二度目の運命共同体10
夕日が沈みかけている。
裏庭は、建物によってくっきりと橙と黒に塗りわけられていた。
「へティ!」
呼び掛けながらルーは、ランスに何故ここに彼女がいるのかを聞かなかったなと思い付いた。
ルーの声に、暗がりの人影がびくっと震えた。
一瞬光を受けた髪が煌めいて、それがへティの後ろ姿だと知れる。
ルーはほっとして、歩み寄った。
「何してんの」
のろのろと振り返ったへティは、ひきつった顔で首をかしげた。
「えっと、…探し物してたの」
「探すって何を」
「いや、大したものじゃないよ」
片手を振って拒否するへティにむっとして、ルーはぐっと距離を詰めた。そして、下ろしかけたヘティの手が泥で汚れていることに気づく。
そうとうの間、さがし続けていたのだとルーは覚った。
「…何探せばいいの」
ため息をついて、袖を捲る。けれど、へティはまたしても首を横に振った。
「本当に、いいんだ。ごめん、ありがと」
「はあ?何言ってんの?もうすぐ日が暮れるってのに」
「大丈夫、もう見つかったから」
ルーは眉を寄せた。
見つかったというわりに、へティの顔は、青ざめてひきつっている。
不自然に後ろに周した左手、それをめざとく見とがめたルーは、へティの手にいびつなペンを見つけた。
「見せて」
「や、いいから、ね」
「見せろって言ってんの」
ぐいっと腕ごと引かれて、力負けしたへティはそれを奪われてしまった。
ペン先はぐにゃりと開いている。それだけでなく、全体が泥だらけだったが、それでも分かるほど、ペン軸がはっきりと折れている。
「とりあえず、直してみようと思うの。うまくくっつけばしばらく使えるし、それに修業自体に必須って訳じゃないし…」
何故か言い訳するように、へティは言った。
ルーはへティに目をくれず、紫の瞳は折れたペンをじっと見下ろしていた。
それからさっと空へ目をやると、言った。
「来て」
「え?」
「いいから、来い!!」
ぴしりと固まったへティを、捕んだままだった腕をひっばって歩かせる。
ルーの剣幕に驚いてか、彼女はそれ以上逆らわずについてきた。
秋の夕方は短い。
ルーは庭の隅でへティの汚れた手を洗うと、再びその手をつかんで寮の門をくぐった。ひっばられたへティが小走りになっているが、構わずに歩いた。
「ねえ、えっと、どこに行くの?」
「ペン売ってるところ探す。これは、どう見ても直らないから」
「え、いいよ。もう暗いし」
「もう暗いから急いでるんでしょ」
王都の夜は田舎ほど暗くないが、それは歓楽街や飲食店の話で、それ以外の小さな商店は、むしろ酔っぱらいの迷惑を避けるようにさっさと店を閉じるという。
「だったらお店知ってるし一人で」
「は?馬鹿じゃないの。夜だぞ」
ルーの最高に低い声に、へティが黙った。
怖がられたのはルーにも分かった。へティは怖がりだ。ルーの勤めていた八百屋の、がたいはいいが気のいい店主のことだって怖がっていたから、単純に大きな体や低い声だけでも怖いのだろう。そのことは理解できないまでもそんなものだろうとも思っていた。でも、自分が怖がられているのは、腹が立った。
慣れると案外おしゃべりなへティの沈黙が、息苦しい。
「…どこ、店の場所」
絞り出した質問に、へティは一拍置いて答えた。
目指す店は、一本道だが町外れといっていいほどの場所にあった。着いた頃には夕日はすでに空のはしから姿を消して、わずかに残った橙色を暗い藍色が飲み込もうとしていた。
庶民的な雑貨屋は、すでに店じまいをほぼ終えていたのだが、店主へルーが頼み込んで、開けてもらった。
「ペンならこの辺だ。私は表を片付けてしまうから、決めたら言っておくれ」
「ありがとうございます。急いで決めますから」
はきはきと、ルーは感じのいい少年を演じている。へティは慌てて自分も頭を下げたが、すでに店主は背中を向けていた。
安いものから高いものまで、様々だった。安いものは軸の塗装もそこそこ、高いものになると材質から装飾まで様々だった。
それを見て、へティははっとし、それからざっと青くなった。
「ルー、私…お金、忘れた」
「俺持ってるし」
驚いた様子もなくルーは言って、一本ペンを取り上げた。
それは値段としては高い方の端、細身の木目の美しい軸を持つペンだった。
「一番安いのでいいよ」
ルーに立て替えてもらうのだ。すぐに返すつもりとはいえ、気が引ける。それではじっこの一番素朴なものへ手を伸ばしたのだが、ルーは首を横に振った。
「これくらいは持ってるよ。大体、高いったってどうせ、俺らに買えないような象牙とかのはここに出てないし」
そういうものなのか、とへティは感心した。
けれど、高いものは高い。
「でもね、もっと安くていいの、また…」
言いかけて口を閉ざしたへティへ、ルーがちらりと目をくれた。
「また、隠されるから?」
紫の目に静かに見つめられ、否定することは出来なかった。けれど、肯定することも出来ず、爪先に目を落とした。泥だらけの靴が見えた。
そこへ、きぃ、と扉の開く音がした。
「決めたかい?」
「はい。お待たせしました。これをお願いします」
店主の言葉に、普段より朗らかな、営業仕様の声でルーが言う。
そうかそうかと包み始めた店主に口を挟めずにいるうち、ルーがさっさと代金を払ってしまう。
「目利きの兄さんに、おまけだよ」
真新しいペン先をひとつ、包みに入れてくれる。
「ありがとう。次もまたこちらにお世話になりますね」
ルーのことさら明るい声が、うつむいたままのへティにもわかる。自分もちゃんと挨拶くらいしなければと焦り、顔を上げるのが怖くて、結局深々とお辞儀だけした。
「お嬢さんも、また来ておくれ」
「はい…」
優しい店主の言葉にこくりと深く頷いた。
営業時間を過ぎた店でぐずぐずするわけにもいかないので、それから二人は急いで店を出た。
店を出ると、東の空には星が瞬いていた。ヘティはそれを、ぼんやりと見上げた。
同じく空を見上げていたルーが呟いた。
「やばい」
「えっ?!わぁ!」
へティの手を引いて走り出したルーは、振り返らずに叫んだ。
「門限過ぎるとっ寮に入れない!」
ヘティは大いに焦った。
それは困るからだ。特に、自分の用事に付き合わせたルーを野宿させるというところが。
走ってもとうてい間に合わないはずだったが、幸運にも二人はぎりぎりのところで滑り込むことができた。
二人くたくたのまま、とりあえずへティの部屋に入って倒れ込む。
ヘティは自分のベット、ルーは壁に背中を預けて、しばらく無言だった。
「あんたの魔法、すごいな」
「えっ?」
まだ整わない息に胸を押さえながら、へティは聞き返した。
「風魔法で加速してたの、気付いてなかったの?」
ルーはすでに息を切らしていない。彼はなにか納得した顔で頷いた。
「普段使わないから、分かってないんだ…。あんた、さっき門限の話した途端に、風魔法で加速したんだよ」
「うそ」
「本当。前にも、アイツに言われたことあったろ。無意識だから効率悪くて、しかも慣れてないから、そうやって疲れやすい」
ちゃんと意識して練習した方がいいとルーは言ったが、へティの酸欠の頭はこんがらがっていた。
「でも、おかげで間に合った。助かった」
さらりと言われた言葉に、ヘティは戸惑った。助かったなどと言われるのはおそれ多い。とっさに否定する。
「そもそも、私が、巻き込んだし…ありがと。ごめん」
「それは否定しないけど、それを言うなら仕掛けてきた奴が一番悪いでしょ」
ばさりと言いきって、ルーははあと息を吐く。
「あんたは、さ」
へティは知らず身を縮こまらせた。
愛想がないから。
魔法が下手だから。
可愛くない、針がね、鉄面皮。
続く言葉はいくつでも思い付いて、ルーの口が動く前にへティ自身を傷つける。
言わないで。
たくさん言われてきたけれど、ルーには、ルーにだけは言われたくない。
強く願ったが、彼に届くことはなかった。
彼の唇が開くのを、死刑宣告を待つ人のように、ヘティは待った。
「髪が、きんきらだから目立つんだ」
「へ?」
ヘティは聞き返した。
「だから、その髪。目立つんだって」
「えぇ?」
「それに、最初の試験で断トツの力を見せつけたらしいじゃん」
「え?」
「ただでさえここでほぼ一人きりの女だってのに、目立ちすぎたよね」
覚悟して覚悟しきれなかった言葉が、ひとつとして掠りもしなかった。へティはぽかんとルーの顔を見上げた。
「ここまできたら、腹くくりなよ。相手がはむかう気を無くすくらい叩きのめすか、やられないよう隙を見せないかだ。馬鹿を相手にしたくなけりゃ、自分でも上手く防衛するんだ」
びしっと突きつけられた指と、ルーの紫の瞳を見比べた。
へティは意外なダメ出しを、時間をかけて飲み込んだ。
目立ったから。試験が上手くいったから。そんな理由は、考えても見なかった。
ぼんやり物思いにふけっていると、とんとん、とノックの音がした。
「ルー、いるか?」
ルーが壁から背を起こして扉から出ていく。
少しして、彼は片手にトレイを持って戻ってきた。
「ランスが、えぇと、あんたとも同じ授業に出てるやつ。夕飯とっといてくれたって」
その人がルーに今日のことを伝えたのかな、とへティは考えた。
ルーの後ろ姿を眺める。
ルーはデスクに向かい、火魔法で冷めたシチューを温めてくれる。
「…ありがとう。そうだ、お金、返すね」
「あ、それだけど」




