貴女に捧ぐ初めての嘘2
「あの娘はミリア·デリス、この街の人間だそうですが。言っていることは訳が分かりませんが、ヘティ·ブラントに対する嫉妬が原因のようですね」
へティが自分の仕事をとっただとか、へティが屋敷に行ってから全てダメになっただとか、根拠のないことを繰り返している。そう聞いて、ルーは屋敷に上がる前に最後に会った彼女の顔を思い出した。見下していた相手に出し抜かれたとでも思ったのだろう、あのときも彼女は酷く歪んだ顔をしていた。
「まあ、ファレル様がいじめの現場に居合わせて庇った後、怖がった彼女の取り巻きが解散したのは事実のようですが。…お屋敷の使いに対する妨害へ正式に抗議をしたというのは本当ですか?」
クリスの報告に、短時間で大した情報量だと口笛を吹いてから、ファレルは言った。
「当然のことだろう?子どもだろうと、領主の使いを妨害すれば本来抗議ですまない」
クリスは主の言葉が予想できていたのだろう、間髪いれずに返す。
「至極真っ当なお言葉ですが、その結果ミリア·デリスと取り巻きは、家族からも組合からも厳しく叱られ、白い目で見られていたようです。正しい行為が恨みを買うのは致し方ありませんが…」
「買った恨みを把握せずにいるのは身辺管理がお粗末だと言うんだろう」
続きを自分で引き取り、ファレルはため息をついた。
「身分を隠しているし相手は庶民だと気を緩めたのは、確かに俺の落ち度だ」
私と言わず俺と言っているのが、いつもの彼とは違う。軽い口調を崩してはいないが、上手く取り繕う余裕がない位に気落ちしているのだろうか、とルーは思った。
「あの場に一人だったら生きていなかったかもしれないな」
「ルーが一緒で良かったですよ。それに、バッフルの残党のしわざでなかったのも不幸中の幸いでしょうか」
ここで一瞬、間が空いた。
「それで、これはどういうことだファレル」
氷のような鋭い目を自分に向けられて、ルーは身を固くした。
しかし、言葉を向けられた当のファレルは、気楽な姿勢を崩さなかった。
そこに一縷の望みが見えた気がして、彼はそっと慎重に息を整え脳を動かす。
「ま、見たままだろう」
「お前は知っていたんだろう」
ファレルと領主のハロルドは、ぽんぽんと掛け合いのように言葉を交わしている。
「それは、見え方が違うからな」
「何故言わなかった」
「面白かったから。それに、害も無いようだったから」
ため息をついた領主は、ここでファレルに答えを求めることを諦めた。
そうして彼が照準を絞ったのは、ルーだった。
「お前、名前は」
「ルーク·ノースウッドです」
ルーは、本当の名前を名乗った。
「そうか。ルーク。何か言うことはあるか」
発言を求められ、ルーはひとつ頷く。
それから、こっそりと唾を飲み込むと、唇を湿らせ、ここに来てからずっと引っ込めていた下町言葉を口にした。
「そんじゃ、説明させてもらいますよ」
領主の眉間がぴくりと動いたのを見て、ルーは背筋にひやりとしたものを感じながら、そのまま口を動かしていく。
「俺、なるべく給料いいところで働きたくて、よく女のふりしてたんです。その方が年も誤魔化しやすいし、男は甘い顔するし。で、そのときここの下働き勧められて、条件いいし、ばれなきゃいっかなってやることにしたんですけど」
ルーは、領主の眉間の皺を見つめながら一旦口を閉じた。
これだけあけすけに言えば、領主の中ですでに底辺だったルーの印象は地下深くまで落ち込んだことだろう。けれど、それでいいとルーは考える。
ファレルのことをどこまで信用したものかは計りかねたが、それでも、領主より立場が上らしい彼が自分も一端を担ったと白状しているし、命だけは勘弁して貰えるかもしれない。それならば、自分の印象など落とせるだけ落とせばいい。
「そんなことのために周りの人間を騙していたというのか」
案の定、領主の声は氷よりも冷たくなった。
ルーは、慎重にさりげなさを装い、軽く笑った。
「ええまぁ。とりあえず、騙されやすい馬鹿が同室で助かりましたね」
ふっと、領主の形のいい唇から失笑が漏れた。ルーはどきりとした。
ひどく居心地の悪い一拍の後、冷たい海を思わせる青い目が、ルーを鋭く射抜いた。
「お前、ヘティ·ブラントは何も知らなかったと言う気か?先程あの娘は、全く驚いた様子がなかったぞ」
ルーはその言葉に凍りつきかけた。
目の前の若き領主は、自分のような若造の浅知恵などお見通しだった。
ルーとしては別に、自己犠牲でも何でもない。
ただ何となく、どうせ自分はここまでも流れてきたのだから、死にさえしなければいいやと、それならようやく家族を取り戻した人間に類を及ばせなくてもいいと、思っただけのこと。
もともと性別を偽っていたのは自分なのだから、それでいいと思っただけだ。
「…」
返答にかなり不自然な間を空けてしまったが、ここまできて方向転換しても大して意味がない。
ルーは肩をすくめて誤魔化して、このまま無理矢理押し通すことにした。
「…途中でばれましたから。でも、あいつ、脅せば簡単に脅えてなんも言えなくなるし、楽でしたよ。あ、言っとくけど、あんなブスに手え出すほど悪食じゃぁないですから。そこんとこは、勘違いしないで下さいよ」
領主は疲れたようにため息をついた。
「つまり、ヘティ·ブラントはお前に脅されて黙っていたいただけだと、そう言いたいのだな」
「そういうことになりますかね」
「ファレル。お前も、それでいいと言うんだな?」
「とりあえず、良いな」
やり手の領主が、ルー自身下手だと思っているこんな言い分を信じたわけがない。それでも、面倒だと思ったのか、そもそもへティに大したことができそうにないと思っていたのか、追求は止まった。
そして、ファレルも何を考えているのか、ひじ掛けに頬杖をついてにやにやと眺めているだけだったので、事態はルー一人の罪として収拾しようとしていた。
「大した意図はなくとも、領主を謀った時点でお前の領外追放は免れないぞ」
「覚悟しています」
それですむなら、大満足だ。ルーは殊勝そうに頷きながら、ほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし、この結末をよしとしない者がいた。
「来たな」
ファレルが笑みを深めた直後、ばんっと大きく扉が開いた。
飛び込んで来たのは、言わずもがな。
へティだ。
「駄目です!」
大声で言うと、お偉方の居並ぶなかを突っ切ってずんずんルーに近づく。
その両手は治療されたようだが、髪は、焦げたところを切り落としてずいぶん短くなった。
こんな場面なのに、ルーにはそのことがひどく気になった。
へティ自身は、ルーの視線になど気づきもしないで、領主達から庇うように彼に背を向けた。
背中で尻尾のように揺れていたあの銀髪が、結べないのだろう、肩口ではねる。庇おうとするその後ろ姿にダメージを受けて、ルーは心臓の上をぐっと握りしめた。
そんな彼には気付かず、へティが吠えた。
「ルーが追放だなんてそんなの、駄目です!」
「おいバカ口を慎め。あんた領主様に意見する気か」
慌てて我にかえったルーが止めに入ろうとするが、それを振り払ってへティは言い募る。
「だってもともと私がルーを、無理矢理ここにお勤めさせたんですっ。男の子だって知ってたのに!」
「は?」
このバカが、とがくりときたルーはおかしくないだろう。
これにはさすがに領主も驚きすっとんきょうな声を出したほどだ。
「庇っている気か?何故そんなことをする必要があったというんだ」
立ち直りの早い領主の切り返しにも、へティは動じることなく答えてしまう。
「私に男の子だって知られたせいでどこかに行こうとしたルーを、どうにか引き留めたくて。ルーは、一度決まったお勤めに行かずに逃げれば街の人に迷惑だから、仕方なくここに来たんです。だから、私が悪いんです」
言い切る言葉には淀みがない。
「なにそれ、そんなバカな話誰も信じないし。もう黙れよあんた」
粗方真実なのだが、ここで言うべきではないのに。ルーは苛立ちを押し隠しつつへティの言葉を笑い飛ばした。
ところが、興奮状態に入った彼女はいつもの彼女ではなかった。
へティはルーを一瞥したが、全く止まらない。ルーはデジャヴュに襲われた。
─いつもは、あんなにおどおどしているくせに。
その目は傍目に睨み付けて見えるほどに爛々と、力一杯領主の目を見て。
─こんな厳しそうな人、見るだけで逃げ腰になるやつが。
両手は拳を握りしめて、ルーと領主の間に立ちはだかる。
─そう、それで、人の制止も聞かずに突っ走るんだ。
「大体私、別にルーの脅しなんて怖くないですし」
「あんた何言ってんの…」
疲労感で脱力しつつも、ルーはまた反論する。
へティの黒々とした目が、ちらりとルーを振り返り、笑った。
「怖くないよ、でも黙ってたの、黙ってたいからだよ」
一瞬あっけにとられたのは、その言葉のせいではない。その一瞬の表情が、自嘲やら友愛やらの入り交じった笑みが、あまりにもルーの予想外だったからだ。
しかしルーが声を失っている間に彼女が続けてこう言った。
「だから、領主様、ルーではなくて私に処分をください」
怒りのあまりルーの目の前は真っ赤に染まった。
「黙れ馬鹿!あんた怖がりのくせに、どうしてこんなときだけ大人しく丸まってないんだよ!」
「ルーこそ嘘つかないでよ!」
「あんたのが嘘だろっ」
「ルーの嘘つき!」
こうなったらきかないからといって放っておく訳にはいかず、ルーが切れる。もともと切れているへティは折れない。
とうとう口を押さえにかかったルーとへティの攻防を、大人たちは皆戸惑いながら見つめた。ただ一人、ファレルを除いて。
「あっはははははは!」
「お前は…」
領主の渋い顔をものともせず、バカ笑いを続けている。
「だって、っこんなの、笑わずにい、いられるかっ?」
そのあんまりな様子に、とうとう笑われているへティとルーも、掴み合いを止めた。
「あぁ、腹が痛い。もう、最高だ」
笑い転げたファレルが、数分後にそう言って長椅子からずり落ちるまで、彼らは微妙な空気を吸い続けた。




