二度目の運命共同体12
ルーはその日から何度も何度も繰り返し呪文を書き写した。夜部屋に戻ってからも、文字の練習をした。ファレルはあれから忙しいらしく、作業場に来れないことが多かったが、ルーはひたすら字を書き、彫り混んだ練習用の木っ端を山にしていく。
王都に来て二月を過ぎたが、修業が進んでいないことを初めて強く悔いた。
あれだけやる気をなくしていた修業だが、今は二つの動機があった。ひとつはヘティのペン代をファレルに持たせた上で、ペンに加護を付けること。もうひとつは、課題を終わらせて視察にいくことだ。
「上手くいけば、簡単に折れない程度の力は引き出せるな」
ルーが構想した図案を見て、ファレルはそう評価した。
元の素材が木という周囲の影響を受けやすいものなので、あまり高度な魔法は込められなかった。しかもペンとして使えなければならないので、中を空洞にもできないから、魔石のように魔力の入れ物にもできない。そのため、考えた末に、ルーは木材の強度を高めることにした。幸いヘティは魔力が消費しきれず余っているたちなので、木材自体には強化と魔力吸引の呪文を彫ればいい。
胡桃は硬くて良い木だ。木属性の魔法の媒体に良い。しかし、すでに一度人の手で細工された曲面に彫っていくことを考えると、非常に難しいことだった。
もちろん、ルーとて店で見たときに、木の癖を殺していない良い品だと思ったから選んだのだ。それでも、一度加工をされた木材には自由度が少なく、呪文を彫りいれる場所にはかなり悩まされた。
魔法具というのは、ただ見映えよく呪文を彫刻出来れば良いわけではない。魔法の媒体となる素材と呪文の相性、素材の中を流れる気のようなものの通り道を考え、それに合わせて呪文を彫らなければ、魔法は発動しない。
『気の通り道を見ろって、どうやって』
とルーは尋ねたことがある。
ファレルは、一瞬考えてから、答えた。
『…見えないものは、感じるしかない』
『だから、どうやって』
ファレルは足を組んだ。
『優秀な彫師や彫金師の中には、一定数、魔法具として使えるものを作る者がいる。それらは意図せず持ち主に幸運を呼び込んだり、逆に持ち主の魔力を吸いとり不幸の某と呼ばれたりする。しかし、これは前にも言ったが、ただ美しく細工できることと、媒体の素材を殺さずに細工ができることは、違う。魔法具に必要なのは後者だ』
『素材を生かせるかどうかは天性の感覚によるところが大きいが、今までお前の彫ったものは、大筋では、気を捉えている。素材のもつクセに逆らっていない。だから、それを極めろ』
つまり、素材のクセを生かせば気を捉えやすい、らしい。そして、自分はそれをしてきた、らしい。ルーはとりあえずそう理解した。
ただ、意識したこともないので、より繊細にと言われるとはっきり言って分からない。
『あんたは、どういうふうに感じるんだ?』
『…見た目?』
疑問型のその答えはファレルにしては珍しく、ルーは、そしてゲインも首をかしげたのだった──
「どう?上手くいきそう?」
はっと物思いから覚めたルーは一瞬息を止めた。
「…退いて」
あ、ごめんと言って近づいていたヘティの体が離れたので、ルーは小さく息を吐いた。机の側に、まだ石鹸の残り香がある。
それは、ルーのものではない。
そして、ここはルーの部屋だ。
「あのさ。何でついてきてるの」
「だって、ルーがどんな風に作業するのか気になって」
少し申し訳なさそうに、しかし微塵の他意も問題意識も無さそうに、ヘティは言う。
考えごとをしていたとはいえ、ペンと一緒についてきたヘティに気づかなかったとは。夜に部屋にいれてしまうなんて、迂闊過ぎた。ルーは数分前の自分を殴りたくなった。
「戻って」
「でも、ルーが言ったんだよ。ペン貸してって。それ、明日も使うもん」
「明日の朝返すから」
当たり前のことを話しているのに、ヘティは夜色の目に不満をたたえ、じっとルーを見る。
「だって」
「だってじゃないし俺の部屋だし」
だって、とヘティはもう一度、先程より幾分小さな声で言い、上目遣いにルーを見る。
ルーは焦ってきた。部屋に戻って何分経っただろう。夜分に同じ部屋に長い時間居れば、変な勘繰りをされかねない。ただでさえヘティは反感、嫉妬、諸々の関心をひいているのだ、目につかない訳がない。
「とにかく戻って。ペンは明日返すから」
「でも、ルー、夜更かしするでしょ」
「しないって」
にっこり笑って言ったのだが、ヘティは一層瞳を暗くした。
「嘘だ」
普段大人しいヘティに、即座に否定されて、ルーはいささかショックを受けた。
「ひっでぇ!」
そのショックを誤魔化すように大袈裟に言い返したのだが。
「だって、ルー、昨日もその前も夜遅くまで勉強してたもん」
聞こえたんだから、と続けられた言葉に、ばれていたのかと焦る一方、気付かれていたことに腹立ちを覚える。自分がヘティに干渉するのは、ファレルの命令があるからで、ヘティからの干渉は余計だという思いが頭をよぎる。
ルーは、すっと目を細めた。
「聞き耳たててたんだ」
「え、そんなこと」
ヘティが驚いたように目を見開いた。
本当は壁が薄いだけで、わざわざ聞かなくても聴こえることくらい、ルーも分かっている。ルーだって、隣のヘティが鍵をかけ忘れた音に呆れたり、お湯を使う音に悩まされたりしているのだから。
けれど、ヘティの動揺を誘えたことは好機だった。
ルーは少し冷静になった頭で、もう一押しすることにした。
「すけべ」
「…ええ?!」
一拍おいてヘティの顔が真っ赤に染まった。
「すけべでしょ?聞き耳たててるなんて」
「違っ、だっ、普通に、聴こえ、」
「ああそっか、そういうわけで俺の部屋に居るんだ?」
「なっなっなっ…!」
もはやろくにしゃべれないありさまのヘティに、笑顔でだめ押しの一発を食らわせる。
「すけべ」
唇をぷるぷる震わせて、ヘティは銀の髪を翻した。
「お、おやすみっ!」
「おやすみー」
ひらひら手を振ってそれを見送り、隣の鍵が締まる音に耳を澄ませてから、自分も鍵を締める。
椅子に戻ると、はあっと思わずため息をついていた。
多少時間がかかってしまったが、一応ヘティを部屋に戻すことができたことに安堵していた。自分の領域で、石鹸の匂いをさせられると、ルー自身もまずい気がしていた。
それにしても、あれだけ色々説明しても自覚しなかったヘティが、顔をトマトのようにしたのは意外だった。それから、はたと気付いてうなだれる。
「子どもでも分かる言葉は通じるんだ…」
直接的な表現を避けて諭しても通じなかったのはまあいいとして、ルーがかなり接近してもほとんど反応を示さなかったのに。むしろ、最近どんどん警戒心を解かれている気さえするのに。
気付いてしまった残念な事実に、ルーはしばらく彫刻にかかる気になれなかった。




