二度目の運命共同体14
ヘティはびっくりして横に飛び退いた。その瞬間─
──ガシャンッ!
すぐ側で響いた大きな音に振り返る。
すると、先程まで立っていた場所に、花が見えた。
そして、その下に土と陶器の破片が。
それらを目にし、砕けた植木鉢が落ちているのだと気付いたヘティは、すっと頭から血がひくのを感じた。
「君っ大丈夫かい?!」
すぐ近くの服屋から叫びながら店主が飛び出してくる。
「どこか痛むのかい?」
重ねて聞かれてやっと、それが自分にかけられた言葉だと気付いたヘティは、浅く息を吸って、声を出そうとした。
「大丈夫?大丈夫、です…」
自問自答したのは、ヘティ自身、状況が飲み込めなかったからだ。
一歩間違えたら、頭に植木鉢が直撃していた─らしい。
もし、風を感じていなかったら。もし、場所が十字路でなくて飛び退ける場所がなかったら。粉々になっていたのは、自分の頭だったのだろうか。
「危ないわね、どこから落ちたのかしら」
「上のレストランか?」
「でも、どうして…」
どうして?ヘティもその言葉につられて上を見上げ、それから答えが得られずにゆるゆると視線を下ろした。
通りがかりに目撃した人びとが立ち止まってこちらを見ている。そのなかから、何人か、女の人が近づいてくる。
「貴女、スカートに土が…」
「─あ、やだ。すみません」
親切な婦人に教えられて体をねじると、スカートの裾がはね上がった土で汚れていた。
手を伸ばして払おうとしてくれたが、土が湿っていたらしく、淡い水色のスカートはすでにところどころ茶色く染まってしまっていた。
「おうちはどこ?」
「ええと、すぐその辺りです」
「良かった。すぐに洗えば、綺麗に落ちそうよ」
「災難だったわね。でも、けがが無かったのが何よりよ」
ヘティを励ますように、別の女性もそう言ってくれた。
周りには、まだ少なくない野次馬がああでもないこうでもないと話し合っていたが、ヘティは女性たちに促されてその輪を抜け出した。
彼女らに見送られ、とにかくその場を離れたくて、その一心で足を動かす。
心臓がばくばくと音をたてる。
それに急かされるようにして、急ぎ足になる。
あれは何だったのか。どうして、自分のすぐそばに。なんで。偶然にしても、どうして、という思いは消えない。
「─い」
とにかく早く。早く、寮に戻りたい。
「ヘティ·ブラント!」
ぐいと肩を捕まれて、ヘティは心臓が止まる思いをした。
「…すごい顔だな」
「ゲイン…さま」
知った顔にいくらか気持ちが緩んだ、とヘティは思った。ほっとした顔をしたつもりだった。
しかし、ゲインは痛々しいものを見るように彼女を見た。
「さっき、あっちの十字路で銀髪の若い娘に上木鉢が当たりそうになったって聞いた。お前だったんだな」
ヘティは、あっち、と指された方を振り返った。
ゲインがそちらから来たということは、寮があるのはそちらということだ。
「どこに行くんだ?」
「あ…道、間違えたんですね、私」
ゲインは黒っぽい髪を掻いた。
「戻るところだったのか?それなら、送ってやる」
「え?いいですいいです、大丈夫」
ゲインも帰り途中だったはずだ。引き換えさせるのは申し訳なくて、ヘティはうつむいたまま何度も首を横に振る。
しかし、ゲインはひいてくれなかった。
「大丈夫って顔をしてないから言っているんだが」
言われてばっと頬を覆ったヘティは、自分でも分かるくらい指が震えていることに気付いてしまった。
ゲインは、はぁと小さく息を吐いた。
「…とにかく、送っていく」
先に立って歩き出したゲインに着いていかないわけにもいかず、ヘティは慌てて後を追った。
しかし、間違えた道を引き返せば、確実に先程のあの場所を通る。ヘティはそれが嫌だったが、わざわざ自分のために引き返してくれているゲインに、そんなわがままを言うことは出来なかった。
そう思っていると、ゲインは手前の脇道へすっと逸れた。
「こっち。近道する」
大通りから一本入ったそこは、商店の裏口や小さな店が並んでいて、ごちゃごちゃとしていた。どちらかというと、王都の表通りよりもヘティの育った街の商店街に似ている。
ほっとして駆け寄ったヘティに、ゲインが左右の店を示した。
「表の店より安いところが多いから、庶民はこっちで買い物することが多い」
「ゲイン様は…」
ゲインがちらりとヘティを振り返った。
「それ。ルークのやつに言われたのか?」
ヘティは頷いた。
「貴族の方だから…呼び捨ては、失礼だって」
「はっ、あいつは俺のこと呼び捨てしているぞ」
「ええ?!」
驚いてゲインの顔を見上げる。頭ひとつ高いところに焦げ茶の目が笑っていた。
「分かりやすい男」
「…?ルーがですか?」
どこがだろう。ヘティには、分かりにくいことこの上ないように思えるが。しかしゲインは笑っていて答えてくれなかった。
「そういえば、お前、何をしに行くところだったんだ?」
「あっペン!」
ヘティは立ち止まった。
「ルーへのお礼、買ってない…」
せっかくの機会だったのに、目的を果たす前に、あんなことになってしまった。せめて、帰り道だったらよかったのにと、ヘティはしょんぼりした。
「ああ、なるほど」
ルーがヘティのペンを課題にしていることに思い当たったのだろう、ゲインはすぐに納得してくれた。
しかし、彼は空を見上げて少し眉を寄せた。
空はもう少しで暗くなる。ヘティ自身、今から町外れまで行って戻ってくる気力もなければ、汚れたスカートを諦めることもできなかった。
肩を落として後ろを振り返るヘティを見たゲインは、くるりと頭を巡らせたが、肩をすくめた。
「この辺りだと、文具は扱ってないな」
「いいんです。今日は、もう運がなかったんです」
通りがかりに死にかけるなんて、運がないにもほどがある。
「また、今度来ますから」
自分に言い聞かせるようにそう言って歩き出したヘティを、あわれに思ったのだろう。ゲインが言った。
「次の休みでも、案内してやろうか」
「え。そんな、いいです。申し訳ない」
焦ってつっけんどんな断りかたになってしまった。しかし、ゲインが気にした様子はなかった。
「いや、なんかお前、放っておくとまた何かに巻き込まれそうだし」
さらっと告げられ、思わず黙る。
「…」
そこは、否定できなかった。こんなことがあったあとで、当分一人で町に出る気になれなそうでもあった。気まずさと、本当にいいのかという戸惑いとがない交ぜになったまま、ゲインを見上げる。
彼は、にっと口の端をあげた。
「どうせならあいつに内緒で準備して、驚かせてやれば」
「内緒で?」
それは、魅力的な言葉に思えた。
ペンをもらって数日で同じ店のペンを返すのでは、考えてみれば味気ない。むしろゲインに協力してもらって、別のものを買っておくのもいいかもしれない。それにそうして親友のための贈り物を選びにいくという提案は、なんだか物語の少女達になったような気持ちにしてくれた。
「あのっ、それじゃあ、お言葉に甘えても、いいですか…?!」
思いきってお願いをした。ヘティにしては一世一代といえる思いきりだが、ゲインはいともあっさりと承諾した。
「了解。ほら、着いたぞ」
裏道から大通りに一歩出ると、すぐそこに寮の屋根が見えた。
「あ、本当…。あの、何から何まで、ありがとうございました」
「別に大したことじゃない。じゃあ、次の日曜に」
「はい!よろしくお願いしますっ」
ヘティは頭を下げて、通りを渡った。くるりと振り返って、まだこちらを見ていたゲインにもう一度深々とお辞儀する。
楽しみなことがあるだけで、心が暖まる。厨房に寄って夕飯を食べ、足取りも軽く階段をかけ上る。すぐに、ルーが扉をノックした。
「遅かったね」
「うん、今日はね、…」
いいかけて、秘密にするのだったと思い出す。
「なんなの?」
ルーは怪訝な顔をしている。ヘティは慌てて両手を振った。
「あ、えっと、そう!シンシア様に会ったの。ルー、知ってる?奥方様の妹君で、13才のね、お人形さんみたいに可愛い子なんだよ。もうね、奥方様もそうだったけど、本当にお話の中の人みたいだったの」
話しているうちに、きらきらした少女の姿を思い出して興奮してくる。しかし、ルーは淡々とこう言った。
「ああ、あんたが来る前に一度挨拶させられた。あの可愛い子だよね」
「そうだったの?知らなかった…」
特別な情報を伝えたつもりで肩透かしを食ったせいだろうか。少し胸がちくりとした。
「で、風呂は?」
「あ、ありがとう」
そうだ、早くスカートの泥を落とさねばと、思い出したヘティは、急いでたらいへ駆け寄った。




