を出せず、こくりとうなずいた。それを見てシンシアは、よかった、ともう一度笑顔を見せた。
「今が千載一遇のチャンスだと思ったの。ファレル様が作ってくれた」
シンシアの言い様は、ファレルがヘティとシンシアの接触の場を作ろうとしたというようだった。昨日は、国は精霊つき同士を関わらせまいとしていると言っていたのに。
「言っておくけど、私は女王様もファレル様も尊敬しているのよ。ただ、国は別」
「どういう…」
「尊敬する女王の治める国でも、納得できない部分はあるということ。だから、私は力をつけて、渡り合える力をつけるつもりなの」
「力、ですか」
そう、とシンシアはうなずいた。
シンシアは、破棄させられた婚約を思いながら話しているのだろうとヘティは思った。けれど、おいそれと触れられなかった。ヘティは可哀想だという顔をしないよう、眉をしかめなければならなかった。
「怖い顔ね、ヘティ。咎めているの?」
「いえ、違います」
「貴女にも同じことを考えろとは、言わないわ。でも、知って、その上で選んでね」
「はい」
素直に返事をしたヘティは、先程湧いた疑問を口にした。
「あの。ファレル様は、私たちが関わりを持つことに反対ではないのでしょうか」
指摘したヘティに、シンシアは細い指を口元にあてて、考えるように言う。
「多分。ヘティの滞在が公に知れれば騒ぎ出す方々がいるはずだから、今回のことはファレル様の独断よ。あの方は私達を信じて下さっているし、それがフェアだと思っているのかも」
信じていると聞いて、ヘティはあのノートの続きを思い出した。
精霊の存在を、最初に王家に伝えたのは、ガーラント家。シンシアの姉、エレノアなのだ。
ガーラント家が精霊と接触を持ち、危機を脱したあと、国内である怪異が起きた。
それは、精霊が関係しているとしか思えない状況だった。敬愛する王女やファレルが調査に行き詰まっている姿を見たエレノアは、一族の重大な秘密を、黙っていることが出来なかった。
ハロルド·イングラムの精緻に整った文字は、綴っていた。
──結果的に、事件はエレノアのもたらした情報によって大きく解決に傾いた。しかし、そのため、一族に関する全ての情報を隠しとおすことは出来なくなった。
──ガーラント家の精霊との繋がりを知るのは、国の中枢に関わる大貴族の現当主にとどまる。腐敗貴族はかなり粛清され、自分たちの利益のために精霊に手を出そうという愚か者は、今現在はいないと思われる。ただし、彼らは保守的であるがゆえ、精霊つきのガーラント家の血をひくものを危険視している。現状、当家は王家の覚えもめでたく、実績もあるため、彼らも手出しを出来ない。しかし、今後不当な弾圧や強制を受けないため、決して気を抜いてはいけない。
「ガーラント家は国のために尽くしたのですものね」
ファレルの信用は当然だ、とヘティは力強く言った。しかし、対するシンシアの声は冷めていた。
「それもあるけれど、あの方は姉が大好きだから」
「え?!」
純朴な少女は動揺した。
エレノアは既婚者だ。ヘティの頭には、既婚者への恋情などという複雑なものはなかったのだ。
「私に少し甘いのも、『エレノアの妹』なのに泣かせたという負い目があるからでしょうね」
ヘティは、またしてもいうべき言葉が思い付かない。
頭のなかでは、ぐるぐるといろいろなものが回っていた。
まず思ったのは、ファレルは決断しなければならなかったのだ、ということ。シンシアを、エレノアを悲しませても、独裁の王家とならないために。
そして、それならファレルはいつかまた、決断するかもしれないということ。シンシアのいうように、ヘティとルーを切り離す決断を。
そんなことをぐだぐだと捏ね回しているうちに、シンシアがすっと背筋を伸ばした。
「とにかく、せっかくのチャンスももらったことだし、私は貴女に肩入れすると決めているの」
「え?」
戸惑うばかりのヘティを眺める彼女は、年下とは思えないほど毅然としていた。
「カミラから貴女たちの話を聞いたときから、もうこれは、運命だと思ったわ」
ここまで聞けば、ヘティにも、シンシアが自分と婚約者をヘティとルーに重ねて見ていることははっきりと分かった。カミラが彼女らの恋愛(小説)愛好会の師匠だというのは、つまりは情報の発信源なのだろう。そしてその話のもとが、今、自分とルーということで。
かあっと頬が熱くなった。
「だから、その、私はルーとはそういうのじゃなくて」
「それならそれでもいいの。意に反して引き離されるのでなければ」
あっさり引いたように見えたシンシアだったが、すぐに彼女はこう付け足した。
「でもやっぱり、貴女とルーがお友だちかどうかは保留よ」
「ええ?!」




