初めての友人5
「お客さんお目が高いね!」
ルーは笑顔で接客する。
一つにまとめた金茶の髪が彼女の動きと一緒に揺れる。
彼女はもうすっかり、この店の看板娘になっていた。
それだけでなく、彼女が勧める野菜は特に鮮度がよいと評判なのだ。もともとここの親父が目の厳しい人間で、この八百屋は知る人ぞ知る良店だったのだが、いかつい店主が奥に引っ込んだので取っつきやすくなったのがよかったのか、勧め方が上手かったのか、いい野菜が買える店として今までにない繁盛ぶりだった。
そんなルーの側にいれば、自分も同じように…とはいかなくても、少しはましになるのではないかと、へティは思う。
家に帰ってから、こっそり鏡の前でルーの仕草を真似していることはまだ秘密だ。
でも、今日は思い切ってルーの髪型を真似てみた。
するとルーはすぐに気付いて、一瞬目を丸くした。スミレ色の瞳が見開かれると、まるで花が咲いたようだ、とへティはうっとり見とれる。
「びっくりしたぁ。へティ、髪型変えたの?」
へティは気付いてくれたことが嬉しくて、こっくりと頷いた。
「お姉様の真似したの」
ぶっと吹き出したルーは、こんなんどこがいいのかと、顔を手で仰いだ。
真似と言うが、ルーは伸びた髪を適当に斜め後ろでくくっただけだ。ただ、ずっときちきちに編まれていたヘティの銀髪は、ほどかれたことで全く印象を変えていた。たっぷりとした細かな髪がきらきらと日を浴びてきらめく様は、まるでみずから光を発しているようだし、太いくすんだ針金お下げとセットだと暗く見えた瞳の色まで、今は輝いて見える。
「変かな?」
恐る恐るといった様子で頬を強ばらせて尋ねられて、ルーは答えた。
「似合うと思うよ。真似云々は置いといて」
憧れのお姉様に似合うと言われて、ヘティはぱあっと顔を輝かせた。笑み崩れたわけではない。けれど、瞳をきらきらさせて頬を薔薇色にした彼女に、ルーは再び目を丸くした。
しばらく接客を眺めていたヘティは、客が途切れてルーが野菜に魔法でミストをかけ始めたのを見て、話しかける。もうすっかりなついてしまったヘティは、ルーに対しては家族にしゃべるのと同じくらいすらすら言葉が出てくる。
「ルーは、どうしてこの街へ来たの?」
それは前から気になっていたことだった。若い娘が1人で働きに出ることは、このあたりではあまり多くない。
「仕事を捜すためだよ。この街は活気があるから、働き口も多いでしょ」
「他の街にも行ったの?」
「ここに決めるまで、いくつかの街を通ったけど。ここは他より過ごしやすいし、それに良いお店にも雇ってもらえたしね」
「上手くいってるんだね」
「うん。親父さんもおかみさんも、よくしてくれるよ」
そう言って微笑んだルーが、すごく優しい顔をしていたので、ヘティは一瞬見惚れてしまった。
それから、あまりうっとり見つめていたことに気付いて慌ててこう言った。
「一人暮らしなんて、すごいよね」
「そう?家族がいれば、一緒が一番じゃない?」
そう言われて、へティははっとして唇を閉じた。
この若さで1人暮らしをしているということは、ルーにはそれなりの家庭の事情があるのだろうと気付いたのだ。
それを思いつきもせずにすごいなんて浮かれたことを言った自分を、へティは恥じた。けれど、ルーがどう思ったのかが心配で、俯いていられず彼女の顔をちらりと見上げた。
ルーは、いつものようにへらりと笑った。
彼女は泣かない。そしてよく笑う。まるで人生の不幸など知らないような顔で。
自分とは、大違いだ、とへティは思った。すぐ泣きたくなる、そのくせ顔面が仮面のように動かない自分。
料理が上手い14の弟が店を継ぐ予定だし、末っ子の10才の妹も大分店を手伝えるようになってきて、へティは自立を考えていた。自分の性格が客商売向きでないことはわかっていたが、お金を貯めてやりたいことがある。だから仕事を探さなければと、ずいぶん前からへティは考えていた。
だからこそ、1つしか違わないのにしっかり自活しているルーに憧れるのだ。
こう呟くとルーは、やや苦い笑みを浮かべて言った。
「仕方なく、だけどね」
やむを得ずに家を出たのか、それとも家族がもういないのか。へティはまた深みにはまってしまったことを悔いたが、うまく言葉が出てこなかった。だから、ぽつりとこれだけ言った。
「でも、すごい」
何度となく呟いてきたそれだけは、石のように重たいへティの口からするりと出た。やたらと力強いその言葉に、ルーは一瞬目を見開いて、それから破顔した。
違うよ、へティ。そんなんじゃない。
へティみたいに…の自分で生きていないから、誰に何を言われても気にしないだけ。微かな声でルーが呟いたことに、俯いていたへティは気付かなかった。
「…うん、ここは住みやすいよ。それに、移住条件も優しかったし、これからもっと人が増えるんじゃない?」
さらっと大人がよくするように時世に触れた年上の友人に、ヘティは慌てて顔をあげて、なんとか話を合わせた。
「最近、領主様が変わったからかも」
前は、何をするにも賂を要求されたと、ヘティも噂で聞いたことを話した。
この地を治めていたのはとある伯爵家の一族だった。
鉱山に程近く、都へ続く街道沿いにあるため、比較的収益のあげやすい街なのに、ここ数年は当主の横暴で寂れる一方だった。鉱夫として働き手が召集され立ち行かない店が出たり、重い税に旅人が立ち寄らなくなったりと、街の衰退は子供にも分かるほどだった。
しかし、近頃王都で王女が立太子されると、それに伴い各方面の改革が進み始めた。まだまだ王都から離れた領地の庶民がそれを実感することは少ないが、庶民が入れる魔法使いの学校ができたらしいとか、貴族の家が取り潰しになったとか、そんな話を聞いて、ここの領主が交代になったのもその辺りと関係しているのだろうかと皆思ったものだ。
「この街は、上手く変わったんだろうね」
「そうだね。せっかく領主が変わっても、またおかしな人が仕切り出した街もあるらしいし」
それもこれも、ヘティには全てが遠い話だったが。
ただ、今は会ったこともない女王様に感謝でいっぱいだ。そのお陰でルーと会えたというのだから。新しい風が、友人を運んできてくれた…ヘティは、葉物に水魔法で霧を吹き掛けるルーを見ながら、そんな娘らしい独りよがりな感動を噛み締めていた。
もちろん街の大人たちは、少なくともヘティよりも領主の動向に注目していた。
「王の勅命というから、次の代行は優秀な若者なんだろう」
「いや、それは魔法使いとして優秀だという話だろう、いくら魔法が得意でも、街をうまく治められるとは限らない」
住人はささやきあっていた。
もうひとつ気がかりなのは、前任の領主が人格者とは言いがたかったため、屋敷にもその他の施設にも人材がいないことだ。良くできた使用人は、大抵前任者を見限って去っていったし、さらに諫言を述べる程できた者は、とっくに辞めさせられてしまっていたのだ。いくら人格的に優れた領主代行が赴任しても、正しく領主の意志を実行する部下がいないのでは、なにも出来ないかもしれない。それ以前に、ひどい土地だと見限られてしまったら、という懸念もあった。
そんなわけで、密かに街の大人が注目するなか、新しい代行が着任した。
そして代行がすぐにしたことは、新しい使用人の募集だった。けれども、それは丘の上の屋敷のお話、貴族の暮らしなど丘の上どころか雲の上と思っているヘティは、この噂話をすっかり聞き流していた。