二度目の運命共同体13
すけべ呼ばわりされた翌朝、どんな顔をすればいいのかともんもんと悩んでいたヘティだったが、対するルーは、やや眠そうなこと以外至って普通の顔でペンを返してきた。
「ふぁ…じゃ、これ」
あくびを噛み殺す彼を見て、やっぱり夜更かししたんじゃないかと思いつつ、またスケベ呼ばわりされてはたまらないと無言でそれを受け取った。
午前の講義を受けるルーが早めに朝食をとりに行くのを見送って、ヘティはしばらく部屋でペンを眺めていた。
昨夜ルーが弄っていたのはどこなのだろうとあらためるが、見た目の変化はわからなかった。しかし、昨日より、木の表面がすべすべしている気がした。それを撫でていると、木目を感じてなんだか穏やかな気持ちになれた。
それから、ヘティは人がまばらになった頃を狙って食堂に向かった。
講義直前の食堂は、人がいても大抵大急ぎで他の人間なんて目に入っていないから、気が楽なのだ。
しかし、この日はいつもより視線を感じた。
首をかしげながらもそのまま厨房を手伝い、午後の授業に向かったのだが。
「あ、ほらあいつ…」
「昨日の夜、…ドの部屋にいたらしいぜ」
「んなこと言ったらかわいそうじゃん?」
よく聞こえなくても、自分の話をされているのは分かるものだ。こういうときは聞かない方がみのためだと分かっているのに、ヘティは気になって耳を澄ましてしまった。
その時、ざわめきを縫ってひときわはっきりと声が届いた。
「澄ました顔して淫乱じゃねえの」
ヘティはかっと頬が熱くなるのを感じた。
ルーのスケベ呼ばわりは半分冗談と分かっていた。
けれど、今周りから向けられているのはそういうものじゃない。舐めるような視線。蔑みの目。全身から火が出そうで、それなのに凍りついたように体の芯が冷たい。
そんなんじゃない、と言い返したかった。しかし、唇が震えるだけで舌が言うことをきかなかった。
こんなのただの言葉だ、別に何を壊された訳でもないと思おうとした。しかし、それも手遅れだった。じわじわと毒のように悪意が心を浸食していく。
鼻の奥がつんとして、ヘティは、いけない、と自分を戒めた。こんなところで子どもみたいに泣くわけにはいかない。そう思うがもはや涙は喉の奥まで込み上げていた。
──ああ、決壊する。惨めに泣いて、そしてさらに蔑まれるのだ。
そのとき、鈴を転がすような声がした。
「噂に興じるなど見苦しいですわ」
ヘティははっとして顔を上げた。
するとそこには、きりりと姿勢よく立ち、周囲を見回す少女がそこにいた。
見たことの無い少女だった。長い金の髪を背中に垂らして、清みわたる青い瞳をした、お人形のような女の子だ。
よく見れば、彼女の周りには他にも数人の少女が居て、皆一様に意思の強そうな瞳で周囲を見ていた。それでヘティは、学校事情で欠課していたという女学校の生徒達が帰って来たのだろうと気づいた。
どうやら、初対面だが早くも煩わしい騒ぎを見せてしまったらしい。きっと噂の元凶の自分のことも、煩わしいとと思われただろう。へティは悲しくなって目を伏せた。
友達を作ろうなどという望みはもうすっかりなくしていたので、なんてきれいな子達だろうと心のなかで思うだけだった。だから、きれいなお嬢様達のうちの一人がへティへと近づいてきたことも分からなかった。
「貴女が、へティ·ブラントですの?」
「え─あっ、はい…」
突然お嬢様から名前を呼ばれて、へティは慌てた。
驚きに目を見開けば、緩くウェーブのかかった金髪と空の瞳が間近にあった。側に寄っても全く瑕疵の見えない、見る人を皆微笑ませてしまうような愛らしい令嬢だ。そう、まるで小説に出てきそうな。
しかし、そのふっくらとした薔薇色の頬を膨らませ、彼女はこう言った。
「貴女は私のライバルでしてよ!」
「ライバル?」
おうむ返しにそう言って、ヘティはぽかんと口を半開きにした。
「私、シンシア·ガーラントと申しますの」
ライバル宣言をした少女は、その日の授業の後で改めてこう名乗った。
「あ!貴女が」
「姉から聞いているのでしょう?エレノア姉様の妹ですわ」
ヘティは思い出した。奥方から、彼女の13才の妹が、治癒魔法師になろうと特別講座を受けていると聞いていたことを。会えることを心待ちにしていたのだが、丁度彼女が不在中に入学したので頭の片隅に追いやられていた。
「ご挨拶が遅れて、申し訳ありません。私、ヘティ·ブラントです。ガーラント嬢の御姉様には、大変お世話になっております」
できる限り丁寧に頭を下げて挨拶をしたのだが、シンシアは眉根を寄せた。
「そういうのは結構ですわ。私は貴女よりも年下ですし、貴女が姉の世話になっても、それは私には関係無いことですもの」
ヘティは戸惑った。きっぱりとした物言いは、少女の柔かな外見を裏切ったものだったし、何よりどうすればいいか分からなかった。
「シンシアで結構ですわ。貴女も私も治癒魔法を学ぶ学生なのですから…あら、不満げですこと。何か問題が?」
またしても不満顔にとられてしまった。ヘティは慌てて両手を振って否定した。
「不満だなんてまさか。ただ、ご令嬢を呼び捨てにするのは、抵抗があって…」
声は尻すぼみに小さくなったが、ぎりぎり聞き届けられた。
「仕方がないわね。でも、私はヘティと呼ばせてもらいますから」
「え?あ、分かりました」
「あら、まだ不服そうね」
「違います!これは、ただ緊張して…本当にそれだけなんです、シ、シンシア様…」
不機嫌そうだと陰口を叩かれるのにはなれているが、何が不満かと直接聞かれたことはあまり無い。また上手く伝わらないかと怯えたヘティだったが、幸いにも、下から見上げていた彼女は、かちこちになったヘティの顔色に気づいてくれた。
「それなら、いいわ」
納得したように頷くと、シンシアは残りの課題を片付けに戻っていった。
居残りはお嬢様たちにも例外なく課せられていて、本当は彼女も皆と共に寸暇を惜しんで取り組んでいるはずの時間だ。そのなかで時間を裂いてヘティと話をしに来てくれたのだ。
彼女が教室に入るのを見送ると、ヘティは窓の外に目をやった。この日はシンシア達がいたせいか、久々に妨害がなかったため、居残りせずにすんだ。ライバル宣言には驚いたものの、最初に庇ってくれたことといい、本当にシンシアには感謝だ、とまだ明るい空を眺めた。
そしてあっと思いついて、急ぎ足で寮に戻った。
部屋に戻ると、すぐに机に向かう。しんとした建物にかたんと棚を開ける音が響いた。財布を手に、再び外に出る。
ヘティは、久々に日のあるうちに課題を終えたことに気付いて、街に買い物に出ようと思いついたのだ。
この前考えていたルーへのお礼はまだ出来ていない。贈ろうと思っていたペンは、ヘティの方が必要になって、何故かルーに買ってもらってしまった。魔法具づくりの練習に使わせてもらうからいいと言われたが、それだって、本当はルーのペンを新しくしてそこに彫ってもいいはずなのだ。
また、ルーに助けられてしまった。
何か、ルーに返したい。
ルーを喜ばせたい。
夕方の都は人も馬車も多く、ずっと寮の敷地をでることに気後れしていた。けれど、何度も胸のなかで呟いているうちに、門をくぐり抜けていた。
道はまだ覚えている。王宮を背に左手へまっすぐ進めばやがて着く。少し遠いけれど、見物すると思えばいい。
そう思って、怖々、いくつかの角を通りすぎた。
もう少しでこの前通りすぎた大きなホテルが見えると思ったときだった。
急に背中に冷たい風を感じた。




