初めての友人4
ヘティという娘は、この街で有名だった。
通り名は2つあって、一つは『鉄面皮ヘティ』もう一つは、『針金ヘティ』だ。
失礼な通り名だが、これがたしかに当たっていると言えなくもない。
まだ娘らしさを感じさせない痩せた体は、そのくせ背だけは大人並に伸びたものだから、棒のよう。
これで髪がふんわりウェーブでもしていればまた違うのかもしれないが、ヘティの髪は針金のように真っ直ぐな銀髪で、それをいつもぎちぎちに編んでいる。
さらに、その下のつり気味の目とつんとした鼻ののった顔は表情に乏しく、考えを読みにくい黒々とした瞳と硬く結ばれた唇のラインによってそれはそれは不機嫌そうに見える。
こうなるとせっかくの長い睫毛もきめの細かな肌も、もはや誰の目にもとまらない。
小熊亭の『針金ヘティ』に向かって足が長いねだとか肌がきれいだねだとか言うような猛者は、こののどかな街の若者の中には存在しないのだ。
また、同じ年頃の娘たちは、ただの宿屋の娘のくせにお高く止まって、と陰口を叩くのだった。
そんなヘティだが、実は毎日宿屋の厨房で黙々と野菜の皮を向いている。お高く止まって、と陰で言われる彼女は、実際には毎日ほとんどの時間、家の手伝いをしていた。
ただし、めったに厨房から出ないため、彼女が手伝っている姿を見るのは家族と仕入れ先の業者くらいだ。それが彼女の噂に拍車をかけている一因でもあるのだが…
ヘティがルーにお姉さま発言をした後。ルーのもとを一人の少女が訪れていた。弛くカールした栗色の髪とぽってりした唇がかわいい。砂糖菓子のような子だ、とルーは思った。
「ルーちゃんは来たばかりだから、知らなかったのね。あのね、あの子とは関わらない方がいいよ」
親切ごかした言い方には嗜虐と排他の匂いがした。けれども、ルーはしらっととぼけて首をかしげて見せた。
「なんで?」
聞けば、相手は、あんまりこういうことは言いたくないけど、と前置きしつつ、どこか嬉しげに続けた。
「あの子、ちょっと変わってるっていうか。いつも不機嫌だしお高く止まってて、全然話に入ってこないし。不機嫌ヘティって言われてるのよ。この辺じゃ、誰も相手にしてないわ」
中身がないな、とルーは断じたが、ふうんと曖昧に頷いておいた。
表立って反論する義理はないし、そもそもそれほど知らない人間だ。ただ、具体的な理由もなく人の付き合いに口を出してくる目の前の娘には、関わらないようにしようと決めた。
「心配してくれてありがとう」
にっこり微笑むと、少女はまだ何か言いたげにしながらも去って行った。
それを表面上笑顔で見送りながら、よくよく見ればルーは冷めた目をしている。暇人なんだな、というのがルーの感想だった。同じくらいの年だろうにあの娘の爪はぴかぴか光って、身なりもお使い中とは思えなかった。到底働いてはいないだろう。こんなどうでもいいことに時間も手間も費やせる彼女は、ルーとは別次元の住人だ。羨ましいとは思わない。けれど、自分にその時間があればどう使うかと、思わずにはいられない。
最初に来たあのへティという娘はどうだったか、とルーは思い出す。なんだか意味のわからない娘だったが、重たい芋をかごいっぱいに抱えて歩く様子は働き慣れていた。かごを受け取ろうと差し出された白い指も、爪が短く少し荒れていた。つまりルーにとっては、見慣れた手をした人間だったということ。
そんなことをとりとめもなく考えながら、ルーはてきぱきと小銭を数え、釣り銭にいる分を除いて奥に引っ込め、日が当たらないよう野菜の位置を調整する。そして、合間にはにっこり笑顔を作って道行く人に呼びかける。
「いらっしゃい!」
客は簡単に引っ掛かる。笑顔も愛想もルーにとってはいくら出しても痛くない、『ただ』というくくりのものなのだ。
ヘティの『お姉さま発言』は、新しく派遣されてきた領主代行の噂を押しのける勢いで若者の間に広まった。
しかし噂が街を駆け巡っていたころ、本人は裏通りの貸し本屋にいた。
長年友人がいなかった彼女にとって、本は友であり師でもあった。実のところ、ヘティも同世代に避けられていることには気付いていた。
それを自分の人付き合いが下手なせいだと半ば諦めながらも、いつかは自分にも親友と言える相手が見つかるのではないかと、夢見てもいた。その思いは本の中の少女たちによってさらに具体化され、月日を重ねるごとに憧れをつのらせてきたのだ。
ヘティの、そして巻き込まれたルーの不幸は、この貸し本屋の店主が少し変わった趣向の主だったことだ。
現実の友人がいないヘティは、本から得た継ぎはぎの知識で親友とはこういうものだと思い込んだ。
しかし、残念なことにこの店に並ぶ本にはいわゆる百合モノという品が少なくない数含まれていて、またそれらは大抵耽美な少女たちの挿し絵で飾られているものだから、ヘティは好んでそうした作品を読んでいたのだ。そして幸か不幸か直接的な表現がないために違和感に気づかずに、それを一般的な友人関係と思い込んでしまったのだ。
あれからというもの、へティはちょっとしたお遣いができるたびにルーのもとへ立ち寄るようになっている。
まだ引っ越してきたばかりで友だちがいないというルーの方も、へティを歓迎してくれているようだった。
通ううちに、ヘティはルーが水の魔法を使えることやそれで野菜の鮮度を管理していること、この八百屋の二階に住み込んでいることなどを知った。こうして一月もたった今、すっかり仲良くなれた…とへティは思っているし、気楽に話せるようになった。
それが双方の思いかはともかく、ルーの方もヘティにいろいろな質問をするようになったのは確かだ。
「ヘティはどうして男が怖いの?」
「…昔散々からかわれたの」
銀色のお下げ髪をつまみ上げてヘティは呟いた。
ヘティだって生まれた時から口べたの不機嫌顔だったわけではない。そういう赤ん坊もいるだろうが、彼女の場合は違っていた。いたって普通の幼児だったヘティが今のようになった原因は、この髪にもある。
何かの拍子に髪を引っ張られたり、リボンをとられたり、広がる髪を抑えながら返して欲しいと訴えるのを笑われたり。最後には大抵弟がいじめっこを追い払ってくれたが、外に出るたびにそんなことがあったので、ヘティはすっかりよその子を怖がって顔を強ばらせるようになり、やがて外では極端に無口になってしまった。
「近所の男の子たち。それから、あんまり外に出ないの」
「でも、最近よくお遣いしてるじゃない」
こっくりと、へティは頷いた。
「ずっと家族に隠れているわけにはいかないから」
ヘティの家は宿屋だ。
客商売なのだ。今は叔母や母親に表を任せて厨房の手伝いしかしていないが、本来なら料理人でもある母親を料理に専念させてヘティがお客の対応に出るべきなのだ。
「だから、ルーは憧れよ。明るくて、はきはきしていて、働き者で、可愛くて」
ストップストップ、とルーが手を振る。外では口べたなへティが、ルーへの賛辞だけは止めどなく出てくるのだが、ルーはいつも、これを止める。
「違うよ。そんなんじゃない」
そして今もなぜか不機嫌そうに一瞬顔をしかめ、それからいつも通りにこりと笑った。
へティは本人に否定されても、不服そうに言い募る。
「でも。如才なくて、口が上手くて、口八丁で」
「あはは、褒められた気がしない!」
今度は心底機嫌よさげに笑うのだから、ルーも変わっている。
へティには何が面白いのか分からない。ただ、表情の乏しい顔を少し傾けた。
「お姉様?」
「ぶっ」
こう呼ぶとルーが吹き出すのも、謎だ。でもへティは、止められはしないからいいのだと結論づけて、たまに尊敬を込めて呼んでいる。
「あ、そうだ」
これ、とへティが照れながらそっと差し出したのは、かわいい下着。
「親友は、お揃いのものを身に付けるんでしょ」
ぶほっと吹き出したルーを不思議そうに見る。親友は、そんなことしないだろう、とルーは思った。いや、おそろいはあるけれど、多分小物だとか、リボンだとか、その程度で、下着を揃えるなんて…あるんだろうか?
「これなら、誰にも見えないし、身に付けやすいかなって」
「いや、ちょっとそれは…」
断ると、しょぼんとしたへティのつむじが見えた。これで、『不機嫌へティ』というんだから、よく分からない、とルーは思った。
「また、あの子に居座られていたの?」
大丈夫?とたずねてくる声には、隠しきれない非難の色。
ルーはにっこりと笑った。
「うん、大丈夫。あの子無口だから、仕事の邪魔にもならないし…心配してくれたの?」
無口と言っても、それは最初だけで、慣れてきたらぺちゃくちゃとしゃべるので意外だったというのが本当のところだが、それは別にいう必要もない。当たり障りなく質問の矛先を変えてやれば、相手は自尊心をくすぐられたのか、あっさりとそれにのった。
「ええ。あんな不気味な子につきまとわれて、ルーちゃんが可哀想で」
可哀想?誰のことを、勝手にそう言っている?
冷え切った目を形だけ三日月のように和らげながら、ルーは目の前の少女を見る。
すると彼女は今だというように、ずいっと身を乗り出してきた。
「だって、ルーちゃんとは私、お友達になりたいと思っているから」
これには、少しルーも驚いた。
お前みたいな腹黒まっぴらごめんだ、とは言わずに、今度は目を丸くして見せる。びっくりした無邪気な少女のように。
「本当?嬉しい」
でも、決して友だちになろうとは言わない。それでも、ミリアは自信たっぷりにふふふと笑った。
そうか、このミリアに嫌われたからヘティは孤立しているのか、とルーの中の疑惑が確信に変わった。そうして今は、ヘティと仲良くなりつつあるルーを自分の側に引き入れようとしているらしい。
街の同世代で一番人気者のミリアに嫌われたことで、街の若者から避けられているが、そのわけにすら気付いていないヘティ。人見知りのわりになつくのがやたら早かったのは、それだけ孤立が長くて、本当にルーしかいないからだろう。
ヘティがミリアにどういう理由で嫌われたのかは、分からないし、興味もない。
ただ、嘘もお世辞も見抜けないし言えないだろう不器用で鈍感な彼女に、ルーはある種の安心を抱いた。
これなら、近づいても…から大丈夫。
きっとヘティは…ない。