初めての副業17
「もうすぐ到着致します」
「ああ、色々面倒だな。ハロルドは根にもつたちだからな」
「面倒だと仰るのなら、怒らせるような勝手なことをしなければいいでしょう」
「そんな生き方をしたら、私は退屈で死んでしまう。お前、それでもいいのか」
また馬鹿なことをとため息をつくとクリスは、馬車の後方を見た。そこは壁で塞がれているから外は見えないのだが、彼はその先の後続車へ思いを馳せていたのだ。
つい最近出会い、なかなか見込みがあると思っていた少年が、実は最初に主が連れ出したはずのメイドと同一人物だった。これには身元の確かなはずの伯爵家の使用人が何故と驚きもしたが、それにも増して、またこの人はおかしなものをとげんなりした。あくの強いファレルは、一見気さくに見えて、その実、簡単に人に興味をもたない。その彼が自ら連れ歩いているということは、よほどの気に入りようということだ。これからどうする気でいるにしても、何かしらハロルドとの間で交渉が必要だろう。
そしてもう一人。
こちらはなかなか綺麗な顔立ちだがおどおどしたメイドで、見目より中身の面白さを重視するファレルが何故連れてきたのかと不思議だった。しかし、ふたを開けてみればフライネル·バッフルの娘であった。その上自身も人並外れた風の魔力の持ち主で、しかもファレルによって、新たな精霊の契約者にされてしまった。
魔力の提供だけ続ければ、只人として生きていくこともできなくはないが、その場合も精霊を動かしうる要注意人物に変わりはない。ある程度の監視下におかれるだろう。
どちらもまだ、子どもと言える年の頃である。貴族であればそのくらいでも家のため重責を担うこともよくあるが、彼らは庶民だ。ファレルの─食客ではなく、普段の─近くに置くことで巻き込むであろう様々を想像して、クリスは胸と胃が、痛むのを感じた。
「辛気くさいな」
顔には出さずとも、クリスの主は必ず気付く。だから、彼は隠さず言う。
「子どもに苦労はさせたくないなと思っていたところです」
「苦労はさせても不幸にはさせないさ。それに、奴らはああ見えて意外と大人だ」
「そうだといいですが」
ため息混じりのクリスの言葉に、ファレルは不満を抱いたようだ。盛大に顔をしかめる。
「おい、信用…」
「ああ、着きましたね」
馬車が止まり、扉が開けられる。言いかけた言葉を飲み込む程度には、彼の主もここ数年で大人になっている。
これ幸いと、クリスは先に降りて主に手を差し出した。
賓客を乗せた馬車は館の正面玄関の、せり出した屋根の下に止まっている。ここならば雨を避けられるし、館の結界の中だ。クリスも、ここまである程度張っていた緊張の糸を少し緩めた。元々彼の主は防御に関して言えばクリスなどよりずっと上なので、あくまで気持ちの上でだが。
そのとき。
「…!」
ファレルがはっとしたように振り返った。
クリスもそちら側、館の裏手に目をやり、はっとする。
かすかに聞こえた少女の叫び声。それはまさしく、ついさっきまで彼が考えていたあの少女のものだった。
「本当に、良かった。こんな日が来るなんて」
「これであんたの望みはかなったわけだ」
「うん…」
自分だけ目的を果たした申し訳なさに、へティの声は小さくなる。
快活で人当たりのいいルーに憧れて、彼女のようになりたいと踏み出した。その一歩は、大きく踏み外したかにみえたが、結果的にはルーと居たことで全ての根本にあった父との再会という望みを叶えてしまった。
ほんの数ヵ月前には、考えてもみなかった。父を探しにいくどころか、外で働いてお金をためることすらも、夢のまた夢の話だったのだ。
だから、まだ実感が湧かない。ただ、ルーへの感謝の思いはどんどん強くなっていく。
「でも、でもね、まだお勤めは辞めないよ」
辞めるんだろと言われる前にと、へティは切り出した。
「なんで。金を稼ぎたかったのって、親父探しのためでしょ」
「そうなんだけど、…その、奥方様にお世話になったし、少しでもお側でお遣えしてお返ししたいし」
本当は、一番の理由はルーのそばに居たいからだった。
けれど、それはいやがられそうな気がしてならなかったから、伏せておく。
ルーは、言葉につまったへティの一瞬の間に片方の眉を上げたものの、追求しようとはしなかった。
「へぇ。ま、こっちもやめる気はないから助かるけど」
へティは意外に思って振り返った。
そもそも、ルーがいつまでここにいる気かも分からないと思っていたのだ。もう間もなく最初に決めた期間を迎える。その日まででルーが下女を辞めてしまうのはほとんど決定事項だとして、今回のファレルの同行をいい機会と見て辞職の時期を早めることも考えていた。
「どうしたの?心境の変化?」
へティの視線の先、ルーは珍しく真面目な顔をして遠くを見ていた。
「何となくだけど、あの人の近くにいたほうが、探し物に近づける気がする」
それは、ファレルを指しているのだとすぐに分かった。さすがにへティにも、あの仮の主がただの気楽な客人ではなく、何かしら使命をおびてこの地に来たこと、不正を正す側の人間らしいことは、すでに分かっている。
彼がいつまでここに滞在するかは分からないが、その間は、ルーも屋敷に残り、ファレルのそばにいようというのだろう。
「そっか…。見つかると、いいね」
ところで、ルーは話しながら、揺れる馬車の中でメイド服に着替えていた。久々にはくスカートは足元がすうすうしたが、胸を盛り着替えて髪の縛り方を少し変えれば、身に染み付いた少女の動きが自然と出てくる。
「本当に不思議。おんなじ顔なのに、何でか女の子になってる」
ほうっと感心したように言われて、苦笑いが浮かぶ。
「こっちも長いから。ま、あんたよりは短いはずだけど」
少ししょぼんとした少女の尖った唇を見れば、彼女がルーの意図を正確に理解したことが分かる。つまり、へティは生まれついて女のお前の方が女らしさがないと言われて、その通りだと落ち込んだのだ。
その色づいた唇と、やや伏せられた瞳にかかる銀のまつ毛。毎日魔法具に魔力を供給し続けているおかげで、銀の髪はつむじに光の輪が浮かび、不健康そうな針金娘はもういない。本人は自信がないままだが、本当は、生気を得たへティは十分に娘らしいのだ。確かに、顔立ちはきつめに見えるし体つきはまだ薄いが…
不意に、ルーが慌てて顔を背けた。
「どうしたの?」
「何でもない。ほら、着いたし」
不思議に思ったへティの追求を避けるように、ルーは急いで馬車を降りた。
ルーがひとつ伸びをして息を吐き出した。
裏口側にはさすがに人気はなかった。大勢の野次馬の関心はきらきらしいファレルと、彼の馬車についていった騎馬の護衛たちだから、こちらに来る酔狂な人間はいなかったのだろう。汗を流してえっちらおっちら荷物を運び出す予定の彼らにとっては、その方がありがたい。
さあ、自分も運ぼうと、へティは荷物の積まれた後方に向かおうと、馬車を降りる。
とんっと降り立った足元はいい案配に乾いていた。これなら荷物を汚すこともない、とへティは考えた。
そのとき。
ふっと何かの臭いが鼻先をかすめた。
何だろう、と顔をあげて、その目に恐ろしいものが映る。
「っへティ!!」




