二度目の運命共同体8
その日、へティが居残りと夕食を終えて部屋に戻ると、ルーがやって来た。
彼はこの日もまた、あまり機嫌が良くなさそうだった。ノックのあと、俺、という声が低いから、ヘティにもそれが分かった。
そもそも、へティにたいしてルーの機嫌が良い方が珍しいかもしれないが。悲しい事実に気付いて、少しわびしい気持ちで扉を開けて、招き入れる。
前みたいににっこり笑ってくれたら、と思う反面、あちらのルーが周りに気を遣って演じた姿だということも分かったので、今の不機嫌もそのまま顔に出して見せるルーの方が、関係が近づいた姿なのだとも思う。
「ルー、今日ねルーと一緒の」
「知ってる」
ああ、ゲインから聞いたのだろうと、へティは一瞬思った。
しかし、ルーはへティの言葉を遮ったきり、冷たい目でじっと見下ろしてくる。
へティはというと、少し前まで同じだったはずの身長が逆転したことに気付いて、それに気をとられていた。
すると、とん、と肩を押された。扉を避けて壁際に立っていたへティの背中が、壁に触れた。
ルーが押したからだ、と遅れて気付いたときには、彼の指がくいと髪を引っ張っていた。
「きれーな髪だね」
顔のわきの一房を自分の鼻先まで持ち上げて、ルーはそう言った。
「ありがとう?」
戸惑いながらも、誉められなれていないへティはちょっとうれしくなって、答えた。
すると、ルーの目がすっと細められ、形のいい鼻が銀色の髪に触れたように見えた。
「いい匂いがする」
「─あ、今日のコンソメスープの匂いだね」
「違う。…なんか、甘い匂い」
お風呂もまだなのにさすがにそんなはずはない、とへティは思った。それで、髪をもてあそぶルーの指を離させようとしたのだが、今度は止めようとしたその手をとられてしまう。
「からかっているの?」
とうとう眉をひそめたへティに、ルーはへらりと笑った。
「そう。からかってんの」
笑いながらルーが近づいてくる。
追い抜かれたとはいえまだほとんど身長に差がないから、ルーの顔はすぐに触れるほどの距離にきた。
「ルー」
「黙ってよ」
ルーが少し顔を傾けて、目を細めた。
へティは。
目をまん丸くして口を開いた。
「ちょっと、ぶつかるよ」
そしてむぎゅっとルーの顔を押し返した。
「からかってないで、何かあったなら話してよ?」
先程、からかっていると言ったルーの笑顔が、駆け寄ってくる幼い頃の妹とも、意地悪をしようと寄ってきた故郷の同級生たちとも違うものに見えた。
だからへティは、からかっていると言われても悲しくなかったが、珍しくルーに微笑まれてもうれしくもならなかったのだ。
ルーは、遠慮なく押し潰された鼻を抑えてしばらくうめいていたが、そのうちうっすら涙の浮かんだ目でへティを睨んだ。
「なにか、嫌なことあったの?」
キスしようとしたのを平気で押し返されたのだから怒りもするだろうに、へティはそんなことに気付きもしないで心配した。
ルーも、赤くすらならないへティに不満ではあっても、心配そうに覗き込まれるのはまんざらでもなかったのか、やがて座り込んでぼそりと言った。
「別に。お前の姉が貴族のぼっちゃん引っかけてたぞって言われたくらい?」
「姉?ルー、お姉さんがいたの?」
「…俺のこと弟って言ったの、誰だよ」
「…あぁ!思い出した。お姉様は駄目って言われたから、弟みたいなって。あれ、みたいなってちゃんと言ったと思うんだけど」
そこじゃない、とルーは遮った。
「あ、じゃあ、その姉って私のこと?え、貴族のぼっちゃんて?」
「ゲインと話したんだろ。ずいぶん楽しげだったとか、肩を抱いてたとか色々噂になってるけど?」
「肩、は私が防御柵に触りそうになったのを助けてくれたときかな。え、でも待って、貴族のぼっちゃんってゲインのことなの?」
ルーはしかめ面で頷いた。
「目立つなって言ったはずだよね?」
「ごめん。ゲインって貴族だったんだ」
「ゲイン?」
聞き咎められて、へティはあ、と気付いて、昼のやり取りを説明した。
「それで、ゲインに、呪文の書き取りに使うペンのこととか聞いてね」
「それはどうでもいいし。あんた、あいつが良いって言えば呼び捨てするわけ?」
ルーのきつい視線は分かった。
でも、その理由は分からなかった。へティは一生懸命考えて、やっと納得した。
「そっか!貴族の方に、呼び捨てじゃあ、まずいよね。ごめん、全然気づいてなかった」
「いや…それは。…何にも思わないんなら、いいけど」
歯切れは悪いものの、一応いいと言ってくれたことになるのだろうと、へティはほっとして笑った。
そして、今日言おうと思っていたことをようやく口にした。
「ねぇ、次のお休みに街へ行かない?」
自分も大変な中で、ルーは毎晩へティのために時間と労力を割いてくれている。そんな彼へのお礼を買いたいと思っていたのだ。
一緒に行って好きそうなものを贈ろうというのがへティの計画だった。
それで、わくわくしながらルーの顔を見つめたのだが。
「行かない」
返ってきたのはそっけない一言だった。
「…そっかぁ。忙しいもんね、お互い」
気持ちが、しぼんでいく。
ルーは不機嫌な顔のまま、片眉を上げた。
「風呂は?入んないの?」
元気のなくなった自分を不審に思ったのだろう、とへティは無理矢理笑った。
「今日は拭くだけで済ませるよ。ありがとう」
「そ。じゃ、ちゃんと鍵かけなよ」
「うん。あ、ルーの髪の毛、乾かさせてくれる?」
「…俺も今日は拭くだけにするから、いい」
「そっか…」
せめてもと申し出たことも断られ、へティはしょんぼりとうつむいた。
奥方に、下を向くとつり気味の目尻が際立って誤解されるようだと指摘されてから、気を付けてきたのだが、このときは、泣かないので精一杯だった。




