二度目の旅5
この国の住民は、皆魔法が使える。
それは、魔力の涌き出る器官を体内にもっていて、その魔力をイメージの力で形にすることができるからだ。
これは、ヘティもすでに習って知っている。
魔力には、性質上五つの属性があり、木、風、土、水、火のどれに馴染みやすいかで分けられている。基本的にはどの魔力をもっていても、簡単なものなら他の属性の魔法を使えるが、高度な技や繊細な扱いができるのは自分の属性の魔法に限られるのだ。
「でも、私は生まれつき魔力があるのに魔法が使えなかったの」
「え、でもシンシア様は…」
治癒魔法の修業をしているのにと驚けば、彼女はその通りとばかりうなずいた。
「今は使えるわ。使える体になったから」
「それ、少し似ていますね。私と」
思いついて言ってから、ヘティは慌てた。
「いえあの、私も最近まで自分の意思ではほとんど魔法が使えなくて」
「そうらしいわね。カミラから聞いているわ。でも違うの」
シンシアの否定に、ヘティは身を縮めた。シンシアと自分が似ているだなんて、失礼にもほどがあったのだと。
「似ているのはね、そこではないわ。貴女が精霊と関わっている点よ」
ヘティはぴしりと固まった。
シンシアの口から、精霊という言葉が出たこと。それが衝撃だったのだ。
「あ、の…」
「隠さなくて大丈夫よ。私も、精霊と関わりのある一族だから」
「そうなのですか…?」
しかし、それならなぜ、シンシアの姉である奥方も、ファレルも、それを教えてくれなかったのだろう。
考えこんだのを見透かしたように、シンシアが言った。
「誰にも言われなかったのでしょう?」
こくりとうなずいたヘティに、彼女は大人びた苦笑を浮かべた。
「精霊と関わる一族は、精霊の好む魔力を提供する契約を結ぶことで、彼らに影響力を持ちうる。だから、国の中枢は、手元に置いて監視する。他の一族について知らせない。他の権力と結びつけない。そうすることで、国の安寧を図る──これが、この国の大人の理屈なのよ」
ヘティは何と言っていいのか分からなくなって、うつむいた。
シンシアの言うように、もしかしたら、ヘティが王都に来ることになったのも、監視しやすいように誘導された結果なのかもしれない。けれど、それは確かにヘティが望んだことでもあった。
だから、それを口にしようとした。
「私、…自分で」
「私は、貴女が何も知らされずにあの場所に置かれていることが不満なの」
シンシアが遮る。ヘティはのろのろと目をあげた。
「貴女は今、確かに自分からあのルーク·ノースウッドと共にいたいと願ってあの寮にいるのかもしれない。治癒魔法を学びたいのも本心かもしれないわ。でも、それが許されているのは、ちょうど彼らの都合に合致したからなのよ。もしも彼らの方の都合が変われば、いつでも覆される。そうなったとき、何も知らされないままの貴女は愕然とするのよ」
暗い予言は確信めいて、ヘティをおののかせた。
「…読んで。何かを選ぶなら、少しでも知った上で選んで欲しいから」
それだけ言い置くと、シンシアは去ってしまった。
あとに残されたヘティが立ち尽くしていると、静かに扉が開いた。
「ヘティ。大丈夫?」
労るような声は、カミラのものだった。
彼女は、書庫に入らずに廊下の見張りをしていたのだ。出てこないヘティを案じて声をかけてくれたのだろう。
「カミラ」
ヘティはノートをどうしたものか分からず、両手にのせて持て余したまま、振り返る。
そんな姿に苦笑し、カミラはするりと部屋に入ると、ヘティの目の前まで近づいた。
そして、ノートをそっとヘティの胸に押し付け、抱え込ませる。
そうすることで、薄っぺらなそれが、さらに重みを増したように感じた。
ごくごく近くに立ったまま、カミラが口を開いた。
「シンシア様はね、国の都合で婚約を破棄させられたのよ」
「え?」
唐突だったので、ヘティはびっくりした。
カミラの声は小さかったが、静かな書庫ではよく聞こえた。
「シンシア様ったら、どうせよそから噂が耳にはいるだろうから、私に伝えろって」
噂、という言葉に、ヘティはどきんとした。ちょうどゲインから聞いたあの話を思い出していた。
「あのね、シンシア様が婚約破棄させられたのは、二年前のことよ。精霊憑きの血筋の彼女を、反体制派についた婚約者がわの親族に利用させないための国の命令だったの。反逆罪を犯した親族との無関係を訴えた彼らに、国への恭順を示す気があるなら、三男とシンシア様の婚約を破棄しろと」
「そんな。酷い」
「酷いと思うかどうかは、立場にもよるだろうけど。国としては、過去に起きた精霊憑きによる国家転覆未遂の再来を防ぐ必要があったわけだけど、シンシア様には辛いことだった。だって、自分が危険視されていることなんて、それまで知らなかったんだもの。本当に仲のいい婚約者だったんだもの…」
それまでシンシアは、本当におっとりとした、見た目通りのたおやかな姫だったという。
しかし、辛い現実を目の当たりにして、彼女は変わった。
自ら王宮に向かい、説明を求めた。礼節にもとる行いはしなかったが、令嬢自ら連日談判をするという頑なな態度は世間の噂になった。『婚約破棄を認めた王宮に怒って怒鳴り込んだ』だとか『彼女の怒りに恐れをなして元婚約者は雲隠れした』だとか、はてには『気に入らない婚約を破棄するために王宮まで乗り込んだ烈女』だとか、そんな尾ひれがついて。
それにもめげず、家族の説得にも退かず、ついには王弟であるファレル本人からことの次第を説明され、シンシアはようやく事の成りゆきを認めた。
渋々である。幼馴染みの婚約者自身が悪事を働いたわけではないし、シンシアはたとえ強要されようと決して精霊の力を国に仇なすために使ったりしない。
けれど、国という大きな機関は、そしてそれを維持する立場の人々にとっては、それは不確かで、なんの保証もないことなのだと、諦めただけだ。
その後、シンシアはまた少し変わった。
姉であるエレノアへの尊敬や国への愛着は消えなかったが、彼女の中にあった純粋な憧れは、少し形を変えた。
誰にも左右されないための力を。子ども扱いで情報を封鎖されたくないがための大人としての振る舞いを。そうした明確な目的となって、シンシアを動かすようになった。
「貴女たちだって、何も知らないまま引き裂かれることもありうるわ。例えば、ルークがこのまま体制に否定的な態度を取り続けたり、もっと従順な駒を貴女に宛がえそうだと思われたりすれば」
今はファレル様もルークのことを高く買っているようだけど、とカミラは付け足した。
ヘティは、また、なんにも答えられなかった。
憧れの奥方様や、お世話になった恩人のファレルを、悪く思いたくない。彼らは国全体のことを考えて動かなくてはならない人間でもあり、そのための決断が自分たちの意に沿わなかったとしても、酷いとばかりは言えないのだ。けれど、それが自分とルークを遠ざけたとしたら、納得できるだろうか。
無理だ、と心の奥で叫ぶものがある。
ルーでなければ他の人間を、なんて、そんなこと、それではまるで。
『何も知らされずに生かされるのでは、飼い殺しの家畜と同じなのよ』
ふいにシンシアの言葉がよみがえってきた。
そうだ。知らないまま、引き裂かれるのはいやだ。もし仮に別れ別れになるときが来たとしても、それは納得のできるかたちでなくては。知れる限りのことを知って、出来る限りのことをした上でありたい。ルーが自分を嫌って友人の縁を切っていってしまうなら、悲しいけれど仕方がない。けれど、他のものに、自分の血筋を理由に、引き裂かせるのはどうしても駄目だ。
「…これ、借りていっていいかなぁ」
ヘティは、ノートを胸にそっと抱きしめた。
「うん。この屋敷の中でなら好きに読んでって、言ってたわよ」
カミラに礼を言い、ヘティは与えられた部屋に向かった。
もともと侍女の部屋だというそこは、以前住んでいた使用人部屋よりも、寮の部屋よりも、少し広くて暖かかった。
貴族の客として扱うわけにも行かず、使用人でもない自分の扱いは難しいだろうとヘティは申し訳なく思った。それから、そうした厄介事を承知の上で家へ呼んでくれたシンシアの強い意思が、このノート故なのだと改めて考える。
「…読まなくちゃ」
もう完全に闇に閉ざされた窓にカーテンをひき、ランプの傘を外す。
──ガーラント家の遺伝的欠陥と、その克服について
題名は、精霊とのつながりを感じさせない。しかし、シンシアの先程の話とは重なる言葉だった。




